残光をこの手に
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ねえねえ、つぶらやくん。僕たちがこうして生活する中で「昼」って、どこまでの時間帯を指すと思う?
日の出からちょっとの間は「朝」と呼ぶ。日の入りが近づいてきたら「夕方」と呼ぶ。日が全く出ていない状態なら「夜」になる。
夜の時間ははっきり分かる。太陽という絶対的な明かりが見えないなら、誰だってその時間を夜と認めてくれるだろう。だが「昼」といったら、どこからどこまで? 朝や夕方と、どのように区切ればいいんだろう?
前々から疑問に思っていることで、いろいろな人から意見を聞いてみたんだけど、その途中で不思議なネタを仕入れたんだ。どうだい、聞いてみないかい?
彼の住んでいる場所だと、一日は昼と夜しか存在しないという認識だった。
朝も夕方も、昼の一部に過ぎないっていう考えでさ。そのせいなのか、昼の終わり。夜の終わりには大きな力が宿る。子供はもちろん、大人もおおいに気をつけなきゃいけないと。
たそがれどきと、かはたれどきの概念がもっと強くなった感じかな。夜になると、子供をさらうお化けが出るぞと、脅かされたことは数知れず。それゆえか子供たちの一部では、あるおまじないを行うことがあったんだ。
そのおまじないは、日の出から日の入りにかけて雲一つない快晴が訪れたとき、子供たちが夕方――その地域でいう、「昼間の終わり」――で行うべきものとされている。ここでいう子供たちは10歳未満を指すらしい。
まず一人になれるスペースの確保。建物の中にいるなら外に出て、建物の外にいるときはなるべく人通りの少ない場所へ行く。悪くとも、自分を中心に半径3メートルに、他の人がいないことが望ましい。
次にその場所から、太陽の出ている方を向く。このとき、太陽が建物などの人工物によって隠れてしまう場合は、ポイントを移るらしい。大掛かりな移動でなくても構わず、太陽が山や地平線といった、自然物の向こうへ沈んでいく場所なら構わないとか。
そして最後。太陽が沈みかけるときになったら、その消えていく光へ向かって手を伸ばす。片手、両手を問わないけれど、その手のひらはしっかり開いておくんだ。そして沈むタイミングに合わせ、少しずつ手を閉じていき、光の完全な消失とともにぐっと拳を握り込む、というものだ。
その地域の考えだと、快晴は太陽の力がすこぶる良いことの証。その良質な気は、まだ命として未熟な、年若い子の助けとなる。
特に、地平へ没していく直前の太陽は、溶け残りの飲み物のように、底へたまった最も濃い部分。それを自分から積極的に取り入れることで、明日の「昼」を自分がちゃんと迎えられますように、という願掛けの意味があるんだってさ。
その友達自身も、小さいころから教え込まれている。8歳ごろまでは続けていたんだけど、それ以降はゲームをはじめとする、四六時中、夢中になるものと出会ってしまったときでもあった。
留守番を任され、家にひとりでいることが増えると、友達はつい例のおまじないをさぼりがちになる。
――一年を通じて、条件に合うような快晴に恵まれることはそう多くない。一日や二日さぼったところで、変わらないはずだ。
そう考え出してしまうと、言葉通りにいかないのが人間の厄介なところ。
一日や二日が、三日になり、四日になり……じきに両手両足の指の数ではおさまらなくなっていく。親は頻繁に確認をとってくるものの、友達は「やってるよ!」と乱暴に答える、反抗期スタイルを装ってはねつける。
友達の予想に反し、その年は思った以上に快晴の日が多かった。月によっては10日以上、条件を満たすときもあったとか。
友達もついに危機感を覚え、何度か実践したけれども、一度ついたサボりぐせは抜けきらず。実際に行うことができたのは、その年の半分に満たない程度だったという。もちろん、家の人には明かさないままだった。
そして新年度。あと一年を乗り切れば、合法的にあのおまじないから遠ざかれるという時期に、それはやってきた。
夜に友達が寝ていると、いきなり体中が熱くなるのを感じたらしい。はっと目を覚ましてみると、毛布一枚のみの布団の中が、こたつのように温まっている。
心地よさを感じるレベルだったのは、ほんの数秒の間だけ。あっという間に耐え難い熱に変わった布団の中から、たまらず友達は逃げ出した。
這い出したところで、自分の両わきに差し入れられるものがある。
感触からして手のようだったけど、布団の中で感じたものとは真逆。針のような痛みを伴う、吸い付く冷たさだった。
わきの下だからか、冷気は一息に身体の中を駆けあがり、友達の頭の中まで沁みとおる。
鼻も頭の中もキンキンに痛みを放ち、垂れてくる鼻水すら、霜が張ってしまいそうな涼しさのままに顔の斜面を滑り落ちて、口へ顎へと伝っていく。
そのうえ、わきへ差し込まれた手は支える力を増し、背中が、腰が、布団から引きはがされ、持ち上げられていく。振り返って相手を見ようにも、首は冷気が通り抜けた瞬間から、かしげることさえできないほど、固まっていた。
そしてついに、足の先まで完全に離れてしまったとき。先ほどまで布団の中で溜め込まれていた下半身の熱が、「ばん」と音を立てて、一気に弾けるのを友達は感じた。
恐ろしいことだった。
明かりを消し、すっかり闇に包まれていた部屋の中で、明らかに自分の体から火花が散ったんだ。特に大きいものはすぐには消えず、床や壁や机の上に飛び乗って、数秒間は揺らめき続けたらしい。
身体から熱さも寒さも、一気に吹き飛んだ。自分を支えるわきの力も消え、宙に放り出された友達は、布団から少し外れた床に落下。音を聞きつけて、親が部屋に駆けつけてきた。
すでにところどころへ散った火は、消えている。明かりをつけたとき、それらの場所には焦げ跡ひとつなかったけど、友達はやがてある異変に気付く。
着ていたパジャマの丈が、急に伸びた気がした。寝る前まではつんつるてん一歩手前の小ささだったのに、いまは余裕を覚えるほどぶかぶかだ。布団もまた、潜る前よりずっと大きくなっている。
友達の背は10センチ以上縮んでいたんだ。
あのおまじない、10歳未満の子供の成長を促すとともに、身を守るエネルギーを蓄えるものだったのだろう。
それが本来、足りていないのに使われてしまった結果、友達の背は急激に縮んでしまったのかもしれない。




