コンビニン【華井 隆平の場合】
そのコンビニに寄ったのは偶然だった。
「いらっしゃいませ」
その日俺は出版社の忘年会帰りにあるコンビニに立ち寄った。店内に入ってまず飛び込んで来たのは随分と背が高い全身黒ずくめの女だった。
「ストローお付けしますか?」
「・・・要らない」
レジのコンビニ店員の言葉に顔を顰めた女を見て俺は少しの違和感に彼女の手元を見た。レジには栄養ドリンクが二本置いてあった。
(ああ。受け答えが面倒だったのか)
ああいう客はよく見かける。
自分が必要とする質問以外を嫌う奴。
何故そんな余計な問答をするのか腹が立つのだろう。
無意識に自分は特別な人間だと疑わず自分に与えられた時間は特別なのだと思い込んでいる。
そういう人間に限って聞かれなかった場合怒ったりする。
コンビニの店員も大変だ。
俺はレジを通り過ぎるとぐるりと店内を見渡した。
そして今度は角のデザートコーナーから妙に目立つ派手派手しいピンク色が飛び込んで来た。
俺は思わず店内の時計を見る。
現在夜中の三時、子供が起きている時間ではない。
所謂"甘ロリ"と称されるであろう格好でデザートを選んでいる小柄な少女は一見子供の様に見える。
もちろん関わる事などなく、そのまま通り過ぎた。
酒コーナーを確認して雑誌コーナーで足を止める。
「・・・・・・」
俺は普段本屋に足を運ばない。
本を買うのは基本ネットだ。
その方が楽だし煩わしくない。
そんな話をすると、俺の周りの人間は皆驚いた。
「・・・はぁ」
どんなに見たくないと思っても、それは俺の目の前に忘れた頃に現れる。俺は鬱々とその雑誌を手にとった。
昔、言われた事がある。
"お前には一生理解出来ない。どんなに素晴らしい文章を紡ぐ事が出来ようが、それはただの夢物語だ。どんなに知りたいと思っても、努力しても手に入れられない物がある。俺やあの子が手に入れられないのと同じように"
俺は物書きで生計を立てている。
それなりに名の知られた作家らしい。
別に特に作家になりたかった訳じゃない。
ただ、俺にはその才能が彼等よりはあっただけだ。
俺はそのまま会計を済ませると、振り返らずに店を出た。
****
それから暫くして仕事の締め切りを無事終えた頃。
床に投げ出された女性誌を見てあの夜の事を思い出した。
よくよく考えてみたら、あの夜コンビニで見かけた人物達はとても興味深かった。
しかもあの夜、自分も私服ではなく着物を着ていたのだから、第三者があの時コンビニを覗いていたなら、きっとかなり面白い状態になっていたに違いない。
(新しい作品作りの参考になるかもな・・・)
思ってもいない事を言い訳に、俺はその夜再びコンビニにやって来た。普段は着ない着物を身に着けて。
「いらっしゃいませ」
コンビニの青年は以前と同じ声量で入り口に立った俺に挨拶した。俺より背は低く色白でその顔に笑顔はない。
彼はレジの中で何やら商品を整理しているようだ。
その先には見覚えのあるライダースを着た背の高い女性が立っていた。この前は気が付かなかったが、かなりスタイルが良い。
俺は店内に入ると直ぐ右側の雑誌コーナーに向かい始めた。
「いらっしゃいませ」
その途中、俺の背後を今度は可愛らしいハーフボンネットを揺らしながら鼻歌まじりに通り過ぎる少女に熱のこもっていないコンビニ店員の声がかけられた。
俺は平静を装いながら、もしかしたら自分は最高の作品素材を見つけたのかも知れない、などと考えた。
この時は、そう思っていた。
深夜3時
その二人の客は毎日そのコンビニに現れた。
どうやら、その二人はこのコンビニの近所に住んでいるようだった。
そして、二人とも決まって同じ物を買っていく。
黒ずくめの女は栄養ドリンク、甘ロリ少女はケーキやデザート。
そして、いつもレジに立つコンビニの店員の青年に同じ事を聞かれている。
「ストロー付けますか?」
「・・・要らないわ」
俺は客の女性が初めて見た時、何故あれ程渋い顔をしたのかやっと理解出来た。このコンビニの店員は頭が悪いのだろうか?
最初は、そう思った。
「スプーン要りませんよね?」
もう一人の小さな女の子にそう尋ねるのを聞くまでは。
きっと彼はあの二人の常連客の事を覚えている。
そりゃそうだ。彼女達は毎日人の少ないこの時間にやって来る。しかもあの見た目だ。
インパクトが強すぎて忘れられない。
コンビニの店員は分かっていてわざと聞いているのだろう。
しかし、何故そんな事をする必要が?
