姫の手は高嶺の花に届かない
「ツモ。リーヅモ東、嶺上開花、2000-4000です」
桜の花が咲き始める頃、私たちの学生生活最後の大会が終わった。大学で競技麻雀サークルに入部して、楽しいことも嫌なこともたくさんあった。
「お疲れ様、凜花」
打ち上げの飲み会で、親友の東屋風馬がチューハイを片手に私の隣に座る。グラスを軽く合わせて乾杯をした。
風馬と私は雀士試験に合格し、4月からプロになる。入部当初から既に先輩より強かった風馬と、入部当初は初心者に毛が生えた程度だった私の2人がプロになるなんて運命は数奇なものだ。
賭け事はあまり好きではなかったが、単純に競技としての麻雀をインターネット麻雀がきっかけで好きになった。それが入部のきっかけだった。常に1000点100円では買えない勝負師としてのプライドを賭けて勝負していた。
麻雀はタバコ臭いオジサンのイメージが強いのか、女性は敬遠する人も多い。女性の少ない界隈に足を踏み入れた女性は不当な扱いを受けることも多かった。サークルクラッシャー、オタサーの姫と揶揄された。先輩や一部の同期からセクハラめいた発言をされることもあった。
そんなときに庇ってくれたのが風馬だった。風馬だけが私のことを男だらけのサークルの紅一点ではなく、一人の人間として尊重してくれた。周りが私のことを「リンちゃん」「リンリン」と呼ぶ中、風馬だけが私を「凜花」と呼んだ。年相応にボーイズトークに花を咲かせることはあっても、同期の私への度が過ぎた発言は諫めてくれた。風馬は正義感が強く、曲がったことが大キライだった。
そんな風馬が1年生の夏に、あまりにも堂々とお酒を飲んでいたので不思議に思っていたら、1年浪人していて既に成人していると聞かされた。よくキャンパス内を一緒に歩いている女の子は高校時代からの彼女ではなく、予備校時代からの彼女だったらしい。1つ年上で、誰よりも強くて、面倒見のいい風馬は私たちの兄貴分だった。
風馬は初心者に牌効率や戦略を色々教えてくれた。一部であだ名が「アニキ」になった。年の離れた3人兄弟の長男である風馬は、時々反射的に「お兄ちゃん」の顔を見せた。
「凜花すごいじゃん、偉いぞー」
いいあがり方をすると、頭をなでて褒められた。私が女だからではなく、同期の男子にもまったく同じ対応をしていた。2年生になって後輩が入部すると、ますます「お兄ちゃん」の顔をのぞかせる機会は多くなった。
負けず嫌いの私は強くなりたかった。男とか女とか年齢とか、そういう外側の枠を超えて勝ち続ける人になりたかった。恋にうつつを抜かすことはなかった。強さこそ美しさだった。風馬の強さに憧れを抱いていた。私は風馬になりたかった。
凜花は俺のライバルだ。と、風馬が言ってくれたのは2年生の夏のことだった。その頃風馬は1年の最初に付き合っていた彼女とは別れて、同じ学科の彼女と付き合っていた。
「凜花ってうちのサークルで一番の努力家じゃん。そろそろ追い抜かれそうで焦る」
眩暈がするほど嬉しかった。風馬以外に負けない。風馬のライバルにふさわしい私であり続けると誓った。
私の心に変化が起こったのは、本当に何の変哲もない平日のサークル活動中だった。抜け番の時に、対局中の風馬の真剣な表情を見てしまった。牌に触れるその指先が、ポーカーフェイスでありながら内なる闘志を灯したその瞳を美しいと思ってしまった。その瞬間の私は勝負師ではなく、一人の女の子だった。風馬の顔が整っていることに気づいてしまった。風馬を一人の男性として見てしまった。
私は風馬との日々を思い出していた。私が強くなるまで面倒を見てくれたこと。風馬とようやく対等になれたことが嬉しかったあの瞬間。人間関係に悩んで、サークルを辞めたいと相談した時に必死で引き留めてくれた風馬。私の名前をいい名前だと言ってくれた風馬。麻雀漫画の好きなキャラクターの台詞のモノマネを二人でしながらふざけ合った帰り道。ライバルとしての対局のすべて。大学対抗団体戦を戦い抜いた日々。何もかもが、時を経て鮮やかに色づいた。
