建前
「…………………は?…………………」
信じられない言葉に思わずフリーズしてしまう。そんな私を置いて、殿下は慈しむような眼差しを向けたまま愛の言葉を囁いていった。
「折角の告白がこんな檻の中になってしまってすまない。だが、どうしても私の気持ちを知って貰いたくて……君のその煌めく銀糸のような髪も、ルビーのように美しい瞳も、私の心を捉えて離さないんだ」
「……つまり身体目当てってこと?」
ようやく働いた頭が導き出したのは、何ともシンプルな結論だった。
自分の見目が他人より良いことくらい自覚している。
どうしても殺す前に美少女の身体を暴きたいということだろうか。気持ち悪いことこの上ないが、生かされた理由としては納得だった。
だが王太子殿下は一瞬惚けた表情を浮かべると、すぐさま切なげに眉根を寄せた。
「ごめんね。やはり突然で驚かせてしまったらしい。そんなつもりは全くないんだ。君の容姿に一目惚れしたことは間違いないが、好いた女性にいきなり無粋な真似を働くような男ではないから安心して欲しい。私は本気で君を愛しているんだ。信じてくれるかい?」
困ったように微笑むと、殿下は少し首を傾げる。その表情にえも言われぬ嫌悪感が全身を駆け巡った。
本気で愛している?
誰が誰を?
そんな言葉を信じられる程、私は純粋じゃない。
だから私は込み上げてくる吐き気を堪えて、ハッと鼻で笑ってやった。
「もしそれが本当なら、お前の頭はどうかしてるとしか言えないね。無理矢理組み敷かれる方がまだ正気を信じられそうだ。そんなくだらない話に付き合ってやる程、私はお喋りが好きじゃない。さっさと本当の理由を言え!」
鋭く睨み付けると、殿下は非常に哀しそうな表情を浮かべる。
先程から随分と表情が豊かな奴だ。まるでお芝居を観ているような気分になる。
「信じられないのも無理はないね。君にとって私は憎い相手だろうし、お互いの立場を考えたら疑って当然だ。今日のところはここで帰るよ。でもその前に……」
「?」
殿下がずっと黙って後ろに控えていた側近を指一本で呼び付ける。それだけで意図がわかったのか、側近の男は殿下に小さな箱を手渡した。
殿下は箱を受け取ると蓋をパカッと開け、中から小ぶりな宝石を一つ取り出す。そしてソレをソッと私に差し出した。
「これを君に。私の愛の証だ。君にとっては信じられない話でも、私の心は既に君の元にある。今は信じてくれなくても良い。ただこれだけは……どうか受け取っておくれ」
「…………」
殿下の手の中で輝くソレは、殿下の瞳と同じ翡翠色の光を放っていた。
無言でしばらく宝石を見つめると、フッと微笑む。
「……ま、くれるって言うなら、有り難く受け取っておくよ」
「!そうか、ありがとう」
宝石を素直に貰うと、殿下は満面の笑みと形容するに相応しい笑顔を私に向けた。
「明日、また来るよ。牢の中ですまないが、せめて良い夢を」
それだけ最後に告げた後、やっと殿下は地下牢から去って行く。
看守は残っているが、ようやく訪れた一人の時間に、私は牢に備え付けられている簡易ベッドの上に寝転がった。
「…………」
先程受け取った宝石を天井に掲げて眺める。
そして、ニヤリと口角を上げた。
* * *
「……殿下、一体どういうつもりですか?」
地下牢から出て、人通りの少ない廊下を歩いて行く途中で、側近であるハク・フォンターナに話しかけられる。
どうやら、先程の彼女とのやり取りを訝しんでいるらしい。
それはそうだろう。
何の説明もなく、突然次期国王たる人間が国に仇なした罪人に告白すれば、自分だって真意を疑う。
「会議の後で話すさ」
ハクの方へ顔だけ振り向けると、笑って質問をはぐらかした。
そのまま廊下を進んでいき、一つの扉の前へと立つ。扉の両隣で控えている衛兵二人が何を言わずとも扉を開けてくれた。
「お待たせ。少し遅れてしまってすまない。我が国が誇る……“民の盾達”よ」
部屋へと入ると、円卓の前にズラリと並んで座っていた者達が一斉に立ち上がり、胸に手を当て頭を下げる。
