山に住んでいるロリババのマッサージ
山の午後は穏やかじゃ。新緑の風が枝をゆらし、空に登った太陽の光は葉と葉のすだれにより柔らかになって降り注ぐ。
変わりやすい山の天気も今日はずいぶんと落ち着いて、庵を離れ軽く散策したくなる気分だったので少し足を伸ばすことにした。
この山は険しい部類に入るらしいが、このような日はそんなことも忘れてしまうほどだ。
そんな日に、遭難者を見つけることとなった。
「なんじゃあ、ぬしは?」
こやつはなんだ?まず格好がおかしい。やたらと軽装だ。山を登る格好ではない。
こちらに気づいた遭難者は泣きそうな顔でこちらに駆けよってきた。
「見たところ遭難者のように見えるが…まさかそんな格好でこの山に登ろうとしたのか?」
全力で首を縦に振っている。
「……」
呆れてものも言えん。
「いや、ぬしな、……まあ良い。疲れておるようじゃな。そろそろ日も暮れるし、まずは私の庵にくるが良い」
見てみぬふりしても良かったのだが、流石にそれは寝覚めが悪かろう。
庵に着くなり、ふざけた遭難者は床に伏せってしまった。半日ほど遭難していたらしい。もう一歩も歩けないと呻いておる。
「最近の若いのは情けないのう…」
年寄りめいたことを呟いてしまったところ、少し驚いたような顔でこちらを見られた。
「なんじゃ?…ああ、見た目にはかなり若く見られることが多いな。年下に見えたか?実際はかなり年上だと思ってくれて良いぞ。恐らくお前の想像する以上にな」
キョトンとしていたが、理解できたようなできていないような表情を浮かべ、考えるのをやめたようだ。
…こいつは戯けだな。それも重度の。
まあそんな奴でも放っておくわけにはいくまい。先程から臥せったままだが、どうやら随分と足を痛めているようだ。
「足が痛いのか?どれ、見せてみよ。これでも医術の心得は多少ある。少し靴下を脱がすぞ。」
遭難者から靴下をはぎ取る。若干匂いがきつい。これは後で洗っておく必要があるな必要があるな。
「一日中歩いておったわけだから当然か。まあよい、それより足を見せてもらおう」
まずは目で足を診る。目に見えて大きく変わったところはない。骨折や捻挫などはないようだ。
「ふむ、怪我などはないようだな。とりあえずは一安心といったところか。だが、念のため少し指に触れさせてもらうぞ」
指をつまみ、軽く曲げたり伸ばしたりを繰り返したが、痛みはないようだ。むしろ気持ちいいらしい。
「気持ちいいか?ならば単純に疲労が溜まっているだけだな。慣れない山道を歩き回ったせいだろう」
それならば対処は容易い。軽い按摩を施せば翌日には良くなっているはずだ。
「診たところ大したことはないが、放っておけば帰り道に障るやもしれぬ。そうじゃな、簡単にじゃが按摩してやろう。まあ気にするでない。こうして拾ってやったのも何かの縁じゃ。すこしは人の親切に甘えるが良い」
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一通りの準備を終えて庵の中に戻ってきた。
「簡単な按摩を施せば、明日の朝には歩けるようになっていよう。力を抜いて足を投げ出せ」
投げ出された足の正面に座り、水を張った桶を用意する。
まずは洗浄からだ。足の裏というのは常に床に触れている。
それでなくとも、靴下にくるまれ蒸れるし、お世辞にも清潔とは言いがたい靴の中に一日中押し込められている。
足を癒やしたいのならばまずは清潔にすることだ。
「按摩をする前に足を洗わせてもらうぞ。綺麗さっぱりしてからのほうが按摩の効果も高いのだ。それに汚い足など按摩しとうないしな。そら、水桶に足を入れるがよい」
幸いこの庵の裏には少し冷たいものの、清流が流れている。
先ほど汲んできたばかりの桶の中の水に遭難者の足をゆっくり浸した。
「どうだ?多少冷たいが我慢せよ、ここらで一番清い水だ」
