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一家転生  作者: RYO
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1.謎の女の子と修道服の女

1.謎の女の子と修道服の女

現在2023年4月1日。

海岸沿いに位置する職場で働いている俺―――高木悠はるは、山にある自分の家まで自転車を走らせている。

少し距離はあるが、山の入り口から家のある場所まで、車が通れるような道が存在しないため、致し方ない。

海から陸へと吹く冷たい風と、自転車を走らせているせいで起こる、冷たい向かい風に吹かれ、4月も1日というのに、ハンドルを持つ手に痛みを覚えてしまっている。

俺はそんな手を、片手ずつ自分の息を当てて、痛さをごまかしながら足を動かす。

そうしてそんな痛みに慣れてきたころ、ようやく俺の家のある山の麓にたどり着く。

俺は近くに設置されている柱に固定されたチェーンを、自転車後輪に通して固定する。

このご時世、自転車を盗む輩が居るとは思わないが、一応である。

その後、俺はいつもと変わらぬ山の風景を横目に、家へと一直線に登り始める。

生まれてこの方20数年。

一歩の迷いもなく進んでいくと、直ぐに不自然に木々の禿げた家のある丘へと到着する。

登山道を抜け、少し歩くと見える家の屋根……。

と、ふと俺は足を止めて、家のあるはずの方向へと体を向ける。

普段、ここまで来ると見えるはずの家の屋根が見えてこないからである。

俺は嫌な予感がして、少し急ぎ足で丘を登る。

するとそこには、あるはずの家は無く、地面には大きく抉られたような半円状の跡が残っていた。

作業着の入った鞄を地面に落とし、俺は膝から崩れ落ちる。

「……何があったんだ」

何で家が……地面ごと何処かに消えてしまったのか?

