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旧友

※作中にトランスジェンダーの描写がありますが、ニュートラルな関係性として執筆していますので『GL』『BL』等の表記はしておりません。

 26歳の誕生日を迎えようとしている僕の元へ、高校来の友人である大司から久しぶりに連絡が入った。『政也の誕生日を祝ってあげよう』という上から目線のメッセージに多少思うところはあったが、長く顔を合わせていなかったこともあり…久しぶりにその顔を見てみたくなった僕は、その申出を了承することにした。僕は自分の住むマンションの住所を教え、大司が来るのを呑気に待っていたのだが『今の時間に()()()()()について少しでも調べておくべきだった』と後悔したのは、玄関を開けたその瞬間のことだった。


「やぁ、久しぶりだね。」

「…やってくれましたね。僕のことをからかいに来たのであれば帰ってください。」

「からかってなんかいないよ。()は好きでこの格好をしているんだ。サクラが着てた服や髪型を、そのまま真似してみたんだ。」


 玄関の扉を開けると、そこには身長174㎝の大司が()()()()()()()()()()をして構えている姿があった。その姿は違和感と呼ぶ他言いようがなく、かつて僕が一番見ていたであろう女性を真似した格好だった。


「激しく不愉快です。それが僕の好みだと思ったら大間違いですよ。」

「どうして?この格好は政也がコーディネートしたものだったんでしょ?」

「体型に合ったものを選んでいただけです。僕をこれだけ不機嫌にさせて…、本当に何しに来たんですか?」

「勿論…、政也の誕生日を祝いに。お酒も持って来たから、とりあえず家の中に入れてくれないかな?」

「(はぁー…)分かりました。」


 僕は渋々大司を部屋の中へ招き入れ、とりあえず適当に座らせておこう…とリビングへ案内した。


「全く…、大司はやることなすことが全部突然なんですよ。連絡もそうですけど()()()()…、高校時代の大司を知っている人なら誰でも驚きますよ?『生徒会長どうしちゃったんだろう…』って、ほとんどの人が言うと思いますよ。」

「そうかな?応援団に入ってたときも色んな格好させてもらってたし…、意外と受け入れてくれるかもしれないよ?」


 大司は自らの姿を見せびらかすように、僕の目の前で横や後ろを振り向いてみせた。そこにかつての筋肉質は見受けられず、非力な僕でも押し倒せるのではと思うくらい華奢な姿になっていた。


「……それにしても随分痩せましたね。まさか、その格好したくて痩せたとかじゃないですよね?」

「そうだよ。」

「馬鹿なんですか?」

「酷いなぁ。どう足掻いたって身長は低く出来ないから、頑張って体重を落としたんだよ!?」

「……。告白を断ったときもそうですけど、僕は『見た目や性別は関係ない』って言ってますからね。」


 僕がそう言うと、大司は当時を懐かしむように少し笑い…、そして女性らしくスカートのプリーツを整えながらゆっくりとソファへ腰を下ろした。


「分かっているよ。この格好だって、本当に私が着てみたいと思っただけなんだ。…ずっと見ていたんだ。政也としては面白くないかもしれないけど、ちょっとした遊び心だと思って許してくれないかな?」

「嫌がらせじゃない…ってことなら、まぁ構いませんよ。人の生き方に関して、僕が何か言える立場ではないですから。一人の女性を殺してしまった僕に、そもそも人権なんてものはないのかもしれませんね。」

「怖い言い方をするなぁ。別に殺人をした訳じゃないんだから、そこまで自分を酷に扱う必要はないだろ?」


 そう訴えかけてくる大司と目を合わすことなく、僕はグラスと氷を用意しながらここ数年のことを思い返していた。友人は居れど、昔の知り合いとは疎遠になってしまったという現実が、僕を偏屈な思考へと導いていた。


「大司だって…、こんな僕にがっかりしたから、長らく姿を見せてくれなかったんでしょ?」


 言うつもりのなかった言葉が、つい口から零れてしまった。大司の前にグラス類を運びながら、僕はその言葉を消すことも拾うことも出来なかった。気まずい雰囲気を感じ取った僕は、引き続き目を合わせることが出来ず、ひたすらに手元ばかりを見つめてしまっていた。


(やってしまった…。)


