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Criminal Snow  作者: しんとうさとる
第一章
3/23

第1-3~1-4章

あまり改訂前と変わってないです。

というより最初以外基本あまり変わらないかも。







-2-




「すごい……こういう建物ってまだ実際に残ってるんですね」

「ああ、中々のモンだろ? 今時こういう景色って見れないからな」


道路脇に連なる家々を見上げながらアンジェは感嘆の声を上げた。その隣を歩くハルも満足気に顔をほころばせながら頷く。

せっかくだから、ということで二人は町を出る前に歩いて町の中心部を見て回る事にした。ハルをガイド役にアンジェは町並みを楽しんでいた。とは言っても町の景色は至って平凡で、どの町に行っても見られそうな風景だったが、ある境を越えたところで町の景色は変わっていった。

それまでのコンクリートと安価な合成有機材で出来た建物から古ぼけた、だが未だにしっかりとした石造りの家々が綺麗に区画整理された状態で立ち並んでいた。緩やかにカーブを描く道に沿って同じ様な、しかし仔細が異なる三~四階建て程度の家が、見える範囲に渡って連なる。長い歴史を強く感じさせる家々だったが、その中で人々は生活を営んでいて、違和感なく溶け込んでいた。

地面にはボコボコにはがれたアスファルトでは無くて不揃いな高さの石畳。しかしその隙間は等間隔に埋め込まれている。少しだけ歩きにくいが、アンジェはそれもまた面白いと思った。

「何も無い町だなんて、全然そんな事無いじゃないですか」

「だろ? アタシもニーナにそう言ったんだけどな、まあ住んでると良さはあまり分からないものさ」


そんなものですか、とアンジェは相づちを打ちながらも休む間もなく眼をアチコチに動かす。洗濯物を窓から干している人、昔ながらの佇まいで店を構えている者、屋台を止めてお菓子を売りさばいている人。そしてそれが極自然になっている風景。ここに来るたびにハルはまるでタイムスリップをしたかのような感覚に襲われる。


「この町に来る前に資料や映像で見たことはあったんだけどな、やっぱり実物は違うよな」

「どのくらい古いものなんですか?」

「さあ、そこまではアタシも知らないけどさ、ニーナによれば少なくとも三、四百年は経ってるんじゃないかって言ってたな」

「ほぇー……」


どっしりとした佇まいは見ているアンジェにも安心感に似た何かを感じさせた。地に足が着いたとも言うべきだろうか。長く歴史を刻んできたそれは、何人であっても受け入れるだけの度量の深ささえある気がする。


足を進め続けると、その中の一つの建物を修繕している様子が目に入ってきた。足場を組み、十数人の、恐らくはこの町の人間だろう人々が声を掛け合い、互いに注意しながら協力して作業を行っていた。


「ああやって町の人達が協力して守ってるんですね」

「だろうな。じゃなきゃ、いくら戦火を逃れたからってこうやって長い事残ってるはずがないよ」


助け合いながら、機械を使わずにできるだけ手作業で修復していく人々を見ながら二人は通り過ぎる。

美しい光景だ。建物ではなく、働く人々を見てハルは本気でそう思う。それと同時に、極当たり前のはずの様子に思わず感動してしまう自分に、ついため息をついてしまう。


(こうして分かり合えるはずなのになぁ……)


どうして分かり合えない事が多いのだろうか。ニーナから聞いた話を思い出しながら、ハルは自分の胸を抑えた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「あの街に行くなら気をつけた方がいいわよ」


次の目的地をサリーヴに定め、二人で確認し合ったところでニーナが注意を促す。


「何か、問題でもあるんですか?」

「ある、とは言い切れないんだけどね。まあ、用心に越した事は無いっところかな」

「おいおい、気になる事があるなら詳しく話してくれよ。あの街に何かあるのか?」

「うーん、そうねぇ……問題はアンタたちがノイマンとメンシェロウトだって事かしらね。」

「ああ、なるほど、そういう事か」


ニーナの話にハルの方は合点がいった様で、手を顎に当てて小さく頷く。一方でアンジェの方は内容をうまく飲み込めないようで、二人だけで話が進んでいく事に抗議の声を上げた。


「ちょっとぉ! 二人だけで話を終わらせないで下さいよぉ!」

「ああ、悪い悪い」


軽い口調でハルは謝る。その態度にアンジェは頬を膨らませて尚も抗議するも、その頬をハルは突いて遊び、アンジェはその指にウガーッと噛みつこうとする。が、それをあっさりかわすとハルはあやす様にアンジェの頭を撫でる。