地盤だの、地形の変動じゃこんなに綺麗に抉られることはないだろうし……。

考えても考えても、状況が呑み込めない。

そして何より、家の中には父と母、それに姉と妹の4人が残っていた筈だ。

俺以外無職の趣味なし集団だ、家の外に居るとは考え難い。

家ごと消えてしまったと考えるのが妥当か。

その考えに至った俺は、考えるのが嫌になって、晴天真っ青な空を見上げて口をあんぐりと開けた格好になる。

するとその直後、俺の視界の先上空に、先程までは無かった光り輝く魔法陣が突如として出現した。

そしてその魔方陣は、まるで山全体を巻き込みたいかのように、2層、3層と広がっていく。

俺はその様子を見ながら、何が起こっているか、俺は死ぬのか、何故体が動かないのか。

そんな答えの見つからないことをぐるぐると考える事しかできなかった。

そうして結局魔方陣が5層まで範囲を広げた頃、俺は魔方陣から放出された、光り輝く雷にも似たエネルギー帯に体を包まれ、激痛の直後そのまま意識を失ってしまった。


次に意識が戻ったのは、どれくらいの時間が経過してからだろうか。

気を失う前よりも、気温や湿度が高く、ジメジメしているように感じる。

俺は節々が痛む体を無理やり起こし、眩しさを覚える瞳を、何度か瞬きをしながらゆっくりと開ける。

するとそこには、見知らぬ光景……荒れ果てたスラム街のような光景が広がっていた。

俺は、今置かれている状況を理解するために、体ごと周りを見渡す。

すると、空は見たこともない真っ黒な雲と朱色の雷で満ちており、そして後ろには俺の家が建っていた……。

「俺の家!?」

俺は驚きのあまり、尻もちをついて後退りをする。

「ここは何処なんだ! 何でこんな所に家があるんだよ!」

俺は普段使わない脳みそをフル回転させて、何とか状況を飲み込もうと試みる。

するとそんな時、後ろの方から女性の悲鳴と、野太い男の叫び声が聞こえてきた。

俺はその声に驚いて、首だけで後ろを振り向く。

するとそこには、白の修道服姿の女性と、それを追いかけるシャツ1枚のゴブリンのような見た目の巨漢が見えた。

ふと、修道服姿の女性と目が合いそうになったので、俺はそっと目を逸らして家の方を向く。

「よし、一旦家に帰ろう……一旦な」

俺は、ゆっくりと立ち上がり玄関の扉に手をかけると、勢いよく開けて大きな声で「ただいま!」と言いながら家に入る。

すると奥のリビングの方から「おかえり~」という声が聞こえてくる。

それを聞いた瞬間、これまで起こったことが嘘のようにリラックスできて、仕事の疲れがどっと体を襲ってきた。

俺は乱雑に靴を脱ぎ捨てると、玄関に体を預けるようにして倒れ込む。

すると、奥からスリッパを履いた足音が近づいてきて、俺の頭の上で止まった。

「あら、悠くんお帰り~」

その、優しくおっとりした声を出すのは、うちの家族でただ1人、俺の母親である高木香織かおりしかいない。

俺はその声に答えるように顔だけを上げて、母と目を合わせる。

「ただいま、母さん……お風呂、湧いてる?」

俺がそう聞くと、母さんはパッと笑顔を浮かべ「うん、湧いてるよ」と言って続けた。

「あと、ご飯もできてるから、お風呂上がったらリビングに来てね」

と、そう言った後、一度だけ俺の頭にポンと手を置いて、再びスリッパの音を立てながら奥へと戻って行ってしまった。

俺はそんな母さんの背中を見送った後、ふぅと一息ついて立ち上がる。

母さんは人が良くて、誰に対しても優しく接してくれる、誰にとっても心の拠り所的な存在でもあるのだろうが……正直、母と正面から話すのは苦手な所がある。

この年にして、母と話すのが苦手というのは、少し恥ずかしい事なのだが……抜けきらない思春期がそうさせるのか。

俺はトボトボと廊下を歩きながら、改めてそんなことを考える。

するとその道中、俺は柔らかい何かにぶつかり、その反動で吹き飛ばされてしまう。

それに驚いた俺は、尻もちをついた痛さを忘れ、その何かを確認するために顔を勢い良く上げた。

するとそこに居たのは、俺の姉である高木稟花りかだった。

「あ! 大丈夫!? ごめんね、ボーっとしちゃってて!」

そう言いながら、稟花姉は俺の前に来て屈むと、思いっきり俺の頭を抱きしめてきた。

そう、この稟花姉という人物、実は相当のブラコンなのである。

どの位ブラコンなのかというと、ハスキー犬が1歳離れたハスキー犬の赤ちゃんを介抱する時くらいブラコンなのである。

俺は予想以上に強い力で抱きしめられてしまい、2つの大きな膨らみの間の、僅かな空間でしか、息継ぎをすることが出来なくなってしまう。

しかも、変な形で抱きしめられたせいで、腕が上を向いて固定されてしまったため、タップアウトすることすらできない。

と、そうこうしている内に俺は息も絶え絶えで意識が飛びそうになってしまう。

あ、これ……俺、こんな所で死ぬんだ。

俺が死の決意を固めて、目を瞑ろうとしたその時。

「おい、稟花姉。悠兄殺す気かよ」

そう言いながら、稟花姉の体を俺から引き剥がしてくれたのは、俺の妹である高木伶音れおんだった。

「あ、ありがとう……助かった」

俺は死の間際に出る、口元の謎の分泌液を腕で拭いながら、伶音にそうお礼を言うと、何故か伶音は凄く不快そうな顔になって返してきた。

「え、今の状況で興奮してたの? キッモ……後臭いからさっさとお風呂入ってきたら?」

と、そう言い残して、稟花姉の服の襟を引っ張ってリビングへと消えていった。

そう、俺の妹の稟花、超絶可愛くない、俺に対してツンしかない妹なのである。

まぁ、兄と妹の関係なんてそんなもんなんだろうけど。

俺は再び、はぁと溜息を漏らしながら立ち上がり、廊下を歩き始める。

なんだか今の一瞬で物凄く疲れた。

そうしてようやく、長く険しい道を抜け、浴室に隣接している洗面所兼脱衣所の前へと到着する。

しかし、何やら中でゴソゴソと物音がしたので、誰か入っているのかと思い、ゆっくりと扉を開けて中を確認する。

するとそこには、鏡の前で髪の毛をセットしている、常に険しい顔つきの、とにかく渋い俺の父親である高木鉄くろがねが居た。

俺はそんな父さんの姿を見て深くため息を吐くと、扉を勢いよく開けて近づき、服の袖を掴むと、思いっきり扉の方向へと引っ張って、洗面所から追い出した。

そんな、終始やられっぱなしの状態にも関わらず、父さんは「あぁ」とか「ちょ、ま」とかしか俺に言ってこない。

俺はそんな父を無視して、思いっきり扉を締め切る。

そう、皆さんお気づきかもしれないが、俺の父親、鉄は見た目に反して物凄く小心者なのである。

その見た目の渋さや、威厳ある立ち振る舞いから、常に周囲から勘違いされて、社会で生きられなくなった存在、それが高木鉄という人間なのである。

俺は、長い付き合いで父さんの渋さも、実は凄い優しくて、蚊も殺せない人間である所も大好きなのだが、1日の大半を鏡の前で髪をセットして過ごすのだけは、本当に嫌いなのである。

俺は服を脱ぎ捨てて浴室へ入り、シャワーを浴び、髪、体と洗ってからお湯につかる。

「……ふぅ」

俺は顔を上に向け、何もない天井をボーっと見つめる。

すると次第に、下のお湯から上がる湯気が視界を埋め、天井にある眩しいライトも徐々にぼやけて見え、その光も目に痛く無くない。

いやぁ、やっぱりお風呂は癒される。

俺は、全身の力を抜いて目を瞑り、今日の夜に起こったことを改めて思い出し、考える。

まず、俺はいつも通り仕事を終えて家に帰ってきた。

それまでに何か変わったことは無かったはずだ……多分。

そして家に帰ると、そこには家もなく、地面が抉り取られる位の大きな力で吸われているようだった。

改めてあの時の景色を思い出すが……何か重要な事が残されていた記憶は無い。

強いて言うなら、綺麗に抉られた地面の中央、そこに居た見たことのないカブトムシの様な何かだが……家が消えたこととは何も関係無いだろう。

そしてそのあと、上空に現れた謎の魔方陣。

何が書かれていたかは分からないが、少なくとも俺が見たことのある文字列では無かった。

とはいえ、俺からしてみればアラビア語もロシア語も、同じような記号にしか見えないわけだが。

そして俺の最後の記憶、あの殺意に満ちた謎の光線だが、あれは何だったのだろうか。

次に目を覚ました時、俺の体に怪我等の異常が無かったことを考えると、家もあの光に撃たれてこの世界に来たのだろうか。

……いや、だとしたら家に残っていた連中の、あののんびり具合は少し違和感がある。

あの力の光に穿たれれば、流石に違和感を覚えるはずだ……。

「……分からん」

この一家は何を考えているか全くもって分からない。

二十数年付き合ってきてこれだから、一生理解できることは無いと思う。

俺は再び目を開け、ぼやける光をジッと見つめる。

するとそんな時、浴室にある唯一の窓から、ガタガタと物音が聞こえてきた。

俺が、そんな物音を怪訝に思いながらも、外を見るのが怖くてジッと窓を見つめるに至っていると、締め切っていた筈の窓が突然勢いよく開けられ、謎の生き物が飛び出してきた。

その生き物は勢いそのままに、俺の入っている浴槽に飛び込んできたと思ったら、そのお湯の温度に驚いたのか「わっ」と言ってから、アセアセと浴槽から床へと出て行ってしまった。

俺は恐怖で薄めていた瞼を、勇気を出してパッチリ開けてその生き物の姿をしっかりと捉える。

すると、床に倒れこんで頭から湯気を出していたのは、銀色の髪を輝かせ、ボロボロの布製の服を身に纏った女の子だった。

俺はそんな女の子を、浴槽から顔だけ覗かせて、動きを観察する。

しかし女の子は気を失っているのか、床に倒れ込んだまま動かなくない。

…………。

しばらくその女の子を見ていたが、このままこうしていても埒が明かない。

俺は恐る恐る浴槽から出した右手の人差し指で、女の子の頬に触れてみる。

その透き通るような艶のある白い肌に、ぷにぷにとした感触が、触っていて病みつきになってしまいう。

そうして俺が、夢中になって女の子の頬をつついていると、足音に気が付かなかったのか、浴室の扉が急にガラガラという音を立てながら開き、それに驚いた俺は目を丸くした扉を開いた人物と目が合ってしまった。

