こちら、人生迷子センターです。(読み切り)
幼少期、お母さんとはぐれて泣いていたら、見ず知らずの人に迷子センターまで連れて行かれたことがあった。迷子センターにいたお姉さんが私に名前、性別を聞くとお姉さんはにっこりと笑顔を浮かべて私の頭を撫でた。回る椅子をくるりと前に直すと、ボタンを押して、マイクに向かって通る声で案内を始めた。放送が終わりしばらくすると、肩で息をするお母さんが訪ねてきた。
私を見るなり涙目になったお母さん。私を強く抱きしめて、「よかった、よかった」と繰り返しつぶやいていたことを覚えている。
その経験が強く印象に残っているのせいか、私は大人になり、迷子センターで働くようになった。
ここでは、子どもより大人の迷子がよく訪ねてくる。
鏡の前で髪を整え、リボンの曲がりを直して、裾を引っ張って、自分の頬をピシャリと両手で叩いた。
「今日も一日頑張るよ、私」
始業時間、椅子に腰掛け、迷子の人が来るのを待つ。
ドアをコンコンコンとノックする音が聞こえた。
「はーい」
「失礼します……」
女子高生がやってきた。目の下にはひどいくまがある。
「いらっしゃい、お茶いれるわね」
ドアを表示を「対応中」に変えた。私以外にも数人他の部屋で迷子の対応や案内をやっている。
女子高生は椅子に腰掛けると、膝をこすり合わせ、手を何度も組み直した。緊張しているのだろうか。
私は、女子高生に温かいお茶を出して、様子を見た。
初対面の人とは九十度の位置に座り話を聞くようにしている。対面だと敵と感じるような威圧感のようなものがあり話しにくいことがある。だから、九十度の位置に座るのだ。
私は、不自然にならないように、テーブルの上に手のひらを見せるようにして起き、話を始めた。
「今日は少し寒かったよね、寒い中きてくれてありがとう」
女子高生は、長い前髪を揺らして、「いえいえ……どうしてもきたかったので」と小さく愛想笑いを浮かべた。
女子高生は私と目を合わせようとしない。テーブルの下で手を擦り合わせたり、スカートをきゅっと握ったりと忙しない。
「私、リナっていうんだけど、あなたのお名前は?」
「サキです、園垣サキ、高三です」
ということは受験生の可能性があるのか……。
悩みは受験……大学か就職か迷っているということかな。
「サキちゃん、今日はどうしたのかな? 家出とかしちゃった? 進学か就職か迷ってるとか? あ、わかった」
「えっ……」
サキちゃんの顔が上がり、初めて私の顔を見てくれた。
「好きな人に告白しようか迷ってるんだなぁー、青春してるぅ!」
強張っていた顔が緩み、息を漏らして「違いますよー」と笑った。笑ったほうが可愛いじゃん、やっぱり女の子は笑ったほうがそのへんにいる芸術メイクの顔の人よりも何倍も可愛く見えるよ。
私は、体を少し前に倒して、聞く姿勢を作った。
「えーじゃあ、どうしたのかな?」
「好きな人とか恋愛のことじゃないんです。ただちょっと迷ってて。道がわからなくて、怖くて……」
サキちゃんの明るかった声が黒く染まっていく。お茶に映るサキちゃんの瞳に陰が落ちた。
「私、昔いじめられていたことがあって、それをまだ引きずってるんです。引きずってるというか、影響が残ってるというか……。例えば、私が何かをしていて、クラスの子達が笑ったら、私のことを笑ったんじゃないか、とか……。人の視線が怖くて、否定されるのが怖くて。いじめられた原因もわからなくて、親にもずっと黙ってて、今も親は知らないんです、私がいじめられていたことを。言いたくないんです、知られたくないんです。
でも、誰にも言ってこなかったから、ずっと一人で抱えてて、我慢して……」
「親御さんとは仲悪いの? 知られたくないっていってるけど」
「いいえ、仲いいです。一緒に買物に行ったりとか良くしています。昔からずっと」
昔にとらわれている、心の声を殺して、自分を偽って、そうでもしないと耐えることができなくて。
「そうしているうちに、自分というものがわからなくなってしまったんです。最初は「たすけて」、「辛い」、「苦しい」って、聞こえてたのに、いつしか聞こえなくなって……泣いていても、それが何の感情なのかわからなくなったんです。普段も、私の本当の声が聞こえなくなったんです」
自分を殺した。
いや、いじめで殺された。
サキちゃんの長い前髪は、おしゃれとかそういうわけではないのは確かだ。他人との境界。自分だけの世界を作る。安全なところを作る、人の視線をできるだけ遮断する。そういう理由だろう。
過去のトラウマや嫌な経験で、人との関わりを遮断するという意味で、イヤホンをしたり、マスクをしたり前髪を長く伸ばしたりすることがあるそうだ。
いじめが原因で、自傷する子もいたり、将来の自殺率や精神的な病気、不登校、引きこもりなどになる確率が高くなる。
「自分がわからなくなって、だから、自分が自分であるということを証明するためや、ストレス発散のために腕や手首を切ったんです。昨日も。自傷を始めたのはいじめられてから半年ほど経った頃からです。自分が耐えきれなくなって、それでしてしまいました」
「自傷はやめたい、っておもったりする?」
「そうですね、いつかは。もし将来結婚して子ども……できるわけないか。でも、もし、もしできた時子どもに「この傷どうしたの」って言われたくないんです」
サキちゃんは自分の左腕を掴み、悲しそうに目を伏せた。