「うーっ、止めてください!私、子供じゃないんですからっ!」

「いや、どう見てもガキだろ?」

「違います!」

「アンタたち見てると飽きないわねぇ」


ブンブンと頭を振ってハルの手を払うとアンジェはもういいです、と自分の扱いを諦め、話の続きを促した。ハルは少しだけ残念そうな表情を浮かべるが、すぐに真面目な表情に切り替えて話の意味を伝える。


「つまり、サリーヴはロバーの支配する街で未だに人種の――ロボットをそう呼ぶと怒るヤツもいるかもしれないが――垣根は根強いって事さ。

メンシェロウトもアウトロバーもどっちもだけど、互いを受け入れきれていない。何がきっかけで始まったんだか知らないけど、根拠の無い嫌悪も、戦争の憎しみも、四百年も続いたんだ。そう簡単に洗い流せるモンじゃない」

「でもこの町は全然そんな雰囲気ないですよ?」

「それはね、アンジェちゃん、この町が例外的なのよ」


ニーナは二人を見て、そして通りの方に視線を向ける。

通りを通る誰もがアンジェとハルに注意を払う事は無く、二人もまた特別な警戒をする事も無い。


「田舎の所為なのかもしれないけど、この町には戦争が始まって以来色んな人間が流れ着いて来てたらしいの。滅んだ国や町からの難民、戦争が嫌になって逃げ出してきたアウトロバーにメンシェロウト。もちろん全員が全員受け入れられるほど余裕はないし、国自体はアウトロバーの国だからどうしてもアウトロバーが多くはなってるけど、互いに苦労を知ってるせいなのか、特別人間達を蔑視する事は無いのよ」


だけど、とニーナは続ける。


「この町でもやっぱりどうしてもロバーの方を優先してしまうし、ギルトでも同じ依頼を受けようとする人がいればロバーの方を優先しちゃうことも多いし、人間を嫌ってる奴も少なからず居るわ。露骨な態度をする奴は居ないだろうけどね。

でも他の街じゃ人間は排他的な扱いを受けるし、さすがに表立って何かをされる事は無いだろうけど、極端な街じゃそれも保証できない。それが現実なのよ」

「逆もまた然り、だね。むしろ人間側の方が露骨さ。あからさまに差別するし、ひどい街だとそのまま叩き出される事さえある。

長く戦争が続き過ぎて、何が原因かさえ誰も分かっちゃいないっていうのにな」

「そうなんですね……」


話を聞いて、アンジェはひどく落ち込む。今、自分の目に映る町の風景はどこまで行っても平和そのもので、争う声さえ聞こえては来ない。小さいながらも活気に溢れ、戦後の復興とも無縁。なのにこの町を出ればそれさえも幻想だと言う。

これまでの旅で、そんな目に会った事は無かった。みんな優しくて、意地悪な人や暴力的な人も居たけれど、自分が何者かに関して問われる事は無かった。概ね平和で、人々は暖かくて、廃墟が広がる中でも復興に一生懸命だった。もしかしたらそれは単なる偶然で、悪意に自分が気づかなかっただけかもしれない。もしかしたらひどい目にあっていたのかもしれない。そんな事を思うと、目の前の景色も何だか少し違った風に見えてきて、そんな簡単に印象を変えてしまう自分が嫌になる。

ポン、とハルの手がアンジェの頭に乗せられる。顔を上げると笑顔を浮かべたハルが居た。


「あんまり気にすんな。見た目じゃメンシェロウトだろうがアウトロバーだろうがノイマンだろうが分かんないからさ」


違う。そうじゃない。

アンジェは否定しようと思った。自分はそんな事に落ち込んだんじゃない、と。

でもアンジェはそうしなかった。頭の上の掌は暖かくて、先程みたいにからかいの色は全くなく、純粋にアンジェの事を心配しているのが分かったから。


「もし嫌だったら言ってくれ。別にアタシもサリーヴ自体に目的があるわけじゃないし、無理にサリーヴに行く必要は無いんだからな」


ハルはそう言ったが、アンジェは今度は首を横に振った。


「いや、行ってみたいと思います。

こういう旅を続けてればいつかはそういう町に着いちゃう事もあるだろうし、私は、ほら、記憶も何も残ってなくて世界のことをほとんど知らないから勉強中なんですよ。だからそういう世界もある事を知る事はきっとプラスになると思います」