「なんか凄い物音したけどだいじょう……ぶ?」

その人物は、俺と合わせていた目を徐々に下に向け、女の子を確認したのか、直ぐに軽蔑の目に変わり、俺の方に向けてくる。

「れ、伶音……これは、その」

半分お湯に浸かっている筈なのに冷汗が出てきて、この状況をどう伝えれば誤解されずに済むかを、脳をフル稼働させて考える。

しかし、その言葉が思い浮かぶよりも前に、伶音は何も言わないまま扉を閉めて戻って行ってしまった。

……終わった。

俺はその絶望から、少しの間放心状態になってしまったが、視界の端に映る少女を見て我に返り、とにかく少女を助けようと動き出すのだった。


浴槽から上がり、とりあえず自分の着替えを済ませてから、女の子を洗面所の流しの下へと運んで、背を預けさせて座らせる。

俺は、そんな女の子の正面に座り、どうしたもんかと考える。

とりあえず、運ぶときに呼吸を確認したが、よく聞くとスピーという寝息を立てていたため、寝ているだけのようだし……割と雑に運んだのに起きないあたり、声を掛けたくらいでは目を覚まさないだろう。

……それにしても、この女の子は何処から来たのだろうか。

少なくとも、俺の人生でこんなにも綺麗な銀髪の美少女は見たことがない。

と考えると、やはりこの異世界から迷い込んできたと考えるのが妥当なのか……信じたくはないが。

だとしたら早く元の家に返してあげた方が良いのかもしれない。

が、女の子は明らかに痩せていて、その身なりからも標準の生活が送れているとは考え辛い。

……いや、変に考察するのは辞めよう。

とにかく、意識が戻るまでこのままというのも悪いと思った俺は、女の子を背負って暖かいリビングへと向かうのだった。


俺がリビングの扉をくぐると、リビングには高木一家が勢揃いしており、皆何故か神妙な顔で俺の方を見てくる。

俺は大体何が言いたいかの察しがついたので、そんな一家を横目にソファまで歩くと、女の子を横にして寝かせ、先手を取らせまいと食い気味に大声で叫んだ。

「俺が連れ込んだわけじゃないからな!」

俺がそう言いながら目線を一家の方に向けると、皆神妙な顔から、哀れみを帯びた顔つきへと変わっていた。

「大丈夫、どんな罪を犯そうと、私たちは悠くんの味方だからね」

そう言いながらどこからかハンカチを出して涙を拭う母と、そんな母の肩を抱いて頷く父、そしてその正面に座る妹はいやいやと何か言いたげな顔をし、姉はリビングを飛び出してどこかへ行ってしまった。

俺はそんな一家を見て、これは何を言っても聞いてくれない奴だと察し、とりあえず疲れているため、自室に戻ろうとリビングを出る。

するとそんな時、玄関のチャイムがピンポーンという音を立てて鳴った。

俺は外が異世界だということを察しているので、居留守しようとソロソロと自室に向かおうとするのだが、何も知らない伶音がリビングから出てきて「居留守すんなよ」と俺に一言毒を吐いて、玄関へと向かって行った。

俺は少し悲しい気持ちになりながらも、このままじゃ伶音が危険な目に会うかもしれないと思い、伶音の肩を掴んで小声で話しかける。

「おい伶音、このチャイムには出ない方が良いんだよ」

しかしそんな俺の忠告もむなしく、伶音は怪訝な顔を浮かべて「はぁ? 何言ってんの? ロリコンは黙ってろよ」とグングニル並みの大槍を俺に突き刺して玄関へと向かう足を止めようとしない。

だったら。

俺は伶音よりも早くに玄関を開けようと考え、足を踏み込み伶音の脇をすり抜け、なんとか先に玄関の扉へと触れる。

そして俺は伶音に「離れてろ!」と叫ぶと、伶音はさらに顔を渋めてその足を止め、小声で「キモっ」とい言っているのが聞こえて、俺はさらに傷ついた。

が、後には引けないので俺はゆっくりと玄関を開けながら、外の景色を覗き込む。

すると、やはりそこには俺が家に入る前に見た、廃れたスラム街の景色が広がっていた。

しかし、不思議なことに玄関のチャイムを鳴らしたであろう人物の気配はしない。

俺はもっと周りを見渡すために、玄関を全開にして体を出して覗き込む。

それでも何の気配もしないので、俺は安心して玄関を閉めようとしたその時。

「ちょっと待って! 閉めないでくださ~い!」

と、そんな声が聞こえ、その声の正体を確認しようと扉を全開にすると、先程までは居なかった、修道服の女性がこちらに向かって全力で走ってきていた。

俺はその声と状況に呆気を取られてしまい、扉を閉めるという判断が遅れてしまった。

すると僅か数秒もしない内に、その女性は玄関へと俺を押し倒しながら飛び込んでくる。

俺は、そんな女性を支えきれずに床に頭を打ち付け、目を回してしまう。

しかも、女性が俺の上で倒れているせいで身動き一つ取ることができない。

俺は何とか上半身を女性と共に起こし、状況を確認しようと玄関の先を確認する。

するとそんな時、俺の顔の真上、前髪を打ち上げながら、何か硬い物体が飛んできて廊下の天井に突き刺さった。

俺は驚いて、ゆっくりと体を頭から反らしてその硬い物体を確認する。

するとそこには、先に金属の刃が付いた斧のようなもが天井の木を綺麗に割って突き刺さっていた。

そしてその斧の下、そこに居た筈の伶音は何とか避けることが出来たようで、尻もちをついたまま、顔を青ざめて動かなくなってしまっている。

俺はそんな伶音を見て我に返り、直ぐにでも玄関を閉めようと、俺の体にもたれかかっている修道服の女性を床に退かすと、玄関に勢いよく体を預けて閉める。

その際、閉まる寸前に、先に見たゴブリンのような見た目の巨漢が、目を真っ赤にして、息も荒くに肩で呼吸をしながら睨みつけてきていた姿が見えた。

俺は締め切った玄関の扉に背中を預け、ズルズルとゆっくりお尻を床につけて座る。

そうして俺は状況を整理するためにまずは息を整えようと、自分の胸のあたりを左手で抑えて落ち着くよう意識して目を瞑る。

するとそんな時に外から言葉にもなっていないような叫び声が聞こえ、俺は息を整えるのを諦め、自分でも考えられない力で床に倒れている修道服の女性と伶音を両脇に抱えて、リビングへと急いだ。


