終わり無き悪夢の開幕
突如くる凄まじいプレッシャーをダルトスとイリアは感じ取った。
「なんて暴悪なエーテル反応なんだ…」
ダルトスの額から汗が流れ出る。
戦場で冷や汗をかくのは双翼の一人、ウルキヌスと対峙した時以来だった。
上級天使と同等か、それ以上の戦闘力を持つ天使が直にやってくる。
「ダルトス!」
イリアもまた同じことを思っているのだろう。
目の前には群がってくる天使兵ゾンビ。
(早めに決着を着けなければ…)
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「アデル!アデル!しっかりしてよ!」
リンデの手がアデルが流す血に染まっていく。
「ぐへっぐへっへへっへへへへ!」
天使兵ゾンビは取り乱しているリンデをあざ笑うかのような声を出しながら徐々に包囲してくる。
「ボクのせいだ、ボクのせいだ、ボクのせいだ、ボクのせいだ、ボクのせいだ、ボクのせいだ、ボクのせいだ、ボクのせいだ、ボクのせいだ、ボクのせいだ、ボクのせいだ、ボクのせいだ、ボクのせいだ、ボクのせいだ、ボクのせいだ、ボクのせいだ、ボクのせいだ、ボクのせいだ、ボクのせいだ、」
リンデはアデルをそっと地面に横たわらせ、音をたてることなく立ち上がり、包囲している天使兵ゾンビを見渡す。
その目は焦点が合ってなかった。
「くっ!俺はいったい…」
アデルは目を覚ます。
どうやらリンデを庇う際に受けた攻撃で気絶していたようだ。
ふと自分の目の前で背を向けて立っているリンデを見る。
その背中には悲哀とも憎悪とも取れる負の感情が漲っているように見えた。
「消えろ…」
リンデの抑揚の無い声がアデルの耳に鮮明に響く。
「リンデ、やめろ…」
アデルが呼びかけるが、今のリンデには届かない。
「お前らみんな、みんなボクの前から消え失せろぉぉぉぉ」
リンデの体が青白く輝き出し,光が広がっていく。
「ぎぇああああああああええええああええあえあ!」
光に触れた天使兵等は燃えさかり,灰となって散っていく。
光はやがて,巨大な柱となり,天を突き抜けていく。
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「なんだ!この凄まじい力を持った光は!」
常に余裕を持ってミッドガルドの戦場を見渡していたギエルに初めて動揺する様子を見せていた。
だが,すぐに余裕の笑みを見せ,思案していく。
「なるほど,あれが隊長が求めている力というわけですか…,まあいいでしょう,それに…」
アデルは光の柱を見る。
光の柱は以前よりも強化されたイージスの盾を貫通し,破壊していたのだった。
予定ではタルスが内側からエーテル波を放射して破壊させることだったが…。
「これは良い意味での誤算ですね,さて,いよいよ本隊に来ていただきましょうかねえ…」
ギエルは手から鳥を召還して飛ばせるのだった。
「いよいよ地獄の始まりですね,ふはははははははっ!」
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ダルトスとイリアは光の柱を見て,唖然としていた。
光の柱を天を突き抜け,イージスの盾を消滅させてしまっていた。
「このエーテルはリンデ,リンデがやったというのか…」
「あなた!リンデとアデル君の所に行きましょう,何か凄く嫌な予感がするの!」
群がる天使兵を薙ぎ払いながらイリアは焦燥感に満ちた声を出す。
「そうだな,此奴等を蹴散らして,リンデとアデルの元へと急ぐぞ!」
ダルトスが最後に残った天使兵を斬り捨てて,駆けようとした矢先だった。
「この強大なエーテルは!みんな!その場から離れろっ!」
「いったい次はなん…」
ダルトスが率いていた兵士の一人が何か言おうとしたとき,いきなり視界が真っ白になった。