毎日観察する中でコンビニの店員はピンクの仮装少女と少しづつ打ち解けたようだった。
客には関心がなさそうだったので、実はああいうタイプが好みなのかと、少し趣味を疑ったが、どうも、そうではないらしい。
「これ、美味しい?」
尋ねた彼女にコンビニ店員の青年は、一瞬レジの手を止めて、そのまま少し考えた後、首を傾げた。
そして、その後彼が口にした言葉を聞いて、俺は自分の考え違いに気が付いた。
「分かりません。僕、ここで働くの今日が初めてなんです」
彼の言葉にレジで話をしていた少女は一瞬動きを止めたが、直ぐに戯けた調子で会話を続けていた。
「そうなんだぁ? じゃあ次はちゃんとお店の人に聞いておいてね〜?」
「はい、432円です」
ただの好奇心だったんだ。
作品作りのネタになったら儲けもの、その程度の軽いノリ。
毎回こんな格好で来るのも、その方が話のネタが広がりそうだと思ったからだ。
「スプーン、要りませんよね?」
感情の見えない青年の瞳を見て思わず背筋がゾッとする。
何年も前、感じたあの感覚。
違和感は2度目にここを訪れた時からあった。
その青年はいつも同じ時間にレジに立っている。
そして、他の店員は店内に出てこない。
気になって少し早い時間にコンビニを覗いた時に見かけたのはアルバイトの女の子がレジで青年に何やら説明をし、モップを持って離れた所だった。
次の日俺はまた同じ時間にコンビニの前を通ってみた。
そして、確信に変わった。
アルバイトの女の子は昨日と同じくその青年にレジで何かを説明し、モップを持ってその場を離れる。
"分かりません。僕、ここで働くの今日が初めてなんです"
アルバイトの青年は確かにそう言った。
そして、それは恐らく真実なんだ。
少なくとも、彼自身は、そう信じている。
「はっ・・・えーと。ピーターパンシンドローム、じゃ、ねぇよな?」
彼の意思なのか周りが作為的にそうさせているのか。
信じられないが、彼は毎回同じ時を繰り返している。
【アルバイトの初出勤日】を。
****
俺は子供の頃から何不自由なく過ごして来た。
家はどちらかといえば裕福。両親は二人とも穏やか、兄妹も仲が良く皆それなりに社交的。スポーツも勉強もそれ程努力しなくてもそれなりに出来たし。小さい頃から様々な経験を積ませて貰ったお陰か芸術面でも才能があると度々褒められる事が多かった。つまり、どの分野もそこそこオールマイティにこなす事が出来る優等生タイプ。
これといって問題なく、俺は成長していった。
俺は、自分が真っ当な人間であると思い込んでいた。
自分のアイデンティティが人から嫌悪されるなんて考えすらしなかった。最も愛した相手にずっとそんな目で見られていただなんて思いもしなかった。
彼女、いや。彼は俺に言った。
"お前は、自分が当たり前に持っている物を他者も持っていると疑わない。お前が何も知らず口にするその言葉が、相手にどれ程の傷を与えるのか理解しようもしない。俺を知りたいと言う癖にその直ぐ後にお前は平気で俺の全てを否定するんだ。何故言葉が届かないか、だと?お前がそんな事を言う資格ねぇよ。お前から見れば俺がおかしいんだろうが、俺からしたらお前の方が狂ってるよ。何度も何度も説明した。お前はその度に俺を理解していると言ったよな?ハッ!"
そうだな。
俺は全く分かっていなかった。
自分の事も他人の事も、彼女達の事も。
何も理解出来ず理解出来た振りをして俺は無意識に彼女達を痛めつけた。もっと早くに気付いていたら止められたのかもしれなかった。
"お前とは二度と会わない。それでも諦めきれないっていうなら、俺も今ここで死ぬ"
俺は、結局どうしたいんだろうか?
"そうしたら、きっとお前にもやっと理解出来るのかもな?俺が今どんな気持ちなのかぐらいはー"
俺はいつものコンビニに来店すると、いつもの雑誌と栄養ドリンクを手にレジに向かう。
コンビニ店員は手際よく商品をスキャンして、袋に詰める。
「918円になります」
青年の様子に確信し、俺は初めて彼に声をかける決心をした。しかし、それは成功しなかった。
「ふざけんなよ!」
口を開きかけた俺の左側から怒鳴り声と同時に凄まじい速さで店員の胸ぐらを掴みあげる人物が現れた。
いつもストローの有無を尋ねられていたあの女だ。
突然の事に俺は声も出せす、動く事も出来ない。
掴まれている青年は無抵抗でされるがままだ。
そんな無抵抗な人間相手に彼女の腕が振り上げられた。
(マズい!!)
次の瞬間一拍遅れて止めようと前に出た俺の背後から、別の影が通り過ぎ、激しい音をたててレジの台に商品が打ち付けられた。
ダァアアアアアン!!
