イリア・エスカレーネ
「此奴等,新手の天使兵なのか?」
「とにかく奴らが敵であることに変わりない。応戦するぞ!」
里の兵士は突如現れた全身を白で纏った敵兵に戸惑いながらも里を守るため戦おうと士気を上げた。
「お前達,なぜ我等が白で身を固めているか理解できるか?」
白の兵士が戦おうと意気込んでいる里の兵士に声をかける。
「何を言いたい?」
里の兵士達は身構える。
気を持たないと白の兵士の粘つくような殺気に嘔吐しそうだった。
「答えは……こういうことだ」
里の兵士の一人は突然目の前にいた白の兵士に反応が出来なかった。
それに妙に胸元が熱い。
胸の方を見ると白の兵士の腕がめり込んでいるのが分かる。
白の兵士の抜き手で胸を貫かれたのだった。
「がほっ!」
里の兵士の吐血により,白の兵士の兜が紅く染まっていく。
里の兵士は驚愕する。
敵は視認できない速さで接近し,エンジェリウムで身を固めた兵士を素手で貫いてみせたのだ。
実力からして上級天使並であった。
「これがダルトス様が言われた天使軍が極秘で編成していたという特殊部隊なのか…」
里の皆が異種としての能力を発揮し,炎,冷気,雷等の力を敵兵に放っていく。
だが,敵兵はそれら全てを素手で弾き,さらには応えないとばかりにその身に受けつつも突撃してくるのだった。
「これがあの三聖者が率いる部隊というのか!温いぞ!」
エーテルソードで里の兵士を纏めて凪ぎ払い,鮮血をその身に浴びながらも嘲笑する白の兵士。
いや,白の兵士とはもう呼べなかった。
なぜならば,返り血を浴び,白い鎧や翼は深紅に染まっていた。
ミッドガルドはもはや里の者の悲鳴が響くばかりだった。
全身を血に染めた深紅の天使が圧倒的な力で唄うように里の住民を虐殺していたからだ。
ミッドガルドは第二次聖戦が発動して以来,三聖者が収める地として,戦線の要であり,集結している兵士は最精鋭とも言うべきものだった。
だが,最精鋭と呼ばれた兵士達は目の前の天使の皮を被った悪魔に成す術も無く蹂躙されている。
第二次聖戦もまた人類軍の敗北で終わるかもしれない,と誰もがそう思ってしまった。
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「何が目的なの?」
イリアは毅然として,目の前にいる白の兵士に問いかける。
「簡単なことだ,お前とダルトスの死,それだけだ」
「シンプルな返答ありがとう…」
イリアは白い兵士の至極単純な返答に苦笑する。
いつの間にか周囲が炎上していた。
そして,かすかだが,声も聞こえていた。
聞こえたのは悲鳴。
それも里の住民の悲鳴。
「フフフフッ…」
ミッドガルド全域に響く悲鳴に白い兵士は微笑する。
「何がおかしい?」
「イリアよ,お前は夢に見たことはないのか?平和な日々がいつか絶望に彩られ,全てを失う光景を…」
イリアは白い兵士の言葉に動揺する。
そうだ,自分はいつも平和な日々が壊れてしまうのではないかとどこかおびえ続けていた。
ダルトスとアデル君,それと里のみんなといつまでも平和に過ごしていきたい,それがイリアにとって何よりも優先されることだった。
「私はいつも夢に見ていたよ。お前達の幸せを壊し,全てを奪う喜びをな…」
男は憎悪とも歓喜とも取れる言葉を淡々と言い,近づき,イリアは後ずさっていく。
怖い。
イリアは戦場で初めて逃げ出したい気持ちに駆られる。
自分ではこの男に決して敵わない。
けど…。
イリアは後ろを振り向き,リンデとアデルを見る。
そこには自分の守るべき存在がいる。
「アデル君,リンデを頼むわね…」
アデルは無言で頷く。
「お母さんは,お母さんはどうするの?」
リンデはイリアに呼びかける。
リンデにはイリアがこれから何をするのか予想はついていた。
それでも呼びかけずにはいられない。
イリアとはもうこれで…。
「ごめんね,私はあの男に用事があるの。だからリンデはアデル君と一緒に,ね…」
「嫌だよ!お母さんも一緒に!彼奴はお母さんでもきっと…」
そう,イリアでもあの男に敵わない。
リンデは直感でそう思った。
イリアはリンデに近づいていく。
男は動こうとしなかった。
最後の別れぐらい待っていてくれているのだろうか。
「私は貴方達のお母さんなのよ,母はね,子を全力で守るものなのよ…」
「お母さん…」
イリアはそっとリンデとアデルを抱きしめる。
「私にとって最上の幸せはダルトスを夫に出来たことと貴方達の親になれたことよ…」
イリアはアデルを見つめる。
「アデル君,リンデを頼むわね…」
