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Criminal Snow  作者: しんとうさとる
第一章
6/23

第1-9~1-11章






-9-







方向も分からず闇雲に逃げ続けるオルレア。その視界が開ける。木々が途切れ、道路が姿を現した。

しかしオルレアは道路に出ることはなく方向を転換する。

バーニアの不具合でスピードが出せない以上、開けた場所に出ればすぐ追いつかれてしまう。未だ捕まらずにいられるのは森の中にいるからで、それを捨ててしまうのは愚策。

背後から迫るエンジン音が大きさを増す。それを聞いて、再び森の深い方へとオルレアは足を踏み出す。

瞬間、葉がざわめいた。

オルレアの体に衝撃が走る。だが決してその衝撃は強くない。柔らかく受け止められた感覚がオルレアに残った。

倒れこみ、ゆっくりと横に流れる視界。その視界を下へと向けると、金色のしっぽが揺れていた。


「ハル!」


少女の声が早いか、オルレアたちの頭上を何かが通過していった。

通過したそれは、オルレアに迫っていたバイクの手前に着弾する。

通常よりも巨大な弾は地面を穿ち、石礫を新たな弾丸として山賊たちを襲った。

男たちはハンドルを切り、それを素早く避ける。突然の事に面食らいはしたが、避けることはそう難しいことでは無かった。それどころか、乱入者の登場に胸を踊らせてさえいた。

ニヤけた、下卑た笑みを浮かべていたが、それも次の瞬間には驚愕へと変わる。

ハルはバイクの前に立っていた。つい数瞬前には少なくとも数十メートルは先に立っていたにもかかわらず、男の眼の前に立っていた。記憶に違いは無いし自分の目測に狂いは無かった。

なのに。

男の顔が歪む。それが殴られたからだと気づいた時、すでに男の体は地面に叩きつけられていた。


「このっ!」


倒された男は腕に装備していた銃剣を振るおうとした。だがそれも叶わない。振り切る前にハルはその腕をつかみ、そのまま男を力任せに木へと叩きつけた。


「てめぇっ!」


首を打ち付けられて気を失い、ズルズルと沈み込む。その様子を見て、残された二人はその標的をオルレアからハルへと変更した。

ハルは無表情で引き金を引く。狙った箇所へ、寸分の違いもなく小口径の弾を吐き出していく。右へ左へと小刻みに方向を変えながらも狙いがずれる事は無い。

対峙する男たちも退かない。腕に装備してある盾をかざしながら、銃による致命傷を避ける。ハルの銃が別の男に向かうと、また別の男が銃を構えてハルの注意を引き、ハルに的を絞らせない。

下品な笑いは鳴りを潜め、ハルへ向かって警戒を強める。小回りの効かないバイクを乗り捨て、両腕に武装を武器に、少しずつハルとの距離を詰めていった。

数は二対一。二人の内一人はロバーらしく、いくつもの武装が両腕に備わっていた。だが戦況はハルの方が有利。しかし緊迫した状況は僅かな隙で戦況をひっくり返しかねない。

小さくハルは舌打ちをした。ただの山賊かと思っていたが想像以上に手強い。


(流石にラスティングだけじゃ厳しいか)