 そんな気持ちに苛まれていると、ぼんやりと見つめていたその手元にふと大司の手が差し伸べられ、僕の左手は大司の両手で包み込まれてしまった。


「…!?」

「それは違うよ…。私はサクラの生き様がとても目映く見えて…、それに自分が凄く劣っている気がして…、君の近くに居られない気がしてしまったんだ。」

「もしかして…、それがきっかけで変わろうと?」

「そう…。これ以上『諦める』ことをしたくなくて、なりたい自分になろうと努力したんだ。だから私は本当に…、政也をからかいに来た訳ではないんだ。想いが実らないと分かっていても、どうしてもこの姿を政也に見てもらいたかっただけなんだよ。」


 僕の手を包む大司の手はとても冷たく…、そして微かに震えていた。そこに玄関を開けたときのような暴慢な態度は一切なく、あれが大司なりの強がりだったということを僕はようやく理解した。


「僕に負けず劣らず、大司もたいがいもの好きですよね…。こんな僕を好きになる人なんて、自分以外に居ないと思ってました。」

「そうでもないさ。見えてた人にはちゃんと政也の良さは理解出来たはずだよ。とは言え、高校時代は散々私が目立つように出来てたからね。その陰に隠れてしまった政也は、ほぼ私の独り占め状態だったって訳だ。」

「そりゃ生徒会長や応援団長をしてた人には敵う訳ないですからね…。業務に付き合わされた身としては、ホント良くやるなぁーって感じでしたよ。」


 僕が偏屈気味ながらも笑みを浮かべると、大司は安心したのか…その包み込んでいた両手を引いてしまった。過去に大司からの告白を断っていながら、僕はその両手に名残惜しさを感じてしまっていた。


「政也がそうやって褒めてくれるのは嬉しいけど、だったらどうして私じゃ駄目だったんだろうと…つい考えてしまうんだ。政也は優しいから私に非はないと言うけど、やっぱり私のしたことは厭わしいことだったんだろうなと思えて仕方ないんだ。」

「……。不安にさせてしまいましたか?」

「いや…、政也の対応は素晴らしいものだったよ。私が気持ちを告白した後もずっと友達でいてくれたし、避けることも一切しなかった。だからこそ私は理由が知りたくて、ずっともどかしい気持ちを捨てられないままなんだ。」


 今までと変わらず旺盛且つ朗らかな大司のままで、これからも自分の側に居て欲しい…。僕はそう思って大司の個性を何一つ否定せずに告白だけを断ったのだが、どうやらそれは大きな傷を与えていないだけであって、目には見えない枷を大司に与えるという結果になってしまったらしい。何が原因で自分が受け入れてもらえなかったのか…、それを考え続ける日々の中で、大司は傷を与えられる以上のダメージを蓄積させてしまったのかもしれない。


(流石にこれ以上…、もどかしいままで居させる訳にはいけませんね。)


 大司の苦悶する表情を見せられてしまった僕は、その原因である目に見えていなかった枷の正体を明かすことにした。


「…嫉妬ですよ。」

「嫉妬?」

「ええ、同じ性別でありながら男女ともに慕われている大司が、僕は羨ましくて仕方なかったんです。幼稚と思うかもしれませんけど、僕は嫉妬している相手の好意を受け取れるほど、柔軟なプライドを持っていなかったんです。」

「つまり私は政也に頑張りを認められていたからこそ、振られてしまったということになるのかな?」

「ま、そうなりますね。」

「それは…、何ともやるせないね。政也に褒めてもらえることが嬉しくて色々と頑張れていたのに、それは嫉妬を生む行為でしかなかったってことだろ?」


 自らの行いを後悔しているかのような言葉を聞いて、僕は大司が読み違えをしている可能性を危惧した。


「その…、勘違いされては困るので言っておきますけど、僕の言う『嫉妬』は(ねた)みではなく(そね)みですので、そこはくれぐれも履き違えないようにお願いします。」

「…それの何が違うと?」

「前者は『憎みの気持ち』、後者は『羨む気持ち』です。最初に言いましたよね?『僕は大司ことが羨ましくて仕方なかった』って。僕は君の全てを羨ましいと思っていましたけど、それを恋愛感情に漬け込んで奪うようなことはしたくなかったんです。」