リビングに着いた俺は、力が抜けて両脇の二人を床に置いて、自分も膝から倒れてしまう。

すると、そんな俺たちを見てか、物音がして驚いたのか、スリッパの音と共に母が近づいてきて膝から座り込んだ。

「悠くん!? さっきの物音と言い、その女の人と言い何があったの!?」

それに……と母は続ける。

「伶音ちゃんまで、大丈夫!?」

そう言いながら、母は気絶寸前の真っ青な伶音を起こして肩を掴み、ぶんぶん縦に振り始めた。

俺はそんな伶音を横目に可愛そうだなと思いつつ、もう一人の横で寝そべっている修道服の女性の肩を揺すって声をかける。

「起きてるんでしょ? 状況を教えてくださいよ」

するとその女性は勢いよく起き上がり、俺に抱き着いてきた。

「ありがとうございますぅ!」

「ちょ、痛い! 痛い!」

そう言いながら、ギュゥウという音が聞こえてきそうなくらい強く抱き締めてくる女性の肩を、俺は軽くポンポンと叩いて落ち着かせようと試みる。

しかし、一向に弱めてくれない、それどころかより強くなっているような気がする。

もう肩を叩く力も出ない。

隣では、伶音が泡を吹いてぶんぶん振り回されている。

この家に居る奴は、理性というものを無くしてしまうのか……?

と、またしてもどうてもいいところで俺が死にそうになっていると、リビングの奥のソファからトボトボと先程までソファで寝ていた女の子が歩いてきて、俺を抱きしめる女性の後ろに立った。

俺は、そんな女の子に目線で助けを求める。

すると、その女の子の瞳は左が青色、右が赤色のオッドアイで、俺は締められている苦しさも忘れて、意識を吸い込まれてしまいそうになった。

「ネッツ《・・・》、やめて」

女の子がそう言うと、ネッツと呼ばれた修道服の女性は、一気に力を抜いたと思ったら、両手を交互に組み合わせて、膝をついたまま女の子を見上げた。

「あぁ、生きてらしたのですね! 良かった……」

「うん……ネッツも、無事で良かった」

そう言いながら女の子は、ネッツの組んだ手にポンと小さな手を乗せた。

俺はそんなやり取りをボーっと見ていたが、隣から伶音の「おに、い、ちゃん……」という声が薄っすら聞こえて我に返り、救出に急いだ。

俺は母を落ち着かせ、伶音を担いでソファに寝かせてから、氷嚢を用意し頭に乗せる。

その後俺は、未だに女の子の前に膝をつき両手を組み、何かを唱え続けているネッツと母の腕を掴んでダイニングの椅子に座らせる。

そしてそのままの勢いで俺はその正面の椅子に座ると、崇拝されていた女の子が隣の椅子を引いて座った。

すると丁度その時、リビングの入り口から、稟花姉の手を握って父さんが入ってきた。

目をぱちくりとさせてこちらを見てくるお父さんは、状況が理解できていない様子だ。

「父さん、俺たちも状況が分かってないから、とりあえず座って」

「あ、うん」

俺がそんな父さんに声をかけると、素直に椅子に近づいて、稟花姉を女の子の隣に座らせ、自分は母さんの横に座った。

すると、それを見てからネッツが一度、コホンと軽く咳をして「では」と話始める。

「まずは自己紹介からか―――私の名前はフラウ・ネッツで、この娘はクロイツ・メーヒェン。生まれは分かりませんが……私たちはそこのアーランドで生活をしていました」

そう言いながら、ネッツは俺たち家族を見まわした。

ふと目が合った時、黄色い瞳に青い粒子のような物がパチパチと弾けていて、それに見入った俺は目が離せなかった。

「……アーランド?」

一方、母さんはアーランドという言葉が引っかかったのか、首を傾げてキョトンとしている。

それに気づいたネッツは、母さんの方を向いて、右手の人差し指を窓の外へと向けて返した。

「アーランド、というのは今家の外にある街の名前ですよ……まぁ、今は街というには寂れていますが……」

ネッツは右手をしまって俯いてしまう。

「街? ここは山じゃないのか?」

懐にしまった腕を組んだ父さんが、俺の方を向いてそう言った。

外から帰ってきた俺なら分かるだろうと、そう考えたのだろう。

「あぁ、うん。外が山じゃないってことは、確かだよ。俺も直ぐに家に入ってきたから、外の状況はあんまり分かんないけど」

俺がそう言うと、父さんは椅子から立ち上がり、ピッタリ閉まりきっていたカーテンを勢い良く開けた。

その背中は、まるで明るい未来を夢見る政治家のようだった。

開かれたカーテンの先、その景色は俺が目を覚ました時と全く同じ景色だった。

真っ黒な雲と朱色の雷で満ちており、よく見ると奥にある建物は、石畳でできた小さな部屋が乱雑に上に積まれているような、どうやってその状態を保っていられるのかが不思議なほどにバランスの悪い形をしていた。