サキちゃんはそれから口を閉じ一言も発さなかった。下唇を噛み、肩が小刻みに震えている。
私は腕を伸ばして、サキちゃんの細くて小さな手をつかみ、握った。
お母さんが子どもに優しく話しかけるように、私は案内を始めた。
「サキちゃん、よく頑張ったよ。辛かったね、苦しかったよね。一人で耐えて、自分を押さえて、殺して、自分自身が迷子になっちゃったんだね。親に言えなかった、言いたくなかった知られたくなかった。それは、迷惑をかけたくなかったから、情けないと思われたくなかったから」
サキちゃんの肩が小さく跳ねた。サキちゃんの薄くひらいた唇から息が漏れ、雫が私の手の甲にあたった。
サキちゃんに寄り添うように案内を続ける。
「親に知られたら恥ずかしい、嫌われるかも知れない、だから言えなかった。いじめられるよりお母さんやお父さんに嫌われたり迷惑をかけるほうが嫌だったんだよね。大好きなお母さんやお父さんに嫌われたくないから、言えなかったんだね」
「はい……」
「よく頑張った自分を認めてあげて。優しく抱きしめてあげて、愛情を沢山注いであげてごらん。そしたら、自分じっと自分の心に耳をすましてごらん」
まぶたを閉じて、大きく深呼吸をして、サキちゃんは黙った。私はその間に、マイクを使い、サキちゃんの迷子放送を行った。それからすぐ、サキちゃんのお母さんの姿が見えた。まだ部屋に入れない。サキちゃんの声は部屋の外には聞こえない。
しばらくして、サキちゃんの唇から嗚咽が漏れ出した。手が震え、大粒の涙がいくつもこぼれ落ち、スカートにシミを作る。
私はサキちゃんの手を握ったまま、席を立ち、サキちゃんをやわらかく抱きしめた。サキちゃんは空いた手で私の背中に手を回し、指を立てるほど強く私を抱きよせ、声を上げて泣いた。口から、サキちゃんの感情が溢れ出す。思いが溢れる。
抑え込んでいたたくさんの言葉たちが部屋に満ちる。
どのくらい泣いたのか、指の力が抜けた頃私はそっと体を離した。
サキちゃんの目はうさぎのように赤く、長いまつげが濡れていた。
「サキちゃんのご両親は受け入れてくれるよ、大事な娘だもの。迷惑だなんて思わないよ、サキちゃんのこと、大事に思ってて大好きで……だから大丈夫。自分の思い、お母さんに話してみて」
そう告げると、私はドアをそっと開けた。
声は聞こえていなくても、サキちゃんが泣いていた姿は見えたはず。娘に涙の訳をサキちゃんのお母さんは知ることになるだろう。
サキちゃんのお母さんは、サキちゃんを見るなり、力強く抱きしめた。
「サキ、サキ、サキ」
「お母さん、あのね、私昔いじめられてたの。誰にも言えなかった。こわかった。嫌われたくなかった。お父さんやお母さんのこと大好きだったから、嫌われたくなくて言えなかった。でも、いじめられるの苦しかった辛かった、嫌だった。死にたかった、助けてほしかった、怖かった」
「うん、うん」
「お母さんに情けないって思われたらどうしよう、一家の恥っておもわれたらどうしようって怖くて、だからずっと黙ってた。一人で抱えてたの。ごめんなさい、ごめんなさい」
「気づいてあげられなくてごめんね、一人で抱えさせてごめんね、辛いわよね。ごめんね、サキ。サキがいじめられてても嫌うことなんてありえないわ。大事な娘だもの、守りたい、助けてあげたかった。ごめんね、なにもしてあげられなかった。一人で苦しませてしまった。
なにがあってもサキを捨てたり、嫌ったりしない。家族だよ、そんなことしない。サキを愛しているもの」
サキちゃんも、サキちゃんのお母さんも、いくつもの涙を流して、お互いを許し、思いを吐き出して、受け入れた。
自分を見つけたサキちゃんは、一人で歩くのではなく、家族とまた歩みだすだろう。
サキちゃんは花のような可憐な笑みで、顔色も良くなって、お母さんと嬉しそうに出ていった。
過去のいじめで、今や未来を潰された人は少なくない。いじめなんて軽い言葉だが、その言葉よりも遥かに重く酷い影響を与えるのだ。言葉は見えない刃。傷つけられた心が癒えるのには長い時間がかかる。もしかしたら一生残る傷の可能性だってある。
いじめで自殺した事件だっていくつもある。いじめっ子に復讐した話もある、いじめた側からしたら「いつまで根に持ってるんだよ」って思うかも知れないけどそれは違う。いじめた側は一生残るような傷を作ったのだ。その言葉や暴力のせいで人生が壊されたからだ。
しかし、いじめた側はいじめたという自覚を持つ人は少ない。せいぜい、いじっていたぐらいの認識だろう。ひどい話である。現実、いじめられた人よりいじめた人のほうが人生が成功していることも多いのだ。
そんな酷い現実なのだ。
おかしな現実だ。
人の人生を壊した人が、のうのうと生きて、結婚したり子どもをうんで、子どもに「人をいじめたらいけないよ」なんて矛盾したことを言っている。
そういう世界だ。
いじめが原因で道に迷ってしまう人はたくさんいる。私のところにもそういう人たちはたくさん来る。それだけじゃない。リストラされたとか、家庭が崩壊したとか、人生をやり直したいとか、借金まみれだ、とか、就職活動がうまくいかない、将来の夢がない、理由は様々だ。
多くの人が人生で迷子になっているのかも知れない。
「すみません、失礼します。相談をしに来ました」
また一人、新しい迷子の人がやってきた。
「はい、どうぞ!」
私の仕事は、迷子の人の道を、選択肢を与えることだ。