第1話 プロローグ
この世界に転生してからずっと待ち望んでいた非科学的存在。
それは深夜、妹の部屋に現れた。
部屋の外にいる俺の存在に気付かず、ベッドの上の妹に声をかけている。
水色の熊のぬいぐるみ。生き物には見えないし、正気ならそんな物が喋って動いていたら寝惚けていると思うだろう。
正直、これが夢なのか現実なのかわからない。ただ、何もしないで見ているだけなんて俺にはできない。
俺はぬいぐるみに向かって走り出し。
「僕と契約して魔法少女に……」
「ダメに決まってんだろー!!!」
そいつを踏み潰した。
「兄さん!!?」
★
いい歳したおっさんが自分の部屋で1人、ゲームをプレイしている。夜が明けて日が昇り始めても、手を止めることなくずっとだ。
ボサボサに伸びきった髪が目にかかって見えにくいが、気にしない。切るのも面倒くさいしな。もう慣れてしまった。
服は上下スウェットのまま、もう何日着替えていないのか覚えていない。
コンコンッ
誰かが、扉をノックする音が聞こえる。
「…………」
ゲームをプレイする手を止めずに、チラりと時計を見る。
時計の針は午前10時を指していた。
この時間に俺の部屋をノックする人はこの家に1人しかいない。扉越しに声が聞こえてくる。
「お母さん……少し買い物に行ってくるから」
予想と違わず、聞こえてきたのは母親の声だった。
自分にそう声を掛ける母親の言葉に返事をすることなく、部屋にはゲームの銃撃戦の音のみが響き渡る。
しばらくして、玄関を開け閉めした音の後に鍵を閉める音が部屋に聞こえてきた。母親が買い物に出掛けたらしい。
わざわざ声掛けてくんなと言っても、返事をしなくなっても、毎日扉越しに話し掛けてくる。
画面にWINNERの文字。特になんの感慨を覚えることもなく、画面を飛ばす。
「はぁ……」
無意識にため息がでた。
ゲームの電源を落とし、立ち上がり伸びをする。体のあちこちがポキポキと音を鳴らす。
昨日から、寝ずにゲームをプレイしていた。だからと言って、このゲームが楽しかったわけではない。
なんとなく眠りたくなかった。今の生活を始めてから、睡眠をとることと食事をとることの優先順位がかなり下がっている。
何もかもどうでもいいのだ。
だが、いい加減眠くなってきた。人は眠らずには生きていけない。
この昼夜の逆転した生活にも慣れてから随分と時間がたっている。今寝たら、きっと夕方辺りに起きるだろう。
夕ご飯を食べることから俺の一日は始まる。ただ、家族と一緒に食べるわけではない。
母親が毎日、部屋の前に置いてくれるものを食べている。今の俺の食事は起きた時に食べるそれ1食だけだ。
朝も昼も部屋の前には置いてくれているが、食べる気にならない。
この家には父と母、そして俺の3人が住んでいる。昔は兄も一緒に住んでいたが、何年か前に結婚して家を出た。
父は朝早くから仕事に行くし、母も買い物に行ったので今家にいるのは俺1人だ。特にすることもない、寝るだけだ。
俺は大学を卒業し、そこから就職した場所を1年ほどで辞めてから、10年ほど部屋に引きこもっている。
最初の1年や2年は再就職に向けてハローワークに通ったりしていたが、何社か面接を受けてそれら全てに落ちたことで、心が折れてしまった。
こんな生活を続けて。一体、俺はなんのために生きているんだろう。
10年間もニート状態の俺を見捨てずにいてくれる、優しい両親に迷惑をかけて。やることといえば、漫画を読んだりアニメ見たり、ゲームをするぐらいだ。
就職は無理でも、アルバイトなんかをやったりしていたら何かが変わったんだろうか。
就職を諦めずに面接を受け続けていたら良かったんだろうか。
だが、今更そんなやる気など生まれてこない。
生まれるのは後悔だけだ。
「はぁ」
2度目のため息が漏れる。
寝るか。
ゲームをしている間は無心になれる。ゲームをしている間は嫌なことを考えずに済む。逃げているだけなのは、自分でもよくわかっている。
「くそっ」
布団に入り、目を閉じる。
余計なことを考える前に寝よう。寝不足だと余計に考えてしまう。
「俺は、なんのために生きてるんだろうな」