「ここは……」

父さんが両手を窓について、外の景色をまじまじと見る。

それに合わせるように、俺たち一家全員も椅子から立ち上がって、その父さんの横に並んで外の景色を見る。

そこまで行ってようやく見えた、建物の下にある通路。

木の樽や箱が乱雑に置かれているのに、ガランとしていて全く人の気配がしない。

俺たち一家は外の景色に釘付けになる。

そんな中、一人冷静そうな母が振り向いて、ネッツに質問する。

「ネッツさん……私たち、どうしてこんな所に? ここは地球の、どこなんですか」

その質問にネッツは立ち上がり、一家を見つめる。

そして数拍置いてから、息を吸い話始める。

「地球……というのは分かりませんが、この世界にあなた達を呼んだのは私、ネッツです」

「え、なんでそんなこと―――」

「―――あなた達には、この街を、いやこの世界を救って欲しいのです!」

そう言って勢いよく、深々と頭を下げるネッツ。

しかし、唐突に規模の大きなお願いをされた俺たち一家は、唖然として動けなくなる。

するとそんな中、視界の端で足をぷらぷらさせていたクロイツ・メーヒェンという女の子はぴょんと椅子から降り、ネッツの隣に並んだ。

「私の、友達が捕まってるんです……助けてあげて、欲しいんです」

何故か俺の目を見つめたまま、メーヒェンはそう言った。

相変わらずの吸い込まれそうな瞳で、一瞬怯んでしまう。

「えっと、俺に言ってる?」

そう聞くと、メーヒェンは頭を縦に振って肯定する。

「な、何で俺なんだ?」

俺が質問すると、ネッツが顔を上げてメーヒェンの代わりに話始める。

「私があなた達を適当にこの世界に呼んだわけじゃないのです」

「と、言うと?」

すると、ネッツは右手を小さく前に出して「グルウ」と小さく唱えた。

そうして次第に、ネッツの右手の上に小さな光の球体が現れた。

その光は、ネッツの体の周りを飛び回り、その後に俺たち一家一人一人の周りを飛んで消えて行ってしまった。

俺達一家はその不思議な光景に、見入ってしまう。

「私は光を扱う呪文を得意としているのですが……あなた達をこの世界に読んだ呪文は呼ぶ人間をある程度指定することができるのです」

その発言に、俺の記憶の辻褄が少しづつ繋がってくる。

「因みに、何と指定したんですか?」

「……この世界を、救うことのできる人間。と、そう指定しました」

「それで俺は、謎の光に穿たれた訳か……」

「はい、あの時は時間がなくて急いでいたので……とにかく来てほしかったので、威力も範囲も適当に決めてしまって……痛くは無かったですか?」

「多分だけど、威力高すぎて、一瞬で気絶したから、むしろ良かったかも」

「それは……申し訳ないです」

俺とネッツがそんな感じで話していると、横から正気を取り戻した伶音が割り込んでくる。

「ちょ、ちょっと待ってよ。なんか勝手に話が進んでるけどさ、私たち光に穿たれたなんて記憶ないんだけど」

「確かに……そんなに威力が高かったんだとしたら、流石の俺達でも気付くと思う……」

伶音の言葉に父さんが続いた。

その言葉に、俺も不可解な事に気が付く。

「確かに、俺が光に穿たれた時には、もう家は無かったし……ネッツさん、二回もあんな強い呪文使えるんですか?」

その質問に、ネッツは ? を浮かべて首を傾げる。

「う~ん……私は一回しか撃ってないですし、それに次に撃つためには七十二時間必要なので、ありえないですね」

「それに」とネッツは続ける。

「今落ち着いて冷静になって考えてみると、家っていう物凄く大きい物を召喚できるってことは、とんでもない力が必要になるので……私の力ではそもそも無理ですね」

そう言って、ネッツの顔色が少し悪くなる。

「なるほど……てことは、ネッツさん以外にも、俺たち一家を呼んだ奴が居るってことですね」

父さんは、冷静にそう返す。

しかし、ネッツの顔色はどんどんと悪くなっていく。

「そういうことになりますが……う~ん」

「どうしたんですか?」

「私の知る限り、そんな力を持つ人物は一人しか知らないんです。でも、理由が分からない……」

「一体、その人物って誰なんですか?」

遂には真っ青になったネッツにそう質問すると、不安に溢れた顔を上げて答えた。

「レイブンサイト・レット……魔王です」

その名前を聞いてか、メーヒェンはビクッとしてネッツの後ろに隠れた。

「ま、魔王」

稟花姉もまた、何故か怯えて父さんの後ろに隠れてしまう。

「急に話の規模がデカいですね……でも、魔王ともあろう人物が、こんなニートや引きこもりしか居ない、ダメダメ一家を呼ぶ理由が無いですよね」

「う~ん、むしろそれで目をつけられたのかも……」

ネッツと俺は理由を考え、他の一家はそこまで言うかとでも言いたげな目を俺に向けている。

「まぁ、でも。何も魔王を倒してほしくて呼んだ訳ではないので、安心してください」

それを聞いて一家は安心し、俺は質問を返す。

「じゃあ一体誰を倒せばいいんですか?」

「ファゥル……アーランドを占拠している、巨漢のゴブリンです」

その直後、家の外で叫び声が聞こえる。

大地も揺れるような、低く大きい唸り声のような声に、その場にいた全員が耳を塞ぐ。

そんな声が続く中、俺は何とか目を開けて外を見る。

するとそこには、何故か家には近づけず、棍棒を適当にぶんぶんと振り回している、ファゥルが居た。


しばらくして声は止み、窓の外に見えたファゥルはどこかに行ってしまった。

その声に気持ち悪くなったのか、直ぐに稟花姉と伶音は自室に戻って行ってしまった。

部屋に残った俺と父さんと母さん、ネッツとメーヒェンは再びリビングの椅子に座り、向き合って座る。

「改めてですが、あなた達一家にはこの街を救っていただきたいのですが……どうでしょうか」

ネッツは改まって聞くが、俺たちは何も答えることができない。

何せ、何の情報もないのだから、二つ返事で答えることができないのだ。

そんな沈黙の中、俺はゆっくりと口を開く。

「……そもそも、なんで俺たちが? そんな光を扱う呪文が使えるんだったら、ネッツさんで倒せるんじゃないんですか? 俺たち何の力もないですし……」

そう質問すると、一瞬ネッツは口ごもって下を向いてしまった。

「あの、それが……」

「?」

俺たちは、ネッツが何故口ごもったのか分からず、次に話始めるまで待つ。

その間ネッツは、下で手をもじもじさせたり、チラチラと俺たちの方を見たりして、タイミングを伺っているようだ。

そうしてしばらくしてネッツは覚悟が決まったのか、顔をバッと上げて話始める。

「私と、そのファゥルというゴブリンは……私たちが小さい頃からの知り合いで、割と仲が良くて……あの人を前にすると、事情を知っていることもあって……攻撃でき無くなっちゃうんです」

