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婚約破棄された令嬢は美貌の女装伯に屈しない。……屈したくない

「わたくしが婚約破棄ですって!?」


 爽やかな朝の空気を令嬢の悲鳴が切り裂いた。豪奢なドレスに身を包み、色とりどりの花々に囲まれた美しい乙女はしかし、真っ赤な顔で地団駄を踏んでいる。


「大体なんですのあの王太子殿下の別れ文句、『おっぱいには勝てなかったよ……』って、そしてなぜあの場にわたくしが悪いみたいな雰囲気が流れたんですの!?」


 侯爵令嬢ヴィオラは悔しげに行ったり来たりしていたが、ふとその視線が自らの胸元に落ちる。

 コルセットでぎゅっとまとめ上げたたおやかなウエストは繊細だが、それだけ腰が細ければその上も下も細いのは自然の摂理。


 無言で自らの胸元をぽんぽん、と叩いていた彼女がふと顔を上げると、おっかなびっくり様子を見守っていた使用人達が一斉に目をそらし、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。もたもたしているとお嬢様の雷が飛んでくるのだ、皆慣れたもので撤収が素早い。


 逃げ遅れ――いや元から逃げるつもりもなかった彼女の父親のみが、震える手でティーセットを嗜んでいた。

 娘はきっと目をつり上げ、つかつかと歩み寄る。


「パパン! 優雅にお紅茶と洒落込んでいる場合ではございませんのよ! というか手が震えているせいで、娘の一大事を笑っているのが隠し切れていませんわよ!」

「いやあ、パパンはお前のそんなところも可愛いと思ってるけどねえ……」


 パパンことカレーナ侯爵は、いかなる危機的状況にあってものほほんとしたペースを崩そうとしなかった。ふくよかなのは顔だけでなく腹もである。身体を動かすとぽよんと我が儘ボディが揺れる。


 ヴィオラが父と正反対に全体的に引き締まっているのは、母親似なのだろう。細身の美人だったが見た目相応に病弱で、一人娘を産んですぐ亡くなった。

 残された忘れ形見の見た目は母譲り、しかし身体の頑丈さ健康さは人一倍だったので、カレーナ侯爵は大層喜んだ。

 けれど、癇が強めな母親の性質がより強固に継がれていたのは完全に誤算であったし、常に頭痛の種なのであった。


 とは言え、多少頭が痛かろうが、箱入り娘は目に入れても痛くないし、侯爵の柔和な笑みは崩れない。優雅な髭を撫でつつ、のんびり口調で話を続ける。


「まあほら、お前が『将来は王子様と結婚するの!』とずっと言い続けるものだから、パパンもつい娘かわいさにあれこれ根回しして随分と無理をしたわけだけど? 王太子妃という地位も、あの王子も、お前とは相性悪いんじゃないかなという懸念は昔から常に……こらこらヴィオラ、パパンのお話はちゃんとお聞き」


 カレーナ侯爵がたしなめたが、自身の一大事に落ち着いてなんかいられないヴィオラは父の率直すぎるコメントを幸か不幸か聞き流し、庭園を行ったり来たりしつつ、見事なブロンドの髪をかきむしる勢いでブツブツ早口で嘆いている。


「ああ、なんて酷い話! 確かにわたくし、件の平民を無視したりマナーの悪さを指摘したりしましたけど、それは貴族として当然のこと。その上なんですって、階段から突き落としただの、池の中に持ち物を放り込んだだの、ドレスをズタズタにしただの――濡れ衣ですわ! わたくし、そんな下品な事しませんっ!」

「まあうん、あの淫乱ピンク髪おっぱい娘と愉快な仲間達に嵌められたね。直情型のお前はやるなら一緒に階段を飛ぶし、人の装備をどうこうする前に自分の方をどうにかするし、小細工なんかせずシンプルに相手の顔をビンタするだろうからね。大丈夫、パパンはわかっているよ」

「パパン以外の人がわかってくれないのが問題なんじゃない!! 婚約破棄は当然、しかもあの平民を傷つけた責任を取って修道院に行かせるべき、なんて――わたくし、まだこんなに若くて綺麗で美しくて花の真っ盛りなのに、隠遁生活をさせるなんて! 国の損失ですことよ!」

「うんうんそうだね人類の恥だね、だから安心しなさい、次の嫁ぎ先ならもう見つけてあるから」

「そんな悠長な――えっ?」

「何ならもう婚約とか面倒だからすっ飛ばして結婚していいって感じで話も円満にまとまっているから」

「えっ、あの……えっ??」


 カレーナ侯爵は娘の癇癪の扱いを心得ている。

 普段なら、右に左に長し、冷めてきた所を見計らって改めてゆっくりと話をする。

 だからヴィオラの方も、いつもと同じく最初は適当に流されるつもりでまくし立ていたのだが。


「大丈夫。見た目はいい。それは保証するよ。多少のことに目を瞑れば」


 だがここで黙っていられるお淑やかな令嬢でないのがヴィオラ。驚いて目を丸くしていたのは一瞬、切り口を見つけるとすぐにまた半眼に戻る。


「見た目()? 多少のことに目を瞑れば?」


 父は娘に向かって……パパンを信じなさい! というジェスチャーのつもりなのだろうか、茶目っ気たっぷりにウインクしてみせた。しかしその目はすぐに泳ぎ出す。


 何事も、そう都合良く人の思い通りに行くものではない。

 ヴィオラ=グレイス=カレーナ侯爵令嬢は、王太子の婚約者であったが、突如現れた胸の大きなピンク髪の平民娘によって嵌められ、負け犬として社交界から爪弾きに、修道院に島流しにされるところであった。


