2話⑤ それ、私じゃない
”今日はありがとうございました。すごい楽しかったです!”
”また一緒に遊びに行きたいです”
楓は家に帰ってからすぐに凛都にメッセージを送ったが返信はなかった。あまり携帯を見ないタイプなのだろう、と言い聞かせて風呂に入った。
返信が来ているか気になって、風呂は早く上がった。髪も乾かさずに、脱衣所に置いておいた携帯電話を確認する。
”既読”
「見てる!」
楓が送った文章を見てはいるが、返信がない。何を返そうか考えているのか、チェックしてから私みたいにお風呂に入ったのか。憶測はやがて、時間と共に悲しみへと変わる。
その日、凛都から返信はなかった。
そして月曜の朝がやって来た。楓の目覚めはすこぶる良かった。
十時十五分。
楓は飛び起きて叫んだ。一限は九時からだったというのに、完全にすっぽかしている。
「終わった……」
一度は飛び起きたものの、絶望的な状況に布団へ身体が戻っていく。天井をぼんやり見つめてみる。
沈黙。
先輩からの返信、なし。
「くっそぉぉぉぉぉ!」
それでも二限はやって来る。準備しなければならない。
一階へ下りると、家には誰もいなかった。楓のことなど気にも留めず、全員出かけているのだ。
嵐のごとく駆け回り、家を出る。二限は何とかなりそうだった。
今日も望実と優香に遅刻するかどうか賭け事をされていたかと思うと泣けてきた。腹が立っても悔しくても、自分の怠惰が起こしている問題なのだから、感情をぶつける場所がない。
4号棟の小教室403。望実の呆れた顔や優香の苦笑いを想像してしまって、さすがにいつも通り元気に声をかけられなかった。
「おはよう……」
窓際の方に横並びで座っていた二人の席の間が、楓のためなのか一つ空いていた。二人は楓に気づいて一瞬不思議そうな顔をした。
「おかえりー」
望実が素っ気なく返す。
「ただいまー?」
望実なりのボケなのか、何かそういう新しいノリなのか、分からないまま真ん中の空いた席に着く。始業まで残り二分。
「一限さ、感想文とか書いた? 今日は前期のまとめの日だったよね?」
尋ねると、優香は半笑いで好奇の眼差しを向けてきた。
「えっ? 記憶喪失系キャラ?」
「んんー?」
なぜか会話が噛み合わない。
「ちょっと、トイレで記憶まで流してこないでよ」
望実は笑っている。
「どゆこと?」
「楓ちゃん、どっかに頭とかぶつけた?」
「え? え?」
楓は首を左右に振り、二人の顔を交互に見る。
「え、まじで言ってる?」
望実が段々真剣な表情に変わる。
「一限、さっきまで一緒に受けてたの、覚えてないの? 授業中も寝てなかったと思うんだけど」
優香は困った顔をするが、楓には身に覚えのない話だった。
「だって、私、寝坊して……今、学校に着いたんだよ?」
楓の顔から血の気が引いていった。
「めっちゃ怖いこと言うじゃん」
望実は腕を組んで二の腕を擦る。
「さっき楓ちゃん、トイレ行ってくるって言ってたよ?」
優香も声を上擦らせ、大きな目を更に大きく見開く。
「それも覚えてないの!?」
黙り込む楓に、望実が畳みかける。
「楓ちゃん……。一緒に病院とか探してみる?」
本気で心配する優香に、楓は首を横に振る。
「違うよ。それ、私じゃない。私じゃないんだよ」
楓は二人のことなどお構いなしに、前と後ろ、二つの出入口を順番に見つめる。トイレに行ったのなら、帰ってきてもおかしくない。そう思ったのだ。
足音が、聞こえる気がする。誰かが、迫ってくる。
この授業は少人数。人の出入りは多くない。次に扉がスライドされる時、望実と優香を欺いた私ではない、もう一人の私が現れるのかもしれない。固唾を呑む。
「楓じゃなかったら、あれは一体……」
望実もぶつぶつ言いながら扉の方を見る。
やがて後ろの扉がゆっくり開き始めた。
「来た」
楓が小声で囁き、いつの間にか優香も扉を注視していた。
軋む音を立てながら、やがて全貌が明らかになっていく。




