堕落者と亡失者
空に見えたのは、一つの月。
しかし、いつもの月とは色が番うことに気がつく。
もし、宇宙が無限に広がっているのならば、
どうかこの罪を、その無限で吸い込んでくれないか。
「あぁ...」
そんな言葉が不意に口からこぼれたのは、18歳の春だった。
商店街を抜けた先の信号が、神星の目の前で赤色に変わった。風が吹き止み、寒さが少し落ち着く。
妙なほどの人気の無さは、まるで世界が二人を見捨てたかのよう。
空には優雅に浮かぶ雲の姿が。今日はやけにごきげんなのか、流れが速かった。
神星は特別急いでいるわけではなかった。
しかし、性格のせいか、はたまた記憶の奥底で何かを思い出し、無意識に急いでいたのか。
真意は不明であったが、どこからか喪失感を覚えた。
「まぁそう急ぐなよ。」
後方からゆっくりと響が歩み寄る。風に乗り、甘い香りが神星の鼻の奥で舞う。
いつも響は飴玉のような甘い香りを身にまとっている。しかし、その香りは日をまたげば、また別の香りに変わる。それも───甘い香り限定だ。
神星はそれが常に疑問でならなかった。
神星は一度、響になぜいつも甘い香りがするのか。
そして、なぜその香りは日によって変わるのか。
聞いてみたことがあった。
すると響はこう答えた。
「きっと本当の俺は存在しないんだと思う。人の香りは、その人を表す名前みたいなものだ。なのに俺はいつも香りが変わる。名前が毎日変わっているようなものだろう?」
その時、神星の脳は理解が出来なかったが心だけは何かを読み取った。
神星には他にも疑問が残っていた。響と出会ってからもう三年も経つのにだ。
「いやいや、響は歩くのが遅いよ。」
神星がほんの少しだけ呆れた表情で響を見る。
「というか、車通り全然だしもう渡っても良いんじゃないかな。」
少し間を開けたあと、もう一度口を開く。まるでその言葉を聞いた神様が怒ったかのように、再び風は二人の方へ一直線に駆け出した。響の首に巻いていたマフラーが、激しく靡き始める。
「ルール守んないと、お母さんに怒られんぞ?」
響が冗談交じりに言う。響自身が、その言葉に少し微笑む。
その瞬間、再び風が止む。それも、次は環境音すら一切たたなくなった。
神星の表情が暗くなる───
「ルールを守るなんてもう手遅れだよ。僕らはとっくに、人間の道から大きく逸れた重罪を犯してるんだから。」
消えて無くなりそうな、小さく弱々しい声。しかし、言葉の蓋を開けてみればそこからは様々な感情が溢れ出してきそうだった。神星は喉に感情を留める。
「...」
響は言葉に詰まる。ふいに空を見上げると、そこには白く光る月の姿が。
「なぁ神星、見てみろよ。」
響は空に向かってまっすぐ指を指した。
神星がゆっくりと響の指す方へと顔を向ける。神星の瞳には月が反射して映った。
「月って、昼は白いよな。夜は黄金に輝くのに。」
響が冷たい雰囲気を砕くかのように疑問をぶつける。
「さぁ。考えたこともなかったよ。」
「理科でも習ったこと無いよな。」
「いつ習うんだろうね。」
神星は響の疑問を適当に躱した。
広大な空の中にぽつんと一つ、白の丸。その景色は神星から見れば、たいして気にすることでは無かった。しかし、響はそれが面白いと感じていた。
「あっ、青。」
信号機が「行け」の合図を見せると、二人の体は自然と前に進み始めた。
響は「信号機が青になると体が自然に動き始める」という体内に組み込まれたロジックすらも面白いと感じていた。しかし、神星の表情から空気を察し、話すことを辞めた。
二人が横断歩道の半分まで進んだときだった。神星が無意識に空を見上げる。
「月の色、か...」
「ん?どうした?」
響が神星の声に耳を傾ける。
そむけたいものを手で隠せば、それはそむけたと言えるのか?
手をどけたらどうなるだろう。
見ないことと、無くなることは違うのではないか?
神星は一人頭を悩ませていた。
道を踏み外しても、また"普通"に戻れるか?
幸せを失っても、人生は面白いか?
面白い事が幸せなんじゃないか?
この2人を、人々は、神々は許すだろうか?




