町の歴史と伝説
特に何事もなく、朝を迎えた。
ベッドから体を起こすと、ヨミが上半身だけ俺の寝ていたベッドに横になり、寝息を立てていた。
『朝になるまで、ずっと気にかけていたようですが……さすがに、眠気には勝てなかったようです』
「……AIはどう計算する」
『ケルベロスとやらの危険度でしょうか?』
「ああ、この世界で魔物とは結構戦ったし、ある程度のデータは揃ってるだろう。デモンと戦ったデータと比較して、それほどやばい奴が存在すると思うか?」
『実物を見ていないので、安易に予測を立てることは難しいと思います。ただ、一つ気になるのは、ヨミさんが恐れるほどの存在があの森の奥にいるとして、他の魔物たちとは共生していた、と言うことでしょうか?』
「魔物同士は仲間だから殺したりしないんじゃないか」
『いえ、それはないと断言できます』
「随分とはっきり言うな」
『目の前に、オークデーモンに殺されかけた魔物がいますから』
……AIに一本取られると、微妙な感じになるのは、自分で自分に言い負かされたような気分だからだろうか。
『森を支配する魔物。それの意味するところは、人間の国で言うと王様のような存在なのでしょうか?』
だから、ヨミはケルベロス様と呼んだのか。
その名を軽々しく扱うことにすら恐怖を覚えているかのようだった。
考えていると、扉がノックされた。
「おはようございます。アキラ様。朝食の用意ができました」
「ああ! おはよう。顔を洗って食堂に行くよ」
イライザの挨拶に部屋の中から声を張り上げて答える。
彼女にはわざわざ部屋に入って起こさなくて良いと伝えておいた。
やはり、貴族の常識や生活は俺には向いていない。
それにしても、声を張り上げたのにヨミは起きるそぶりすら見せない。
よほど疲れたのか。
きっと、それは薬草をたくさん採ったからではなくて、夜通し緊張感を持って見張りをしていたせいだろうな。
俺はそっとベッドから降りて、ヨミを抱き上げて俺のベッドに寝かせた。
着替えて洗面所で顔を洗い、一人で食堂へと向かう。
「おはよう」
「おはようございます」
すでにジョサイヤとレイナは朝食の準備が整っていたが行儀よく俺のことを待ってくれていた。
「お一人、ですかな」
「ああ。ヨミは昨日ちょっとがんばりすぎてな。もうちょっと寝かせてあげたい」
「お優しいのですね」
レイナが目を細めて微笑む。
「後で、パンと果物を部屋に持っていきたいが、いいか?」
「ええ、構いませんよ」
「ありがとう。それじゃあ、ヨミには悪いが、いただきます」
俺がそう言って、やっと二人も朝食に手を付け始めた。
食べながら話すのはマナーとしてどうかと思うが、仕事が始まるとジョサイヤは忙しい。
あらかじめ言っておけば俺のために時間を用意してくれるだろうが、そこまでするほどのことでもない。
ヨミの懸念が杞憂だとわかればいいってだけの話だ。
「食事中に悪いが、ちょっと聞いておきたいことがある」
「……何でしょう?」
「番犬の森にいるといわれている、ケルベロスという魔物について」
「アキラ殿。町の冒険者が噂しておりましたか?」
「ま、まあな」
出所はどっちかって言うと王国騎士団だが。
「この町の伝承記に書かれた幻の魔物ですね」
「幻の魔物?」
「このクリームヒルトの町は、昔は別の名前の小さな村でした。その村を作ったのが当時、上級冒険者の中でも特別な存在と言われる、伝説級の冒険者なのです」
そういえば、ガイハルトは上級の上を目指すとか言っていたが、その事か?