目映うほどの閃光が天から降り注いできたのだ。
閃光を浴びた兵士達は塵も残らず消滅していく。
「何なんですか,このデタラメなエーテル力は!」
「双翼が出向いてきたんですか!」
「それにイージスの盾が…」
兵士達は恐慌状態に陥っていた。
「静まれっ!」
ダルトスは怒気をもって兵士達に呼びかける。
「落ち着くんだ!まずは目の前の状況を受け入れろ!この前の襲撃といい,今までの天使軍とは違うことは確認済みのはずだ!」
以前の襲撃時では容易く結界を破られ,率いていた天使兵を一瞬にして皆殺しにした天使がいたこと。
「奴は少なくとも上級天使と同等あるいはそれ以上の力を持った天使だった。それに奴自身は『隊長の部下の一人』だとも言っていた。おそらく天使軍が極秘に編成していた特殊部隊か何かだろう…」
「いわば上級天使で構成された超精鋭部隊ということなのね…」
ダルトスとイリアは淡々としかし,重苦しく言うのだった。
「そんな!だったら双翼以上に厄介な存在じゃないですか!それの上級天使は稀少のはずなんでは…」
「それは私にも分からない。そもそも私が離れてからというものの天使軍の編成が変わってきたわけだからな。双翼という上級天使が現れ,その片割れは顔を合わせたことすらもない」
そう,双翼すらもダルトスが在軍していたときには存在していなかったのだ。
(私が離れて以来,何者かの意志により天使軍は動かされている。いや,今はそれよりも…)
イリアはすでに戦闘態勢を取っていた。
その視線の先には筋骨隆々とした天使が鈍器のような剣を携え,悠然と立っていたのだ。
「隊長の命令…雑兵は…殲滅…する…」
その天使が剣を振った瞬間,兵士達の上半身が弾け飛び,鮮血が吹き荒れた。
ダルトスは舌打ちして天使の方向へと走っていく。
「総員退却し,イリアの指揮に従っていけ!ここは私が殿を務める!」
天使が振り下ろそうとした剣を受け止めるダルトス。
ダルトスを中心に地面が陥没し,クレーターが出来てくる。
「この馬鹿力め!」
ダルトスは天使の剣を弾き,横凪ぎを繰り出す。
だが,天使は驚異的な跳躍でダルトスの剣を避け,距離を離して見据えてくる。
「今だ!みんな行け!」
イリア率いる部隊は光の柱の元へと走っていく。
「あなた!無事でいて…」
「ああ,生きて逢おう!」
ダルトスはイリアを見送り,天使の方に向く。
「俺の名…タルス,お前…強いな…」
ダルトスは笑みを浮かべて剣を構える。
「戦闘狂ということか,タルスといったな。ならばこちらも名乗ろう。三聖者の一人にして,このミッドガルドの首長であるダルトス・エスカレーネだ。故郷を守るため,お前を浄化する!」
ダルトスとタルスのエーテルソードがぶつかり合う。
ダルトスは顔をしかめタルスの剣と打ち合っていく。
スピードはダルトスに分があった。
だが,パワーはタルスが圧倒的だった。
(このタルスという天使,強い,だが…)
タルスの攻撃はひたすら剣を打ち付けていくだけの単調な攻撃だった。
ダルトスは剣速に緩急を付け,さらにフェイントを織り交ぜて攻撃を繰り出していた。
(まるで子供だ,攻撃が単純過ぎる。だが…)
ダルトスがフェイントをかけた後に繰り出す斬撃をタルスは驚異的な反射神経で回避し,反撃をしてくる。
いや,攻撃を読んでいたかのように回避しているようにも見えた。
(技術が無い分,本能と勘で補って余りあるというわけか…)
ダルトスの強さに歓喜したのか,タルスは舌なめずりして殺気をさらに出してくる。
「お前と…戦う…面白い…くっくっくっ…」
「厄介な奴に気に入られたものだな…」
両者は再び剣を交えていった。
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「くっ!もういい,もう止めるんだ,リンデ!」