相手を殺しても構わないならばそう時間は掛からない。だがハルはその選択をしなかった。

ポケットに手を伸ばし、膨らみを確認する。ビンの冷たい感触が手に伝わる。大丈夫、まだ余裕はある。

一度後ろへ下がり、相手との距離を置く。そしてハルは意識を集中させた。

その時だった。一つの影がハルの横を通り抜けていった。


「はあああああああああっ!!」


叫び声を挙げ、オルレアが男たちに向かって飛び込んでいく。使えるバーニアを最大出力にし、必死にバランスを取りながら低空を滑空する。

男たちは完全に虚を突かれた。オルレアの突進に備え、一人が咄嗟に固く身構える。

が、オルレアは男たちとハルの間を通過していった。その際に剣を地面に突き立て、細かく石を巻き上げていく。

礫がマシンガンとなって山賊を襲う。山賊の悲鳴が聞こえ、だが当然その程度で致命傷になるわけでも大したダメージにもならない。

何を、とハルは眼を見張った。だがもう一つの影が横を通り過ぎた事で意図も明確になる。

バーニアの噴射で巻き上げられた粉塵の中に飛び込んでいく。シルエットだけが形作られ、小さな影の形が急速に変化した。


「やあっ!」


甲高い声に続いて鈍い音が響く。それと同時にハルから見える影が一つ崩れ落ちる。

やられた。それを悟った最後の一人、ロバーの男が音の方に向かって闇雲に剣を振るう。

風が吹き、視界が晴れる。そして剣は確かにアンジェに向かって振り下ろされていた。


「アンジェ!!」


ハルが叫び、駆ける。だが間に合わない。

決して男も狙ったわけではない。見えない恐怖に押されて振り回しただけだ。しかし刃は偶然にもアンジェの頭を捉えようとしていた。

再度、音が響く。

鈍く、潰れた音。多少の誤差はあれ、少なくともハルはそれを予期していたし、オルレアも、そして剣を振った男もそれを想像したに違いない。

だがそうはならなかった。代わりに甲高い金属音が響き、次いで破裂音とゴッ、と今度こそ鈍い音がした。


「ふぅ……」


額の汗をシャツの袖で拭き、アンジェは上げていた両腕から力を抜いた。そして風が土煙を完全に流し、ハルからも二人の位置が明らかになる。

男は眼を見開いた状態で倒れていた。意識を完全に飛ばされているのか、ピクリとも動かない。見様によってはすでに事切れている様にも見える。

恐る恐るハルは男に近づいて首筋に手を当てて、そこにわずかながら循環液の流れを感じ、ホッと一息ついた。


「……何をしたんだ?」

「あ、大丈夫ですよ。首に衝撃を与えてちょっと眠ってもらっただけです」


もちろんゴム弾ですよ。そう言ってアンジェはハルの前に右手をかざす。

そこには銃身があった。腕先が折れて、二の腕の所から精密な銃が現れていた。

それを見てハルは絶句する。その横でアンジェは何事も無かったかの様に、蝶番で折れていた義手を元に戻す。

カチッと音がして、そこにはここ数日見慣れたアンジェと同じ姿があった。

もう一方の腕にハルは眼を遣った。剣を受け止めた時に切り裂かれた袖。その下からは銀色の金属が覗いている。

それに気づいたアンジェは袖をまくり上げて、シワでその場所を覆い隠した。


「私だってやれば出来るんですから。一人で旅してて、私がこういう事に首を突っ込まないと思います? だからあんまり気を遣わなくても大丈夫ですよ」


そう言ってアンジェは笑顔をハルに向けた。その下に不安が見え隠れしていた。

アンジェは男を抱え、木の下で伸びている男の元に運んでいく。んしょんしょ、と声を上げ、半ば引きずる様にしていくその足は、小さく震えていた。

ハルはゆっくりと歩き出した。そっとアンジェの後ろに近づいていく。

アンジェはそれに気づいて無いのか、男を並べると小さくため息をつく。

そこへグイッと後ろに引っ張る力が加えられた。

後頭部に感じる柔らかな感触。そして頭頂部に置かれる握り拳の感触。

……握り拳?

疑問がアンジェの頭に浮かんだ瞬間、その頭に強烈なヘッドロックが決まった。


「あいたたたたたたっ!?」

「まったく! お前は! ムチャばっかり! しやがって!!」


ゴリゴリゴリゴリ。頭の上で何とも不自然な音が響く。


「痛いです痛いですすっごい痛いです!?」

「やかましい!黙って受け止めろ!」

「あ、穴が!穴が頭に開いちゃいます開くーっ!!」


ひとしきりアンジェの悲鳴を聞いたところで、ハルはようやくアンジェを解放した。


「あうぅ……穴は開いてませんか?」

「開くかバカ」


ゴシゴシとうずくまって自分の頭を撫でるアンジェを立たせると、今度こそハルはアンジェの頭を撫でてやった。


「ったく……ちったぁ学習したかと思えば、今度はアレ以上の無茶をしてくるよな、お前は」

「でも、分かってくれましたよね? ハルと戦っても負けませんよ?」

「意気がるな。戦いに慣れてないクセに」


ふう、と小さく息を吐いてアンジェを見下ろす。自分の鼻の辺りまでしか無い小柄な女の子。体つきもハルと比べると華奢で、どう見ても争いごとには向かない。なのに自分から進んで争いごとに首を突っ込んでいく厄介な性格をしている。

何がアンジェをそうさせるのか。何か、アンジェを駆り立てるものが深く根付いている気もするが、ハルには検討もつかない。

だが、それでも良い。ハルはそう思う。出来る限り自分の出来る事をするだけだ。幼い外見に似つかわしくない無骨なフォルムを見せていたアンジェの右腕を見て、それをまた見たいとも思わなかった。