同時に思い出す。風馬のことをかっこいいと噂していた女子たちの存在を。彼女への誕生日プレゼントは何がいいか相談されたときの照れた顔を。しっかり者の風馬の普段とのギャップをあの時はあんなにも可愛いと思っていたのに、その記憶だけは塗りつぶしてしまいたかった。後輩の女子が入部したとき、恋愛がらみの小さないざこざがあった。その時、風馬はトラブルの仲裁をしていた。風馬は後輩の女子にも優しかった。当時は親友として誇らしかったのに、可愛い後輩にすら嫉妬心を覚えてしまった。恋心を自覚した瞬間、私は私でなくなってしまった。
風馬はサークル内恋愛をよく思っていなかった。だから、恋心は必死で隠した。勝負の世界で生きる私は、試合中ずっとポーカーフェイスを通してきた。でも、時々この気持ちが風馬に見透かされているのではないかと不安になった。恋心を隠し通すのは、とてつもなく高い勝負手を悟られないようにするより遥かに困難に思えた。この想いは伏せたまま、水に流してしまえればいいのにと想った。
恋愛にかまけて、風馬のライバルでいられなくなることが怖かった。風馬と双璧でいることは私のアイデンティティーになっていた。雑念を振り払うように麻雀に打ち込んだ。それでも、風馬ももし私のことを好きでいてくれたらと神様に願ってしまうのは女としての性だった。私を女として見ない風馬のことを信頼していたはずなのに。
恋と勝負と、私たちを取り巻くもろもろと。私の大学生活の中心には風馬がいた。今日最後の大会が終わって、残すところ、追いコンと卒業式だけだ。一次会の後、「話がある」なんて誘われることもなく、二次会に出て普通に電車で帰路へとつく。
「凜花って4年間で本当に強くなったよな。4年後には女子プロでタイトル総なめして、ペーペーの俺なんかが口聞けないくらいの高嶺の花になってるかもな」
ほかのメンバーが1人ずつ降りていき、2人だけになってから風馬が冗談めかして言う。
「今日も嶺上開花で大逆転して決勝進出決めちゃうし。神様もがんばる子が好きなんだろうな。“凜花”が嶺上開花で逆転勝ちなんてドラマチックすぎるだろ」
麻雀の役に嶺上開花というものがある。その字の通り、中国語で「山の峰の上に咲く花」という意味がある。私の名前が、この役に似ていると風馬に言われた。同じ牌を4つ集めて槓をした際に、新たにツモする牌であがるという役である。嶺上開花の確率はわずか0.28%、およそ350回に1回程度の確率である。高嶺の花に手が届く確率は途方もなく低い。
「風馬は私にとってずっと高嶺の花だったよ」
永遠に届かないと思われた高みにいた風馬はとても美しかった。やっと同じ景色を見られるようになって、近くに見えた風馬はまぶしすぎた。私より遥かに可愛い彼女が途切れなくて、きっと女の子としての私は永遠に風馬の目には映らない。
帰り道に何度も、風馬の手に触れたくて手を伸ばした。でも、風馬の手は風のように私の恋心をすり抜けていった。嶺上開花をあがるより、確率33万分の1の役満をあがるよりこの恋が成就する確率はきっと低い。
「なんだよそれ、じゃあどっちが高い山で咲けるか競争ってことで」
私の婉曲的な告白は、風馬には届かない。私は、風馬より高い場所じゃなくて、隣に咲く花になりたい。
風馬の心が読めたらいいのに。好きな人の気持ちを読むことは、対局相手の手を読むことの何億倍も難しい。もし、私がストレートに好きだと言ったら成功確率は何%なんだろう。
卒業しても同じ業界で顔を合わせるから、告白してフラれたりなんかしたら気まずいかもしれない。仕事にも支障が出るかもしれない。厄介なマスコミに詮索されるかもしれない。
それでも、私は来週の追いコンが終わって同じサークルじゃなくなったら、私の恋心がサークル内恋愛じゃなくなったら、風馬に告白しようと思う。だって、今日一番好きな役をあがれたから、風はきっと私に味方してくれていると信じたい。愛する人が褒めてくれたこの名前と、同じ役をあがれる確率は350分の1。神様がくれた奇跡にかけたいと思った。この世で一番愛しい高嶺の花に、たとえ届かなくても私は手を伸ばす。