浸した足に水をかける。足首から段々とふくらはぎの当たりまで濡らしていく。
冷たさに慣らしていくためだ。
今の時分、気温が高くなりがちだが、その分ひんやりした沢の水は心地よいかもしれない。
最初は冷たさに敏感に反応した遭難者もすぐに慣れたようだ。
次に手ぬぐいを水を含ませ、足を洗っていく。ふくらはぎを上下にさすり、表に回ってすねも同様に。
疲労した足は外からの力に弱い。
故にあまり力は込めず、軽く表面を拭き取るようにする。皿を拭くようなイメージだ。
右足、左足の順番で膝下を洗ったあとは、同じく右足左足の順番で踝より下を洗っていく。
足の甲の皮膚は薄く、簡単に傷ついてしまう。こちらはより繊細に刷る必要があるが、一方でそれほどしっかりと拭わなくとも十分だ。
甲が終われば、一番汚れの酷い足の裏側の番だ。
「足を少し持ちあげよ。…そうそう、足の裏をこちらに向けるようにだ。桶の中に入れっぱなしでは洗いにくいからのう」
踵を拭っていく。足の裏は力を込めても問題ないほど頑丈だ。
汗や靴の中の汚れがたっぷり付いているため、しっかりと洗っていかなければならない。
踵を掴むように手ぬぐいで覆い、汚れを落としていく。
こするたびに砂のような、埃のような手触りのする踵がサラリとした感触へ変化していく。
「うりうり、しっかりと洗ってやるぞ。どうせ今日はもう山から降りられん。ここに泊めてやる。だからしっかり足を洗って臭いを落とさねばな」
踵から、土踏まずに手ぬぐいを移動させる。
指先へ向けて手ぬぐいを動かすたび、遭難者はくすぐったそうに身をよじらせた。
「これ、あまり動くな。洗いづらいじゃろう。まあ、ここがくすぐったいのはわかるがな、ちと堪えよ」
手早く汚れを洗い落とし、指先へとりかかる。
指の間の汚れは特にひどい。手ぬぐいを指の間に差し込み、親指から小指まで順番に包むように拭いていく。
「指の間を洗われるのは存外に気分のいいものじゃろ。だが、あとでもっと良くなるぞ」
指と指の間の又の部分、関節、指の腹をこすっていく。
蒸れていた足も、手ぬぐいで拭き取ればさっぱりしたものだ。
「まあこんなところだろうな。どうじゃ? ずいぶんとすっきりしただろう。しかし本番はこれからだ。洗っただけでは疲労は落とせないからな」
台所で沸かしていた湯も出来上がった頃だろう。私は按摩の準備を始めた。
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「これが何かわかるか?…うむ、まあお前の言うとおり蒸しタオルという認識で間違いはない」
手ぬぐいなのじゃが。ほとんど同じようなものと言われればその通りじゃが。
「先ほど冷やした足を今度は温めていく。按摩するときは温めてこそじゃ。よいな、熱かったら言うのじゃぞ」
足を蒸しタオルで包んでいく。少し冷ましておいたので、火傷するようなこともない。
どうやらちょうどいい塩梅だったようだ。遭難者も床に伏したまま目を閉じて緩んだ表情をしている。
「熱くはないようだな。しばらくこのまま温めるぞ。足をじんわりと温めて行くのだ」
それほど間を置く必要はないが、それでも少し手持ち無沙汰になる。
そっと、遭難者の背中に手を触れた。
「ん?あぁ、なに気にするな。ちょっと体の肉付きを見ておっただけだ。大した意味はない」
軽く上下にさすり、背中の形を確かめる。
貧弱…というわけではないのだろうな、今の感覚から言えば。
とはいえ、鍛えられておるという感じでもない。
「あまり運動はするタイプではないようだな。なぜ山に登ろうとしたのじゃ?……ほうほう、体を鍛えようと思ってか。無茶な奴だ」
心意気は買うが、世の中には何事にも順序というものがある。省略することもできるが、それには相応の代償というものが必要になる。
「まったく…もう少し楽な山で慣れてから来るべきだったな。もしも誰も通りかからなかったらどうするつもりだったのかのう」