「嫌な思いをするかもしれないぞ?」

「それはハルも同じじゃないですか」

「アタシは別にいいんだよ。今までそういう町に行った事もあるし、対処方法も知ってるから」

「なら問題ないですよ。

さっきハルが言った通り、黙ってれば分かんないんですし、きっと大丈夫です。何とかなりますよ」


思いっきりの笑顔を浮かべてアンジェはハルを見上げた。その眼をハルは見つめて真意を問う。そのまま二人の間で時が流れた。

アンジェは笑顔で、ハルは厳しい表情で。

穏やかな町の一角で場違いな緊迫が支配する。

やがて、ハルは小さくため息をついた。


「分かったよ。

まったく、お前ってバカなだけじゃなくて頑固だったんだな」

「そうですよ。だからさっき言ったじゃないですか。これから迷惑を掛けるって。今さら撤回なんてさせませんよ?」

「ああ、そうだったよな」


よし、とハルは自分の太ももを叩き、ニーナに改めて礼を言った。


「重要な情報、ありがとな。まあ、こういう訳なんで一緒に行ってくるよ」

「お礼言われる程の事でもないわよ。私に言えるのは気をつけて、て事だけね」

「肝に銘じておくよ」

「一つ、聞いてもいいですか?」


アンジェの問い掛けにハルが頷くと、頭一つ低いアンジェの口から疑問がこぼれた。


「どうしてそこまで私の心配をしてくれるんですか?」

「バカ」


ハルは正面に立つアンジェの頭に手をやると、乱暴にガシガシと撫でた。


「くだらない事を聞くなよ。

気に入った奴の心配するのは当然だろ?」


頭上に感じる心地良い痛みと柔らかいハルの掌を感じながら、アンジェはその言葉を聞いていた。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「サリーヴ、か……」


ニーナの話からはどうにもいい印象は抱けない。というよりも、時勢を考えればああいった街の方が普通なのだからしょうがない。


(ま、いろいろ考えても仕方ないか)


人伝で聞く話なんてどこかねじ曲がっているものだ。自分の眼で見ないことには判断はできないし、判断するつもりも無い。ハルは頭をボリボリとかきむしると、アンジェの方に話しかける。


「さて、次はどうする……って、あれ?アンジェ?」


ハルお気に入りの場所も見終わり、次に何処に行こうかとハルはアンジェに声を掛けながら振り返った。だが、後ろに居たはずのアンジェの姿が無い。


「アンジェ?おーい、アンジェ~?」


辺りを見回して名前を呼んでみるが反応は無い。先ほど通り過ぎた、修復途中の建物の所に居るのか、と戻ってみるがそこにもアンジェは居なかった。

通りには色の黒い者、白い者、若者に年寄り、小さな子供達と様々な人が居る。だがその中にアンジェの姿は見えない。


(しまった……気を抜き過ぎたか)


次第にハルの表情に焦りが見え始める。

誘拐か?それとも何か事故に巻き込まれた?いや、さっきまで自分がすぐそばに居た。戦争が終わって四年経つが、まだ自分のすぐそばで何かが起こった時に気づけない程に鈍ってるとは思えない。

そう、まだ四年だ。四年しか経ってない。一見、世界は平静を取り戻したように見えてもその実、見せかけだけだ。どの町に行っても治安は安定してなくて、表面上は平和に見えても少し表から外れた場所に行けば強盗やレイプなどの事件はさほど珍しくない。実際、ハルが過ごした一ヶ月の間でもそういう話は何度か耳にした。傷は、まだ癒えていない。

なのに自分はついさっきまで注意を払ってなかった。その隙を狙われたとしたら。音もなく人を連れ去るなんて事、造作もなく行うなんて大して難しいことじゃない。

握る拳に力が入る。噛みしめた奥歯が軋んで嫌な音を立てた。


(落ち着け。まだそうと決まったわけじゃない)