ここに並んでいる五人こそ“民の盾”であり“国の守護戦士”……『花の守護者』……“フラワーガーディアン”であった。
「挨拶を省略させて頂く御無礼をお許しください。殿下、早速ですがお聞きしたいことがございます」
王族用の椅子に座った直後、藤の花を司りしフラワーガーディアン……アリシア・イーグレットに詰め寄られる。
穏やかに笑っているが、目元は一切笑っていない。有り体に言えば怖い顔をしている。
勿論それを口に出すことはせず、こちらも穏和な微笑みを向けて「何かな」と話の続きを促した。
「フローズのことです。何故処刑を取り止めたのか、納得できる理由をお聞かせください」
アリシア殿の目が真っ直ぐにこちらを射抜く。その目に少しだけ非難の色が混ざっているのは気のせいではないだろう。
必ず聞かれると思っていたことだし、自分の行動が突飛だということも当然わかっていたので、特段焦ることもなく「勿論ちゃんと理由があるさ」と言って、とりあえずアリシア殿を宥めた。
「彼女……フローズの処刑を止めた理由は主に二つだ。一つはこの国が他国から認められる“平和の象徴”だから。誰もが豊かで満たされている国……事実この国の年間犯罪件数は二桁を切っている。名実共に平和なこの国で、少なくとも公開処刑をするのはどうかと思ってね。民に人が殺されるところを見せたくはない。それに彼女はデゼールではなく、フィオーレの人間だ。そんな彼女がどうしてデゼールに身を堕としたのか、我々はまだ調べきれていない。情状酌量の余地もあるかもしれないんだ。刑を執行するのは、時期尚早じゃないかな?」
あらかじめ用意していた建前を、あたかも本心のように真剣な表情で話す。
一応建前の方も真面目に考えてきたのだ。少なくとも反論できる余地はないと思っているのか、アリシア殿達も口を噤んで聞いている。
「そして二つ目の理由だが……デゼール帝国の兵力増強だ」
「「「「「!」」」」」
思い当たる節があるのか、フラワーガーディアン達はそれぞれ表情を強張らせた。
「前提として、我らは国中に咲き乱れている花々のエネルギーを借りて戦っている。これを奇跡の力とするなら、対するデゼールは呪術と呼ばれる呪いの力を使っている。その呪いは主に乾きの力。花や大地から潤いとエネルギーを奪い、枯れさせる」
植物に限った話ではなく、生物にとって水はとても重要だ。デゼールの乾きの力は確かに恐るべき力である。
だかしかし、潤いを奪われたのならもう一度与えてやれば良い。
フラワーガーディアンの力を持ってすれば、乾いた大地を元に戻すことなど朝飯前だ。
そんなこと、ここにいる彼等なら当然知っている。
「今まではフラワーガーディアンの奇跡の力で呪いの力を打ち破ってきたが、数年程前から……恐らくはフローズがデゼール帝国に入ってから、デゼールの力が有り得ない程増大し続けているんだ。むしろこれは、前線で戦ってくれている君達の方が感じ取っているだろう」
誰も反論しない。つまりはそういうことだ。
以前は乾きの力を使っていたデゼールだが、フローズが現れてからは氷の力を使っていた。冷気は花々からエネルギーを奪い、一度凍ってしまった花はもう二度と元には戻らない。
フロスター一体につき、毎回氷漬けにされる花の数は五十以上。いくら国中に花々が咲き乱れているとはいえ、花の減少はフラワーガーディアンの力の衰退と同義である。
増大し続けているデゼールの力と、少しずつ弱まっているフラワーガーディアンの力……我が国は非常にマズイ状況に置かれていた。
「皆も自分達の力が弱まっていることに気付いていると思う。問題なのは、フロスターによる冷気への対策が我々には一切ないということだ。フラワーガーディアンの力を持ってしても、一度凍った花は元には戻せなかった。それに引き換え、フローズが居なくても、フローズの作り出した機械によってフロスターはいくらでも生み出せる。今は倒せても、近い将来必ず倒せなくなる日が来る……そうでなくとも、倒す度に何十という花達を犠牲にされては国のエネルギーが消滅してしまう。この国は今、どうすることもできない滅びの危機にある」
