司法取引
「…………」
セシュレス達の姿が見えなくなっても、ジッとデゼールの方角を見つめる。
怒りも寂しさも湧いてこないが、胸の中にポッカリ穴が開いてしまったような喪失感があった。
……これで終わりか……。
“フローズ”の名はもうない。これからは、ずっと憎んできたフィオーレで働くことになる。
黙って虚無を見つめ続ける私に痺れを切らしたのか、殿下が肩に手を置いてきた。
「リズ、城に行こう」
* * *
国民に見つからないようにしながらフィオーレ王城へ戻ると、フラワーガーディアン達に捕まった日にも通された尋問部屋へと入れられた。ただその時と違って、今の私にはデゼールの情報を黙秘する義理は一切ないし、そもそもこの部屋に居るのは司法取引の手続きをする為であって、尋問される為ではない。目の前にテーブルを挟んで座っているのも、尋問官ではなく殿下だった。
「それじゃあ取引といこうか。こちらが望むのは『デゼールに関するあらゆる情報』と『フロスター対策の開発』だ。……で、君が望むものは何かな?」
殿下が人当たりの良さそうな笑みを浮かべる。その笑みに表情を歪めると、私は殿下の質問に答えることなく口を開いた。
「……何で本性バレてるのに、演技で話してるわけ?気持ち悪いんだけど。嫌がらせか何か?」
「これは手厳しいな。君が盗聴機で聞いた喋り方は幼い頃の名残だよ。ハクとは物心つく前からの付き合いでね。口調を矯正した時も、ハクに対して改まるのは違和感があったから、今でも子供の時の口調のままなのさ。今では矯正した口調の方が普段使いとしては楽だから、慣れてくれると嬉しいな。どうしてもって言うなら、一人称だけは“私”じゃなくて“俺”に変えるよ」
演技染みた苦笑いを溢しながら告げる殿下に、私は興味なさげに「へぇ」と呟く。
口調をわざわざ矯正されるような身の上ではないので、殿下の苦労も都合も全然知らない。ただ、完全に演技全開で話されるとイライラが溜まってしまうので「一人称だけ変えといて」と頼んだ。
「……話が逸れたけど、それで?リズの望みは?俺が叶えられることなら何でも良いよ」
頼んだ通り一人称だけ変える殿下に律儀だなと思いながら、そう言えば“望み”を全く考えてなかったことに気付く。
先程セシュレスに啖呵切ったのも、デゼールを裏切ると決めたのも、全部私を捨てたデゼルト様の悔しがる表情を見る為だ。別に罪の帳消しや金銭に釣られたわけじゃない。
正直に言えば、望みなんてものはこれっぽっちもなかった。強いて言えば、朝昼晩と必ず持ってくる食事を抜いて欲しいくらいだろうか。だがそんなこと、こちらが食べなければ良いだけのことなので、望みとして言う気になれない。
「………減刑で良い」
五分程考えた結果、大して良い案が思いつかず、結局浮かんだ条件はコレだけだった。
それを受けた殿下は少し目を見開いてキョトンとする。
「減刑……罪の帳消しでも良いんだけど……」
妥当な反応だった。
罪が完全に無くなるのと残るのとでは雲泥の差がある。帳消しができるのに、わざわざ減刑の方を選ぶ奴はいない。
それでも、罪を無かったことにされるのは違うと思った。
「良い……罰の有無はどうでも良いけど、罪は消さなくて良い。君らと組むと決めたのも、デゼールに入ってしたことも、全部自分で選んだことだ。それを消したいとは思わないし、消すべきじゃない。だから、罪人のままで良いよ。他に望みもないしね」
素直に言えば、しばらく殿下は瞬きを繰り返して柔らかく微笑みを向けた。その笑みにバツが悪くなって視線を逸らす。
「……そうか、リズが望むなら勿論それで構わない。じゃあ、お互いに条件も決めたことだし、手続きはこっちが勝手にしておくよ。後でサインは貰うから、よろしくね。さて、早速デゼールの情報教えてもらえるかい?」
「……」
少しだけ口を噤む。
これを言えば、本当にデゼールを裏切ることになる。まあ今更だし、後悔はないが。
少し息を吐くと、真っ直ぐに殿下の瞳を見つめた。
「フィオーレがどれくらい情報を持ってるか知らないから、多分知ってる情報と被ってくるだろうけど、文句言うなよ」
「勿論。知ってる情報が正しいかどうかもわかるし、むしろ一石二鳥だ」
「……」
* * *
「デゼール帝国は皇帝デゼルト様をトップに置いた砂漠の大国だけど、どちらかと言えば国というより一つの組織に近い。デゼルトの下に直属の幹部が二人居て、幹部直属の部下がそれぞれ百人、その他全国民が末端兵にあてがわれてる。フィオーレみたいに貴族や平民なんていう身分制度はないから、あるのは皇帝かそれ以外かだけ。幹部も完全な実力主義で選ばれるから、増えたり減ったりは当たり前だ」
