神殿騎士と再燃せざる死霊術
唸り声を上げるヒトのカタチをしたもの。しかし、ヒトのカタチをしているからと言って、それが人であるという証明にはならない。
腐った肉、折れた骨、光の無い眼。
崩れた体、失われた理性、魔性に堕ちたモノ。
死なずの者とはよく言ったもので、彼らはどう見ても動くだけの死体であった。
「亡者…」
私の考えを隣のラピアスが呟いた。
昔、昔のことだ。このような異形が存在していたのは。数十年前に、起きた争いの中である国が使った兵器。あるいはそれより昔、ある人物が恋人を蘇らせるために生み出した人の成れの果て。もしくは永遠を求めたものたちの残骸から生じた怪物。
親が子供に悪い子にしていると亡者に連れ去られてしまうよ、なんて話をするくらいには人々に信じられなくなくなったはずのモノたち。歴史の闇から這い出したそれらは、いま現実のものとして私たちに牙を向いていた。
「ラピアス」
「は、はいなんでしょう!?」
驚いている。仕方あるまい。寝物語にしか聴かぬようなものに直面すれば無理もないだろう。私もそんなものがいたという話は聞いたことがあったが実際に目にしたのは本の挿絵を除けば、これが初めてだった。
「村人を避難させてくれ」
「いえ、でも、ですね、相手は亡者です。私が」
「大丈夫だ。私は神殿騎士の中でも強い方だからな」
逡巡するラピアス。こうやって他人を思いやれるのだから悪い人物ではないのだろう。自信なさげな態度とあまりにもぼろぼろ過ぎる服装からどうしても怪しい人物という印象が拭えないが。
「……わかりました。アリアさん。では、ひとつだけ。亡者は死んでますので、心臓や首への攻撃は意味がありません。燃やし尽くしでもしない限り、永遠に動き続けます」
ラピアスが村人たちの方は走っていく。正直驚いていた。最後のあの言葉。今までとは打って変わって自信に満ちたような、事実を淡々と語るような話し方。慣れた対処を伝えただけという真剣な目。
「考えている場合ではないか」
接近して、一閃。一人の亡者の脚を叩き折る。
「脚を、破壊してください」
ラピアスが言ったとおりに移動能力を削ぐ。村人を守るためにはまずそこからだと。あの目は十分に信じるに値する目だった。
「早く!安全な場所へ!」
ラピアスが人々を誘導してくれている。できる限りの人を教会に避難させて、その上で教会を守る。それが精一杯で、取り残されている人を救いに行く余裕はない。
しかし。
私一人でこの無数の亡者どもから村人を守り切れるのだろうか。
不安がよぎる。
よくない考えだ。振り払うようにまた一人、亡者の脚をへし折る。
騎士である私が守らなければ、今、この場で誰が皆を守るというのだ。力のかぎり人を救うという誓いの下に騎士になったのだ。
初めて神殿騎士として認められた時のことを思い出す。神に仕えるなんて実感が湧かなかったけれど、それでも人を救うのに十分な資格を手に入れた時のことだ。緊張して、震えて、それでもあの時騎士になったのは、いつか誰かの危機を救うためだ。
「こっちです!向かいの教会の中へ!」
ラピアスが懸命に声を上げている。
「違うそっちじゃねぇ!こっちだ!」
「気をつけろ!転ぶな!」
「急がないで!大丈夫だから!」
冷静さを取り戻したのか、何人かの村人が誘導を手伝っているようだった。ラピアス一人では手が回らないかもしれないと思ったが、とりあえずはなんとかなりそうだ。
そう思えば、震えが収まる気がした。
避難する村人に迫る亡者をまた一人、地に伏せる。亡者たちの脚が遅いのが救いだった。しかし、逃げる村人たちが集団ではなく、三々五々になりつつあった。
どれだ。どこだ。どの亡者から先に倒せばいい。悩んでいる時間はない。だが、何も考えずに動いていいものでもない。
「アリアさん!向こう!水車小屋方面!」
私の迷いを見抜いたかのようにラピアの声が飛んできた。水車小屋の方向を見ると脚を引きずる壮年の男が、一人の亡者に追いつかれそうになっている。
「助かった!」
全力で疾走し、手早い一撃で亡者の脚を破壊。念のため、両腕も斬り落とすが、刃が欠けてしまった。
「あ、ありがとうございます…」
「礼なら向こうの青年に言え!それよりも早く安全なところへ」
振り返ると、ラピアスがどこか別な方を向いている。何かを見定めるような様子だが…一体何を見ている?疑問に思うより早く、甲高い叫び声が大気を劈いた。
「ユリアっ!?」
壮年の男が、驚き声を上げる。
「おい!」
「私の、私の娘です!なんで…なんで!先に逃がしたはずなのに!」