「しかし、お前の腕と言いアウトロバーの急所を知ってる事と言い、お前ってやっぱりアウトロバーだったんだな」

「いや、違いますよ? ホントにメンシェロウトですって。少なくとも生まれた時は。これはたぶん後付け設定です」

「後付け設定ってなんだよ?」

「気にしないで大丈夫です。とりあえず私はメンシェロウトのつもりですよ?」

「その言葉に違いは無いか?」


アンジェに疑問を呈してきたのはハルでは無かった。木々の間から不自然な歩き方で近づいてくる女性。軋む足を引きずりながらオルレアは二人に近づいていった。


「もう一度聞くが、お前たちはメンシェロウトか?」

「あ、はい。私はそうですけど、ハルは――」

「アタシはノイマンだ」


アンジェの言葉を遮る形で、ハルはオルレアの前に立ち塞がる。

オルレアはそれを聞くと露骨に表情を歪めた。


「……メンシェロウトにノイマンか」


わずかに視線をずらし、苛立ったように舌打ちを繰り返す。

ハルはそれの意図するところに気づいたが、何も言わなかった。一方のアンジェは聞こえなかったか、心配そうな表情を浮かべてオルレアの足を気遣う。


「あの、足は大丈夫ですか? 痛みますか?」


そう言ってアンジェは手をオルレアの足に伸ばそうとするが、オルレアは素早く左足を引いてその手を避ける。


「大丈夫だ。神経回路はすでに遮断してある。後で交換すれば問題ない」


そうしてまた一歩下がり、オルレアと二人の間にやや距離が出来る。手を伸ばすには遠すぎて、だがその気になれば一足で届く位置関係。助け合った者同士とは思えない緊張感がその距離を満たす。


「ハル、と言ったか。お前が最初に使った60口径弾だが……」

「分かってるよ。禁止されてるって言うんだろ?ギルツェントじゃないんだから、堅いこと言うなって」

「残念ながら私はギルツェントのアウトロバーだ」

「うげぇ……」


今度はハルの方が一歩下がる。こんな所でギルトに捕まるのはゴメンだ。意識を周囲に飛ばして逃走ルートをシミュレートする。

そんなハルの空気を察したのか、オルレアは一度軽く鼻で笑った。


「心配しなくてもいい。助けてもらったお礼に見なかった事にしておく」

「そりゃどうも……」

「それくらいの義理は果たすさ」


ありがとう、と礼を述べ、オルレアは緩めた表情を引き締める。肩まで伸びた金髪を一度掻き上げて気持ちを切り替えた。


「面倒だが、お前たちには一度ギルトに来てもらわなければならん」

「どうしてですか?」

「コイツらはこの辺りでのさばってた山賊でな、一応報奨金も掛けられている。その受け取り手続きをしてもらわないとならないんだ。ついでに聴取も行う。

あと、しばらくギルトへ行くのは待ってもらう事になる。悪いが仲間を探さなければならない。無事ならいいんだが……」


口では冷静さを装っているが、心持ち意識が他に向いている様にハルは感じた。だがそれも関係ない、とばかりに無視して少し顔をしかめた。


「……面倒だな」

「私だってメンシェロウトとノイマンと一緒に動くのは嫌だ」

「露骨だな、オイ」


呆れた様にハルは呟いた。その小さな呟きは、一応ハルとしては聞こえない様にしたつもりだったが、しっかりと高性能なマイクに拾われていた。


「当たり前だろう?どうして野蛮で何の役にも立たない者と一緒に居たいと思うんだ?」

「その役に立たない奴に助けられたのは誰だよ?」

「だから一応敬意を払って一緒に行動しようとしてるんじゃないか。甚だ不本意ではあるがな」


やれやれ、とハルは肩を竦めた。本当なら不愉快な態度のはずだが、ここまでくると逆に清々しい。

さて、逃げるか、それとも言葉に従うか。逃げようと思えばできなくもない。相手は手負いのロバー一人。自分一人ならあっさりできるだろう。まあ、アンジェが一緒に逃げるかは不安だが。