申し訳なさそうな顔になるネッツだが、俺たちはそれを聞いて、聞きたいことが山のように湧き出てきた。

「その、事情っていうのは、ファゥルがそんなことをし始めた理由、ってことですか?」

「それに、小さい頃は仲が良かったのに、どうして命を狙われてるんですか?」

「んん……そのファゥルがアーランドに狙いを定めた理由も、その過去に何か……」

俺と母さんは質問を、父さんは考察を初め、そんな俺たちにネッツはあわあわと、混乱してしまっている。

「えっと、ちょっと、ちょっと待ってください。ちゃんと、順に説明しますから」

ネッツがそんな俺たちを両手でパタパタとして落ち着かせようとした、その時。

俺の頬を冷たいジェル状のネバネバする液体が伝った。

俺はそれを右手で掴んで顔の前に持ってくると、それは糸を引きながら伸び、緑色をしていて、少し動いたようにも見えた。

そんな俺の様子に、その場に居た全員が気が付き、同時に液体が落ちてきたであろう天井を見上げる。

するとそこにいたのは、落ちてきた液体よりもずっと大きい、スライムのような物だった。

そのスライムには目や鼻などはなく、意思も感じられず、ただその場でうねうねとしながら、液体を垂らし続けている。

俺はスライムの下からゆっくりと後退りして離れ、父さんと母さんに並んで立ち、ネッツに話しかける。

「ネッツさん……こいつは……」

「……スライムです、気を付けてください、コイツは繊維質を好んで食べます」

「つ、つまり?」

「このままだと、皆裸になってしまいます」

と、そんな話をしていた次の瞬間。

一瞬目をネッツに動かした直後に、スライムの全身がテーブルの上に落下して、テーブルを粉々にした。

どうやら、その見た目とは裏腹に相当な体重があるらしい。

これを見る限り、服を溶かされる云々より、全身がこのスライムで覆われた時の重さの方が一大事だと推測できる。

俺は恐怖で、少しずつ後退りをして距離をとる。

すると、俺と母さんの間を割って、父さんが前に出てくる。

「後ろに……」

顔を見ると、その表情の剣幕と目の威圧感は、今までにも見たことがないほどだった。

俺は父さんの言うとおりに後ろに下がり、その背中を見つめる。

いつもは頼りない父さんだが、いざというときは流石だと実感する。

そのオーラたるや、芸歴50年の俳優とも肩を並べていそうな程だ。

父さんはスライムを睨みつけ、ネッツとメーヒェンはそんな父さんを見て冷や汗を流して動けなくなってしまっている。

そんな緊迫した空気が、数秒流れる。

と、そんな空気を壊す出来事が起きる。

「キャぁああああ」

二階から、稟花姉の叫び声が聞こえてきたのだ。

その叫び声に、父さんは顔を階段の方に向ける。

そしてそんな父さんの隙を見てか、スライムは目の前の父さんに対して、細かくした自身の液体を飛散させた。

「キャうわぁあああ」

そう女の子よりも女の子のように叫んだのは、目の前に居る父さんだった。

父さんは驚いたのか腰を抜かして、後ろに尻もちをついて倒れていた。

そしてそんな父さんに、スライムは飛散を続け、遂には上半身を飲み込んでしまった。

「父さん、大丈夫!?」

「お父さん!」

俺と母さんは急いで傍に行き、スライムをどうにか引き剥がそうと掴んで見ようとするが、どうしてかスライムを掴むことができず、手が通り抜けてしまう。

「ネッツさん、どうしたらいいですか!?」

俺は一旦スライムをどうにかしようとする手を止めて、ネッツに向かってそう叫ぶ。

すると、ネッツは一瞬放心状態になり、ハッとして俺たちの傍まで小走りで駆けつけた。

「このスライムは私がどうにかしますから、貴方は二階のお姉さんを見に行ってください」

そう言ってからネッツは、父さんの前に屈んでスライムに手を入れながら、ブツブツと何かを唱え始めた。

すると不思議なことに、青白いパチパチとした小さな光の粒子がスライムを包んでいった。

俺はその状況に呆気にとられるが、後ろから母さんが「悠君、稟花ちゃんの事、任せたからね」と言ってお尻を叩いてくれたので、おかげで我に返り、リビングを急ぎ足で飛び出し、階段を駆け上がる。