「分かりました,リンデは俺の大切な妹分ですから」
アデルの返答にイリアは相変わらずね,と言って苦笑する。
「アデル君,いえアデル,私は貴方を本当の息子として愛してたわ,それに男としてもね…」
イリアはアデルの頭を抱き寄せ,アデルの唇に自分のそれを重ねる。
「お,お母さん…」
アデルはもちろんのこと,リンデも唖然としてイリアを見た。
「ふふっ,浮気しちゃったわ。もちろん一番はダルトスよ。私って実はハーレム思考があったのよね。けど,同じ家族なんだし,アデルだったらダルトスも許してくれると思うし。それにアデルにとっても私では一番になれないしね…」
イリアは意味ありげにリンデの方を見る。
それに対してアデルは顔を赤くする。
「いくらお母さんでもアデルは…」
イリアはリンデの口に指を当てて黙らせる。
「分かっているわ。リンデのとって一番の人なんだからね。そうだ,今度また家族全員で食事パーティでもしましょ。そして家族揃って一つのベットで寝るの。とっても気持ちいいと思うわ…」
イリアは楽しげにそしてどこか悲しげに語り,リンデを抱きしめる。
「リンデ,強く生きなさい。例えどれほどの過酷な運命が待ち受けても受け入れ乗り越えるのよ」
「おかあさん…」
リンデは涙を流していた。
おそらくこれが今生の別れになることを察したのだろう。
イリアはリンデの涙をそっと指で拭い,笑顔を見せる。
「ごめんね,親として何もしてあげれなくて。けど,心配しないで。私はこう見えても三聖者で人類軍の英雄よ。そう簡単にやられたりはしないわ。だからね,もし帰ってこれたら家族で食事パーティをしましょ,約束ね…」
イリアは抱いていたリンデを離すとアデルに預ける。
「さあ,行きなさい!」
アデルはリンデの腕を引っ張り走り去っていく。
「お母さん!おかあああさん!……」
リンデの声が遠ざかっていく。
「リンデ,アデル,強く生きて…」
遠ざかっていく二人にそう呟き,前を向く。
白い兵士が悠然と佇んでいた。
「別れは済んだのか…」
「ええ,ありがとう,待ってくれて」
イリアは感謝を述べ,エーテル力を解放する。
その力は大地を揺るがすほど強大だった。
この男相手に出し惜しみは一切しない。
命と引き替えても,この男だけは…。
(大切な者を守るために!)
イリアはエーテルを放出し,上空へと飛翔する。
地上で戦えば,味方を巻き込んでしまうからだ。
「礼には及ばない。雑念を抱えた獲物を嬲っても面白くないからな」
男もまたエーテル力を解放する。
同じく大地が軋み,空間に歪みが出るほどの力だ。
男もまたイリアを追うように翼を広げ,空へと飛ぶ。
「フフフッ,味方を巻き込みたくない,というわけか。どうせ何もかも消えて無くなるというものを…」
「その前に貴方を倒すわ。私の全てを賭けて!」
イリアの強大なエーテルに呼応するかのように嵐が吹き荒れてくる。
その嵐の中,男は涼しげにあるいは心地よさげにしていた。
「お前が私を倒す?本気で言っているか。お前に戦い方を教えたのは誰か忘れたか…」
男の余裕にイリアも不敵な笑みで返す。
「親はね,子の命を守るために何倍もの力を発揮するものなのよ,お分かり?」
「なるほど,英雄であるよりも親であることを選ぶのか,それも良かろう」
両者は互いに見据える。
「私は貴方に感謝している。私に戦い方を教えてくれて,リンデを助けてくれて…。でも,もう失うわけにはいかないのだ。かつて〈四聖者〉と呼ばれたときに私やダルトス,レイアを導いてくれた貴方であろうとも!」
イリアは裁きの女神と呼ばれていた頃の口調となり,周囲に複数の魔法陣を展開させる。
その様子を見て,男は笑う。
「分割思考による複数の術式展開か,さすがは人類軍の魔女と呼ばれるだけはあるな。ならば私も…」
男もまた周囲に魔法陣を大量に出現させていく。
「さあ,殺し合おうか!イリア・エスカレーネよ!」
互いの魔法陣から火,水,雷,氷,土,光,闇等と森羅万象あらゆる属性をエーテルの力となり,激突していく。
ミッドガルドの上空は強大なエーテル同士のぶつかり合いに彩られていた。
イリアは分割思考でもって火には水を,闇には光を,と相反する属性をぶつけて相殺していく。
男はさらに魔法陣を複数展開し,エーテルを放出してくる。
エーテルの弾幕が徐々にイリア側へと押しやられていく。
「どうしたイリア,お前の力はその程度なのか?」
男はあざ笑いながらも魔法陣を次々と出現させ,イリアを追い詰めていく。
(なんというエーテル力!やはり奴の力は底無しだ,だったら“あれ”をするしかない!)