それに、ここまでギルトの仕事に関わって要請を断ると逆にそれも面倒か。

背を向けて歩き出したオルレアを見て、素直に着いていく事にハルは決めて歩き出す。そしてその後ろを同じようにアンジェも着いていった。









-10-




山賊三人を抱え、アンジェとハルと共にヴィッツェたちを探しに再び森の奥へと戻ったオルレアだったが、意外にもあっさりと合流することが出来た。

三十分ほど歩き続けたところでオルレアを除く全員が集まって戦闘を繰り広げており、見つけた瞬間はオルレアたちも助けに入ろうとしたが、すでに勝敗は決していた。山賊たちは半数以上がのびていて、残る二人もあっさりとジャンとカールの攻撃に意識を刈り取られて倒れこむ。

さすがだな、とオルレアは感嘆した。

自分なんかとは違う。先程は奇襲を受けて十分な力を発揮出来なかったが、フォーメーションを立て直せばたかが山賊に負けはしない。それが例え、相手が同じ戦闘用のロバーであっても。それだけの訓練と装備を、ギルトのメンバーはしている。


「へえ、さすがだな」


すぐ後ろでオルレアと同じ感想を抱いたハルが声を上げ、オルレアが振り返るとハルの隣でアンジェも眼を丸くしていた。


「はー、ギルトの人ってやっぱり強いんですねぇ」

「当然だ。戦闘用ロバーの中でも特に選りすぐりが入るんだ。弱くては話にならん」


得意げにオルレアは胸を張る。

だが自分はどうだろうか、とオルレアはアンジェに応えながら自問する。

カールもジャンも白兵戦ではかなり強い。田舎のギルト所属のロバーとは言っても、そこらに居るロバーでは刃が立たない。それだけの出力と装備を持ち、なおかつそれを使いこなせていて、戦闘術もインストールされている。

一方で純粋なパワーでは敵わないが、ヴィッツェは指揮能力に特化していて、オルレアから見てもクセの強いカールとジャンに上手く指示を出している。トリエラとクラーフは後方支援タイプで、クラーフは前線でも戦えるし、トリエラの射撃能力はとても真似出来ない。

顧みて自分はスピードしかない。元よりかく乱仕様のボディだが、スピードの分軽量化していてロバー相手では倒すこともままならない。自分より出力のある相手を倒すだけの戦闘経験の積み重ねも無い。

ただでさえアウトロバーの成長は遅い。なのに加えて不甲斐ない自分は、こうしてメンシェロウトとノイマンの力を借りなければ山賊一人満足に倒すことは出来なかった。それがオルレアは歯がゆい。

アンジェとハルから眼を逸らしてヴィッツェたちに近づく。向こうもオルレアに気づいて歩み寄ってきたが、ヴィッツェの体の各所を見てオルレアは眼を伏せた。両腕のあちこちに切り傷があり、表面の金属の下からパイプが露出して火花を発している。カールも鎖骨に当たる場所に穴が空き、オイルを垂れ流していた。クラーフもジャンも、トリエラも皆同じように何処か傷を負っていた。


「無事だったか」

「各所に多少の不具合はありますが、問題はありません」


自身の傷など気づいていないようにしてヴィッツェはオルレアに尋ねる。近づいたところでヴィッツェの負傷がよりはっきりと見え、ハルは表情を強ばらせ、アンジェも息を飲む。だからか、オルレアは浮かべそうになる表情を堪え、平静を装った。


「そうか。

後ろの二人は?」

「民間人です。恐らくは通りすがりだと思われますが、対象の捕縛に協力していただきました。聴取と報奨金の支払いの為に同行させました」

「ふーん」


報告をするオルレアの横をトリエラが通り過ぎる。そしてハルとアンジェの二人の前に立つと、マジマジと見始めた。


「一人はメンシェロウト、いや、ノイマンかな?筋肉の量が違うし。

で、もう一人はっと……ん?なんだコレ?体は人間っぽいけど……」

「えっ? えっ?」

「なんだ、オルレア。メンシェロウトになんか助けてもらったのかよ」


格好のネタが出来た、と言わんばかりにカールがニヤニヤ笑う。

ハルは顔を歪めながら頭を掻いて、カールとトリエラの二人を睨みつける。


「勝手に人の体をスキャンしないで欲しいんだが」

「トリエラ!」

「ハーイ」


ヴィッツェに叱責され、小さく舌を出してトリエラは二人から離れる。だが返事の声に反省の色は無く、ヴィッツェは頭を抱えてため息をついた。


「申し訳ない。ウチの部下が失礼した」

「あ、いえ、そんな……」


ヴィッツェに頭を下げられて恐縮するアンジェ。ワタワタと手を振ったその向こうで、トリエラとカールの二人と話すオルレアの姿が見えた。

失礼、とアンジェたちに声を掛けてヴィッツェはメンバーの元に向かっていく。集まって話をしているけれど何を話しているのかは聞こえなくて、アンジェの位置からはカールとトリエラの顔が見えたが、その表情からはひどく嫌な感じがしてアンジェは顔を逸らした。