呟くと、縄で首を吊っている自分の姿が頭の中に浮かび、吐きそうになる。そのまま何かから隠れるように布団を被って、そのまま眠りについた。
時間を無駄にして、惰性で生きている。
何かをするわけでもなく毎日同じことの繰り返しだ。偶に、父さんや母さんから働かないのか、と説教をされることがある程度。
その説教だって、俺を慰めるような、とても優しいものだ。そんな両親の優しさを受ける価値なんて、俺には無いのに。
そんな両親の優しさをすべて無視して部屋に引きこもっているのが俺だ。何もせず、毎日を無駄に生きている。
変わりたいと、思ったことが無いわけじゃない。
母さんは毎日、ああやって扉越しに声をかけてくれる。俺が無視をしていてもずっとだ。10年も引きこもっている俺を見捨てずに。
俺が会社を辞めたときも、優しく応援してくれていた。それに応えれなかったのだ。
引きこもっている期間が長くなれば長くなるほど、家から出られなくなる。
何かしようとしても、何もしていなかった時間が、俺の心と体を鎖のように締め付ける。
もう、10年だ。何もしてこなかった時間が重く俺にのしかかる。
何かをしなければいけないことなんて、自分でも痛いほどわかってる。一体、どうしたらいいんだよ。
★
ブー……ブー……ブー
うるさい。
ブー……ブー
携帯のバイブレーションで目が覚めた。枕元に置いていた携帯がブーブーとやかましく振動している。
頭がガンガンと痛み、身体がダルい。
最近はいつもこうだ。目が覚めると頭痛がする。不規則な生活が原因なのかもしれないが、目覚めは最悪だ。
「……ちっ」
のそのそと布団から上体を起こす。
頭痛のする頭を抑えながら時計を確認すると、針は16時を指していた。いつもなら、19時過ぎぐらいまで寝てるんだがな。
こんな時間に目覚ましを掛けた記憶はない。そもそもこんな生活をしている俺に目覚ましを掛ける必要なんてない。
多分、家族からの電話だろう。今の俺に電話をかけてくる人間など、家族以外にいない。
携帯を開くと既にバイブレーションは止まっていた。履歴を確認すると父さんからの不在着信と、留守電にメッセージが入っていた。
父さんが入れたみたいだが、珍しい。電話をかけてくること自体が滅多にない上に留守電を入れてきたことなんて今までに一度もなかった。
留守電してまで伝えることでもあったのか?
そういえば、まだ母さんは帰ってきてないみたいだな。家の中が静かで俺以外誰もいないらしい。いつもならリビングからテレビ番組の音が聞こえてくるのに。とりあえず今は留守電の確認しよう。
留守電の再生を開始する。
ピーー
『もしもし、聞こえるか。落ち着いて聞いてほしい。母さんが……車に轢かれた。すぐに病院に運ばれたみたいだが、まだ意識が戻らないらしい』
は?
メッセージを聞いた瞬間、頭が真っ白になった。
一気に目が覚めたが、ガンガンと殴りつけられているような頭の痛みは増した気がした。
『俺は今、○○病院にいる。一応、お前にも伝えておくぞ。それじゃ』
ピー
音声は、それで終わっていた。呼吸が荒くなり、息がしづらい。胃の中から気持ちの悪いものがせりあがってきそうだ。
「はあっ……はあっ……」
血が行き渡らないのか、指先が痺れたように力が入らない。全身の血の流れが止まってしまったような感覚に襲われる。なにも考えられない。
「くそっ」
俺は、全身を襲う不快感から逃げるように、鍵も閉めずに家を飛び出した。
適当なサンダルに上下スウェットで道を走る。着替えている余裕なんてなかった。父さんは、○○病院だと言っていた。確か、家から徒歩で20分ほどの病院だ。
俺が行ったところで、なんの意味も無いかもしれない。
それでも、引きこもりになった俺を10年も見捨てずにいてくれた母さんが意識が戻らない状態なのに、部屋で寝ていることなんて出来なかった。
肺が痛くなるほど走った。病院はまだ遠い。
全力で走っているが、10年間引きこもりを続けていたせいか、脚がもつれて転んでしまった。
「はぁ……はぁ……くそ」
受け身が取れず、顔を地面に直撃させてしまった。
全身が痛みを訴えている。
ふと周りを見ると、何人かがさっと視線を逸らしたのがわかった。時間的に学校帰りの学生が多いのだろう。