「伝説級の冒険者のことも気にはなるが、どうしてここに村を作ったんだ?」
「それがですね。この近くに恐ろしい魔物を封印したとか。その封印が破られることがないように、ここに村を築いて監視したと伝承記には記されています」
「その封印された魔物が、ケルベロス?」
「そう言われていますが、実際に見た者はいません。その後この地は何人かの貴族に与えられ、町は発展してきましたが、その過程で伝承記の魔物の名を借りて、魔物が棲み着くあの森を番犬の森と呼ぶようになったらしいですよ」
肝心なことは、ジョサイヤも知らないのか。
「いるのかいないのか。誰も確かめたことはないのか?」
「何人か、冒険者が挑戦したことはありましたが……今回の魔物の討伐数を見ていただければわかりますように、あの森には多くの魔物がいましたから、きっとオークデーモンやブラッドファングの集団に襲われて、帰らぬ人になってしまったのでしょう」
「……今回の件、女王は何か言ってきたか?」
「……それは、どういう意味ですかな?」
王国騎士団のこと、話しておくべきだな。
この町の要はジョサイヤだ。
それなのに、重要なことを知らされていないというのは、何か起こったときに後手になる。
「昨日、俺とヨミが薬草を採りに番犬の森へ行ったことは知っているか?」
「いえ」
いきなり肩すかし。だが、一冒険者の行動なんていちいち把握していられないか。
「日が落ちるまで夢中になっていてな。帰るのが少し遅くなったんだが、夜になってから王国騎士団が森に入ってきた」
「夜にですか? 一体、なぜ?」
「女王からの命令で、ケルベロスの討伐に行くためだと言っていた。正確には、俺たち冒険者だと足手まといになるから知られたくなかったようだ」
「そんな、まさか……」
考え事を始めたジョサイヤに、レイナが不安そうな顔を向けていた。
「あなた……」
「――はっ! ということは、あのことの申請も、それと関係があったのか」
ジョサイヤが何かに気付いたかのように声を上げた。
「あのこと?」
「番犬の森を切り開いて、道を作りたいと申請があったんです。ただ、魔物が多い森ですから、その討伐が進んでからと言ったのですが、王国騎士団の方々は魔物討伐は王国騎士団も手伝うから魔物がいなくなったところから随時進めて欲しいという要望がありまして……」
と言うことは、王国騎士団はケルベロスがどの辺りにいるのか、ある程度当たりを付けていたのかも知れないな。
「アキラ殿。すぐに王宮に連絡を取って確かめてみます」
「すぐにって、ここから王都までどんなに急いでも五日はかかるだろう。まあ、あの常識外れな御者に頼めば、死の淵を見る代わりに三日で着くかも知れないが」
「魔法の水晶というものがあります。それならば、今すぐにでも連絡は取れるのです」
あ、そういえばエリーネがそんなことを言っていたっけ。
電話のようなものはあるわけか。それならすぐにことの真意が確かめられるか。
あるいは、誤魔化されるか。
「……ただ、ケルベロス討伐に向かったのは王国騎士団ですよね」
「ああ、あのディレック隊長が先頭を走っていた」
「それなら、連絡を取っている間にもクリスタルを持って戻ってくるかも知れませんよ」
それは、王国騎士団ならケルベロスも倒せると言うことか。
「よほど信頼されているんだな」
「王国騎士団は我が国の精鋭ですから。特に隊長ともなると、ギルドに登録すればその日のうちに上級冒険者の証が発行されるでしょう。ま、ギルドは国のしがらみを持つ者の登録を認めませんが」
「じゃあ、もし……ケルベロスの存在が事実だったとしても、この町から逃げるってことはないのか」
「アキラ殿。私は女王様からこの地を任されたのです。どんなことがあっても、逃げたりはしません」
鋭い眼光は、かつて冒険者だった頃の輝きか。
ジョサイヤの決意に、俺の方が圧倒された。
