58話 奥底の中で
僕は2人に対して少しだけ黙とうをして、振り返る。
そこにはリャーチェがのんびりとこちらを眺めていた。
「全く……使えない人形どもだねぇ」
僕はその言葉にいらついてしまう。
彼らだって好きで操られていた訳じゃないのに、そんな言い方をするなんて……。
彼女はそんな僕の様子を見て驚いた表情を見せる。
「おや? あんな人形が死んだ事を悲しんでいるのかい? 甘いねぇ……。本当に甘いねぇ。でも、そんな甘さがいい。フルスタから聞いたんだろう? なら、次はお前を人形にしてやろうかね。今までのは丁度飽きていたし……ボロボロだったからね。丁度いい」
「お前……絶対に許さない」
僕はタコの姿のまま奴に向かって突進する。
体が大きいという事は武器なのだ。
それを活かさない手はない。
それに、人型のままでは、重さが無さ過ぎて風で吹き飛ばされてしまう気もするのだ。
「はは! 中々面白い絵ずらだね! 本当にそんなのであたしを殺せると思っているのかい!?」
「殺しはしないよ。〈黒神の祝福〉のこと、黒蛇病のこと。しっかりとその体にでも聞かせてもらう」
「おお怖い! ならこっちにおいで? 坊や」
そう言って彼女は煽ってくるので、僕は彼女に向かって突撃する。
こんな奴にサナを渡してしまったらどうなるか。
不幸になる未来以外見えない。
だからなんとしても……こいつを……最悪、刺し違えてでも……。
「【触手強化】!」
僕は体の前面を強化して、奴に向かって大きな触手を伸ばす。
奴まで後数cm。
目の前に何かが現れた。
「クトー様」
「フェリス!」
僕の前に飛んで来たのはフェリス。
いつの間にか彼女が横から僕に向かって飛んでくる所だった。
「おや、あたしは無視でいいのかい? 『黒炎』」
「しま!」
僕に向かって、フェリスと黒炎の両方が飛んでくる。
そして、僕がこのまま黒炎を避ければ、確実にフェリスを焼き尽くしてしまう。
ダメだ。
このままでは!
「【墨吐き】!」
僕は黒炎を消すように墨を吐きつけるけれど、フェリスをかわす事が出来ない。
「あ……」
「クトー様……申し訳……ございません……」
僕を優しく撫でるフェリスの瞳には、涙が浮かんでいた。
次の瞬間、僕は意識を失った。
あたしの前で巨大なタコがフェリスに撫でられて死んでしまった。
「は、クラーケンの力と言うからどれほどのものか警戒してみれば、所詮はこの程度、あの方の力とは比べるまでもない」
そう言って彼女はサナに視線を送る。
「今回の目的も……まさかここにいるとは思わなかったけど、手に入った。後は……あのお方の元に行くだけ」
彼女はそう呟いて誰を連れて行くかに視線をうつした。
******
僕は深い……深い暗闇の底にいた。
周囲を見回そうとしても、どこに何があるか分からない。
上も下も右も左も、どこがどこか全く分からない。
ここは……。いつっ。
僕は頭を抑えようとするけれど、頭に触った感触は手ではなく、ふにょんとした柔らかい何か。
まるで触手の様な何かだった。
僕は……。
触手であることを理解して、僕に何があったのかを思い起こさせる。
確か、フェリスの両手に触られ、死んで……。
嘘。嘘……嘘。
僕が……死んだ?
「今はどんな気持ちだ?」
「貴方は……」
僕の前に、真っ暗な中に、何かがいる気配を感じる。
真っ暗で、何があるかは分からないはずなのに、確かにそこにいるのだ。
彼は面倒そうに言って来る。
「だから言ったのだ。我に任せておけと。我が全てを消し去って安寧をもたらしてやると。貴様の敵を消してやると言っただろうが」
「ふざけるな。レイラまで殺そうとしたのに何が敵を消すだ。信じられるか!」
僕は感情の赴くままに彼に対して牙を向く。
「……そうやっていつまでも我から目を背けるつもりか?」
「……なに?」
「我が貴様の為にしてやると言っているのだ。我の言葉は正しい。これまで……我が関わって来た者は皆不幸になった。だから、全てを沈めてしまえばいい。そうすれば、誰も傷つかない」
「そんなことない! 僕はサナと一緒に……幸せになる! サナの黒蛇病を治療し、これからも一緒にいるんだ!」
「……それは出来んよ。我の力を貴様が振るえるという事がバレた時、その力は貴様に絶望をもたらす。見るがいい」
目の前にいる何かが僕の方に伸びてきて、それが頭に触れる。
そして、僕の視界に何かが映し出された。
******
そこは小さな浜辺の村。
全員で100人いるかどうかという程度の村だ。
浜辺にはサナに似た……可愛らしい少女と、その兄らしい少年と共に笑い合っていた。
そんな2人が見ているのはクラーケン。
山と見間違える程に大きく、実際に、クラーケンが触手を一振りしてしまえば2人の命は簡単に消し飛ぶだろう。
けれど、クラーケンはそんな2人に何かをするでもなく、のんびりと彼らの側にいるだけだった。