イリアの魔法陣は急にエーテルを放出するのを停止させた。
男が放つ弾幕が一斉にイリアとその魔法陣を飲み込もうと押し寄せてくる。
「どうした,勝負を捨てたのか,イリアよ」
「冗談!私は大切な者を守ると決めたのだ!勝負を捨てることはあり得ぬ!」
イリアの魔法陣が男の放ったエーテルを吸収していた。
男に僅かだが焦りが見えた。
「相手のエーテル力の特性と同調させることで己の力として逆用できる,これは貴方が教えてくれたことだ!」
男のエーテルを吸収した魔法陣は倍加させたエーテルを一斉に放出し,今度は男を飲み込まんとしてくる。
上空に凄まじい爆発が起こり,大気が震えるのだった。
「やったか…」
イリアは肩で息をしながら煙幕に包まれている前方を見据えた。
「さすがだな,複数の術式の特性を瞬時に同調させ逆用するとはな,師匠として嬉しい限りだ」
煙が晴れ,男は悠然と立っていた。
その体には傷一つ無い。
イリアは体の力が抜けそうになる。
複数の術式展開に続き,男が放つエーテルを一身に受けて倍返しをしたのだ。
そのエーテルの消費は計り知れない。
(あれだけの攻撃でもかすり傷一つ負わせられないのか…)
イリアの顔に絶望の色が見せ始めていた。
「良い顔だ,もう疲れただろう。抵抗を止めれば,快楽の果てに痛みを与えず殺してやるぞ…」
イリアの心は絶望に押しつぶされそうになる。
だが…。
ダルトス。
アデル。
そして…。
リンデ。
大切な家族の顔が脳裏に浮かぶ。
「私は…負けるわけには…いかない!」
脱力する体を奮い立たせ,男を睨み付ける。
その目にはまだ絶望が彩られていない。
「あくまで親でいようとするわけか,イリアよ!ならば,受け止めてみるがいい!その想いの力でもってな!」
男の周囲にある多量の魔法陣が収束していき,ミッドガルドを覆うほどの巨大な魔法陣が形成されていくのだった。
魔法陣が向けているのは地上のミッドガルド全域。
「まさか,貴様!」
男の意図に気づき,イリアは唖然とする。
「さあ,イリアよ。お前の大事なものを守らなければ消えてしまうぞ,ふはははははははっ!」
男の嘲笑と共に巨大な魔法陣は禍々しい深紅の輝きに満ちていく。
「正気なのか!これを放てば,ミッドガルド全土,お前の部下までもが死ぬことになるのだぞ!」
イリアはこの戦略兵器級のエーテルを停止するよう男に呼びかける。
「その心配には及ばない。なぜならばお前がこのエーテルを妨害してくれるからな…」
男は狂気に満ちていた。
これは男にとってゲームに過ぎないのだ。
「さあ,防いでみろ。防げたら,このミッドガルドでの戦いに限り,このような規模のエーテルを使わないことを誓おう。なにせ,この力を多発しては戦の面白みにかけてしまうからな」
イリアは再び多量の魔法陣を出現させ,あらゆる属性のエーテルを巨大魔法陣に向かって放出していく。
だが,巨大魔法陣はイリアの放ったエーテルを瞬く間もなく吸収していった。
「…っ!」
「無駄だ,この術式は全てのエーテルの特性を瞬時に解析し,吸収してしまうのだよ。さらに言えば,これほどの規模のエーテルをさすがのお前でも吸収しきれまい。さて,どうする?」
悔しいが,確かにこの規模のエーテルを解析できたとしても逆用することは不可能だった。
なぜならば,自分が許容できる容量を遙かに超えてしまうからである。
コップに大海全ての水を収めようとするものだ。
魔法陣はまさしく完全なる戦略兵器だった。
魔法陣の破壊が不可能となれば,術者を倒すのみだが…。
イリアは男を見る。
(だめだ,私ではあの男を倒すことはできない!)