二階へ到着し、そのままの勢いで左に曲がって、正面にある姉の部屋へとノックも無しに突入する。

するとそこには、ベッドの上でスライムに襲われている稟花姉が居た。

既に遅かったようで、上の服はほとんど食べられていて、稟花姉は自分の上半身を両腕で抱えながら、恐怖で怯えた顔をしている。

そんな稟花姉の元に急いで近づくと、その足音でようやく気が付いたのか、俺と目が合う。

すると途端に、稟花姉の顔は真っ赤に染まる。

「ちょ、ちょっと悠くん! 今はダメ!」

と、そんなことを叫んでいる稟花姉を無視して、俺はスライムを何とかしようと右手を突っ込む。

稟花姉の肌に触れない程度に浮かせて、確かにスライムの感触を感じるが、そこでどうしたら良いか分からず、硬直する。

しかし、このスライムが人体に及ぼす影響はまだ分からないので、俺は何とかしようと手を開いたり閉じたりして、何とか掴もうと試みる。

その度に稟花姉の肌に触れてしまい、横から「ひゃん」と聞こえるが気にしていられない。

しかしその内に、稟花姉も我慢できなくなったのか「悠くん!」と叫んだので、俺は稟花姉の方を向いて目を合わせる。

「服は食べられちゃったけど……体に違和感はないから……大丈夫だと思う」

「そうか……でも、どうにかして引き剥がさないと」

俺は再びスライムの方に目を向ける。

そんな俺の右腕を稟花姉は掴んで「だから、落ち着いて」と言った。

その優しい声に、落ち着きを取り戻した俺は、目を瞑り一度深呼吸してから右腕に集中する。

確かに感じる自分の脈動と体温、そして血液の流れ。

それと同時に、スライムの嫌なジメジメとした温度や、ネバネバとした感触、ぐにょぐにょとした動きを感じる。

その後数秒。

真っ暗な視界に浮かんでくる、自分の右腕とそれに触れているスライムの一部分。

しかし不思議なことに、その浮かび上がってきた腕は、真っ赤に染まっていて、感じる血液も沸々と、煮立っているようだった。

そうして不思議な状況でいると、横から「あっつ」という稟花姉はの声が聞こえてきた。

何か稟花姉の身に何か起きたのかと心配になった俺は、目を開けて横を見る。

するとそこに居た稟花姉は何故か怯えているような目をしていた。

「どうした、何かあったの? 稟花姉」

「は、悠くん……その腕……腕が真っ赤だよ!」

俺の右腕を指さして言う稟花姉に合わせて、俺も自分の右腕を見て驚愕する。

「な、なんじゃあこりゃああ!」

俺は自分の真っ赤な腕と、ポコポコと沸騰しているスライムを上に振り上げながら、尻もちをついてしまう。

すると、残りの稟花姉の上に居たスライムも俺の右腕に飛びついてくる。

どうやらこのスライムは、温度が高ければ高いほど、そこに飛びついてくるらしい。

俺は腕を縦に何度も降って、振りほどこうとする。

しかしどういう訳か、スライムはその締め付けを強くし、俺の腕はどんどんと温度を上げているように感じる。

それに焦っり恐怖を覚えた俺は、もっと必死になって腕を振る。

するそんな俺の傍に、稟花姉が近づいて来る。

「悠くん! 落ち着いて!」

しかし、その声も今の俺には届かない。

それに気が付いたのか、稟花姉は片腕を胸から離して、俺の左肩を掴んだ。

それに流石の俺もはっとし、横に居る稟花姉の方を見た。

「落ち着いて、優くん。右手に集中するの」

「う、うん。分かった」

さっきまでとても焦っていた筈の俺だったが、不思議なことに、稟花姉の優しい声を聞いて、リラックスすることができた。

俺は再び目を閉じると、右手に集中する。

すると、不思議なことに急速に腕が冷たくなるのを感じる。

そうして普段と何も変わらぬ温度になり、スライムの感触も戻ってくる。

……が、温度の低下がそれ以下になっても止まらない。

それどころか、手が見る見るうちに青白くなっていき、しかも腕に触れている部分から、スライムが凍り始めたのだ。

俺はその様子を、右手を挙げて他人事のように見ることしかできない。

どれだけ集中しても、意識しても、どうしても温度が下がるのを止められないからだ。

隣の稟花姉も、その様子を唖然として見守っている。

そうして数十秒後。

スライムの全体が凍った頃に、勢いよく扉を開けて誰かが入ってきた。

「悠兄! 助けて~!!」

そう言いながら、目をぐるぐるに回した伶音が俺の方に飛び込んできた。

よく見ると、全身の至る所に小さいスライムをくっつけていた。

そのスライムも、飛び込む勢いで俺の右腕のスライムに吸収されてしまう。

「ちょっと待て伶音! 俺たちもどうしたら良いk―――げっぶぁ」

顔面に巻きついてくる伶音に右腕が触れないよう注意しつつ、左腕で伶音を引き剥がす。

そして俺は上半身を起こし、ももの上に伶音が背中を預ける様な状態で落ち着く。

物凄く焦っている様子の伶音のおかげで、逆に冷静になれた。

因みに伶音は背中を預けたまま、目を回して気絶しているようだった。

「稟花姉、伶音のこと支えてくれない?」

「う、うん。分かった」

そう言って、俺は体を逸らして稟花姉の方に向けると、横に倒れそうになった伶音の肩を稟花姉が支え、自分の方へと寄せた。

自由になった俺は、胡坐をかいて改めて自分の右腕を見る。

さっきまでは気持ちの悪いアメーバ状の氷だったのだが、今や飛んできたスライムがそのまんま凍ってしまったせいで、出来物みたいになって気持ちが悪かった。

隣の稟花姉も、伶音を横にして膝枕の状態になると、俺の右腕を遠目に見て言った。

「その腕、どうにか元に戻らないの?」

「どうにかって言われてもな……」

俺は再び目を瞑って右腕に意識を向け、元に戻そうと、力一杯に力んでみた。

すると、またしても沸騰しそうなほど温度が上がり、しかも今度は急激に温度を上げたせいか、スライムは部屋中にはじけ飛び、俺と稟花姉と伶音は動かなくなったスライムで全身びちょびちょになった。

俺たちは一時放心状態になるが、冷静になって部屋を見渡し、同時に溜息を出した。

「稟花姉……右手治ったわ」

俺は右手をひらひらと稟花姉に見せてそう言うと、稟花姉はちょっとも視線を動かさずに答える。

「……そうなんだ。良かったね」

俺は右手を止めて下におろすと、もう一度溜息を吐いてから「一階に、降りようか」と言うと、稟花姉が一拍置いて「うん」とそう答えた。


稟花姉が前を行き、俺は伶音を背負ってリビングへと入る。

するとそこには、上半身裸でピクピク痙攣している父さんと、それを囲う母さんと、ネッツ、メーヒェンが居た。

入室と同時に俺たちは目が合い、互いの状況が呑み込めず、目をパチパチしてフリーズした。

「父さん……大丈夫なの?」

「……あなた達こそ、そんな格好で……大丈夫なんですか?」

その後、俺たちは父さんを床に、伶音をソファに横に寝かしてからリビングに再び腰かけ、互いの状況を整理することにした。

「……そうですか。多分、それはこの世界に来てからの能力の覚醒かと……」

「能力の覚醒?」

「はい、前例はないので分かりませんが……もう一度温度を変化させることは、可能ですか?」

俺はそう言われ、自分の腕を見て力んだり、集中してみたりするが、一向に温度は変わらない。

「……無理みたいです」

「そうですか、まぁ能力に関しては、これから説明しようとしていた所だったので……あなた達一家には全員に覚醒してもらう必要がありますからね」

「え、私たちも何か出来るようになるんですか?」

何故か目をキラキラと輝かせながら手を組んで、母さんはネッツに詰め寄る。

「は、はい。でないと、死んでしまうと思うので」

さりげなく、怖いことを言うネッツに、横に座る稟花姉は顔を真っ青にしていた。

しかし「でも、悠君を守るためだもんね……頑張ろう」と小さく言ったように聞こえた。

「で、父さんは大丈夫なんですか?」

床で寝る父さんの方を見ると、未だにピクピクしていて、面白がっているのかメーヒェンが頬をつんつんしていた。

「あ、はい、大丈夫……だと思いますよ、息してましたし」

「一体あれから何があったんですか?」

「はい……あれから私はスライムを離すために、微力な電流を肌の上に走らせようと思ったんですが……力の使いすぎから調整を誤ってしまって……少し流しすぎてしまったんです」

そう言いながら、ネッツは懐から黒こげの物体を取り出して、テーブルに置いた。

「これがスライムだったものです」

それを聞いて、俺は驚愕する。

どんな電気を流せばこんなことになるんだろうか……それに、それを食らって痙攣で済んでいる父さんって……一体何者なんだろうか。

「あのスライムがそんなことになるなんて……ぱぱ、本当に大丈夫なんですか?」

そう思っていたのは俺だけじゃないようで、稟花姉はそう質問した。

するとその時、父さんが急に「うわぁあああ」と叫んだと思ったら、急にパタリと倒れてしまった。

それに驚いた俺たちだったが、今度は痙攣していなかったため、本当に死んだんじゃないかと焦り、急いで呼吸を確認しに行くと、今度は寝息を立てていたので、ただ寝ているようだった。