 ところがそこに彗星のように現れた――いやヴィオラの体感では突如生えてきたといった方が合っているのだが――貴族が、婚約どころか結婚してもいいと言ってきている。


 どう考えても、何か裏がある。父親の断固として目を合わせようとしない態度が動かぬ証拠だ。


「まあまあまあまあ、あちらも結婚相手がほしいだけで、別に愛とか子どもとか、そこまで重たい物を深刻に求めているわけじゃないらしいし、お前の立場と生活と概ねの我が儘は保証してくれるらしいんだから、多少はね?」

「パパン、それって――」

「ともかく、だよ」


 ちらほらと聞き捨てならない情報が挟まれている気がするのだが、どうにも今日のカレーナ侯爵は一味違う。娘に主導権を握らせてくれない。


「一応お見合いの場を設けたから、一度お会いしてみなさい。それでどーしても嫌ってことなら、お断りするから。でもまあ、その場合パパンの力をもってしても、ちょっと修道院行きが濃厚になってくるけれども、ハハハ。今と同じ贅沢で華やかな暮らしはできなくなるけど、仕方ないね。大丈夫、パパはそんな娘も相変わらず愛しているよ」


 彼はそう、ゆったりのっそり存在感のある体躯を椅子から持ち上げると、重みのある言葉で娘を黙らせたのだった。




 ――そんなわけで。

 政略(?)結婚か、修道院か。

 どっちを選んでも人生の墓場、なんて頭に浮かんだ不吉なフレーズを全力で追い払いつつ、ヴィオラはお見合いの席に臨んでいた。


 キリリとしすぎてキツいと言われがちな見た目の印象を柔らかくすべく、服装は淡い水色を基調に。かといって可愛い方向に過ぎると縦に長いヴィオラのシルエットに似合わないので、ドレスはふんわりとさせすぎず、ウエスト部分など所々にアクセントをつける。


 指定されたのは薔薇園だ。到着したら「お嬢様、ご武運を!」なんて言葉を最後にまた使用人達に消えられてしまい、仕方なく一人で指定された温室を彷徨うことになる。


 いくら健康が取り柄と言っても、いわれのない誹謗中傷に婚約破棄、さらにはどこからか生えてきた謎の旦那候補。ここ最近の心労続きはさすがに堪えていた。歩くのもすぐ億劫になる。


 薔薇園の中央に設置されていたベンチに引き寄せられるように腰掛けてはあ、と息を漏らすと、芳しい花の群れの中にため息が溶けていく。

 美しい花の群れの中でぽつんと一人でいると、なんだか虚無に浸りそうだ。


(わたくし、本当に、何をしているのかしら)


 ――と、人の気配だ。思わずばばっと勢いをつけて振り返る。


「こんにちは。本日はお日柄も良く」

「……こんにちは」


 優雅にハスキーな声で挨拶をしてヴィオラの隣に座ってきたのは、ヴィオラに負けず劣らず派手な美貌を持つ女性だった。すらーっと背が高い上にド派手なドレスを着込んでいて、完全に薔薇達を食っている。プラチナブロンドの髪は、いかにも気合いの入りすぎている縦ロール。たぶん鬘だ。お洒落ではあるがやり過ぎ感に満ちあふれている。

 思わず目がちかちかしそうになる思いを抑えながら、ヴィオラは横で扇子を取り出してパタパタやり始める相手に、こほんと咳払いして見せる。


「あの。わたくし、ここで人を待っていますの」


 暗にお前はあっちに行け、という意味である。ヴィオラの不機嫌な空気を意に介さず、涼しげな顔で美人は答えた。


「奇遇ですね。僕もここで待ち合わせをしているんですよ」


 そうですか、と返そうとして口を開いたままヴィオラは固まった。

 おかしい。今し方、確かに完璧な淑女だった人が声を掛けてきたのと同じ方向から、なぜか青年の声がした。しかもなんだ。僕? 待ち合わせ?


 恐る恐る振り返ると、ベンチに腰掛けた見知らぬ令嬢は――ああ、近くでよく見てみると、令嬢にしては線がたくましすぎるのだ――行儀悪く脚を組み、にやりととびきり人の悪い笑みを浮かべた。


「まあ奇遇でも何でもなく定刻通りだし、待ち合わせの場所なんだから来るのは待ち人に決まってるよね。あ、見た目が非常識過ぎた? いやあ、だって結婚する嫁さんと会うから気合い入れなきゃと思ってさあ――」


 確かに事前の予告の通り、美形ではあった。それ以外の一切合切が情報の暴力だが。


 貴婦人が卒倒するならきっとこういう時だ。

 だが、ここでこのどう考えてもヤバすぎる何かを前に無防備を晒す勇気は、さしもの脳天気ヴィオラとて持ち合わせてはいなかった。

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