最強だから、配達屋!
配達員に必要な才能は何か。
“時間通りに行動できる規律”や“道を憶える記憶力”などが当てはまるかも知れない。
では、町を一歩出ると凶悪なモンスターがはびこる世界だとしたらどうだろう。
何よりも、危険を跳ねのける『力』が求められるのではないだろうか。
そう、例えば今まさに王家の一行を襲っている、ヒグマの数倍はあるサイズで全身から夥しい数の刃を生やした『ブレードベアー』をも撃退できる程度には。
「馬車を横倒しにして盾にしよう!」
「馬が邪魔で無理! それにケルティー様が中におわすのよ!?」
冷静に考えなさい、と叫ぶ女性騎士の声を聞きながら、馬車の中にいるケルティーは白いドレスに包まれた両膝を抱えて、小さく震えていた。
雪が降り凍える寒さではあるが、震えの原因は別にある。恐怖だ。
「誰か、助けて……」
赤い羅紗で仕上げられた車内には侍女が一人いるのだが、今は気絶してしまっていて、声を聞いている者は誰もいない。
「どうしてこんなことに……」
安全な旅のはずだった。
戦っている男女二人の騎士は王国屈指の辣腕であり、多数の兵士達もいる。それに強力なモンスターが出るルートではなかったはずだ。
「ブレードベアーなんて、本でしか見たことない。山地にしかいないって書いてあったし、雪の季節に出るなんてありえない!」
愚痴っても仕方ないとわかっていても、一瞬だけ見えた巨大なモンスターの姿が頭から離れず、恐怖の感情を怒りに変えて理性を保つしかなかった。
「怖い、怖いよぅ」
ブレードベアーの襲撃は突然だった。
地響きが聞こえて来たかと思うと、車外の兵士十数人が一斉に上半身を失い、血で染まった雪に倒れた。
そして馭者が馬ごと粉々に砕かれたところで、ようやくケルティーは自分に振りかかった危機を知った。
一部の兵は逃げ散り、残りの勇気ある者たちも半数が食われ、もう半数が鋭い刃によって斬殺された。
今やケルティーを守るのは王家の頑丈な馬車と、二人の騎士だけ。
二人は強い。それは間違いないのだが、ケルティーが知る限りブレードベアーは王国のランク付けでAクラス。熟練兵が最低五百人は必要とされる強さだ。
それをたった二人で食い止めているだけでも相当な技量だが、いかんせん、“食い止めている”だけであり、退治どころか撃退すら危うい。
そんなことを考えている矢先、馬車が大きく揺れて横転する。
「きゃあっ!?」
悲鳴を上げながらも、どうにか侍女の身体を支えて外に飛び出さないように堪えた彼女は、深呼吸をして思考をクリアにした。
「護られているだけじゃ、王族として示しがつかない」
誇り高きミルスタイン王国国王の次女であるケルティー・シャリー・カジュセックは、自分を叱咤する。
王国の繁栄の礎となることが王族の勤めだと何度も教えられてきた。
「有為な人材を、私の為に失う訳には……私が囮になって、彼女たちを逃がさないと」
考えが決まれば行動は早いのが彼女の取り柄だ。乳母たちは彼女を落ち着きが無いと評したが、十五歳を目前としたいまでも変わっていない。
「ドアは開くわね」
今や天井となっている車体側面の扉を押し開き、壁に擦られて傷だらけになったソファを足場にしてよじ登る。
「木登りをしてじぃじに怒られたのを思い出すわ」
王都にいる家族を思い出す。
祖父母は悲しむだろう。父は立派だと褒めてくれるだろうか。それとも、悲しんでくれるだろうか……。
「はぁ、はぁ」
考えている間に、扉から顔を出すことに成功した。冷たい風が頬を叩く。
「うっ……」
寒さでツンと痺れる鼻を刺激する血の臭いに、喉の奥からこみ上げてくるものを涙目で押さえ、どうにか馬車の上に立つことに成功した。
すぐさま、死体に囲まれた馬車の上で王女殿下は声を張り上げる。
「こっちに来なさい! モンスター!」
堂々たる姿に、モンスターよりも二人の騎士が驚いた。
「ケルティー様!?」
「一体、何をやっているのよ!」
目を丸くしている青年はスタンリー・ハント。怒声を上げたのは彼の先輩騎士であり、『武槍姫』の異名を持つ女性騎士リンダ・アクセルだ。
「私が注意を引きつけている間に、逃げてお父様に状況を報告して頂戴!」
このモンスターが人里を襲う前に、討伐隊を組織して駆除する。これが王族として取り得る最上の選択であろうと信じて疑わなかった。
「多くの人を救うには、これが……」
ブレードベアーの視線にとらわれた瞬間、息が詰まり、声が止まる。
「あ、あ……」
自分の数百倍の体積を持つモンスターが新雪をまき散らして迫る姿は、さながら実体化した吹雪のようだ。
