夜の猫
少女と猫探しした日とはまた別の日のこと。
「じゃ、そういうことで女の子の相手よろしくね」
狐様は事務的に私に依頼内容を伝えると座布団の上から音も無く消えてしまった。貸してあげるって何を?そもそも私は他にもあなたから依頼されていることがあったはずなんですが並行してやれと?などの私の疑問はアイスティーのグラスにささっているレモンのように行き場をなくしてしまった。
「最近のお前は言葉遣いがなってないぞ!その辺の大人とか友達対してはともかく、見た目が獣の姿だからと言ってお前がお話ししている相手は神様なんだぞ!」
「いや、大人に対しても言葉遣い気をつけなきゃダメでしょ」
狐様との対話を終えた私に対して父が最初にしたのはお説教だった。
「お前の眼は誰のおかげで見えてるんだ?この辺りのキャベツが安定して生産できてるのはなぜだ?大きな事件がこの近くで起きてないのはなぜだ?誰のおかげだ?よく考えろ」
「…そんなことより頼まれごとがあるから私出かけてくる」
「こんな時間にか。もう暗いぞ」
「そんなに時間はかからないと思うし。すぐに帰ってくるから」
「わかった」
父はそれ以上私に何も言わなかった。いってきますと伝えてから家を出てとりあえず言われた場所に向かった。
向かったと言っても目的地は家から出てすぐのところにある公園であり歩いて3分もかからない。昼間は犬を連れた夫婦や子供達で賑わう明るい良い公園である。夜になり、点滅する電灯くらいしか明かりがない公園は普段は遊ばれるのを待つ遊具を寝床にしている猫が相当な数たむろしている。しかし今日は猫の影など一匹たりとも見当たらず風が生暖かいくらいの気温なのになんとなく寒気がしてしょうがない。異様な空気がする公園の中をとりあえず進んでみると公園の隅の東屋に深緑色の猫を膝に乗せた女の子がいた。女の子はローファーを片方だけ脱いで爪先に引っ掛けて遊んでいた。紅茶の上に漂う湯気のように気をぬくとこの世から消えてしまいそうな、狐様が言っていた通りの子。間違いなくこの子だ。
「あのーこんな時間になにしてるんですか…?」
とりあえず声をかけてみる。
「ようやく使いをよこしたかあの女狐め、我輩のお気に入りがどうにかなったらどうするつもりだ。まったく」
「!?」
返事をしたのは少女の膝に乗った猫だった。
「?お前、我輩がなにを言っているかわかるのか?女狐に何か仕込まれているな」
「ね、猫が喋った!?」
「落ち着け。我輩が喋っているのではなくお前が我輩の言っていることを理解できる状態になっているだけだ。我輩の声帯は言葉を紡げるようにはできていない」
「え?どういうこと?理解できないんだけど」
「お前はあの女狐に獣と意思疎通ができるようにされているようだ。一時的にのようだがな。いわば借り物の能力だ」
「なるほど、これが狐様が言っていた貸してあげるってことか」
私が納得して頷いていると
「落ち着いたか、狐の使い」
「あなたはこの子とお話できるの?」
少女と猫に同時に話しかけられた。
猫と会話ができる能力。それが今回狐様が貸してくれたものらしい。しかし借り物について他人に話すのは狐様から止められているしそこの神社の神様から猫と喋れるようにしてもらったよなんて恥ずかしくて言えない。とかなんとか考えていると少女の膝の上にいた猫がおもむろに立ち上がり砂場へと歩き出した。ぼんやりと砂場に入った猫の尻尾を眺めていると、こっちに来てと少女が猫の傍で手招きをした。少女は私が隣にしゃがんだのを確認すると土を慣らしながら言った。
「あなたのことはこの子が教えてくれます」
「この猫が?どうやって」
私の問いには答えず見ていればわかるとばかりに少女は猫の尻尾を見つめた。
『こいつがまえにこうにおしえたがきだ』
猫はしなやかな尻尾を器用に使って慣らされた土に字を書いた。にゃあと小さく鳴く、少女が土を慣らす。
『こいつにたよればおそらくおまえのなやみもはれるだろう』
「じゃあこの人がこぶ茶が言ってた私の救世主なのね!私も元に戻れるのね!」
「?救世主?元に戻る?どういうこと?」
『せつめいしないとおまえがなぜなやんでいるかわからないぞ』
「あぁ、そうだね」
私の方に向き直ると自己紹介を始めた。
「私の名前は夜顔コウ。そこの坂の上の」
と言いながら公園の外側を指差す。
「高校に通ってます。部活は特にやってなくて、2年生です。そしてこの子が野良猫のこぶ茶。この公園でよく会ううちに仲良くなったんですよ」
「なるほど。えーと、私は保谷つむぎ。つむぎでいいよ」
「はい、よろしくお願いします。つむぎさん」
「それで、コウちゃんの身に何が起こってるの?」
早々に本題に入ることにした。
「ある日から突然知らない景色が目の前の景色とダブったり、その場所では聞こえないはずの音が聞こえたり…」
「原因は?病気とか」
「もちろん病院には行きましたけど検査ではなにも引っかかりませんでした」
狐様め、私にこの子の病院を治させようとしてるな?私にそんなことできるわけないじゃないか。神様なんだから病気くらい治してあげればいいのに