ハルは駆けた。眼は休む間もなく左右へ動き、居なくなったアンジェを必死で探す。

ポヤポヤしてるからだ。内心でアンジェと、アンジェに出会って浮かれていた自分に悪態をつく。

どうする、力を使うべきか。ハルは迷った。

もし、この町全体を探さなければならないなら、ラスティングを使えば時間は大幅に節約できる。だがもし使えば――

葛藤がハルの中で続く。しかしそれも一瞬。そしてハルは決断した。

ほんのわずかに荒い呼吸を走りながら落ち着け、深呼吸。全身の力を、体勢を維持できるだけ残して抜く。

頭の中で、カチリ、と音が響いた。脳が熱を持ち、クラリと意識が遠退きかける。

世界が急速に狭まる。狭まった世界は反逆するように拡大する。熱は全身に広がり、意識は手足の末端へと広がっていく。


――さあ、行こうか


体は熱く、心は平静に。

ハルは全身に力を込め、そしてそれを解放する――


「えーっ! 良いんですかぁ、ただで貰って!?」

「おうよ! どうせ売れ残りだ。捨てられるんなら嬢ちゃんに食われる方が良いに決まってらぁ!」

「はぅぅ! ありがとうございます、おじさん!」


ずざああああああっ!!

解放するタイミングを失って投げ出された体は地面を盛大に滑って行く。砂ぼこりが舞い上がり、その中にハルの体は消えていった。ヘッドスライディングの格好で。


「どうしたんですか、ハル? そんなに慌てて。もしかしてハルってドジっ娘ですか? 足元は気をつけないと……って、あぁっ! ハルのせいでドーナツがほこりだらけじゃないですか! もう、食べ物は粗末にしちゃダメなんですよ!?」

「良い事言うじゃねえか、嬢ちゃん。そこに寝てんのは嬢ちゃんの連れかい?」

「恥ずかしながらそうです」

「なら姉ちゃんの分も持ってきな! 大変だね、ドジな姉妹を持つと」

「分かりますか、おじさん!」

「ああ、俺の連れもドジだったからな!

まったく、苦労したもんだぜ! なにせ小麦の袋を持たせりゃあ転ぶ、店番させりゃあ眠る、椅子に座りゃあ倒れるんだから!」

「おじさんも大変だったんですね……」

「分かってくれるか……!」

「分かりますとも……!」


がっしりと手を取り合って互いの苦労をパン屋のおじさんとアンジェは確認し合う。何故か涙を流しながら労わり合うその背後でユラリ、とハルは立ち上がった。伏せ気味の顔で前髪が垂れ下がって目元を覆い隠す。ベージュ色のマントとグレーのシャツが砂で同じ色に染まっていて、頬についた砂がチャーミングなワンポイント。

にゅぅ、と差し出される細くて白い腕。先には三分の一が欠けたドーナツが乗っていた。


「はい、ハルの分。

ゴメン、少しだけ食べちゃいました」


エヘヘ、と満面の笑みでアンジェは笑った。口元にはべっとりと溶けた砂糖が貼り付いていた。


「アンジェ……」

「あっ! やっぱり食べかけは嫌ですか?

分かりました。しょうがないです。今しがたもらったこの新しい方をあげましょう!」

「こ…の……」

「ふぇ?なんですか?」


蚊の鳴く程の小さな声に、アンジェはうつむき加減のハルの顔を覗き込む。その時、ガシッと音を立ててアンジェの顔がつかまれた。ギリギリと軋むような音をさせ、アンジェの視界に次第にハルの憤怒の顔がフェードインしていった。


「あ、あれ?もしか……しなくても怒ってます?」

「バカたれがあああぁぁぁぁぁぁっ!!」

「ぎにゃあああああああぁぁぁぁっ!!」






-4-






「うぅ……痛いです……」

「自業自得だ、バカ」


頭に出来たタンコブをさすり、こめかみに指の痕を残したアンジェは涙目で歩く。手に持っていたドーナツは無い。ハルはうらめしそうにドーナツを見つめるアンジェを冷たく突き放し、一瞥すらせず足を進めた。右手に食べかけのドーナツを、左手に口をつけてないドーナツを持って。


「だいたい、一人で勝手に居なくなるのが悪い。

何であんな所に居たんだよ?」

「おじさんが声を掛けてきましたから」

「ガキか、お前は!」


いや、コイツはガキだった。

その事を思い出し、今日何度目か分からないため息をハルはついて頭痛のする頭を押さえた。


「いいじゃないですか。二つもドーナツ食べれたんですから」

「お前を探すのに体力使ったんだよ。食わなきゃやってられっか」


そう言ってハルは二つ目のドーナツにかぶりついた。程良く甘い味が口の中に広がり、次第にハルの心を落ち着けていく。どうやら砂糖というより合成甘味料の類らしかったがそれは些細な事。力を使いかけて減った腹が満たされればとりあえずは十分だった。