重たい沈黙が流れた。
この場にいる全員が理解しているからこそ、誰も何も言うことができない。
世界に名を馳せる大国が……特別な力を有する一つの国が、たった一人の少女の手によって滅亡の危機にある。笑い話にもならないことだが、残念なことに現実である。
だが希望もまた、まだ残されていた。
「我々にはどうすることもできない。だが、この危機を救ってくれるかもしれない希望は、幸運なことに今この城に居る」
「……まさか殿下は……」
アリシア殿が反応を返す。
どうやら意図に気付いたらしい。
少しだけ口角を上げると、「ああ」と頷き口を開いた。
「私達にはどうすることもできないが、フロスターを作った本人である彼女にはどうにかできるかもしれない。彼女はデゼール帝国開発班の天才エースだったらしいからね」
「……つまり殿下はフローズに自分の作った怪物を倒させる為の発明をさせたいってことでオーケー?」
首を傾げたのは四つ葉のフラワーガーディアン……ミシェル・ヒンメルだ。王太子殿下に対する言葉遣いではないが、彼女達は不敬罪が免除されているので問題ない。
ミシェル殿の問いに首を縦に振ると、「まだ彼女に話してはいないけどね」と人差し指を口元にもってくる。
「彼女がフロスターに対抗できる手段を作ってくれれば、一度凍ってしまった花々を元に戻す方法を見つけてくれれば、この国のピンチを乗り越えることができるんだ。皆、わかってくれるかい?」
誰も何も言わない。
沈黙が意味するのは“不安”だろう。
当たり前だ。豊かなこの国で生まれた彼女が、わざわざ荒んだデゼールに身を堕としてまでフィオーレに敵対していたのだ。捕虜になったからといって、処刑を止められたからといって、こちら側に付いてくれる可能性は限りなくゼロに近い。味方になったと見せかけて、こちらを裏切る可能性もある。
何処まで彼女を信じ、権限を渡すか。塩梅を間違えれば、この国は滅びの一途を辿ることになるだろう。
「……フローズを懐柔する算段がおありなのですね?」
「まあ……彼女次第だけどね」
返答を濁せば、アリシア殿が何か言いたげな表情を浮かべる。表情を読むに「もっとはっきりしろ」とでも言いたいのだろう。
確かにはっきりさせたいところだが、本当に彼女次第なのだからしょうがない。
彼女が一度見限ったこの国の次期国王となる自分を信じてくれるかどうか。それに掛かっている。
「さあ、私の意見はここまでだ。今の話を聞いて、それでもフローズの存在が危険で信用ならないと言うのなら、私は君達の意見を尊重しよう。国の平和を守ってきてくれたのは他でもない君達だ。彼女を生かすか否か。信じるか否か。聞かせて欲しい」
「「「「「………」」」」」
少しの間が空く。
最初に口を開いたのは、桃の花を司りしフラワーガーディアン……レベッカ・レーツェルだ。
「殿下がそこまでおっしゃるなら、勿論信じます!それに殺すことは何の解決策にもならないしね!」
「レベッカの言う通りだね。実際私達には対処法がないし」
「はぁ〜〜〜……絶対に茨道だと思うけど……しょうがねぇよなぁ〜」
レベッカに次いでミシェル殿と鬼灯のフラワーガーディアン……ユウリ・オーサンが賛同してくれる。
椿のフラワーガーディアン……クリス・パンセレノンも「良いと思います」と短く了承の意を示してくれた。
残るはただ一人。
全員の視線が一斉にアリシア殿に向く。
アリシア殿は一つ溜め息を吐くと、「仕方ないですね」と口を開いた。
「フローズを、と言うより殿下のことを信じます。しかし何かあれば、すぐに然るべき対処をしますよ?」
「ああ、勿論わかっているよ。ありがとう、アリシア殿。皆もわかってくれて、ありがとう。今日の会議はこれで終わりだ。各自、解散してくれて構わないよ」
そうして会議は終了した。