本当に幸運なやつじゃ。さて、蒸しタオルで巻いた足も、芯から温まった頃合か。
「ふむ、もう十分じゃろう。蒸しタオルを取るぞ」
蒸しタオルを取り去り、足を露わにする。熱により上気し、先程よりも赤みが増しておる。
「よしよし、良い塩梅じゃ。それでは始めていこうかの。」
傍らに備えておいた小振りな壺をたぐりよせ、中から一掬いの軟膏を取り出す。青臭くドロドロしているが、その分効果が高いことは私が保証しよう。
「それでは按摩といこうか。この軟膏を塗りつけながらやるぞ。まあ匂いには我慢してもらわねばならんが、これを使えば簡単に疲労が取れる。そう嫌そうな顔をするでない」
まあすぐに慣れるだろう。じきに、これはこれで良い匂いだと思うようになる。
取り出した軟膏をこやつの足にちょんちょんとわずかずつ塊を乗せていく。
踵、土踏まず、指の付け根、足の甲の真ん中…
乗せ終わったら、その場所を起点に手の平で軟膏を薄く伸ばしていく。
さするように、優しく。
「しっかりと塗り込んでやろうな。足のつま先から踝まで軟膏で覆い尽くすのだ。足の周りを風が通るようなすぅーっとする感覚があるじゃろ?」
足の裏の硬い肉に、軟膏が浸透していく。そして、どんどんと足の肉が柔らかくなっていく。
踵周りを撫でさする。如何に水洗いし、蒸しタオルで温めたところで、やはり踵は他の場所に比べて皮膚が硬い。
「この辺りはガサつきやすいからのう。日頃からの手入れを怠るとすぐにこうなる。とはいえ、放置してもあまり生活に差し障りはないがな。じゃが普段放置されておる分、軟膏の効きもよくわかるじゃろう」
かかとの表面を手の平で回すようにこする。体重のかかる場所であり、血管も圧迫されやすい。
踵を握りこむように揉みしだいていく。手で包み込むたび、軟膏が踵へ吸い込まれていく。
何度か繰り返すうちにだんだんと柔らかくなり、踵が瑞々しさを取り戻していく。
「ほーれ、さっそく効き目がでてきたわい。そんじょそこらの軟膏とは違う、特別なものじゃからな。血の巡りを良くし、肌を若返らせる、世の女が求めてやまぬ代物じゃ。…ん?ああ、別にそんなに恐縮せずとも良いぞ。材料はこの山で採れるものばかりじゃ。まあ、どうやって作るかは秘密じゃがの」
足の裏にも甲にも手のひらで塗り込める場所には概ね軟膏は行き渡った。
足の指の隙間に軟膏を滑りこませていく。親指から小指まで順番に指を這わせ、軟膏を塗りつける。
「こんなものかの。まだベトつく分についてはふくらはぎに塗っておこうか。うりうり、ふくらはぎもおつかれのようじゃの。この軟膏があればすぐに良くなるぞ。…よし、終わりじゃな」
今やこやつの足は先程までとは比べ物にならないほどぷにぷにとしている。軟膏の効果で血行はもちろんのこと、筋肉のコリもほぐれている。これだけでも随分マシになったことじゃろう。
「おやおや、終わりとはいったが、あくまで軟膏を塗りこむのが終わりと言っただけじゃ。これだけでは按摩とは言えんからのう」
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「まずは足全体を曲げたり伸ばしたりするぞ。ストレッチというやつだ」
足を片方ずつ、両手で曲げ伸ばししていく。親指の付け根と小指の付け根を近づけるようにして、七つ数える。数え終わったら逆に広げ、また七つ数える。
お次は足の指を五本とも足の甲側へ伸ばす。これも七つ数える。
「ついでじゃ。アキレス腱も伸ばしておくかの。ここが硬いと怪我のもとじゃからな」
足の甲と脛を近づけるようにしてアキレス腱を伸ばす。
若干、遭難者の表情が歪む。
「痛いか?少々痛むくらいがちょうどいいのだ。しかし、耐えられないくらい痛かったら言うのじゃぞ」
少しずつ力を加え、アキレス腱を伸ばしていくが、すぐに遭難者の音が上がった。