声が聞こえた方向に走り始めると、ラピアスが位置を私に伝えてくる。彼が指し示した方向は。
「麦畑の向こうの小屋です!」
「わかった!」
どうやって位置を把握しているのかはわからないが、今はラピアスを信じよう。逃げ遅れたのか、何か動けない状況にあるのか。わからないがそのユリアという娘を助けねばならない。
小屋の周りには三体の亡者。最速で片付けなければ。
一体目。今までの亡者たちと同じように剣で脚を破壊する。
二体目。こちらに向き直っている。焦ったのか脚ではなく腰に刃を当ててしまった。半端な位置で剣が止まる。抜けない手応え。
そのまま体当たりをして小屋の壁に剣ごと突き刺す。とりあえずこれでしばらくは動けないはずだ。
三体目。両手を上げて、襲いかかるそいつを躱すが、武器がない。掴みあいになれば膂力で亡者には勝てない。せめて何か平衡を崩せるような何かが必要だ。
咄嗟に干し草に突き刺さっていた何かを掴み、ぶっ叩く。これは、鋤か。全力で身を反転させて頭に一撃。勢いに押されて倒れ込んだ亡者の胸を渾身の力で鋤で貫く。
思ったよりも力が入ったのか深々と地面に串刺しになった。
「おい、大丈夫か?」
急いで小屋に飛び込むと、少女が奥で震えていた。この子が先ほど壮年の男が言っていたユリアという娘であっているだろう。歳の頃は八つほどだろうか。ユリアらしい娘より小さな少女を庇っていた。勇気のある娘だ。
「大丈夫だ。はやく安全な所へ行くぞ」
ふるふると首を振るユリア。怪我でもして動けなくなってしまったのだろうか。出来るだけ優しい声を心がけて、彼女に手を差し伸べる。
「もう安心していいんだ。お父さんが待ってるぞ」
流石に三体を一気に相手取るのは大変だった。息が荒れる。あまり子供相手に向ける表情は出来ていないかもしれない。しかし、あまりここで時間を使っては他の人に手を回せなくなってしまう。それに亡者の数もどんどん増えていた。これ以上ここにいては危険だ。
「怖かったろ?よく頑張った」
「…ろ…」
「だから今すぐに」
少女が震える手で指を指す。
「後ろ!」
咄嗟に振り向くと一人の亡者がそこにいた。腰に半分まで切り込みが入っていて、それは私がさっき足を破壊しなかった二体目で。手元に武器は無くて。今、ここで戦えるのは私だけで。もう、考える暇もなくて。
裂帛一閃。右の拳を叩き込む。腰が半分切れているからか亡者は平衡を失って崩れ落ちた。
「行くぞ!」
動きが止まるわけじゃない。今すぐにでもここから離れなければ。ユリアともう一人の少女を抱えるようにして、小屋から飛び出して。
愕然とした。
亡者。亡者。亡者。
どこからやってきたのかわからないがとにかく無数の亡者がそこにはいた。一部は腕や頭や脚や…身体の何処かを失っていながらも、私たちに向けて少しずつ近づいてくる。
抱えていた二人の少女にはあまりにも刺激が強い光景だ。当然のごとく二人は気を失い、力の抜けた重みに引き摺られて私も体勢を崩してしまう。
二人だけでも、守れないだろうか。ざっと数えただけで十五を超える亡者たちの前で、そんな願いはきっと叶わない。それでも私は神に祈らずにはいられなかった。助けてほしい。腕の中の二人だけでもいいから。
「救えない」
声が響いた。
「何も学習していない。本当にダメな奴だよ、僕は」
あたりには無数の亡者。青年は恐れることなく私たちの前に立ち、彼らを睨めつけた。息が荒いのはここまで全力で走ってきたからだろうか。彼は手早く自身の腕を短剣で切り裂くと。血に濡れたそれを大地にそっと置いて祈り始めた。
「『安息を忘れし者達よ、定められた刻は既に過ぎた。夢は夢のままに再びの眠りを思い出し、大地へと還れ。旅路は未だ遠い。願わくば輪廻の彼方で再会を。遠き旅路に想いを馳せよ』」
さらりと紡がれた言葉。その祈る姿は堂にいったもので、熟練の聖職者を思わせる。だが、その気配には神聖さではなく、あまりにも暗いものがあった。
「お前は」
何者だ。
聞きたいような、聞きたくないような。耳にしてしまえば決定的になってしまう、そんな予感があった。
青年が立ち上がる。亡者たちが次々と糸の切れた人形のように崩れ落ちていく。
その様子は物語に謳われる英雄のようで、しかして彼は歴史の闇から現れた亡霊だ。その名を持てば世界中から追われる身となることは明らかだ。少なくとも神殿騎士としては疑わしければ、捕らえるのが責務である。
もう実在するとは誰も思っていなかった存在のその一人。
「僕はラピアス・ターズナイル。君達の言うところの死霊術師だ」