だとすれば…。
イリアは地上に降下する。
そのイリアの行動を見て男は微笑む。
「そう,それしか方法は無いだろうな。果たして凌ぎきれるかな?」
イリアは術式を展開させ,ミッドガルド全域を覆う巨大なシールドを形作る。
「守ってみせる!この命にかえても!」
巨大魔法陣は最大限に輝き出す。
「見せてみろ!大切な者を守ろうとする想いの力をな!ジャジメント・レイ!」
巨大魔法陣はミッドガルドを飲み込むかのような膨大なる深紅の波動を放出してくる。
それを堰き止めようとするのがイリアが展開したシールド。
だが,シールドに少しずつ亀裂が走り始めていく。
「ははははははっ!どうした!このままではお前の大切な者がこのミッドガルドと共に消滅することになるぞ!」
「うぐっ!ううっ…」
イリアの体の所々から血が吹き出てくる。
エーテルの反動によりイリアの体を蝕んでいるのだ。
「がはっ!」
イリアは吐血し,膝を地につける。
イリアのシールドの亀裂が増えていき,今にも破られそうになっている。
「副隊長!」
イリアの危機に里の兵士が加勢するために駆けつけようとした。
しかし,白の兵士に阻まれ,イリアに近づこうとした兵士は瞬く間に肉片に変えられてしまう。
「なぜ邪魔をする!お前等も死ぬことになるんだぞ!」
白の兵士はその問いに無情に応えるのだった。
「残念ながら隊長殿の命令は絶対でね。イリア様との戦いに一切の横槍をさせないようにすることが任務なのですよ」
白い兵士は兜を脱いだ。
漆黒の髪に紅い瞳。
最初に襲撃してきた天使兵の将ギエルだった。
「さてと,あなた方雑兵はこれで十分でしょう」
ギエルは以前天使兵を皆殺しにした深紅の針を大量に出現させる。
そして,既に息絶えている里の兵士の体にそれぞれ針が撃ち込まれていった。
「ぐぉあああああ!」
「げぇへへへはああああ!」
死んだはずの兵士達が立ち上がり,イリアに近づこうとする者を阻む壁として立ちふさがってくる。
「命を弄ぶ外道め…」
里の兵士は苦々しげにかつての仲間だったものを見る。
「さあ,かつての仲間だったものと存分に殺し合ってください,ふふふふっ…あははははははははっ!」
仲間だったゾンビは容赦なく里の戦士達に襲いかかってくる。
その地獄のような光景にイリアは絶望に打ち拉がれていく。
シールドは今にも破れんばかりに亀裂が走る。
「これが人類軍最恐の〈裁きの女神〉と呼ばれた者の成れの果てか…。失望したぞ,イリア。このまま絶望に打ち拉がれて死ぬといい!」
男の怒気により,ますますシールドに打ち付けられる波動の力が増してくる。
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「このミッドガルド全土を覆うシールドは……まさかイリアなのか!」
ダルトスはタレスと戦いながらも突如上空に展開されたシールド,そして,そのシールドを破壊しようとする巨大な波動を見て唖然とした。
さらにミッドガルドを守っているシールドのエーテル反応は自分の最愛の女性のもの。
イリアはダルトスが知る限りで〈あの男〉を除けば,最も強大なエーテル力の持ち主であった。
しかし,これほどのシールドを維持させるほどのエーテルを放出し続けてしまえば,イリアの命が…。
ダルトスの血が急激に燃え滾ってくる。
(このままだとイリアの命が!早く行かねば!)