「む、ぬしよ、ちょっと硬いぞ。普段からもっと柔軟を意識しておくべきだぞこれは。」
これは柔軟のやり方について伝えておくべきかの。
「ちょっとした段差に足の前半分を乗せれば手軽にアキレス腱を伸ばせる。風呂上がりにでも毎日やるといい。…ふむ、ちょっと仰向けに寝転がるがよい」
遭難者が仰向けに寝転がる。よしよし、素直じゃな。
片方の足を持ち上げ、そのまま上体の側へ、腿裏を伸ばそうとしたが、足の角度が90度に届くかというところで止まってしまった。
「ぬう、こちらも硬いか。ぬしは体を鍛える前に体を柔らかくするべきじゃな。硬いままでは鍛錬の成果も出づらいじゃろう」
もう片方の足も同じように伸ばし、柔軟を終える。
「少し脇道に逸れたが、足の按摩に戻ろうかの。ああ、仰向けのままで良いぞ」
寝転んだままの遭難者の足の裏に指を当てる。
蒸しタオル、軟膏、ストレッチを経て、準備万端といったところか。
まずは足の真ん中、土踏まずと第一関節の根本あたりの間のくぼみを指圧していく。
「ここ、痛むか?ここは腎臓のツボだ。体が疲労していると痛む。しかしそれほど心配することはない。痛まない者の方が少ないからな」
くぼみからだんだん下っていき、土踏まずを経由してかかとの斜め上の膨らみまで指圧する。
この流れは足つぼを刺激する上で基本となる流れだ。
「これ、暴れるな。そこまで力は入れておらんぞ。…ここまで痛むとはな。ぬしよ、普段から相当な不摂生をしておらんか?」
もう一度、土踏まずの上からかかとの斜め上の膨らみまでのラインを親指でなぞるように指圧していく。
遭難者からうめき声が上がる。
「腎臓のツボから尿管のツボ、膀胱のツボをなぞる、とりあえずこれだけでも体調は良くなるぞ。何度か繰り返せば慣れるから、ほれ暴れるな。」
たっぷり、ゆっくりと一連の動作を繰り返す。最初は派手に痛がっていたこやつも、何度目かには観念しておとなしくなった。
よしよし、この辺りで勘弁してやろうかの。
次は足指のツボに移ろうか。
土踏まずに当てていた指を、足の親指の頭に当てて、押し込んでいく。
「足のツボというのは不思議なものじゃのう。体の一番端にあるのに、全身に効き目があるのだからな」
足の親指から小指まで順番に指圧しながらそんなことを思う。指周りは力加減を間違えぬようにつまむ程度で。
「親指が頭、人差し指と中指が鼻、薬指と小指が耳のツボじゃったかな。まあなんでもよい。どれか痛むところはあるか?反応のある場所が悪くなってるところだ」
遭難者は親指が痛いと言う。
「頭か、まあ悪いじゃろうな。…どういう意味かだと?気にするな。とりあえずツボを押してやろう」
先ほどより強めに押し込んでいく。親指の腹の柔らかい部分に力を込める。ただし、あくまで力を込めすぎない程度に。
「思いっきり押しこむ手管もあるんじゃが…効果の程はともかく、激痛を伴うのでな。個人的にもこのようにゆったりしたほうが好みじゃな。ぬしもそうであろう?」
遭難者はこくりと頷く。そうであろうそうであろう。痛いのは誰でも嫌なものだ。
指への指圧を続けていく。軟膏により柔らかくなった足は軽く押すだけで深くまで沈んでいく。
親指から小指までもう一度順番に指圧していく。
「くく、良かったのう。優しい方の按摩で。これでもしもぬしを拾ったのが意地の悪い山姥の類であったならば、こんなにのんびりと按摩は受けておれんかったぞ。まあ、按摩云々以前にもっとひどい目にあっておったかもしれんが」
指の次は少し下り、指の関節の付け根に移っていく。多少肉が厚くなり膨らんでいる部分だ。
この辺りは歩くときに力がかかる部分で、ボロボロになりやすい上、マメも出来やすい。
「この辺りはどうじゃ?気持よいか?自分でもよく足の按摩をするのじゃが、個人的にはここの按摩が好みだな」
両手で足を包み込むように持ち、親指で指圧していく。親指の付け根、人差し指の付け根、中指、薬指、そして小指まで。