「今はどう?変なものが見えたり聞こえたりしてない?」
「はい。いまはなんともありません。自分で記録をつけてみたところ朝から遅くても夕方までの間に症状が出るみたいです」
「我輩から一言言うと、この子の症状は病院では治らん。なにか霊的なしかも我輩でも治せないほど強力なものが原因だ」
「あ、そうだ。こぶ茶だっけ?あんたは何者なの?筆談したり猫にしては相当頭がいいみたいだけど」
「我輩は猫である。猫という猫、創作や伝説に登場する猫の全てが我輩だ。100万回生きた猫もイッパイアッテナも名前はまだ無い猫もムタも。全部我輩だ」
砂場に座り込んでヒゲを震わせながら猫は朗々と言った。
「そして今の我輩の名前はこぶ茶だ」
「そ、それでそんなにすごい感じの猫殿がどうしてこんな薄暗い公園に?」
「まあそれはおいおい話すとしよういまはどうでもいいことだ」
「でもそんな強そうな化け猫のあんたでもこの子の病気を治すのは難しいんでしょ?なんで狐様は私にあの子のこと頼んだんだろう」
「まぁ我輩とおまえの力が合わされば治せると踏んだのだろう。我輩は探したり調べるのは苦手だが治したり組み替えたりするとは得意だ。役割分担といったところだろう」
「つまり私が病気の原因を調べてあんたに教えればいいってこと?」
「そういうことだ」
「でも今から高校生連れてフラフラするのもなぁ」
公園の時計が止まっていたので携帯の時計を猫の方に向ける。
「さっきから何話してるんですか?」
猫と私が話してる間黙って待っていたコウちゃんがしびれを切らして話しかけてきた。
「ああ、今日はもう遅いから明日からいろいろ始めようと思って。あなたの親も心配するでしょ?」
「それは…」
「まぁ、明日は土曜日なんだし明日の午前中にまたここに集合すればいいよ」
「…わかりました」
「明日から?おまえ、目の前に苦しんでいる人間がいるというのに今すぐでなく明日から行動を起こそうと言うのか?」
猫が髭を震わせながら口を挟んでくる。
「明日からだ。私、少し聞いておきたいことがあるから。今日ここで話し合っても原因と解決策がすぐ見つかるわけじゃないでしょ?」
「確かにそうだな…分かった。明日またここに来てくれ。我輩は夜の間しかおまえ達に会うことができない。できれば夜、おまえだけ来て午前の様子を教えてくれ」
「わかった」
よし、と私は膝についた砂を払いながら立ち上がりまだ猫の脇でしゃがんでいる少女に声をかけた。
「明日の何時でもいいから公園に来てね。私待ってるから」
「はい…」
少女から小さいながらもきちんとした返事が返ってきたのを確認して私は公園を後にした。
帰ったらすぐに狐様に呼び出された。神社の本殿の内部奥、紫色の分厚い幕に囲まれ蝋燭がぼんやりと灯る一角が謁見の間。私以外の人間が立ち入ることの許されない神様の間である。
「よく来たわね。お茶でも飲む?あなた好みの紅茶とかは無いんだけどほうじ茶くらいなら」
「そんなことより、何か話すことがあるんでしょ?早くしてくれないかな。私レポートの期限近いんだけど」
そもそも狐の姿でどうやってお茶を入れようというのか
「まあ気が短いわね。気が短い子はもてないわよ」
ふと気づくと私の膝元でほうじ茶が湯気を立てている。
「それでも飲んで落ち着きなさい」
「…」
とりあえず黙ってお茶を飲んだ。
「そもそもここら辺一帯でそこそこ偉いあんたがわざわざやることなの?あの女の子の訳のわからない病気を治すことなんて」
「確かに一人間に起きている霊障なんて分家とはいえ由緒正しい神様であるボクがわざわざ出る幕ではないわね」
でも、と金色の神は九つある尾を端から順番に揺らす
「私、いや私達九尾の狐にとってあの子はとても大切な子。私が救ってあげなきゃ」
「…つまり私はあんたの一方的な好意に付き合わされるってわけね。そういう個神的なことになんで私が付き合わなきゃいけないわけ」
手元で湯気を立てていた湯飲みが音を立てて割れた。
「黙りなさい。あなたはボクに頼まれたことはなんでもやるって約束したじゃない。ボクの眼と交換に」
普段から接しているから忘れがちだが目の前の狐はただのしゃべる狐ではない。腐っても神様なのだと実感した。
「そんな青い顔しなくていいわよ。ボクも少し言い過ぎたよ。昔あなたとした約束を忘れてないならいいのよ」
もう抵抗する気は無かった
「で、あの子を治すにはどうしたらいい。私にあんなわけのわからないものを治すなんて頑張っても無理だよ?」
「あの子はこの世にとどまるために必要なものを無くしてしまっている。自分で捨ててしまったのよ」
「それを拾い集めろと?」
「そう。今日あなたが訪れ、あの子と会った場所はボクと間接的に触れたことがきっかけになってあの子に足りない欠片を引き寄せるようになった。でも、ボクの力は夜にしか強く発動しない」
昼間は忙しいからね、と狐は薄く笑った
「だから君には夜にあの公園であの子と共に
足りないかけら集めをして欲しいんだ」
思ったより早く書けたので載せることにしました。不定期に更新していく予定です。