「もしかして…、それが政也の『プライド』?」

「ええ。分かりづらくて申し訳ないです。なので大司は自分の行いが間違っていたとは決して思わないでください。あなたの行動は清く正しく…、そしてなにより格好良いものでしたから。」


 そう言いながら僕が顔を覗き込むと、大司は目を白黒させて動揺を見せた。


「何だよ、それっ…。政也にとって羨む対象である以上、私がどう行動しようとこの好意は受け取ってもらえないってことになるじゃないか。」

「ええ。けれど残念ながら、今の僕はあなたのことを羨むような気持になれないみたいです。」

「え、それってどういう…。」


 動揺してテンションが乱れつつある大司をよそに、僕のテンションは今の状況を少し楽しみたいと思えるくらいの冷静さを保てていた。僕は先程用意していたグラスを大司の前に差し出して、少しでも落ち着いてもらおうと自分の表情を少し柔らかくして見せた。


「ま、折角お酒があるんですし、こういう話は飲みながらにしましょう。三年近く会ってなかったんですから、お互いの近況報告も必要でしょう…。大司が選んだお酒を飲みながら、口を軽くするのも悪くないと思いますよ。」


 僕のその提案に少し気が抜けたのか…、大司はため息をしながら背もたれに寄りかかると、持参していた細身なショップバッグに手を伸ばした。


「はぁ…、分かったよ。自分で持ってきておいて何だけど、政也ってそんなにお酒好きだったっけ?」

「いいえ、お酒はオマケと言いますか…潤滑油みたいなものです。アルコールが入れば、僕のプライドも少しは柔らかくなってくれるかもしれませんし…。」

「よしっ、飲もう!」


 私の言葉を聞いた大司は、その手に持っていたショップバッグの中から勢いよく持参したお酒を取り出した。中に入っていたのは、普段からお酒を嗜む人なら分かるであろう、少々良い値のするウイスキーだった。


「まったく…。下心が丸見えですよ。」

「いいんだよ。政也に隠すことなんて今更何もないんだから。一応誕生日を祝いに来たのだから、ここは私に作らせてもらってもいいかな。政也のことだから、きっと冷蔵庫に炭酸水とかも準備してくれてるんだろ?」

「ええ、きっとハイボール用のお酒を持って来るんだろうとは思ってましたから、その準備だけはしておきました。」

「ふふっ…、流石だね。やっぱり政也が私のことを一番分かってくれているよ。」

「言うて七年間も一緒に居ましたからね…、行動パターンはそれなりに読めますよ。まぁその格好でここへ来ることは読めませんでしたけど…、そこは三年の誤差ってことですかね。」

「大人になったんだよ、君も私も。だから私のことを脳筋だと思うのは、もう止めた方がいいと思うよ。」

「そのようですね。では脳筋を止めた大司が、僕に美味しいお酒を作ってくれることに期待しています。」


 僕はハイボールを作る為の道具を一通り揃えるだけで、あとのことは全て大司に任せることにした。多少待たされることを予想していたのだが、大司はいとも簡単にボトルキャップを開けると、冷やかす隙を見せることなく…二人分のハイボールをあっという間に作り上げてしまった。


「もしかして…、そういうお店で働いてます?」


 その手つきが見惚れるほど上手だった為、僕は思はずそんなことを口にしてしまった。それを聞いた大司は、手に持っていたマドラーを何処へ置くかを迷わせながらも、その質問に苦笑いを浮かべていた。


「政也の言う『そういうお店』が何を指してるかは知らないけど、私の今の仕事はバーテンダーだよ。元々は掛け持ちの一つでしかなかったんだけど、オーナーが『その気があるなら店を任せたい』って言ってくれたから、そっちの道でやっていくことにしたんだ。」

「じゃあカメラアシスタントの仕事はもうやってないってことですか。」

「そう…。私のやりたいことは『誰かの人生を肯定する』ってことだったから、とりあえず写真家になれば人生の切り取り役になれるかと思ってたんだ。だけど、バーのカウンターに立って誰かの話を聞いてあげることって、写真以上に肯定する行為に繋がるんじゃないかと思ったから、写真の方はそれぞれが持つスマホに任せることにしたんだ。」