横を見上げてハルを見る。


(きっと……)


嫌そうな顔をしてるんだろうなぁ、と想像する。

アンジェはここ数日を思い返してみた。ハルはメンシェロウトだとかアウトロバーだとか、そういった人種の関わる話になるとどうも苛立ちを強める傾向があった。そしてそれが表情に出やすい。本人が自覚しているかどうか、アンジェには判断がつかないが機嫌が悪くなりやすいのは確かで、見上げたてみるとやはり顔をしかめていた。


(やっぱり色々あったのかな)


過去に何があったのか、どんな生活をしていたのか、ハルとアンジェはお互いに尋ねてみた事は無く、そしてそれがいつの間にか不文律みたいな感じになっていた。

元々ハルは過去に触れる事を嫌う。いや、ハルに限らないのかもしれない。誰しも昔の事を思い出したくは無いし、だからこそ思い出させたくもない。戦争の時代を過ごしてきたせいか、これまでアンジェが出会ってきた人々の多くは過去のことを話そうとしなかった。

アンジェとしては別に構わなかった。どうせ覚えていないのだし、過去は所詮過去に過ぎない。だけども相手が嫌なのならば、自分の事とは言っても触れないでいるのがいいんだろうとアンジェは漠然と感じていた。

出会ってまだ数日。けれどもハルの喜怒哀楽には触れてきて、そしてアンジェは喜んでたり楽しかったり、とにかく笑っているハルの顔が好きだった。しかめっ面は出来れば見たくない。

だからアンジェは小さくハルの袖を引っ張る。そしてハルがアンジェの方を向いた瞬間を見計らって、態とらしいほど満面の笑みを浮かべてみた。

は?とハルは疑問符を浮かべた。意図を汲み取れず、尋ねようと顔をアンジェの方に近づけるが、その顔が大きく歪んだ。物理的に。


「ほへ!?」


グニグニとアンジェはハルの顔に手を当てて力を込める。その度にハルの頬がシッチャカメッチャカに形を変えていく。


「ん~、ハルの頬って柔らかくて気持ちイイですねぇ」

「ほい! ほら! はめほ!!」

「何て言ってるのかよく分かりません」


そう言いながらも手を止めない。上下左右にアンジェの気の赴くままにハルの顔で遊びまくる。


「はにふんは!?」


口を大きく歪ませて吠えるが、如何せん変顔では迫力は無い。いつもと立場が逆になったみたいで、だんだん楽しくなってきた。だけどやり過ぎると、きっと後が怖い。一通り遊び倒したところでようやくアンジェは手を離した。手をハルのマントでゴシゴシ拭きつつ。


「っつ~……いったい何なんだ、急に」

「しかめっ面はハルに似合いませんよ。ほら、笑って笑って」

「笑って、て言われてもなぁ……」

「嫌な気持ちの時ほど笑うんですよ」


怪訝な顔をハルは浮かべるが、アンジェは気にせず言葉を続ける。


「空元気でも良いんです。そうすれば気持ちも自然と上向きです」


言いながら歯を出してニッコリとアンジェは笑う。ハルは軽く息を吐き出し、観念した様に頭を掻いた。そしてアンジェと同じようにして出来る限りの笑みを浮かべた。


「ほら、これでいいか?」

「ん~、イマイチですね。少し顔が引きつっちゃってます。もうちょっと両頬を意識して……」

「こんな感じか?」

「そんなんじゃ子供が泣いて逃げちゃいます。もっと力を抜いて、そう自然に自然に」

「どうだ?」

「ああ~、良いですねぇ。これでバッチリです! コンテストで優勝出来ますよ!!」

「……何をやってるんだ、お前たちは」


笑顔を浮かべたまま、二人は振り向く。ギシシシと軋む音を立てて。

気づけば、全員が一歩下がって二人を見ていた。


「……もしかして見ないふりをした方が良かったか?」

「ほっといてくれ……」





-11-






森の中を一台のバイクが走る。低いエンジン音を響かせ、土煙を上げながら快調に飛ばす。ドライバーは女性で、ゴーグルで抑えられた短めの黒髪が小さくはためく。ベージュのマントを一枚挟んで、すぐ後ろには小柄な女性が座る。女性と言うよりはまだ少女と言うのが適切で、ドライバーの女性が着けている物と同様のゴーグルを被り、長い金髪をなびかせながらドライバーにしっかりと抱きついていた。