アデルは傷をエーテルで癒しながら,光を放つリンデに近づいていく。
光は天使兵を焼き尽くしていたが,アデルを焼き尽くしてはいなかった。
アデルは苦笑する。
リンデは怒りで我を忘れても,自分のことを想っていてくれている。
アデルはリンデを後ろから抱きしめる。
「もういいんだ,リンデ。俺はここにいる。俺はお前の側にいる。だから落ち着け…」
リンデの体から光が消え始めていく。
「ア……デ…ル…」
リンデはアデルの存在に気づいたかのように後ろに振り向きアデルの顔を見る。
「本当にお前は俺がいないとダメだな…」
リンデは顔をくしゃっとし,アデルの胸にしがみつく。
「ほん…とうだね。ボク,アデルがいないとダメなんだよ…」
アデルはリンデの頭を撫でる。
「今はまだいい。俺が側にいてやるからな,けど,いつかは…」
ふと気づく。
リンデの体から力が抜け,アデルに寄りかかっているのを。
「フッ,全く…」
アデルは寝ているリンデを背負うとしたとき,エーテル反応が接近してくるのを感じる。
このエーテル反応は…。
「リンデ!アデル君!」
接近してきたのはイリアのエーテル反応だった。
アデルは安堵したかのように膝を地につける。
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「そろそろご到着になられるかな…」
ギエルは未だに上空から戦場を静観していた。
だが,この退屈な時間もこれで終わりとなる。
ギエルの周囲の空間が歪みが生じてくる。
その瞬間,空気が震え,空が黄昏の色に染まってくるのだった。
空間の歪みが次々と起こり,それに呼応するかのように嵐が吹き荒れてくる。
そして,空間の歪みから全身白の鎧に包まれた者が現れる。
それに続くように他の空間の歪みからも同様に白い鎧を着た者が出てくる。
ギエルは現れた者と同様に白い鎧を召還し,身につけ,跪くのだった。
「任務完了致しました。隊長殿…」
白い鎧に包まれた者達の中で角を伸ばした兜を被っている者がギエルの前に立つ。
「ご苦労,ギエル。早速だが報告を」
「はっ!現在,ミッドガルドで私が仕込んだ屍天使等がダルトス様,イリア様率いる部隊と交戦中。そして,間もなく屍天使の部隊は殲滅されることになるでしょう。ここまでは隊長殿の計画通りでありましたが…」
「何かトラブルがあったのか?」
ギエルは少し躊躇し,報告を続ける。
「はっ!隊長殿が立てた計画通り,タルスとダルトス様が激突された際に発するエーテルの余波によりイージスの盾を無力化する予定でありましたが,正体不明の光の柱が発生し,それによりイージスの盾が破られました。その光の柱は途轍もないエーテルの力を秘めており,上級天使と同等かそれ以上のものと見受けました。……おそらくですが,隊長殿が求めるモノの力かと…」
隊長はギエルの報告を黙って聞いていたが,やがて肩を震わし,笑い出すのだった。
「ふははははははっ!そうか!まさかもうイージスの盾を貫くほどの力を持つとはな。くっくっくっ…」
「隊長殿…」
隊長はしばらく笑った後,戦場を静かに見渡していった。
「よくやったぞ!ギエル。さて,今日はとても気分がいい。総員出撃準備!」
「「はっ!」」
隊長とその兵士達は兜により,表情は見えないが,戦場を見渡し,歓喜に震えている雰囲気だった。
「諸君!待たせたな,これから楽しい楽しい狩りの時間の始まりだ!各人自由行動を許可する!ミッドガルドを燃やし尽くせ!」
「「うおおおおおおっ!」」
隊長の号令に呼応し,一斉に降下していく。
さながらミッドガルドに降り注ぐ隕石の如く。
「くっくっくっ,さてと懐かしの教え子の元へと行くとするか…」