 大司はアイスペールにマドラーを差し込むと、空いたその手で出来上がったハイボールを僕にを差し出してくれた。


「…はい。何の飾り気もない、普通のハイボールの完成。」

「ありがとうございます。自分以外の人に作ってもらえるだけで、僕にとっては十分結構貴重なお酒ですよ。」

「そこは嘘でも『君が作ってくれたから特別なんだ』って言ってくれればいいのに。」

「仮にそう思っていたとしても、僕はそんなキザな台詞言いませんよ。」

「つれないなぁー…。」


 そう言っていじけた顔を見せる大司に、僕は"乾杯"を促すようにグラスを持ち上げて、その反応を貰おうとした。


「…!?」

「乾杯…してくれないんですか?」

「そこは恥ずかしがらないんだね。」

「たかが親睦の証じゃないですか。いちいち恥ずかしがりませんよ。」


 僕がそう言うと、大司は自分のグラスを持ち上げ、少し恥ずかしそうにそのグラスを僕のグラスに近づけてきた。


「「乾杯。」」


 そう言ってグラスを打ち付け合い、僕達はお酒を飲み始めた。


 僕達は会っていなかった三年間を埋めるように、お互いの『現在に至る経緯(いきさつ)』を語り合った。最後に顔を合わせたのは大学卒業の日だったが、最後に会話をしたのはそれより半年ほど前のことだった。自分が進みたい道を突き詰めた末、一人の女性の人生を終わらせてしまった僕は、大学生活最後の半年を満喫という形で過ごすことは出来なかった。自分で選んだことだったので後悔こそしなかったものの、そこに生じる『孤独』や『寂しい』という気持ちは誤魔化せるものではなかった。


「それで今は翻訳者になった…と?」

「ええ、最初こそ所属先を転々としていましたが、今はとあるeスポーツチームの専属として働かせてもらっています。eスポーツは世界と繋がることが前提の分野ですから、それなりに需要は高いようです。自動翻訳って手段もありますけど、ゲーム用語が混じると中々難しいようですからね。人間による『生きた翻訳』が重宝されるんですよ。」

「成程ね。接客や営業のような()()()()()()()()()ではなく、同じ人達と()()()()()()()()()()()()に居たかった…と。」

「その通りです。毎日毎日新たな関係を築くのは正直しんどいので、僕はこちらを選びました。中継役なので誰かと張り合う必要もありませんし、個人的にはとても平和な職場ですよ。」


 お酒を飲んだ僕は、自分が孤独を感じていたことをあっさり打ち明けてしまっていた。今まで居た友人と全て疎遠になり、ぽっかりと穴が開いてしまった僕は、その部分を仕事に格好つけて埋め合わせることにした。人と人との中継役と請け負うことで、強制的に【連絡を取る相手】が出来上がる…。それを利用することで僕は孤独を回避し続けていた。


「正直言って、私は政也が一人でも平気なタイプなのかと思ってたよ。クラスでも群れることがなかったし、積極的に誰かに話しかけるタイプでもなかっただろ?」

「『しなかった』んじゃなくて『出来なかった』んですよ。もし僕に大司のように社交性が備わっていたら、さっき言ったような嫉妬なんてしてませんよ。」

「それもそうか。それが出来るのなら孤独を感じる前に新たな関係を築けばいいだけだし、私に対してプライド(意地)を張る必要もなかったって訳だ。」

「そういうことです。ま、今はチーム内の()()()を繋ぐだけじゃなく、()()()()()()()を繋ぐこともあるので、自ずと社交性は育ってくれましたけどね。」


 お酒を楽しめているこの現状が、僕に社交性が備わった証拠でもあった。大学時代は大司の居る場に限って飲み会には参加していたが、それ以外で自分からお酒を飲むことはなかった。社会人になり、仕事として飲み会の場に居合わせることが多くなった僕は、自然と『人』と『お酒』…、両方の付き合い方を身に着けることが出来た。


「つまり仕事に格好つけなくても、自分で孤独は解消できる…と?」

「ええ。だけどもう一つ…、大事なことを忘れてませんか?」

「…ん?」


 お酒を嗜んでいる大司は、私のその言葉を聞いてもピンと来ておらず、グラスに口を付けたまま少し首を傾けて見せた。


(仕方ありません…。ここはヒントを差し上げましょう。)