「……話は明日にして、今日は休みますか」

それを見たネッツが、あくびを我慢しながらそう言った。

父さんが生きていたので安心して、疲れがどっと来たのかもしれない。

伶音もあの状況じゃ、話は進まないし。

「そうですね、今日は寝ましょう。凄く疲れましたし」

母さんと稟花姉も同意のようで、目が合うとうんと首で頷いた。

「じゃあ稟花姉と伶音で先にお風呂入ってきてよ」

そう言うと、稟花姉は首を横に振って返した。

「私は伶音ちゃんが起きてから入るから、先に入って良いよ」

にっこりと言う稟花姉に、俺は素直に「分かった」と言って頷いた。


深夜。

あれから結局、俺の部屋をネッツとメーヒェンに貸すことになり、目を覚ました父さんをリビングから追い出して、俺はソファで横に丸くなる。

腕を枕にして、目を瞑ると案外心地よくて、直ぐに意識が朦朧とし始めた。

しかしその時、リビングの戸が開いて、誰かが入ってきた。

俺は眠い目を擦り、その人物を確認する。

すると、そこに居たのはぶかぶかなパジャマを身に纏った、メーヒェンだった。

稟花姉のお古を着たことは知っていたが、こうもぶかぶかだと、少し歩きにくそうだ。

そんな、歩きにくそうなメーヒェンはとぼとぼと、どうしてか俺の方へと近づいてきた。

「……どうしたの?」

目の前までやってきたメーヒェンに俺は他の人を起こさないように小声で話しかける。

が、メーヒェンはそんな俺の声を無視して、床にペタンと座ると、頭をソファにのっけて、寝息を立て始めた。

「……こんな所で寝たら、風邪ひくよ」

俺がそう言うと、面倒くさそうな顔を上げて「……ネッツ、寝相悪いから」とそう言って再び顔を伏せた。

……。

俺は眠いので、早々に諦めてソファから降り、メーヒェンを持ち上げてソファに横に寝かせる。

俺が横になると足がはみ出したが、メーヒェンだとすっぽりとはまる丁度いいサイズだ。

俺はメーヒェンに毛布を軽く乗っけてから、床に横になる。

……父さんの気持ちが、少し分かったような気がした。


翌朝、目を覚ますと、リビングのテーブルにネッツと母さんが腰かけていた。

メーヒェンは未だに可愛い寝息を立てて眠っている。

「おはよう」

「あ、悠くん。おはよう」

「おはようございます……えーっと、はるさん?」

ネッツは俺をどう呼ぶか迷ったのか、口ごもってそう言ったので、呼び方を気にしない俺は、それを無視してリビングに腰かける。

すると、そこには既に人数分の朝食が用意されていて、何ならいつもより豪華に感じた。

トーストに卵とハムに、ネッツの所にはふかふかの白米と色の綺麗な鮭、そして味噌汁が並んでいた。

すると、その視線に気が付いたのか、ネッツは何故か恥ずかしそうに頬を人差し指で摩りながら「私の我がままで」とそう言った。

「この世界には、こういう料理は無いんですか?」

「はい……というより、何かを食べるのも久しぶりで」

そう言うネッツのお腹がグーっとなり、その場は笑いに包まれた。

するとその声で目が覚めたのか、俺の隣の椅子が引かれ、メーヒェンがひょいと座った。

「おはお」

寝起き直ぐだからか、下が回ってない風に言うメーヒェンは、少し可愛く見えた。

「じゃあ私、三人を起こして来るから」

そう言ってスリッパの音をパタパタと立てながら、リビングを出て行った。

……。

その後、少しの沈黙があってネッツが重い口を開き始める。

因みに、その隣でメーヒェンが涎を垂らしながら口を開いてボーっとしている。

「……本当に悪いことしたなと、昨日の出来事で反省しました……本当にごめんなさい」

ネッツはそう言うと、頭をぺこりと下げた。

「いえ、大丈夫ですよ。ネッツさんもその時は焦ってたんでしょうし……それに、何か少しワクワクしてるんですよ」

俺は自分の右手を上にあげ、眺める。

「昨日の能力、最初は焦ってたんですけど、夜寝る時までには何だか笑えて来ちゃって、もしかしたら世界を救えるかも、って考えたら、ワクワクしてきて、こんな気持ちになったの最近じゃなかったので、楽しいんですよ……この家族でこんな気持ちなのは俺だけかもしれませんが」

「そうですか……先程、お母さまにも謝罪を申し上げたのですが『わくわくしてるから、大丈夫ですよ』とにっこり返されてしまい……異世界の皆様は全員そんな感じなんですか?」

「いや、そんなことは―――」

「―――悠! 見たか昨日の私の力を!」

リビングから急に大声が聞こえて、見るとそこには父さんが息を荒げて立っていた。

こんなに興奮して顔を真っ赤にしている父さんは、今まで一度も見たことがない。

ので、若干、いや結構引いてしまう。

そして、その後ろから母さんが脇をすり抜けて入ってきて、伶音が父さんの頭を叩いてから押しのけて入ってきた。

父さんはそれがショックだったのか、目をまんまるにして叩かれた場所を抑えて、屈んでしまった。

稟花姉はそんな父さんを心配そうにしている。

そして母さんはさっきと同じ位置に、伶音はその隣に座った。

そんな伶音にネッツはまた、俺に言ったように謝罪をしようとしたが、それを遮るように話始めた。

「ネッツさん、あのスライムを含む、ゴミクズモンスターを統括してる魔王を倒しに行くんでしょ!?」

「え? あ、はい……そのつもりでしたが」

「だったら、早く戦える様にならないとね!」

伶音の貧乏ゆすりが止まらない。

目も吊り上がって物凄く怖い。

こんな伶音は……結構見るのかもしれない。

「まぁまぁ、伶音ちゃん。落ち着いてネッツさんの話を聞きましょうよ。魔王とか呼ばれてるゴミクズを倒すためにね?」」

母さんは穏やかな顔を崩してないが、雰囲気で怒っているのが伝わってくる。

女性って怖いなぁ。

さっきまで興奮していた俺も、父さんも一瞬で委縮してしまった。

そんな二人を見て、ネッツはどうしようと言った感じで、稟花姉の方を向いた。

「では……稟花さんは―――」

「―――勿論、戦うのは嫌ですけど、サポート的なことはしますよ」

それを聞いた途端、ネッツは先程とは打って変わって、パアッと満面の笑みを浮かべた。

「では、満場一致ということで、今日は一緒に特訓! 頑張りましょう!」

ネッツは一人、右腕を上げて「オー」と元気よく言った。

俺たちもそんなネッツを見て、各々で「オー」っと続いた。

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