圧倒的な暴力。身分など無関係に兵士達と同じく引き裂かれ、砕かれるであろう確かな未来。
「お父様……!」
父の教えを守り殉死を遂げようとした瞬間、ケルティーの口から出たのは父親の名前であり、視線は遺志を託した騎士たちへと向けられる。
だが、騎士の視線は彼女には向いていない。
「ほへ?」
悲壮な覚悟に肩透かしを食らって、空気が漏れるような間抜けな声をだしたケルティーは、危険を忘れて騎士達の視線を辿り、振り返る。
「えぇ……」
そこにいたのは、正面に居るブレードベアーが子供サイズに見えるかのような巨大な壁だった。
いや、正確には壁のように積み上げられた大量の荷物を背負いながらも、まるで行き慣れた店に菓子でも買いにいくかのように軽やかな足取りで駆ける“少年”だった。
「あ、危な……!」
何が起きているかわからないまま、ケルティーは少年だからという理由で危険を伝えようとした。
しかし、それは無用な心配でもある。
「邪魔だなぁ」
まだ声変わりもしていない少年のぼやき。
はっきり聞こえたのは、丁度ケルティーの隣を通り過ぎた瞬間だったからだろうか。そうでなければ、大量の荷物が風を切る音にかき消されてしまったかも知れない。
「まあ、これで今晩のご飯は確保できた」
「……ごはん?」
全く以て追いつかないが、少年の姿を追って振り返ったケルティーが見たのは、七メートル以上の巨体をひと蹴りで軽々と跳ね飛ばされているブレードベアーの姿だった。
体長の数倍の高さを舞ったモンスターは、抵抗することもないまま地面へと叩きつけられ、ケルティーが立つ馬車を激しく揺らす。
「ひきゃっ!?」
バランスを崩したケルティーが足をもつれさせて馬車から落下すると、その身体を細い腕が優しく受け止める。
思わず閉じた目を開くと、そこには先ほど風のように隣を通り過ぎた少年の顔が間近に合った。
「ごめんなさい。もっと気を付けないといけませんでした。周りをもっとよく見るように、父から常々言われているんですけれど」
「あらかわいい」
「え?」
少年の第一印象をつい口に出してしまったケルティーは、恥ずかしさに顔を赤く染めながら、自分の状況を振り返った。
しかし、今一つ理解が追いつかない。
「モンスターは……」
「さっきの熊なら、もう死んでます。ほら」
少年の視線を辿ると、長い舌を力無く伸ばして倒れているブレードベアーの姿があった。
落下した衝撃で身体の刃が何本も折れ曲がってしまっている。
刃は体毛が変化したものだと本で読んだ知識が頭に浮かぶが、今はそれどころではない。
「Aクラスのモンスターを一撃で……」
「あれは以前も“食べた”ことがあるんです。肝は薬にもなるし、毛皮はとても暖かいコートになります。何より、肉が見た目より柔らかくて美味しいんですよ!」
失礼します、と抱えていたケルティーを下ろした少年は、腰からナイフを抜いてブレードベアーの方へ近づく。
「あ痛っ!?」
荷物の角がケルティーの頭を小突いたが、少年は気付いていないようだ。注意力不足は本当のことらしい。
とはいえ、幅にして五メートル前後。高さはその倍になろうかという荷物を背負っているのだから、端まで意識が届かないのは仕方ないかもしれないとケルティーは思う。
「沢山の荷物をまとめて固定しているのね……」
涙目で見上げた少年の荷物は、解体の生々しい音だけを通し、グロテスクな光景をケルティーの視界から遮っていた。
「ご無事ですか!」
モンスターの死体と少年が背負っている荷物を迂回して、ようやく駆けつけたリンダとアクセルの二人は、傷だらけの身体に沢山の雪を張り付けていた。
「なんなのあの子。別のモンスターが出て来たかと思った」
頬の雪を払いがら呟いたリンダに、「違いない」とアクセルが笑う。
「二人とも、大丈夫?」
「これくらい、騎士隊長が指揮する訓練に比べれば大したことありません」
軽口を叩くアクセルに、リンダが肩をすくめる。
いつもの様子でいる二人にホッとしたケルティーは、改めて少年がいる方へ向き直った。
「助けてくれて、ありがとう!」
巨大な荷物の山の向こうへ届くように、声を張る。
「はい?」
荷物に煽られて風が届き、少年が振り返った。
その相貌は、十四歳のケルティーよりも若い。幼いと言っても良いくらいの年齢に見える。
「私はケルティー。あなたは、誰なの?」
身分を伏せて名前だけを名乗ったのは、恩人を萎縮させたくなかったから。
「僕ですか?」
少年は、自らの背中にある荷物を見上げて誇らしげに名乗った。
「僕はキンブル。見ての通り、配達屋です!」
ケルティーは“見ての通り”が指す内容が理解できず、騎士たちと三人並んで首を傾げた。