「僕は『大司のように社交性が備わっていたら嫉妬なんてしない』って言ったんですよ。つまり今の僕は…--。」


 僕がそこまで言うと、大司はハッとした表情をして口元からグラスを外した。そしてあんぐりとした表情になってしまった大司は、そのまま小さく口を動かし、その答えを口にした。


「今の政也は…、私に嫉妬していない…?」

「はい、その通りです。勿論、あなたの努力を軽んじている訳ではありません。僕は単純に、自分が選んだこの道で、自分が成長出来たことを認めてもいい頃合いだと思ったんです。」

「……。」


 答え合わせをしても尚、大司はその表情を変えることなく、ただ僕を見つめることしかしていなかった。急に現実を突きつけられたせいで上手く頭が回っていない…、そんな様子が窺えた。まるで置いてけぼりを食らってしまったように大司が大人しくなってしまったので、僕は自分が携えていた手綱を大司に握らせることにした。

 

「そう言ってみたものの、自分の努力を自分で認めるのは横暴な上に都合が良すぎます。なのでここは一つ、大司が僕のことを認めてくれるのであれば、僕はプライドに勝る人間になれたのだと誇ってみようかと思います。」

「…えっ!?そんな、急に言われても…。」


 無表情だった大司が一転し…困惑する表情を浮かべてしまったのを見て、僕は惧れを感じた。


「やはり()()()は、大司には認めがたいものですか?」


 惧れに屈した僕は、大司が言いづらいであろう"その言葉"をあえて先に発言することによって、自分が受けるであろうダメージを軽減させようとした。どうせ火傷をしてしまうなら少しでもぬるい内に…。そう思って発した言葉だったが、それを聞いた大司は僕の稀有を蹴散らす勢いで首を横に振った。


「そうじゃないっ。私はあの頃と変わらず政也のことを想っている。だけど…。」

「だけど?」

「ここで簡単に『はい』と言ってしまうのは何か違うと言うか…、私が負けた気になると言うか…。」


 別に勝負を仕掛けたつもりではなかったのだが、大司は何故か僕の気持ちに張り合おうとしてきて、素直に僕の努力を認めようとはしなかった。眉間にシワを寄せるその顔は本当に悩んでいることの証明だと思い、返事を待つ僕としてはどうにももどかしい気持ちだった。


「では…、どうすれば認めてくれるんですか?」

「えーっと…、そうだな…、…。『成果』…とか?」

「『成果』…ですか?」

「そう。私が痩せた姿を見せびらかしに来てお酒を作ってあげたように、大司も何かここ数年で努力したことを私に分かる形で披露してくれないかな。」

「うーん、それは難題ですね。『大司に分かる形で』となると…、…。」


 僕はしばらく黙り込んで、大司に認めてもらえるであろう『成果』を懸命に考え始めた。eスポーツに疎い大司に、自分の所属するチームをプレゼンしたところで感心が得られないのは分かっていたので、僕は余計に頭を悩ませていた。


(そもそも大司の求めているのは僕個人が有する努力の成果であって、チームの成績ではない。となると、僕も大司がしたことと同じように()()()()()のが一番分かりやすいでしょうか…?)


 披露出来そうな成果を思いついた僕は、おもむろにソファから立ち上がり、対角線上に座る大司の側へと近づいていった。


「失礼。」

「…?」


 僕がそのまま隣に腰を下ろすと、大司はキョトンとした表情で僕のことを見つめていた。その顔がどうも幼気に見えてしまい、僕はつい顔を緩めてしまった。僕はその何とも言い難い笑顔のまま…大司の目をじっと見つめると、()()()()()()を披露する為、小さく息を吸い込んだ。


(スゥー…)


「I was very happy to be able to see you again after such a long time, and I truly enjoyed our time together.」

「…っ!?」

「…いかがでしょう。学生の時より随分上達したと思うんですけど…、成果として認められませんか?」


 僕は社会経験を経て培われた英語を、大司の前で久方ぶりに披露した。下衆なことだと分かっていながらも、僕は昔から大司が褒めてくれいた英語力を使うことで、大司から認め(見惚れ)られようとした。僕は反応が気になり、目を逸らすことなくずっと大司を見つめていたのだが、その顔が段々と火照っていく様子が窺えた。