「もうすぐ着く感じですか~?」


背負った荷物の位置を元に戻しながら、アンジェはサイドカーに向かって話しかけた。普段アンジェが乗っているサイドカーには、今はアンジェと同じような金髪で、だが肩ほどの長さの女性が乗っていた。


「ああ。衛星とリンク出来ないからはっきりとした事は言えないが、恐らく後三十分もすれば着くだろう」


顔だけをアンジェに向けて、オルレアは答えを返す。そして雲一つ無い青空を見上げると眩しそうに眼を細めた。


「久々の休日でこんなにもいい天気だと言うのに」


白いノースリーブのシャツから伸びる細い腕が頭の後ろで組まれ、そのまま背中をシートに預ける。ため息をついて、オルレアはジロリと横のバイクをにらんだ。


「どうしてお前たちと行動しなければならない」

「文句ならお前の上司に言え」

「あはは……」


相変わらず険悪な雰囲気を醸し出すハルとオルレア。アンジェの乾いた笑いが風に流されていく。




◇◆◇◆◇◆




「話は聞いてるよ。オルレアを助けてくれたそうで、ここビシェの支部長として感謝します」


オルレアたちと一緒にビシェにやってきたアンジェとハルに向かい、アグニスは感謝の言葉と共に頭を下げた。アグニスにとっては当然とも言える行為だったが、これにはその場に居た全員が慌てた。アンジェが恐縮してアタフタとするのは予想通りだったが、ギルツェントを構成するアウトロバーにとっては思ってもみない行為だった。

サリーブに近いビシェでもその差別思想は根強い。助けてもらったとは言っても相手は人間。礼を言うのは仕方ないとしても頭を下げるのは行き過ぎではないか。

そうオルレアは思ったが、それはメンバー全員の思いと一致していた。

ギルトの面々とはやや違った意味で、ハルもまた唖然としてしまっていた。

これまでハルは色々な都市や村を訪れた。そしてその中にはアウトロバーの国も多く、程度の差はあれ、その何処でもハルはこのように頭を下げられることは無かった。

みんな礼は尽くす。礼すら出来ないのはその下等な生物よりも劣る行いであり、それは優越種たるロバーにとっては許容し難いものであるからだ。しかしその根底には蔑みが深く根を張っていて、ハルもまたそれは容易に拭いきれ無いものだと理解していたので諦めていた。


「あ、いや……とりあえず頭を上げてください」


だがここにその考えを覆すヤツが居た。それはハルにとって非常な驚きであり、今まで経験したことが無いものだった。自然、ハルの取れる行動はアンジェと変わり無い、差し障りの無いものになってしまう。


「た、たまたま通りがかっただけですし、そこまで感謝される程の事でもありません」

「そ、そうです!人として当然の事ですから!」


そう言って何とか二人はアグニスの頭を上げさせる。

アグニスは、ややホッとした様子で緊張を緩めると、皆を仕事に戻らせた。そしてアンジェたちを自分の執務室へと通す。


「お二人が良い方で良かった。バーチェスも幸運です」

「そう言って頂けるとこちらとしても嬉しいですが、どうしてここに私たちを?」

「それは恐らくお二人の方が、ナカトニッヒさんでしたね、特にあなたの方が強く感じていたと思いますが?」


アグニスの言葉にハルは小さく頷く。


「確かに。あまり居心地の良いものでもありませんしね、あの空気は」

「ああ、もう少し楽に話して頂いて構いませんよ」

「……では失礼して。

確かにあの部屋の空気は好きではないが、それだけでは無いと思うんだが? 少なくともアンタがアタシたちの証言を聴取するとも、報奨金の手配をしてくれるとも思えない」

「気を遣った、と思ってくれませんか?」

「アンタの人柄は信頼できると思うが、あまりにも厚遇過ぎるんでね。旅をしてると、何でも疑ってかからないと痛い目を見るもんだ」


こいつは気にしないだろうが、とハルは隣に座るアンジェの頭をポンポンと叩く。馬鹿にしてるんだろうとアンジェは思ったが、もういつもの事と悟ったか、頬を膨らませるだけで反論しなかった。

