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07:血液検査

 ナノ、一〇億分の一メートルの世界。分子、原子レベルまで小さくした物質を組み合わせ、そこにプログラムを載せたナノマシンが、遺伝子レベルで病気を治療する。実現不可と思われていた科学が少しずつ普及し始めたのが、二〇四五年頃。それから二十年あまり、不治の病といわれたものの多くが医療用ナノマシンにより完治できるようになる。癌、白血病、パーキンソン病など、早期発見できたことが条件にはなるものの、生命を極端に脅かすものではなくなっていく。大学病院から始まったナノ治療は、今では少し大きい病院ならどこでもやっている、当たり前のものになってきていた。

 ただ、難点は医療保険が効かないこと。薬とは違い身体の仕組み根本からの治療である点、ナノマシン自体がとても高価で、現実的に利用できるのは富裕層のみである点など、問題も未だある。それでも、何とかして先進医療にすがりたいものはこれを利用する。

 ナノ治療をしているのは、病気を持った人だけではない。例えば、不妊症。女性器が原因である不妊の場合は様々な治療方法があるが、精子の数が極端に少なかったりまたはないとなると、従来不妊治療は難しいとされていた。ナノ治療では、ホルモン分泌のバランスを整え、精巣を刺激し、精子を作り出す。超少子化時代において、最重要視されている出生率の上昇を助けるとあって、政府はこれを推奨し、補助金も出した。

 この治療方法が一般的になり始めたのが二〇五〇年代半ば。まさに今問題視されている十代後半の少年らが生まれた時代なのだ。

 治療に用いたナノマシンが、その後体内で動き続けるのか、どこかで回収されるのか、という問題がある。ある種類のナノマシンは、血管を通り、最終的には泌尿器から排泄されるというプログラムが組まれているが、それによって一〇〇%回収されているかは不明である。また、別の種類のナノマシンは、延々と体内を巡り、全ての遺伝子を書き換えた後自動分解するというし、また別のものは、体内で増産され、治療をし続けるという。

 医療目的で作られた全てのナノマシンは、マウス実験でその安全性が確認されている。しかし人間に使うとなると、その平均寿命が百歳に限りなく近づいてきた今、命尽きるまで安全かどうかという点においては、はっきりした確証は得られていない。様々な種類のナノマシンを複合投与した場合のプログラム暴走や遺伝子異常はないのか。そもそも遺伝子を書き換えること自体に問題はないのか。世界的に問題視されるも、生命倫理の議論が技術の発達に追いつかず、後手後手になってしまっている。医療の可能性と人間の尊厳を守ること、そのバランスが難しい。そのため、ナノマシンを投入する医療従事者には、特別な試験と訓練を受けることが義務づけられていた。



 *



 夕方、湊斗(ミナト)が帰宅した後で、あちこちに広げた新聞紙や地図、書類を整理しながら勇造は、沙絵子と香澄(かすみ)、それから水田を自分の事務机の周りに呼び寄せ、ひそひそ話を始めた。


「実は湊斗にも、血液検査依頼書が届いているらしい」


「血液検査、ですか」


 香澄が拍子の抜けたような声を出した。


「最近騒ぎになってるヤツですよね」


 と、水田。


「そう。湊斗の母親が、昼間『コレなんですか』と電話してきた。あいつの母ちゃんは殆ど日本語が読めない。だから、封筒の特徴を聞いたんだ。調べたら厚労省のホームページに乗ってるのとどうも同一らしくてな。中身は簡易血液検査を定められた医療機関、または保健所で済ませて欲しいと言うこと、この検査は以前流行っていたが今はなりを潜めてる感染症に対しての耐性があるかどうか、地域ごとに統計を取るための匿名検査であること、検査結果が欲しいときは事前通知してもらえれば結果を通知すること――なんかが書いてあるようだ。文面を見ただけじゃ、まるきりその通りに思えるが。湊斗のヤツが聞いた、変な噂。それを被せるととんでもないことになる」


「とんでもないこと、ですか」


 また香澄が変な声を出す。

 作業の手を止めて、勇造は肘置きの着いた回転椅子によいしょと座った。沙絵子の差し出した麦茶をグビグビと飲み、それから息を整えて返事をする。


「ナノの検査なんじゃないかって。本当は、感染症対策じゃなくて、ナノ汚染の原因調査なんじゃないかってことさ」


「ナ、ナノ汚染って。じゃあ、湊斗君にもその可能性が」


 事務机に身を乗り出して、香澄は思わず大声を出した。水田が慌てて、シッと人差指をたてる。急ぎ口塞ぐ香澄に、沙絵子は落ち着きなさいと麦茶を差し出した。

 まあ座れと、各々椅子を持ってこさせ、座らせてから勇造は続きを話し始めた。


「――可能性が、なきにしもあらずと言うことなんだろうと思う。ナノマシンは目に見えない物体だ。見た目であなた感染してますねなんてわかるような代物じゃない。だから、血液検査をしてそこにナノが混入していないか、一人ずつ調べるんじゃないかと思うわけだ」


「だが、一ノ瀬。ナノマシンは普通、カプセルで飲み込んだり注射で血管に入れたりするものであって、風邪じゃあるまいし、他人に広がるようなものじゃないだろ。厚労省側が医療機関に『ナノを過去に投与したものリスト』でも用意させれば、それで済む話じゃないのか」


 しばらく黙っていた水田が、唸りながら指摘する。

 勇造はまた麦茶をグビッと飲み、


「普通、は、そうなんだろうが。例えば輸血で思いがけず感染したとか。ホラ、過去にもあったろ。そういう類の事件が」


「だとしたら、ますます医療機関でカルテ調べればわかるこったろう。高校生全てを対象とする理由にはならんだろが」


 水田の台詞に、勇造はとうとう言葉を詰まらせた。そうなんだよな、と呟き、午後になって少し伸びてきた髭をジョリジョリと手のひらでこすりながら、グラスの中で溶ける氷をじっと見ていた。


「最近話題の不妊症治療用ナノはどうかしら。ナノ治療で生まれた子供にナノが引き継がれてる可能性があるっていうのは」


「沙絵ちゃん、だからそれこそ、カルテ見ればわかることだって。違う?」


「あ、そっか」


 四人はしばらくそれぞれに考えを巡らしたが、結局何も浮かばなかった。ナノマシンについて知識の乏しい彼らがこれ以上意見を重ねるのは無意味だったのだ。


「警察と政府は、ある程度情報を掴んでるんだろうな。一般人には公開できないような、とんでもない情報を」


 残念そうにため息をつく勇造に、水田はあきれたようにこう言った。


「辞めなきゃよかったじゃないか。だったら」


「い、いや、そういうわけじゃなく」


 言葉を詰まらせて勇造は、残りの麦茶を一気に喉に流し込んだ。

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