皆同時にビクリと身体を硬直させる。
そちらを見るともう一人の常連客の少女が一瞬こちらをチラリと睨んだ。
「・・・お客様、困ります。商品がグシャグシャに・・・」
「このまま買っていくからいいの!レジ打って」
今正に突然殴られそうになった被害者の青年は何事も無かったかのように少女を接客している。
「スプーンは、要りませんよね?」
隣を見ると青い顔で呆然と佇むでかい女が立っていた。
「・・・さっきは、ありがとう」
その女は少し落ち着いたのか店を出た後直ぐに声をかけてきた。
「お姉さん大丈夫? 物凄い顔色だけど?」
ピンクと白のレースに包まれた少女はおかしそうに笑っている。その顔に少し違和感を覚える。
「帰り道こっちなんだ。お姉さんは?」
「私もよ。・・・貴方は、なんでさっきから付いてくるの?」
突然声をかけられたので適当に返しておく。
この二人も何か引っかかる。
「え? 俺も帰り道こっちなんだけどなぁ?あ、コレあげる」
俺は多少の罪悪感も伴っていつもは買わない栄養ドリンクを彼女に渡した。彼女は少し驚いた顔をしてこちらをみた。
「今日買えなかっただろ? あいつ、大丈夫かな」
アレはわざとだ。
わざといつもは買わないドリンク剤を買って試した。
あの青年の反応を見る為に。
まさか、バッタリあの場面に遭遇したこの女がいきなりキレるとは思いもしなかった。
「怪我もしてないし、その後も平気そうだったけれど?」
少女が笑って別の方向を見て見開かれた。
俺もその視線を追うと、そこには地面に倒れた女がいた。
「「え!?」」
慌てて駆け寄り声をかけ、息を確かめる。
息は、ちゃんとしている。
「心臓もちゃんと動いてる。もしかしたら・・・気絶してるだけかも」
「おいおい。救急車呼ぶか?」
スマホに手をかけた俺の手を素早く掴む手があった。
気絶していると思っていた女の手だ。
「・・・ただの、寝不足・・・ほっておい、て」
どうやら、救急車を呼ばれると困る何かがあるらしい。
俺は困り果ててもう一人の少女を見た。
「しょうがない。お家どこ?」
「・・・・○○○マンション・・」
少女の質問に殆ど無意識で女は答えている。
これはもしや、俺が担がなきゃいけない流れだろうか?
「ああ、そこなら知ってる。私に付いてきて。もうここまで関わったんなら最後まで面倒見てあげよう」
そう言った彼女の目は明らかに、俺がした事の意図を分かっていたようだ。これは、逃げられまい。
「しょうがねぇなぁ。じゃあちょっと手伝ってくれ」
俺は彼女を背中におぶると少女の後をついて行く。
少女は鼻歌まじりに俺の前をヒョコヒョコと歩いている。
「おじさんはさぁ?」
「ちょっと待て。俺はまだおじさんって歳じゃねぇぞ?」
「えー?じゃあお兄さんはさぁ、何であんな事するの?」
ぎくりとした。
目的なんてない。
ただの、好奇心だ。
「あんな事?俺は買い物をしただけなんだが?」
「ふーん?へぇー?」
これは、完全に見透かされているな?
まぁ初めて話した他人に本音を言う必要はないだろう。
「あ、着いたよ!二階だね?大丈夫?」
「ああ。それより鍵は・・・」
「コレでしょ?さっき探っておいた」
全く無用心な女だと思いながら鍵を開けて中に入る。
そして、俺達二人は部屋を見て沈黙した。
「「・・・・・・・」」
取り敢えず彼女の靴を脱がしてベッドに横に寝かせその部屋を出る。鍵は閉めてドアのポストに入れておく。
気まずい雰囲気の中俺達二人はマンションの外に出た。
「・・・ありがと、手伝ってくれて」
「いや、そんな遠くなかったしな?」
少し歩いて道の分かれ道に差し掛かると少女は反対側を指さした。
「じゃ!私こっちだから」
「ああ。お疲れさん」
俺達は余計な事は言わず解散した。
きっと彼女も疑問に思った筈だ。
"部屋に物がなさすぎる"
広い部屋にベッドと一人用の小さなソファーが一つ。
それだけだ。
「・・・はぁ、疲れた」
俺は自分の部屋に帰ると暫く畳の上にゴロゴロと寝転がり、すぐに起きて書斎の扉を開けた。
原稿用紙を取り出しペンを取ると、その紙の一枚目に、こう書いた。
【コンビ人】
その紙をくしゃくしゃと丸めゴミ箱に放る。
そしてまた新しい用紙にこう、書いた。
【コンビニン】
書き出しはこうだ。
深夜3時。そのコンビニには奇妙な三人の客がやって来る。
彼等は変わり者ばかり。しかし、本当におかしかったのは、彼等ではなく、そのコンビニだった。
俺はそこまで書いて、ふと手を止めた。
「・・・こんなもの、売れるかっての」
目を閉じると懐かしい顔がチラついた。
けれどそのすぐ後にまた、俺を軽蔑の目で見据えた彼の顔が浮かんで消えた。