自意識過剰かも知れないが、危ない人間を見るかのような視線でこちらを見ていた気がする。
今の俺の見た目は不審者然としているから仕方ないのは理解している。
コンビニの窓ガラスに反射で映った自分の姿が目に入った。
ボサボサに伸びきった髪に、引きこもり生活により異様に白い肌。頬も痩けているし、目の下にはハッキリと隈が出来ている。不摂生がたたり、病的に痩せているのもあわせれば、まるでゾンビのようだ。
こんな見た目の人間が目の前でずっこけていたら、遠巻きに見てしまうのも仕方ないと自分で納得してしまう。
それでも、見られているのが無性に恥ずかしい。
「はぁ……はぁ……ゴホッゴホッ」
運動不足の体が急な全力疾走に悲鳴をあげている。肺が痛くてまともに呼吸ができない。
自分が情けなくて、いっその事泣きそうだよ。
その場から逃げるように、俺はまた立ち上がって走り出した。周りの視線を振り切るように速度を上げた。だが、すぐにペースが落ちていく。運動不足の体で走り続けるのはきつい。
このペースだと病院までは、まだしばらくかかりそうだ。
1分ほど走ったところで、また立ち止まってしまった。
体力が無さすぎる。今の自分じゃあ、このまま走り続けるのなんて無理そうだ。サンダルで走りづらいのもあるが、体力がないのが致命的だ。
仕方ない、歩くか。
病院に着くのは遅れるが、仕方ない。急いで行ったって、俺に何ができるわけでもないんだ。
建物のガラスに自分が映る度に恥ずかしくなる。相変わらず周りの通行人は不審者を見るような目でこちらを見てくるし、顔もさっき転んだせいで傷だらけだ。
歩こうと思ったが、周りの視線から逃げたくて結局また走り出した。ジロジロ見られるのは精神的につらい。
走ったのだが、体力が尽きてしまいすぐにまた立ち止まって歩き、そこからさらにまた走るのを繰り返している。
携帯で時間を確認すると、家を出てから10分ほどが経っていた。ようやく、半分あたりか。
居てもたってもいられなくなり、家を飛び出してしまったが、また不安になってきた。俺なんかが行っても何の意味もないんだ。あのまま家で大人しくしていた方が良かったんじゃないかと思えてくる。
それでも、今更引き返すなんてことは出来ない。
足はもうガクガクだ。
病院についたら父さんと母さんに今まで迷惑かけたことを謝って、それでなにかバイトをはじめよう。
10年間の空白を取り戻すのは簡単じゃないかも知れないが、もう両親に迷惑をかけたくない。
母さんが倒れたのだって、俺のせいだ。
もう、苦労を掛けたくない。
また走り出し、そう、決意した。
プーーーーー!!!
唐突に不快な音が耳を貫く。急いで音のした方に顔を向けてギョッとした。
目の前に大型のトラックが迫っている。なんでこんなことになっているんだ。
慌てて前を見ると、目の前の信号機は赤色に光っている。
ハッとして気付いた。
俺はどうやら、赤信号を無視して飛び出していたらしい。自分から信号無視をしたつもりなんて毛頭ない。
ただ、周りが見えていなかったのだ。
引きこもっていた体で走り続け、すでに満身創痍の状態で頭が上手く働いていなかった。
自分の失態に気が付き、全身から血の気が引いた。
目前に迫ったトラックは止まりそうにない。それもそうだ。車は急には止まれないなんてことは小学生でも知っている常識だ。
自分がこれからどうなるのか理解したように頭の中をものすごいスピードで今までの人生が思い出せれていく。走馬灯というやつだろう。
「はっ……」
フル回転する脳みそに酸素を送るために、体が口から大きく息を吸い込んだ。
だが、それが脳みそに行き渡る前に全身を襲った衝撃によって、俺という人間の一生は幕を閉じた。
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
と少しでも思っていただけたら
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援お願いいたします。
ブックマークもいただけると本当にうれしいです。
執筆の励みになります。
何卒よろしくお願いいたします。