「ぎゅっぎゅっとな。この辺りは強めが心地よい。それに…なあぬしよ。どこが一番気持ち良く感じるかのう?…ほうほう、親指の付け根か。なるほどのう」
親指の付け根を重点的に押し込んでいく。ただ押すだけでなく、ときには擦るように、時には円を描くように揉む。
「ここは首のツボじゃ。ぬしは現代っ子のようだな。今時のものは首や肩にすぐに負担をかけてしまう。足の指の付け根は首と肩のツボが集中しておる。じきに肩まわりの血の巡りが良くなり暖かくなってくるじゃろう」
指圧を重ねツボを刺激していく。
指で押し込んでいくたび、血の流れがよくなり、足の血色が良くなっていくように思える。
さらに二度、三度と付け根を揉んでおく。
反応から察するに、こやつは円を描くように揉まれるのが好きなようなので、なるべくそのように。
ぐるぐると、ぐるぐると。
適度なところで切り上げ、指圧先を更に下へずらす。先ほど最初に施術した腎臓のツボ、付け根と土踏まずのツボの隣、親指の第一関節の膨らみの下部を押し込んでいく。
「今しているところは心臓、胃にあたる部分じゃが、どうじゃ?…ふむ、痛むか」
すこし心配じゃの。一旦按摩の手を止めて確認してみるか。
足から手を離し、手を水で洗って備え置きの手ぬぐいで拭う。
「少し失礼するぞ。顔を見せよ」
遭難者の顎に手を当て、頭を固定する。肌、目の様子を見る。肌は全体的に赤みがかかっている。昼間、日に焼けすぎたのだろう。意外と肌そのものは綺麗じゃ。男にしては、じゃが。別段、病の症状も見受けられん。
目についても、驚いているのかキョロキョロしている他に異常は無い。
顔が近すぎたか?しかしまあこうせんとよく見えん。
最後に念のため、口を開かせて口内を確認する。
…特に舌の色が変わっているというようなこともない。ついでに歯もちゃんと磨いているようじゃ。
「よし、安心せよ。特に重い病の兆候は無い」
顎から手を離し、足の按摩に戻る。
「痛みの理由は心臓では無さそうじゃから胃かのう?少し荒れておるのかもしれん。なるべく胃に優しい物を食べるように心がけるのじゃな。豆腐や白身魚、葉物野菜などが良い」
もう一度胃のツボに指を当てて揉み込んでいく。親指の腹全体で押し込む。
遭難者の様子を見て、強い痛みを与えぬように、それでいてなるべく力を込めて指圧する。
何度か繰り返すと慣れるのか、痛むような素振りを見せなくなるので、そのときは少しだけ揉む力を強くする。
ぐいぐいと、ぐいぐいと。痛気持ち良い感覚がすることだろう。
じんわりとした感覚が、押されたところを中心に広がっていくことじゃろう。
随分と気持ち良いのか、遭難者は段々うつらうつらと船を漕ぎ始めている。
この感覚をずっと続けて欲しいかもしれんが…
「この辺りはこれでおしまいだ。あまりやり過ぎても体に悪い」
少し残念そうな顔をされた。まあ気持ちはわかる。
しかしここは心を鬼にして次へ。
最後は踵で締める。
踵は他の部位と比べてなるべく強めにするほうが良い。いくら軟膏で柔らかくなったとはいえ、肉は硬く、刺激を与えにくい。
「踵はちょっと親指ではきついな。中指の関節で揉んでいくぞ。ほれ、手を炊事の時の猫の手のようにしてじゃな…」
踵で心地よいのは、踵の骨を中心として円を描いたその線上である。土踏まずと踵の間や、踵の端などが特に良い。
この辺りを強く揉めば、安眠にも効果がある。
「歩き疲れたぬしなら尚の事気持ちよかろう。ほれ、ごりごりしておるぞ。これはなかなか…」
触れるだけでも相当に疲労が溜まっていることがわかる。
本当に歩き詰めだったのだな。
ゴリゴリと刺激しても気持ちが良いらしく、遭難者はいい表情をしている。
足を一通り按摩されて疲れが取れたのか、それとも緊張の糸が解れたのか、瞼を閉じて呼吸も穏やかになっている。
