“フローズ”死す
「……何?」
殿下に腕を掴まれて、仕方なく振り返る。
「手、邪魔なんだけど。そんなに私に死なれちゃ困るわけ?」
言葉の節々に苛立ちを露わにするが、それでも殿下は手を離そうとはしなかった。
何が何でも私に対フロスター用の兵器を作って貰いたいらしい。性格は悪くても、国を思う気持ちは本物のようだ。健気すぎて嘲笑が出てくる。
「いい加減にしてくれる?君だって、用が済めば私を殺すつもりだったんだろ?そんな奴に協力する気なんて更々ない。わかったらこの手を離せ!」
言いながら殿下の手を振り解こうと暴れる。だが、当然年上の男に力で勝てるわけもない。
舌打ちを溢す私に構わず、一向に手を離そうとしない殿下は閉ざしていた口をゆっくり開いた。
「確かに君の言う通り、俺は君を利用した後処刑しようと思っていた。正直、デゼールの人間と大差ないと思う。今こうして、君の自殺を止めるのも自分の為だ」
「そんなこと、一々言われなくたって……」
「知ってる」と続けようとして、殿下に遮られた。私の腕を掴んでいる殿下の手に力が込められる。
「もう良い……」
「は?」
「もうお前を口説き落とすのは止めだ。司法取引だろうが何だろうが、やってやるさ。お前が望むなら、罪の帳消しだって、金一封だってくれてやる」
顔を俯かせていた殿下がようやく視線を上に向けた。その表情は何処か吹っ切れたような清々しさすらある。
だが、それが何だ。私には関係ない。
「だから何!?そんなの別に要らない!フィオーレに協力する気なんて微塵も無い!!ずっとそう言ってるだろ!!」
「じゃあ、本当にこのまま死ぬのか?そんな人生で本当に良いのか?」
殿下の瞳が真っ直ぐこちらを射抜く。
言いようのない怒りが心の底から湧き上がってきた。
「ッ!!だったら何!?お前に関係ないだろ!!それとも何!?同情してくれてるわけ!?仲間に見限られた憐れな女だって!情けでもかけてくれるの!?冗談じゃない!!」
セシュレスに「貴女を殺しに来た」と言われた時……それがデゼルト様の命令だと聞かされた時、正直自分でも驚くほど「そんなものか」と腑に落ちた。
悲しさも寂しさも怒りもなくて、ただ当然だと思ってしまった。何年も一緒に過ごしてきたけど、お互いに情なんてものは欠片も移らなかったらしい。
言葉通りの“薄情”さに笑いすら出てくる程だった。
だからこそ、殿下の同情が心底頭に来る。
勝手に情けをかけられる程、憐れな人間だと思われたくなかった。他でもない殿下には。
「まあ、正直憐れだとは思ってる。でも情如きで罪人の生死を決める程、俺は優しい人間じゃないんだ。……だから、俺と組め」
「は……」
「ずっとお前のことをどう呼ぶか考えていたんだ。デゼール帝国から抜け出させたいのに“フローズ”と呼ぶわけにもいかないし、本名は無いとか言うし……だから、お前に言われた通り好きに呼ぶようにした。お前に新しい名を贈る。盗聴機付きの宝石やガラス細工の花みたいな下心モノなんかじゃない。正真正銘、俺からの本心だ」
殿下の視線から目を逸らすことができない。手を振り払うこともできない。
話の脈絡もわからないので、頭が軽く混乱している。
名前……私にとっては今でも『個体識別番号』に過ぎないものだった。誰かに愛されて、一番最初のプレゼントとして貰うような……そんな温かなモノじゃない。自分の存在意義を決めつけられて縛られる……まるで呪いみたいなものだった。
――だから驚いたんだ。
「リズ……リズ・スティーリア!今からお前はリズだ!リズとして、俺と手を組め!あんな奴らに利用されるだけされて、殺されるな!捨てられるくらいなら、自分から裏切れ!こんな下らないことで死ぬな!生きろ!俺と一緒に生きろ!!」
初めてだった。
“生きろ”と言われたのは。
初めてだった。
意味のわからない名前を与えられたのは。
初めてだった。
初めて“一緒”を言ってくれる人に出会った。
……『今日から君は“凍らせる者”。良いかい?君の命はもう僕のモノになったんだ。これからは僕の為に働き、僕の為に死になさい』
デゼールの人間になった日に、デゼルト様から言われた言葉を思い出す。
ずっと誰かの為に動いていた。
だから捨てられたならそれまで。使い物にならなくなった道具はゴミ箱の中へ……今までの常識だった。
でも……。
……『捨てられるくらいなら、自分から裏切れ』
フッと、自然に口角が上がる。
そんな風に考えるのは生まれて初めてだが、まあ確かに悪くないかもしれない。
ただの気紛れに、デゼルト様の悔しがる表情を見るのも一興だろう。
これでも性格は最悪で通しているんだ。言われた通りに働いて死ぬだなんて、性悪の風上にも置けない。