「今残ってる幹部二人は、少なくとも私がデゼールに入ってからずっと幹部のままデゼルト様に仕えてる精鋭……一人はさっきフィオーレに攻めてきた軍隊長セシュレス。もう一人は……デゼルト様の伝令役兼秘書ジュティ。今まではこの二人に並んで、私が開発班エースとして幹部に連ねていたけど、後釜はいないから少なくとも技術者の幹部はもう現れない」
「私がデゼールで幹部として働いていたのは八年。その間作ったのは……まず君らも知ってるフロスターとフロスター召喚装置。それからデゼールの呪いの力を増大させる武器と私の氷の力を元にした氷結銃、後はデゼールの兵が着てる戦闘服だ。戦闘服は身体能力増強スーツって言って、着てるだけで身体能力を大幅に上げてくれる。その分身体に負担がかかるけど。ここら辺が実際フィオーレに攻め入る時使われてる兵器の作品。兵器に関係ない物も当然作ってたけど、そんなの言い出したらキリがないから、全部は言えない。一番重要なのは、復元装置。私が作った装置なら余程バラバラにされてない限り、完璧に元に戻せる代物で、使い方は説明書にして残してきてるから誰でも使える。だから、今日私が壊したフロスター召喚装置もきっと直ってるし、いくら相手の兵器を壊しても奪わない限り、向こうの軍事力は落ちない」
* * *
「……こんなところかな、私が知ってる情報は」
三十分程かけてデゼールの大まかな情報を渡し終わると、出されたお茶を飲む。
話していて改めてわかったことだが、私自身あまりデゼールの深部に関する細かい情報は殆ど知らないのだなと感じた。恐らく初めから捨て駒だったのだろう。
「……」
殿下は難しい表情をしたまま、一点を無言で見つめ続けている。そして、「一つ良いかい?」と口を開いた。
「デゼールがフィオーレに攻める理由を知らないかい?」
「…………逆に知らないの?流石に知ってると思って話さなかったんだけど……何百年も前から攻められてるのに、いくら何でも間抜け過ぎるだろ」
「はは……まあ、異論はないよ」
呆れた視線を向ける私から目を逸らして苦笑する殿下に、一つ溜め息を吐くと私は人差し指を下に向けた。
「?」
「デゼールが狙ってるのはフィオーレの大地に満ちている特別なエネルギー……この国の花を一年中枯れさせないカラクリの種だよ」
「“奇跡の力”……?」
「あー、そう言えばそう呼んでるんだっけ?まあ、要はフラワーガーディアンや王族が扱ってる花のエネルギーと同じエネルギーをデゼールは狙ってるわけ」
「何の為に?“奇跡の力”は王族以外には花に選ばれたフラワーガーディアンにしか扱えない筈なのに」
殿下が訝しむように眉根を寄せる。
まあ、何の苦労もなく当たり前のように手元にあるものを、わざわざ軍まで差し向けて奪おうとしてくる奴がいたら意味がわからないのはわかる。持ってる人間はいつだって持たない人間の気持ちを理解できない。それが自分達以外には扱えないものなら尚更、無意味に映るだろう。
内心嘲笑いながら、殿下の質問に答えてやる。
「別に“奇跡の力”を扱いたいわけじゃないんだよ、デゼールは。……フィオーレに生きる人間は多分全員そうなんだろうけど……一年中花が咲いているのも、一日中水が飲めるのも、ずっと土が潤って食べ物があるのも、全部当たり前だと思ってる。……デゼールが砂漠の国だって知ってるだろ?当たり前じゃないんだ。デゼールには大地にエネルギーが殆ど残っていない。フィオーレよりもデゼールの方がいつ滅んでもおかしくない状況ってわけ……ずっと前から、ね。だから、フィオーレの膨大なエネルギーを狙ってる。殿下が国を守る為に私と手を組んだように、デゼールも国の存亡の為に攻めてきてるんだよ」
「…………初めて知った……」
殿下が誰に言うでもなく、ボソリと呟く。
本当に知らないところがつくづく恵まれたの人間だと思った。
しばらく固まった殿下に「何?同情してるわけ?」と馬鹿にするように鼻で笑う。
「……まあ、そりゃ当たり前じゃない暮らしを知らないから……そうか、そうだよね。砂漠の国って、そういうことだよね。でも、こちらがやることは変わらない。デゼールにどんな事情があったとしても、国を滅ぼさせる訳にはいかないんだ、絶対にね」
「あっそ……別にどうでも良いけど……」
「教えてくれてありがとう。知らないことはまだまだ沢山あるけど、何も知らないままいるより全然良いから、リズがいてくれて助かるよ」
「……」
既に見慣れた殿下の微笑み。それに対して私は顔を顰めた。
「……ねぇ、ほんとにソレ素なの?やっぱり気持ち悪いし、鳥肌立つんだけど」
「酷いなぁ。さっきも言ったけど、俺の口が悪くなるのはハクの前だけだからこっちも素だし、話してることも全部本心だよ。気持ち悪いのも鳥肌が立つのも君の問題で、何なら勝手に盗聴機で聞いていた君が悪いから、適当に慣れてね」
「その喋り方でも性格の悪さは滲み出てるな。心底腹立つよ」
「お気に召したようで何よりだよ」
「…………」