「眠たそうじゃの。まあ寝るならそのまま寝てしまえ。眠気が来た時に寝るのが一番体のためになる。後で布団をかけておいてやるから心配するな」
足の按摩もそろそろ切り上げたほうが良さそうだ。
指圧を止め、最後の仕上げをしていく。仕上げと言っても、按摩により血行の良くなった足の裏全体を擦るだけだ。
手のひらを足の裏に合わせ、全体を擦り温める。
さすりさすりと。
足の按摩ではこのときが一番心地よいかもしれぬ。
足の裏まで血がしっかりと巡るようになることで下半身の披露が和らげられる。
今ごろこやつは自身の足の血の流れを確かに感じておるはずだ。
熱い血潮が体の端までしっかりと巡っておる。
遭難者のまぶたはすでに閉じきっており、寝息をたて始めているところだ。
「ふむ、すっかり寝入ってしまったか。まあ当然じゃろうな。疲れた体に按摩されるより心地よい事も早々あるまい」
掛け布団を用意し、遭難者にかけてやる。
「良い夢を見るのじゃぞ。それではおやすみ」
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「おお、起きたか」
ようやく目を覚ました寝坊助は、ぼんやりとした目つきであたりを見回していた。
どうもこいつはどうしてこんな状況になったのかを忘れてしまったらしい。
「お前というやつは…。もうちょっとしっかりせんか。そんな調子で山登りなぞするから道に迷うのだ」
だんだん頭がはっきりしたのか、はっとした表情になった。ようやく思い出したらしい。
「ふう、まあよい。これに懲りたら次からはしっかりと準備してから山登りをするのだぞ。というかそもそも、もっと登りやすい山で鍛錬を積んでから来い。いきなりこんな険しい山へ来るものではない。…うむ、わかればよろしい」
さてさて、寝坊助も目を覚ましたことだし朝餉をいただくことにしよう。こやつがいびきをかいている間に作った筍の粥がある。近頃の若いやつには物足りないかもしれないが、文句は言わせん。
「ほれ、では朝餉といこう。今朝の献立は筍粥だ。たんと食べるのじゃぞ。食事が終わったらぬしを麓まで送ってやろう」
湯気を立てている釜へ向かい、茶碗に粥を盛り付けていく。自分は普段通りの量を、もう一膳にはすこし多めに。
鼻孔をくすぐる僅かな香りが食欲をそそる。この繊細な香りをあの戯けが理解できるとは思えないのがもったいない。
「ほれ、こっちがぬしの分だ。良かったのう、私が茶碗を二膳持っていて」
昨日食わせた握り飯はとっくに消化し終えていたようで、腹を空かせていたのだろう。貪るように粥にがっついた。
まあ、美味そうに食べるぶんには悪い気はしない。
「しかしまあ勢い良く食うものだな。もうすこし落ち着いて食べても良いのだぞ?」
戯けはあっという間に完食したのでおかわりもくれてやった。
普段はのんびりすぎる時間もあっという間に過ぎ、食事を終えたそやつを麓まで送り届ける段となった。
遭難した山にもかかわらず、名残惜しそうな雰囲気に見える。
「麓まで降りると言うてもな、この道を下っていけばあっという間だ。それほど時間はかからん」
道を指差し、案内をする。1~2時間程度、遅くとも正午前には山を下りることができよう。
「また、道に迷われてはかなわんからな。はぐれるでないぞ」
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「ん?またこの山に来たいだと?戯けめ、また遭難するつもりか」
「私か?私はまあ、この山に住んでいるからな。迷いはせんよ。…ああ?私にまた会いたいだと?変わったことを言うな、ぬしは」
「そうさなあ、だったらもう少し山に慣れてから来るのだな。」
「それならば、山菜採りでも手伝ってもらおうか。ほれ、もうすぐ麓につくぞ。ここから先は一人でも行けるだろう」
「まあ期待せずに待っておこう。それでは達者でな」