ダルトスの目の前ではタレスが剣を振りかぶっていた。
「戦いの最中…考え事…余裕だな…」
ダルトスはタレスの斬撃を受け止める。
「誰が…余裕…だと…」
ダルトスの剣が徐々にタレスの剣を押していた。
タレスは驚愕する。
力ではダルトスを上回っていたはずだった。
「貴様に…構ってる暇なぞ無い!どけぇえええ!」
ダルトスは強引に剣を振り,体格的に自分よりも上回るタレスを弾き飛ばしていく。
「ば,馬鹿な…」
タレスは弾き飛ばされ,民家に激突するのだった。
ダルトスはタレスが民家の瓦礫に埋もれている隙を見て,走り出していく。
「待ってろ!イリア!」
ダルトスは翼を広げ,弾丸のような速さでイリアのエーテル反応がする方向に飛び立っていく。
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イリアは薄れていく意識の中でふと昔のことを思い出していた。
イリアとレイア,双子の姉妹とダルトスが出会ったのは,第一次聖戦が終結して間もなくだった。
政変により,失脚したダルトスは天界から逃亡を図るものの,天使軍の執拗なる追撃により重傷を負ってしまう。
今にも命が尽きようとしたとき,天使兵の残党を捜索していた当時の異種部隊に所属していたイリアとレイアと出会ったのだった。
異種は天使の血が流れるためか,基本的に天使に対して頭ごなしに敵意を抱いたりはしないものだった。
だから,イリアとレイアの上司に当たる異種部隊の隊長は天使であるダルトスを丁重に持てなすようにイリアとレイアに命じたのだった。
イリアとレイアの献身的介護によりダルトスは順調に回復し,気づいたときにはいつも三人でいることが普通になっていた。
レイアは隊長に想いを寄せていたこともあり,イリアは天使でありながらも人や異種を差別することなく紳士的に接してくれたダルトスに自然と想いを寄せることになる。
ダルトスもまた天使である自分に分け隔て無く接してくれるイリアに想いを寄せるのだった。
まだ,三人が三聖者と呼ばれる以前の出来事。
(なぜ,今頃になって思い出したのだろうか?)
ダルトスに出会う以前のイリアの口調は男性的で威圧的だった。
それはイリアが女であること,異種であることで周囲から嘗められないためだった。
異種部隊の隊長に命じられるまま,冷徹に任務を遂行する姿から〈裁きの女神〉と呼ばれ,人類軍最恐の存在として知れ渡っていた。
姉さんと隊長を守るために女を捨てたはずだった。
それなのに…。
傷つき倒れている天使ダルトスを見たとき,イリアの中の女が疼いたのだ。
イリアは元々惚れっぽい性格であり,レイアの気持ちを知るまでは異種部隊の隊長にも密かに想いを寄せていたのだった。
イリアはダルトスに振り向いてもらうために必死に女性的な口調で接していった。
ダルトスは途中からイリアの性格には気づいていたが,紳士的に接し,互いに想いを深め合った。
私はダルトスを愛している。
だから守りたかった。
けどもう…。
いよいよイリアの力が尽きようとした矢先だった。
「イリア!無事なのかぁ!」
イリアの耳に聞き慣れた声が響く。
「ダルトス…」
私が愛した天使。
「待ってろ!今そっちに行くからな!」
いつもは紳士的で冷静沈着なはずが我を忘れて必死に駆けつけてきてくれている。
思わず泣きそうになってきた。
(そうだ,これが私が守ろうとしている大切な存在)
イリアは地に付いていた膝を上げ,立ち上がっていく。
そして,上空を見上げる。
迫り来る深紅の波動とそれを眺める男。
「負けない…」
絶望に彩っていた瞳に再び強い光が灯る。
「奪わせない…」
シールドに無数にあった亀裂が急激に修復していく。
「守ってみせる!」
シールドが強い輝きを放ってくる。
「持ち直しただと!」
今まで以上に強い輝きを放つシールドを見て,男は驚愕する。
イリアの元に駆けつけようとした兵士を妨害していたゾンビはシールドの輝きに当てられ狂おしい叫声を上げ,消滅していった。
「馬鹿な!この輝きはあの光の柱と同じ波動なのか…」
ギエルは呆然としていた。
「ははははははっ!素晴らしいぞ!イリア!さあ,お前の最後の力で私を魅せてくれ!」
男はイリアの力に驚嘆し,狂笑していた。
イリアはそんな男を悲しげに見つめる。
彼はダルトスに想いを寄せる以前に想いを寄せた,いわば初恋の相手。
そして,レイアが想いを寄せた人。
誰よりも強く優しかった異種部隊隊長だった者。
いつでも戦陣を切って道を示してくれた〈四聖者〉の筆頭だった男。
そして,何よりも私達の親代わりで誰よりも愛してくれた…。
「ひゃはははははっ!全ての想いの力を込めて私にぶつけて魅せろ!イリア・エスカレーネ!」
イリアの体が純白に輝き出す。
(貴方に何があったかは分からない!けど,だからこそ私の全てをぶつけてみせる!)