場面が一瞬で切り替わり、何日も、何年も時が進んでいく。
でも、クラーケンと2人の関係は変わらずに、いつも……いつも仲良さそうにしていた。
最初は怖がられていたクラーケンも、長い年月の間に村の人々とも仲良くなっていた。
クラーケンは幸せだった。
彼は永遠の時を生きる者。
いずれ別れがあるとしても、こうしていられる間はその事を忘れられたのだから。
しかし、そんな生活もずっとは続かない。
クラーケンは海の管理人でもあった。
海に巣くう厄介な物を退治に行く時もあり、その為に海に潜った。
運がなかった。
そう言う者もいるだろう。
けれど、それはいつか起きることだった。
その当時、世界一の軍事力を持っていた国が、クラーケンが浜辺にいるという話を聞きつけて討伐に乗り出した。
100隻の軍艦や陸からは何万という軍勢をクラーケンがいた村に派遣した。
しかし、クラーケンはいない。
そして、クラーケンを匿ったとして、その村は滅ぼされ、全ての人は処刑され、クラーケンがいた浜辺に死体を磔にされた。
そして、クラーケンを呼び出そうとした。
事情を知らないクラーケンは仲の良い少女たちに会えると喜び、浜に戻るとそこには仲の良かった者達全ての死体があった。
そして、愚かな人間共は姿を現したクラーケン共々浜辺の死体をまとめて吹き飛ばそうとした。
クラーケンは暫く考え、こう呟いた。
「【始まりの海】」
人間達の攻撃はクラーケンに向けられていた。
しかし、クラーケンはそれらの事を気にした風もなく、ただ時が過ぎるのを待った。
そして、それは突如として発生した。
クラーケンから周囲100kmが海に水没したのだ。
軍船も、陸の軍勢も、村も、近隣の無実の者達も全て巻き込み、海の底に沈めたのだ。
たった1隻だけは残した。
自分には2度と関わるな、そんな警告の意味も含めて。
クラーケンはそれ以来二度と海上に姿を現す事はなかった。
******
僕の視界が再び真っ暗になる。
「これで分かっただろう。我が力との関係を疑われれば同じことが起きる。人は愚かだ。何度同じ過ちを犯し、他者に罪を償わせて来たのだ」
「……」
「我の力を振るえると分かった時、貴様は……いや、貴様だけでなく、貴様にとって他の大切な者も狙われる。ならば、今のうちに沈めてしまえば問題ない。水底で安住の場を作ればいい」
「その為に他の人を海の底に沈めようとするの? それはダメだよ」
「なぜだ。貴様の願いはサナを黒蛇病から救うこと。それであるならば、他の者などどうでも良かろう」
「良くないよ。僕は……最初は確かにそう思っていた。でも、レイラに助けられたり、学園長に助けられたり、もっと多くの人に助けられて来たんだ。学園に来る前にも、いっぱい……いっぱいさ。だから、僕とサナだけの問題じゃないんだ。皆だって必死に頑張って生きているんだ。辛い事があっても、苦しい事があっても、皆……皆頑張ってるんだ。それを踏みにじる権利なんてない。僕はそんなことはしない!」
「ではどうする? 我の力を宿している貴様にあの程度の攻撃は通用しない。が、貴様だけでは勝てん」
目の前の何かはそう問うてくる。
僕に出来る事は少ない。
でも、こうやってわざわざ出てきてくれたのなら、きっと……きっとこうしてくれると思った。
「僕に力を貸してくれないか? クラーケン」
「……都合が良すぎるとは思わないか?」
「だとしても、君がこうやって出てくれているのは、君はやっぱり人を信じたいからなんでしょう? だからこうやって、僕の為にしてくれる。そう言っているんだよね?」
「……」
僕は分かっていた。
彼が寂しさに震えていることを、海の底にいるのも傷つかなくて済むから。
それでも、何を思ったか僕のスキルとして力を貸してくれているのだから。
「クラーケン。僕は君の事も好きだよ。君が僕の為に……サナの為にしてくれようとしていたんでしょ? どうしようとしていたかはともかく。その気持ちはとっても嬉しかったんだ」
これは僕の本心だ。
クラーケンは何だかんだで僕の意思を尊重してくれる。
そんな優しい奴なのだ。
でなければ、クラーケンがレイラを叩き潰そうとした時、僕が邪魔することは出来なかったはずだから。
「……貴様も物好きよ。我に対してそんな言い方をするとは」
「なら、どんな言い方がいいの?」
「ふっ。今のままで構わんよ。我は常に貴様を見続けてきた。もう……他人の様な気はしない。それに、あやつの気配も感じる事だしな」
「あやつ?」
「気にするな。因縁のあるやつの気配がするだけだ。それと、我の力を一時的に貸してやる。貴様で何とかして来い」
「……ありがとう」
「幸せにな」
彼がそう言ったと同時に、僕は目を覚ます。
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