ストックホルムな聖女
<簡単な前書き>
本作品はストックホルム近郊に広がるメーラレン湖畔の廃墟から発見された羊皮紙に書かれていた古ノルド語の記録に基づいて執筆された。原文はラテン文字ではなくルーン文字で記されている。従ってオリジナル作品はラテン文字が普及する北欧のキリスト教化が進む以前のものである可能性が示唆されるが、推測の域を出ない。
<本編>
私は送受信フェアリーの尻尾を咽頭マイク代わりにして命令を発した。
「手筈通りエイリークは正面、ノーベルは右から、ペールは左から掛かれ。配置に着いたな? 行くぞ」
両足のブーツに仕込んだ加速ジャンプ装置を起動させる魔法を囁く。同時に完全武装の体が宙を舞う。魔王の寝床へ突進するエイリークの頭上を越えた私は、構えた槍の先に思念を送る――魔王と聖女をつなぎとめる鎖を断ち切れ、と。
魔法の槍は闇の中でも間違うことなく鎖を断ち切った。続けて私は呪文を唱える。
「聖女を保護する魔法のベールを」
これは魔王の隣で寝ている聖女が乱戦で怪我をしないように、との配慮だ。魔法のベールが裸の聖女を包むと同時に、私は魔王の枕元に降り立った。寝ている聖女を抱き起こす。同時にエイリーク、ノーベル、ペールの三人が魔王に斬りかかった。魔王に反撃の隙を与えず、滅多切りにする。さしもの魔王も息絶えた。戦闘開始から十秒も経っていない。皆、見事な腕前だった。もちろん、リーダーである私の高い作戦能力があってのことだが。
打ち合わせ通りだった。冒険者ギルドが推薦してくれた上位三名を選んだのだが、それに間違いはなかった。勇者パーティーを追放された奴らの方が有能という暗黙のルールは正しい。だが、雇う料金が高いのは、ちょっと困りもの……いや、それは私に仕事を依頼した聖女の家族が支払うことであって、私には何の関係もない悩みごとだ。そして、その家族内のゴタゴタも、私には何のかかわりもない。
だが一応、書いておく。姉妹の妹が聖女とのことで魔王が妹に求婚してきたが、家族が魔王のもとへ嫁がせたのは聖女でも何でもない役立たずの姉だった。魔王を騙して無能な姉を厄介払いしようとしたのだ。しかし実は姉が聖女だったから、さあ大変! 聖女の祝福がなくなったせいで株価は暴落し経済は崩壊、さらに天変地異が続出したものだから、その家族は本物の聖女である姉を魔王から取り返そうと考えた。雇われたのが私だ。私は冒険者ギルドの協力で、はぐれ者の勇者たちを集めた。量産型の魔王なら瞬殺できる猛者どもだ。その技量の程は既に記してある。
私は送受信フェアリーの脳内電波を冒険者ギルドの周波数に合わせた。魔王の殺害と聖女の奪還に成功したことを報告しようとした、そのときだった。聖女を覆っていた魔法のベールが滑り落ちた。裸の聖女はズタズタに斬り裂かれた魔王を見下ろし、絶叫した。
「ああああああああ! あンたーッ! 生き返ってェ! あたしの愛しい人……どうか生き返ってーッ!」
聖女は魔王の体にしがみつき、何度も揺すった。何の反応もなかった。すると彼女は魔王の体から流れ出た血の上で激しくのたうち回った。彼女の頬を涙がとめどもなく流れ落ちる。血を吐くような嗚咽が魔王の寝室に響き渡る。
私は、あなたを家族の依頼で助けに来た、と彼女へ伝えた。家族の頼みで魔王を殺害した、と。私の言葉を聞いて、聖女は怒りを炸裂させた。
「あたしを追放した家族が、あたしの夫を殺したってこと? あたしの大好きな魔王を……あたしを愛してくれた魔王を! 許せない……あいつら、あたしの幸せをどれだけ潰したら気が済むのよ―ッ!」
聖女が空間転送魔法を緊急展開させたことに気付き、私はエイリーク、ノーベル、ペールの三人に退避を命じた。さすが強者のはぐれ狼どもだ、危険を察知して急いで後ろへ逃れる。私は、あやうく聖女の空間転送魔法に巻き込まれそうになったが、ギリギリで難を逃れた。飛びのくのが少し遅かったら、ズタズタにされた魔王の遺骸と一緒に見知らぬ世界へ旅立っていたところだ。
いや……見知らぬ世界ではないな。聖女は復讐のため、自らの家族のもとへ転移していったようだ。そして、家族たちの命と引き換えに、彼女は魔王を復活させようとするだろう。その場に同席していたら、私の命も魔王復活の材料にされかねない。連れて行かれなくて本当に良かった。
問題は私が雇った腕利き三名の成功報酬をどうするか、だ。怒り狂った聖女の餌食にされる前に、彼女の家族が残金を支払ってくれたら良いのだが、もしも残金を払う前に殺されると……私にとって、残念な結果になりかねない。なんちて。