「うおおおおおおおおお!」
ダルトスはイリアが命を燃やしていることに気づき,駆けつけようとする。
「イリアぁああああああ!」
ダルトスは悲痛な叫びを上げる。
イリアは駆けつけてくるダルトスに微笑み,上空で狂笑しているかつての上司を睨む。
「これが…私の想いの全てだ!隊長っ!」
シールドは純白の波動となって巨大魔法陣が放つ深紅の波動を包み込んでいく。
ミッドガルドが純白の光に包まれていった。
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「この光はいったい…」
アデルはミッドガルドを照らす純白の光に驚愕していた。
それ以前に上空に巨大な魔法陣が出現し,深紅の波動が放たれたり,それを防ぐようにして展開されたシールド等と自分達が知らない間に進んでいく戦況に混乱していた。
(けど,あのシールドのエーテル反応は…)
そのとき,アデルはリンデが涙を流していることに気づく。
「お母さんが…ボク,戻らないと!」
リンデは涙を拭って来た道を引き返して走り出す。
その俊足はアデルの視界からあっという間に見えなくなるほど速かった。
「リンデ!」
アデルはリンデを追っていく。
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イリアは限界以上のエーテルを放ち,力尽きて地面に倒れようとした。
ダルトスは駆けつけて倒れようとしたイリアを抱き留めるのだった。
白い兵士からの妨害は無かった。
イリアの輝くような銀髪は老婆のように艶のない白髪となっていた。
ダルトスはそんなイリアの髪を愛おしげに撫でていく。
イリアは目を開け,最愛の天使の顔を見る。
「ああ…ダルトス…もっと…もっと顔を見せて…」
イリアの弱々しい声にダルトスは思わず涙ぐむ。
「私はここだ。ここにいるよ,愛しいイリア…」
イリアの頬に熱い物が落ちる。
イリアはダルトスの頬に手を添える。
「ごめんなさい,もっと…貴方を…支えていきたかった…」
「私こそ…すまない。もっと速く…お前の側にいれば…」
イリアの指がダルトスの瞳から流れている涙を拭っていく。
「悲しまないで,貴方…」
イリアの手が優しくダルトスの頬を撫でていく。
「私は…幸せよ。だって…愛しい貴方の…腕の中で…眠れるのだから…」
「ああ,こんな腕の中で良ければ,いくらでも寝かせてやる!だから…」
ダルトスは涙で濡れた瞳でイリアの顔を見る。
今まで見た中で一番綺麗な笑顔だった。
「ダルトス,もう…貴方の…顔が見えないの…」
イリアの瞳にはもはやダルトスを映していなかった。
ダルトスは頬に添えているイリアの手を強く握る。
少しでもイリアに感じてもらえるように。
「キスを…して。最後…貴方を……感じ…たいの…」
ダルトスはイリアを抱き上げ,顔をそっと寄せる。
「永久に愛してる,イリア…」
「私も…ダルトス…愛してる,永久に…」
ダルトスの唇がイリアのそれに重なる。
イリアの手がダルトスの頬から放れる。
イリアは全ての苦痛から解き放たれたかのような安らかな顔だった。
「イリア…,イリア!イリアぁあああああ!うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
ダルトスはイリアを抱きしめ,天に向かって慟哭の叫びを上げていく。
三聖者として幾度も戦場を渡り抜き,裁きの女神と呼ばれ,人類軍最恐の英雄として敵味方共に恐れられたイリア・エスカレーネ。
最愛の天使の腕に抱かれ,唯の女として生涯を閉じたのだった。