「そんなこと良く言えたね、特大ブーメランだって気付いてる?」
「まあな……でも、俺はもうお前を殺そうとは思ってない」
「ハッ、調子が良い奴……うん、良いよ。君の戯言に付き合ってあげる。但し、裏切ったら今度こそ、この国壊すから」
さりげなく脅すと、セシュレスへと視線を向けた。
どうやらセシュレスも私が自死する気はないとわかったのだろう。グッと唇を噛むと、鋭い目で睨み付けてくる。
「フローズ、裏切るつもり?」
「人聞き悪いな。そっちが先に捨てたんだろ?だったら、どう生きようと私の勝手だ」
フンッと鼻で笑ってやる。すると、セシュレスは腕を天高く掲げた。
「フロスター!!フローズを殺っておしまい!!」
「フロー!」
フラワーガーディアン達と相手していたフロスターがこちらに振り向く。
殿下が舌打ちをしながら、フロスターへと剣を構えた。私は何の構えを取ることなく、フロスターと向き合う。
段々と近付いてくるフロスター。
自分より数倍以上の巨躯を持つ氷の化け物だが、焦ることはなかった。
……やれやれ。セシュレスの低脳ぶりには、呆れて物も言えないな……。
首を横に振ると、扇を開く。
フロスターから私を庇うように立っている殿下を押し退けて、私はニヤリと微笑んだ。
どいつもこいつも、フロスターを作ったのは一体誰だと思っているんだ。
「フロー!!」
フロスターが口から凄まじい冷気を吐き出す。
当たれば即氷漬けの威力だが、氷で私に勝とうなんざ一万年早い。
扇をバッと構える。すると銀色の冷気が浮かび上がり、氷でできた牡丹の花が私の周りに咲き誇った。牡丹の凍華はその花弁を散らし、一箇所へと集まって巨大な盾となる。
巨大な盾は、フロスターの冷気を難なく受け止めた。
「製作者に向かって噛み付くなんて、良い度胸してんじゃん。お仕置きが必要だね」
盾となった花弁を散らすと、私はフロスターが怯んでいる内に一気に間合いを取った。
「氷の中で反省しなよ……“フラワーブリザード”」
散らした牡丹の花びらが一斉にフロスターへと襲い掛かる。そして……。
「な、氷でできたフロスターが凍ってる!?」
「当たり前じゃん。いくら私の力をモデルにしてると言っても、あくまでフロスターは模造品。本物に勝てるわけないだろ」
驚く殿下に告げれば、悔しげに唇を噛むセシュレスに機嫌良く「ねぇ」と話しかける。
「フロスター如きで、本当に私を殺せると思ったわけ?流石に馬鹿すぎるでしょ」
「ッ!……フッ、ええそうね。少しナメていたようだわ……でも、ワタシには勝てないでしょ!!」
セシュレスがこっちに向かって飛び掛かってくる。
剛腕から繰り出される拳を躱していき、私は隙を見計らって扇を振るう。だがしかし、扇はセシュレスの服を裂いても、セシュレスの皮膚には傷一つつけていなかった。
「フローズ!貴女の攻撃がワタシに効くとでも!?」
「ほんと……嫌になるくらい頑丈だな。石でも詰まってんじゃない?……でも、君の攻撃だって私には掠りもしてないけど?」
セシュレスの攻撃は一撃でも当たれば致命傷だが、私の身軽さがあれば躱すことはどうってことない。当たらない攻撃は威力だけあったとしても脅威とは言えないだろう。
「それにさぁ、軍隊長だからって私より強いなんて勘違いしないでくれる?」
「なっ!?」
一瞬で相手の懐へ入る。すぐにセシュレスの拳が迫って来たので、一旦離れるが目的は達成だ。
私を捨てるという決断を下したこと、砂漠の国で永遠に後悔すれば良い。
「フローズ、ちょこまかと……ん?」
「ハッ!やっと気付いた?コレ、なーんだ」
そう言って、左手に持っている物を見せびらかすように前へ突き出す。ソレは四角いリモコンのようなものだった。
その正体に気付いたセシュレスは段々と余裕そうにしていた表情を歪めさせていく。
「まさか……」
「精々私を捨てたこと後悔しなよ!バーカ!!」
叫ぶだけ叫ぶと、私はセシュレスから奪ったフロスター召喚装置を握り壊した。
ビキッと鈍い音と共に、備え付けてあるランプが赤く点灯する。
『エマージェンシーエマージェンシー。三分以内に復元装置に入れてください。繰り返します……』
注意警告を鳴らす装置をポイッとセシュレスに返すと「さっさと帰った方が良いんじゃない」と促す。
セシュレスはクッと奥歯を噛み締めた。
「デゼールを裏切って、タダで済むと思わないで頂戴」
「あ、そう?既に傷一つつけられてないけど、君らがどうタダで済まさないのか楽しみにしとくよ」
嫌味に対してこちらを一睨みすると、セシュレスは「全兵、撤退」と号令をかけて踵を返し、デゼールに帰っていった。