 

「いや、十分だよ。それ以上やられると私の心臓に悪い。」

「ふふっ…、そうですか。では僕の努力は大司公認ということで、これから先は自分に自信を持って生きてみようかと思います。」


 大司に自分の努力が認められた僕は、無自覚に表情が明るくなってしまっていた。


(これで()()()()()が報われる。)


 そんなポジティブ思考をしている僕に対し、一方の大司はまるで隠しきれていないネガティブな思考が言葉の端を震わせていた。


「政也…。」

「はい…?」

「雅也にとって羨む対象ではなくなってしまった私は…、私の好意は…、君にとってどういうものになってしまうんだろうか…。」


 悪い考えで頭がいっぱいになってしまった大司は、その恐怖心から僕と目を合わせることも出来なくなってしまっていた。視線の先にある両の手は握りこぶしで固められていて、それを見るだけでも大司の心理状態が分かりそうなものだった。


「大司…、そんなに怖がらないでください。」

「え…。」


 僕は大司の背中に右手を回し、左手で頭を撫でるようにしながらその体を抱き寄せた。


「10年ですか…、随分待たせてしまいましたね。自分に自信が付いた今なら、大司から向けられた好意を、素直に受け取ることが出来そうです。」


 その思いを告げた数秒後…、僕の耳元に微かにすすり泣く声が聞こえて来た。


「……。本当に申し訳ないです。僕が不甲斐ないばかりに、長い間待たせてしまいました。」

「何だよ…。何でここまでする必要があったんだよ…。」

「『何で』って…、そんなの決まってるじゃないですか。」

「…?」

()()()()()()()()()()()()を…、家族にさえ見放された僕を…、大司は何の偏見もせずに受け入れてくました。友達になってくれました…。…。生きてきた中で一番嬉しかったんです。人に認められることが幸せなことだと教えてくれた…、そんな恩人である大司を、中途半端な僕が振り回して良い訳がなかったんです。僕と違って多くの人に慕われている大司に、僕の負債を背負わせたくなかったんです。」


 10年間秘め続けた思いを言葉に出そうとすると、自然と抱きしめる力が強くなりかけてしまっていた。酷く痩せた女性の体を潰してしまわないように…と、僕はどうにかいたわりの気持ちを保ったまま…大司が苦しまないであろうギリギリの強さで抱きしめ続けた。


「そんなこと私は気にしな…--。」

「大司が気にしなくてもっ…、周りはそうは思ってくれないんです。大司のことを羨んでいた僕に対し、大司が『恋をした』と言っても、周りはきっと『同情』としか思わなかったでしょう…。せめて僕が大司同等に評価されるような人間であれば……。そう思った僕は、まずは人として評価される人間になろうと思いました。出鼻をくじかれてしまわないように、僕は見た目通りの【女性】として生活をして、親や教師の『異物を見るようなあの目』を払拭しました。皮肉ですが、そうして個性を殺して生きていた方が信頼も友達も多く得られましたし…、やり方としては間違ってなかったと思います。」

「だからあんな女性らしい格好を?」

「ええ。軽蔑された挙句、過小評価されたりなんかしたら元も子もありませんからね。だから僕は大学卒業が決定づけられるまでは、自分の個性を殺し続けました。それだけの価値があると思ってましたから、多少の息苦しさは覚悟の上でした。」


 そう言葉を振り絞っていると、ふと僕の頭に大司の手が添えられ、優しく撫でるような感触が後頭部を包み込んだ。


「馬鹿だな…、君は…。私なんかの為に自分を殺し続けて…、本当にそれが正しいと思っていたのか?」

「思ってましたよ。例え大司が新しい恋に目覚めていたとしても…、例え僕を想っていた時間が寸秒だったとしても…、僕はあなたが恋した相手として恥じない人間で居たかったんです。」

「どうしてそこまで出来るんだよ…。私に見劣ると思い嫉妬していたのなら、自分を評価を上げるのではなく…()()()()()()()()()()だってあったはずだろ?」