アグニスは苦笑を浮かべる。それがハルの言い草に対してか、それとも二人の関係に対してかは二人には判別はつかなかった。


「そんなに警戒しないで下さい。ちょっとお願いがあるだけです」

「お願い、ですか?」

「ええ、そうです。依頼、と言った方が良いかもしれませんけどね」


オウム返しに尋ね返すアンジェにアグニスは朗らかに笑い、そして座り直して体勢を整える。

テーブルの上に置かれた受話器を手に取り、内線で何やら伝えるが言葉は共通語ではない。その為アンジェたちには理解できなかった。何を頼まれるのやら、と思案するが分かるわけもなく、ハルは軽く息を吐き出してソファに背を預けた。

程なくして部屋のドアが開かれ、オルレアが入ってきた。オルレアは一度だけアンジェとハルを見るがただそれだけで、そのままアグニスの方へ視線を動かした。


「なんでしょうか?」


無感情にオルレアはアグニスに問う。対照的にアグニスは笑顔を浮かべたまま掌を胸の前で組んで、リラックスした風に椅子に体を預ける。


「君、確か有給が貯まってたよね?」


先程と同じように朗らかに笑ってアグニスは切り出した。

その顔を見て、ハルは何故か嫌な予感がした。




◇◆◇◆◇◆




「正式な依頼とは言え、どうして断らなかった? 私だけでも別に問題は無かったんだぞ?」

「うるさいな。断れたんならコッチだって最初から断ってるよ」


オルレアの疑問に前だけを見据えながら、だが声はブスッとした様子でハルは答えた。

ハルとしても受ける気など更々無かった。受ける理由などなく、金にも困っているわけではない。大喰らいが二人にはなったが、今すぐに金が不足するほど少なくも無い。

なのに。

あの部屋の事を思い出してゴーグルの奥の眉間にしわが寄った。


(満面の笑みで脅してきやがって……)


何でアタシが違法の銃を持ってるって知ってるんだ。オルレアが話すような時間は無かったし、銃自体も見えない位置に隠していたはずなのに。

何故か朗らかに笑うあの男が頭に浮かんで、その笑顔がシャクに触るのでハルは思考を切り替える。

もう絶対に六十口径は使わない。そして笑顔満点の男は信じない。ついでに言えば、この仕事が終わったらさっさと次の街に行く。固くハルは心に誓った。

しかし使わないのはいいが銃を捨てるのも勿体無い。いっその事、改造してアンジェみたいに非殺傷弾を使うようにするか。


「あの、バーチェスさん」

「オルレアでいい。さん付けもいらん。私が人間嫌いとは言え、一応お前たちは恩人だし、そこまで私に気を遣う必要はない」

「むしろお前が気を遣え」

「お前には遣ってやらん」

「ハルは黙ってて下さい」


昨日出会ったばかりだと言うのに妙に息の合った口撃にハルは唇を尖らせる。何か悪いことしたかなぁ、と色々と思い返してみるが特に思い当たるものは無く、結果として微妙に気落ちしてハンドルを握り続けた。

散々おもちゃにされている意趣返しがようやく出来た、と若干胸のすく思いを感じながらアンジェはサイドカーの頬杖をついているオルレアに振り返った。


「その、聞きにくいんですけど、オルレアはどうして人間が嫌い、なんですか?

すいません、こんな事聞いちゃって……でもずっと気になって……」


聞きながらアンジェは恐縮し、次第に声が小さくなっていく。オルレアは、だが気にした様子も無く顎に手を当てて、空を仰ぐようにして考え込む。


「ふむ……特に理由は無いな」

「無いんですか?」


意外な答えにアンジェは思わず聞き返す。対するオルレアは少し考える仕草を浮かべるが、すぐに頷いた。


「強いて言えば、そういうものだとして染み付いている、と言えるだろうな。

人間でもあるだろう?特に深く考えたことは無いがずっと言われているとそういうものだと思い込むことが。それと同じだ」

「誰がそんな事を……」

「誰が、というわけでは無いな。お国柄、というヤツだ」


両腕をサイドカーからだらん、と垂らしてオルレアは青空をぼんやりと見上げる。


「知っているか? この国はかつての戦争中、一番の激戦区となる事が多かったんだ。最近の戦争ではそうでも無かったみたいだが、その前までは戦闘が絶えることが無かったらしい。

だからだろうな、人間は卑劣で、残酷で、下等だなんだという教育が、地域差はあるがこの国の何処でもされている。実際、私も学校でも家でもずっとそういう風に言い聞かせられてきた。事ある毎にな。そんな生物、好きになんてなれないだろう?」

