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六、海から子供の歌

 これは星野小百合氏の兄の体験談である。


 バイクでツーリングをしていたAは、切り立った海岸沿いのくねくねした山道を走っていたが、日暮れにトンネルの前に来たところでガス欠になった。救助会社も連絡がつかず、仕方なくトンネルの脇にバイクを置いて、歩いていこうとした。

 そのときだった。ぽっかりあいたトンネルの通路から、突然、大勢の子供の合唱する声が聞こえてきたのである。子供の合唱の声は、ただでさえ少年の声が性別不詳に聞こえるのに、それが狭いトンネルからわんわん響いてくるので、気味悪さすら感じた。しかもトンネル内は、暗いが一応ライトは並んでいて中の様子が見えるばかりか、向こう側にある街灯の光で出口までよく見えるのに、子供の姿はどこにもないのだ。なのに声ばかりが反響してこっちへ聞こえてくる。Aはかなり嫌な気持ちになったが、トンネルを離れると歌声は消えた。


 Aは途方にくれたが、運よく近くの浜に小さな宿を見つけ、降りていった。が、やっと出てきた店主は「今日は泊められない」などと言う。「今日泊めたら客が死ぬ」などとわけの分からないことを言うので、しつこく理由を尋ねると、店主は長々と話しだした。


 彼が言うには、十年前に近所の崖から子供たちを乗せたバスが転落し、全員死んだ。中学校の合唱隊の子供らで、それ以来、五年ごとに、海から子供たちの合唱する声がする。それを聞いた泊り客は、どんなに理由がなかろうが、その話をきいて笑いとばそうが、夜中になると必ずいなくなり、海に入って水死体で発見される。そういうことが、ここ五年ごとに繰り返されているという。


 あるときなど、客が寝ていた布団が海水でぐしょぬれで、水が海までえんえん帯になって伸びいてた。さらに、周りに子供の小さな足跡がいくつもついていた。だがその晩、泊り客に子供はいなかった。

 それで確信した。事故死した子供らは成仏しておらず、まだこの海をさ迷っていて、五年ごとに現れ、彼らの合唱を聞いた泊り客を海に引き込んでいるのだと。

「そして、今日がまた、その五年目なのです。もう四度目ですから、また絶対になにかある、と確信しております。ですから、申し訳ないが、どうか徒歩でお帰りを」


 店主の言葉に、Aはまっ蒼になった。

「冗談じゃない、さっき自分は、トンネルの中から子供の合唱を聞きました。今の話が本当なら、いったいどうすりゃいいんです。バイクはダメだし、いますぐ海から離れるわけにいきません」

 Aの言葉に、今度は店主とおかみがまっ蒼に。あわててタクシーを呼び、十分で来るからと、お守りを握らせた。Aは再び国道に出た。月もない街灯だけがたよりの気持ちの悪い晩に、子供の悪霊に襲われるかもしれないという最悪の状況で、外に放り出されてしまったのである。


 嫌な気持ちで待つうち、Aは海のほうから何かの音が揺らめいてくるのを聞いた。それが徐々にはっきりしてくると、彼は背筋が凍りついた。おびただしい子供の合唱が、海というありえない場所から、遠吠えのようにわんわんとこちらへ響いてくるのだ。

 Aはトンネルのほうへ逃げ出した。声はあっというまに大きくなり、彼のすぐ後ろに迫った。何十人もの子供が彼の背後にいて、その、ぬぼうっとした不気味な歌声を、漆黒の闇夜にわんわんと響かせている。

 Aはつまずいて倒れ、思わず振り返ってしまった。

 その目に映ったものは、ずらり立ち並ぶ無数の子供たちの屍だった。


 以下、そのとき状況を、Aの手記より抜粋する。


「……目の前に、男女四、五十人の小学生たちが列をなして立ち並び、見るも恐ろしい死体の姿で、私を見下ろしていました。

 ある少年は、顔全体が腐り果ててどす黒くなり、落ちかかった片目を、目の穴から振り子のようにぶらぶらさせていました。ある少女は、片方の頬の肉がとろけて、あごの下まで地すべりを起こしたみたいに無残にずり落ちた水膨れの顔で、濡れそぼった長い髪の先から、ぽたぽたと海水を滴らせていました。顔が完全に白骨化して目玉もない子や、白い骨を肉の枠から、服でも脱ぎかかるようにむき出している子もいました。どの子も、着てい制服が無残にずたずたに破れ、そこから見えている体は、肉が溶けて、中の肋骨がむき出しになっているのです。


 そんな見るもおぞましい姿で、みな一様にぐっちょり濡れた体から、足元に水をぽたり、ぽたり、と滴らせ、そこからむせ返るような潮のにおいを放っていました。そのにおいで、彼らが海の底からここまでやって来た、恐ろしい亡霊たちだと悟りました。そして、彼らが自分を連れにきたことを思い出し、私は全身の血が逆行したようになって思わず絶叫し、這うように逃げ出していました」


 逃げるAは襟首を後ろからつかまれて、いっそう泣き叫んだが、それはタクシー運転手の手だった。大声でいさめられ、やっと後ろを見れば、黄色いタクシーが路肩に停まっており、子供たちの姿はどこにもなかった。




 最寄の駅まで送りながら、タクシードライバーが言うには、彼も五年前、仕事中に海から子供の歌声を聞いたという。声はすぐ背後に迫り、車を停めると消えたが、嫌な気配がずっと残っているので、思い切って振り返った。

 彼は心臓が止まりかけた。後部座席に、ぐちゃぐちゃに顔の腐った水死体の子供が何人もいて、飛び出た目玉で彼を恨めしそうにじっと見つめていたのである。気を失い、気づくと彼らは消えていた。


 なぜ彼らが自分を連れていかなかったのか、ずっとわからなかったが、どうもこれのおかげだったようだ……とドライバーは懐から、お守りを見せた。

 それは、Aが握り締めているものと同じだった。

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