 大司からは見えないと分かりつつも、僕は大司の言う『その方法』に小さく首を振った。


「大司が揶揄されてしまったり、否定されてしまうのが耐え難かったんです。そんな思いをするのは、僕一人だけでいい。」

「本当に馬鹿だよ…。そんなこと、私は一つも望んでないじゃないか…。」

「…そうです。これは全部僕の我儘です。だからいくらでも僕のことを罵ってくれて構いません。全て受け入れる覚悟は出来てますので、遠慮せずにどうぞ。」

「…っ、…無理だよ。これ以上、…っ、君に何を背負わせろと言うんだ…。」

「うーん、そうですね…。大司が望むのであれば、あなたの人生背負うのもやぶさかではありませんよ?」

「……。…馬鹿。」


 そう言って大司は、僕の背中に回していた腕に力を込めて絞めつけるような動きを見せたが、僕にとっては彼女の心臓の音がより大きく聞こえる…幸せの近さでしかなかった。





 疎遠になっていた3年と気持ちを殺し続けた10年…、その全てを一日で埋めれる訳もないので、僕達はとりあえず『今の気持ち』を確認し合ったところで、今日の誕生祝を終わらせることにした。一緒に居たのは3時間程だったとは思うが、今までのことを踏まえると、それは一瞬でもあり…とても尊い時間でもあった。


「今日は来てくれてありがとうございました。」

「こちらこそ。私を待っていてくれてありがとう。」


 僕は玄関先で大司の姿を見送ろうと、その姿をじっと見つめていたのだが、僕は改めて大司の今日の服装に興味を示した。大学時代までの骨太体型からは考えられない服装は、感心と同時にコストの心配もしてしまっていた。


「…そうだ。今度ウチへ来るときに、キャリーケースを持ってきてもらうことは可能ですか?」

「キャリーケース?…うん、それは可能だけど。」

「僕が大学時代に来ていた服、実はまだ処分していないんです。もし大司(おおじ)…、(コホンッ)加恋(かれん)が着てくれるということであれば、それらを差し上げたいんですけど。」

「本当に?それは凄く嬉しいし助かるな。」


 その加恋の嬉しそうな表情を見て、僕は初めて過去の自分を褒めてあげたくなった。


「ん?政也って名刺持ってる?」

「ありますけど…、欲しいんですか?」

「うん。もしよければ一枚貰える?」

「構いませんけど…、何に使うんですか?」

「バーテンダーっていうのは色んな職業の人と関わり合うからねぇー…、一応懐に忍ばせておこうかと。」


 出掛ける時にポケットに入れやすいという理由で、僕は名刺入れ等の小道具は全て靴箱の上に置くようにしていた。おそらくそれを目にしたから、加恋は名刺を欲しいと言い出したのだと思うのだが、個人情報なだけあって、僕は軽い気持ちでそれを渡す訳にはいかなかった。


「忍ばせるのは構いませんけど、勝手に情報開示はしないでくださいね?」

「それくらい分かってるよ。何かあったときは必ず政也に連絡を入れる…、それでいいかな?」

「ええ、それで結構です。」


 そう念を打って僕は名刺を一枚差し出したのだが、それを手に取った加恋は、そこに印字されていた僕の名前に気が付き、まじまじと興味を示した。


「…。『殺した』とか言っていたくせに、名前はそのままなんだね。」

「ええ、性別を変える手続きと名前を変える手続きは別物なんです。仕事相手の半分は外国の方ですし、そのままでも支障はないかと思って名前は変えていません。」

「【政也 さくら】【Sakura(サクラ) Masanari(マサナリ)】…。うん、とても良い名前だと思うよ。」


 加恋はそう言って微笑むと、手に持ったその名刺をバックの隙間に差し込んだ。


「下にタクシーは呼んでますけど、くれぐれも気を付けて帰ってくださいね。」

「ありがとう。帰ったら連絡するよ。」

「ええ、そうしてくれると安心です。では、()()()()。」

「うん、()()()()。」


 『また会うことが出来る』…その事実を噛みしめるように、僕は手を振りながらその姿を見送った。

 

 友人としてこの扉を入って来た人が、恋人となって扉を開け…この部屋を去っていく。

 『不思議』だったり『奇跡』だったりという言葉がちらつく中で、僕は()()()()()()()が急に面白い意味に思えてきて、一人でクスっと笑ってしまった。


()()人…。これはこれで『()()』ってことになるのかな。」

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