「そう……なんですか……」


目に見えてアンジェは落ち込む。自分から聞いた事であるし、オルレアが人間嫌いである事はこれまでのハルとのやりとりから分かっていたつもりだったが、答えはあまりに予想外だった。それが国全体の風潮だと彼女は言った。国中の人が彼女と同じ考えを持っていると。

何故、そうだと決め付けるのだろうか。何故、自分たちの考えを決めつけて伝えてしまうのか。そんなのだと、争いなんてなくなりやしないのに。

そんな事はない、とアンジェは反論したかった。残酷なんかじゃない、下等なんかじゃない。だがその言葉は、どうしてだかアンジェの口からは出てくれなかった。

肩を落とすアンジェにオルレアも事実とはいえ言い過ぎたと思ったか、申し訳なさそうにアンジェに話しかける。


「心配するな。このままではいけない、と私も思っているんだ。

この国で生まれ、この国で育って私の周りに人間は一人も居なかったし、同じような考えのロバーに囲まれて生きてきた。

我々ロバーでも様々なロバーが居るみたいに人間にも色んな人間が居る、という事は分かってるんだ。残酷な人間も居れば逆に優しさに溢れた人間も居る。だがそれは私の中で知識でしかない。だから、お前には申し訳ないんだがどうしても人間を見ると嫌悪感が先に来てしまうんだ。

自分の目で実際に見て、現実を感じる。私たちは情報を記憶する作業が無い為に考えが凝り固まりやすい。覚える前に情報を吟味する必要が無いからな。同じ事例が続けば、どうしてだか次も同じだと思い込みやすいんだ。柔軟性が無い、とでも言えば良いのだろうかな。

だがそれは油断に繋がる。そして私たちのような仕事ではそれが致命的に成り得る。この前、それを嫌と言うほど思い知ったよ。

だから、そういう意味でもお前たちに助けられたのも良かったんだろうな」


視線をオルレアはアンジェから正面へと向ける。山道で両脇に生い茂る木々が影を作り、比較的細い道が続いていたが、遠くには畑の青々とした景色が見えていた。


「ところで、だ」


二人の話が終わるのを見計らってハルが口を開く。


「あの支部長さんが言ってた、腕の良い工場っていうヤツの場所は分かってるんだろうな?お前のGPSは壊れてるんだろう?」

「ああ。それに関しては問題は無い。地図情報を落としてきたからな。少々分かりにくい場所にあるらしいが、まあ大丈夫だろう」

「武器だけじゃ無くてオルレアの修理もそこでやってもらえるんですよね?」

「みたいだな。修理だけじゃなくて、たまにそこで作られた新しい武器も回してもらっている。私も以前は別の場所製の武器を使っていたが、確かに質は良かった」

「どういう縁なんだ?」

「そこの武器職人とアグニス部長が知り合いらしい。なんでも『マブダチ』だそうだ」


何気ないオルレアの言葉だったが、ハルは猛烈に嫌な予感がした。オルレアの話ぶりを聞いていると、オルレアはアグニスに対して思うところはないみたいだが、恐らくアグニスの腹黒さには気づいていないのだろう。気づいていない、というよりは多分アグニスがそんな素振りを見せていないのだろうが。

どうもオルレアと知りあって嫌な予感ばかりが浮かんでくる、とこっそりハルはため息をついた。いや、むしろアンジェと知りあってからかもしれない。退屈しないのはいいが、精神ばかり疲れるのはどうにもやり切れない。


「ついでだ。

ハル、お前も銃やらナイフを見てもらったらどうだ?」

「アタシもそれを考えてたところなんだ。だけどアタシたちの武器も見る余裕があるのか?」

「アグニス部長の事だ。大方、そこら辺も抜かりないと思うが」

「まあ、そうだろうな」


ハルは後ろに座って抱きついているアンジェを見る。ゴーグルを挟んで視線が交差し、アンジェは小さく首を横に振った。

その判断について、ハルは特に何も言わなかった。腕のあれはそうそう人前に晒すものではないし、アンジェ自身もきっとあまり見たく無いのだろう。

視線を正面に戻し、アクセルを捻る。道が広くなり、次第にすれ違う車も増えてくる。それまでは全く見られなかった、道の脇を歩く人もチラホラと見られるようになった。

遠くにあったビルが大きくなる。新しい街がすぐ眼の前にあった。





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