朝食を終え、ヨミの分のパンと果物が詰め込まれた籠を持って客室に戻る。
ヨミはまだベッドで寝ていた。
「おい、そろそろ起きろよ」
「――へ? ――はっ!」
寝惚け眼だったのは一瞬だった。
すぐに立ち上がると、ベッドから飛び降りた。
「すみません。ずっと辺りを警戒するはずだったのに……」
「そんなことよりも、取り敢えずこれを食べろ。疲れてたらいざというとき動けないぞ」
「は、はい」
俺は一応ジョサイヤに警告したことをヨミに伝えた。
もちろん、ジョサイヤの感想と騎士団の評価を照らし合わせた上で、ジョサイヤが逃げる必要はないと結論を出したことも。
「……人間は、愚かです。ケルベロス様の溢れる魔力であの森には魔物が集まり――そして、新たに生まれる」
「そうだったのか。ってことは、ヨミも……」
新種の魔物と王国騎士団がヨミのことを呼んでいたのは、そのためか。
「ケルベロス様は待っているのです。時が満ちるのを。その時までは、あの森の奥深くで睡り続ける」
「……それじゃあ、いつかは目覚めるなら、戦いは避けられないんじゃないか?」
「だとしても、自ら強大な力を目覚めさせるなんて愚か者のすることではありませんか? 静かに慎ましやかな生活を送っていれば、ケルベロス様はすぐに襲ってくるわけではないのに」
「でも、そういう事情ならヨミは襲われないだろう。ある意味父親みたいなものだ」
「いいえ。ケルベロス様にとって、魔物はエサでしかありませんよ。引き寄せられた魔物も、生まれた魔物も、全てはケルベロス様が目覚めたときのエサに過ぎない。だから私は、いつでも逃げられるような場所を縄張りにしていたのです。もっとも、あの辺りは人間と遭遇する機会が多いから、好む魔物は私くらいなものでしたが。人間と魔物は近すぎると戦いになります。オークデーモンも中級冒険者たちが相手では生き残れませんから」
それでよく人間の生活に憧れなんか抱けたな。
いや、近くで見ていたから、こそか。
「どうする? それじゃあ逃げるのか?」
「……アキラさんは、一緒に逃げてくれますか?」
俺は、逃げたくない。
もし仮に、元の世界に戻ったとして、その世界に再びデモンのような奴らが現れたとしよう。
俺は、自分だけが助かれば良いと、人類が殺されるのを黙って見ているなんてできない。
元々は愛する家族のための力だった。
デモンと戦ったのは守りたい家族がいたから。
人間にもムカつく奴や嫌いな奴はいる。
それでも、そいつらの命が脅かされたら、俺は戦うんだろう。
人間が相手でも戦う覚悟を決めたのに、甘いと思うか。
「やっぱり、一緒には逃げてくれないんですね」
「まだ、何も言っていないが」
「言わなくてもわかります。アキラさんの瞳は、私を助けてくれたときと同じですから」
「……そうか。でも、危なくなったら逃げろよ」
「それは、アキラさんにも言ってあげたい言葉ですね」
結局その日も俺たちは小さな仕事を引き受けた。
ボロくなってしまった建物の修理。
それは大工の仕事だろう、と思ったがギルドに依頼を出したのも大工の親方だった。
最近の若者はギルドに登録してそっちで仕事をするらしく、弟子が集まらないから人手が必要なときはギルドに依頼した方が仕事が早く済むんだとか。
何だか本末転倒のような気がしないでもない。
大工仕事の下働きをして、その日もつつがなく一日を終えた。
……王国騎士団は、あれから姿を見せない。
もう丸一日経った。
苦戦しているのか、それとも……。
今日も俺はベッドに入っているが、ヨミは外を警戒している。
「まだ、変身できないか?」
『もう少しです』
変身できるようになったら、あの道を追うべきだろう。
生きていれば、助けられるかも知れない。
もし、助けられなかったら……せめて、敵くらいは討ってやりたい。
もどかしさを押し殺しながら、俺は目を瞑った。