隊長もまたミッドガルドに降下していく。
「ダルトス,イリア,お前達はここで退場してもらおうか…」
悪夢がミッドガルドに舞い降りていく。
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「よかった無事だったのね,リンデ,アデル君…」
イリアは合流したリンデとアデルを抱きしめるのだった。
「お母さん,この天使兵のゾンビはいったい?」
「話は後よ!それよりも早くこのミッドガルドから離れた方がいいわ!」
アデルの疑問に応えることなく必死の形相でイリアはアデルを見る。
「いったい,どういうことですか?」
イリアは故郷であるミッドガルドを放棄することを言っているのだ。
さすがにアデルはそのことまでは聞かずにはいられなかった。
「ごめんなさい,よく分からないけど,ものすごく嫌な感じがするの…」
「嫌な感じ?つまり勘…ですか?」
「そうよ!勘よ!」
イリアはアデルの疑問に決然と頷く。
イリアの勘,三聖者として長きに渡り戦場を駆けめぐってきた英雄がいう勘。
これをただの勘として有耶無耶にすることはできないだろう。
それにイリアの言うことにはいつも間違えは無かったのだ。
アデルはイリアの言葉に従うことにする。
「分かりました,逃走経路は?」
「ありがとう,信じてくれて。まずは…」
突如,イリアとアデルに凍えるような威圧感が襲ってくる。
「何なのこれは?」
イリアは驚愕する。
かつてこれほどまでに凄まじい威圧感があっただろうか。
いや,一人だけ,これほどの威圧感を出す者をイリアは知っていた。
「大気が震えている…」
アデルはただ呆然としていた。
そのとき,ミッドガルドの空から隕石が降り注いできた。
「違う!あれは…」
禍々しい深紅のエーテルを体に纏いながら降下してくる天使兵だった。
「何なの?いったい…」
アデルの腕の中で眠っていたリンデが目を覚ます。
ミッドガルド全域に及ぶ強大な威圧感に当てられて目覚めたのだろうか。
隕石もとい天使の一体が自分たちの元へと近づいてくるのをイリアは気づき,シールドを展開させる。
「みんな,伏せて!」
里の兵士達は地面に伏せ,アデルはリンデを庇うように伏せていく。
どごおおおおおおおおん!
「くっ!」
隕石が落ちたときの衝撃はイリアのシールドをも貫き,イリアの部隊は弾き飛ばされていく。
「なんて力なの…」
イリアは自分が展開したシールドが容易く破られたことに唖然とし,周囲を見渡す。
周囲は砂塵に満ちていて,視界を遮っていた。
「みんな,無事なの!?」
「俺は大丈夫です,リンデも」
アデルの声がし,無事を確認できたことに安堵するイリア。
だが,迫り来る威圧感に周囲を警戒するのだった。
ふと足音が響いていた。
その足音が一歩一歩と近づくと共に威圧感が大きくなってくる。
イリアは足音が聞こえる方向に体を向ける。
砂塵が消え,純白の鎧を身に纏った者が姿を現す。
その者の兜には角が伸びていた。
「とうとう来たのね…」
イリアは憎しみとも悲しみとも取れる声を白い鎧の男にかける。
「久しいな,イリアよ…」
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リンデはアデルの腕の中でイリアと対峙している白い鎧の男を見ていた。
どこかで会ったことがあるような酷く懐かしい感じがしていた。
『間もなく終わり無き悪夢が開幕するだろう』
「くっ!」
頭がズキズキする。
「どうしたんだ,リンデ!」
アデルはリンデを心配げに見る。
「だいじょうぶ,何でもない…」
『さあ時間だよ。リンデ・エスカレーネ』
なぜ,ここで夢のことを思い出すのだろう。
リンデは何となく感じた。
あの男は自分の運命の前に立ちはだかる最凶の敵であると。