そうこうしている内に、二人はまた石造りの町並みを通り過ぎ、新しい家々が並ぶ地区に到着した。さて、とハルは手についたドーナツの粉を払い、未だに頭をさするアンジェにどうする、と尋ねる。んー、とアンジェは人差し指をあごに当て、少しだけ考えた後にそばにあった路地を指差した。


「あっち側に行ってみませんか?どうせギルトに戻るにしても、別の道を通ってみたいですし」

「オッケー。ならそうするか」


アンジェの提案に同意して、二人はすぐそばの角を曲がって路地の方へと入っていく。奥の方に別の大通りらしき通りが見えるが、その前の路地の中は暗い。家のゴミ置き場になっているのか、やや生臭く、日が年中当らないせいかじっとりとした感じがした。その中で座り込む男。疲れきった表情でボロボロの服をまとったその男は、通り過ぎようとする二人をギラギラに光らせた眼で捉えると腰を浮かせかける。だがそれに気づいたハルの足がジャリ、と音を立てる。

ハルの細められた双眸が男を射抜く。男はビクリ、と体を震わせた後、二人から眼を離してまた元の位置に座り直した。

アンジェは男を心配そうな眼で見つめる。だがハルはアンジェの背中を軽く押して先を促す。それを受けて、アンジェはチラチラと後ろを振り返りながらも足を進めた。


「気にしなくてもいい。どうせ浮浪者のフリをしてるだけだ」

「そうなんですか?」

「ああ、だから気にする必要はない」


アンジェの後ろを遮るようにしながらハルは歩き、やがて路地を抜けて裏通りへと出る。


「こっちはあんまり来たことは無かったんだが……やっぱり特に何も無さそうだな」


左右を見渡してみるが、特にめぼしい物はありそうにない。見るべき場所は先程まで見ていた古い建物だけらしく、しょうがない、とギルトの方に向かって歩き始めた。


「あ、でもほら、あそこに教会がありますよ」


アンジェの指す方に眼を遣ると、確かにそこには教会があった。遠くから見ると少し色あせて見えたが、二人が近づいてみるとそれが間違いだった事に気づく。大昔のゴシック調の建築形式で暗い色合いの塗料で塗られている。建材も安価な有機材では無くて、手間のかかる石材をベースに木材が多く使われていた。


「リストキレル教か」

「あ、私も聞いた事がありますよ。最近になって広まってきてるってこの前行った町で聞きました。似たような教会もありましたし」

「そうらしいな。あんまり良い噂は聞かないけど」


そう話をする二人に女性が近づいてくる。三十度近い気温にもかかわらず肌を見せない様に長袖の服を着込み、頭からは頭巾を被っていた。うつむき気味で歩く体は猫背。まるで何かから逃げているかの様な印象をアンジェは受けた。

教会の入り口付近に立って二人は話をしていて、女性に道を譲るがすれ違い様に女性は二人を睨みつける。二人を見るその眼は冷たく、生気を感じさせないのに睨みつけた瞬間だけはひどく生を感じさせた。あまりにもアンバランスな感情。それに中てられてアンジェは僅かにすくみ上がり、ハルは逆に強く睨み返した。

ハルに睨まれた女性はまた感情を失い、無言のまま暗い教会の中に入っていく。


「ふん、辛気臭いヤツだな」

「そんな事言っちゃダメですよ。失礼です」

「失礼、ね……向こうのコッチを見る目も相当不躾だったと思うぞ」

「きっと虫の居所が良くなかったんですよ。それか……きっとあの人をそうさせる何かがあったんですよ」


ハルは黙って建物を見上げる。古そうに見えるがよく見ると建物自体はまだ比較的新しい。

一度軽く息を吐きだすとハルはその場を離れた。その後ろをアンジェは小走りで追いかける。

「あんまり好きじゃないんだ。何かに頼るのって」


適当に視線をぶらつかせて、ハルは口を開いた。先程の教会がある以外は町の景色は変わらない。どっしりと腰をそこに落ち着け、無個性な町並が少し物足りなく見える。

通りの端を通る二人に、路地から少し涼しすぎる風が吹きつけた。日差しが強く、旅をする者にとっては必需品とも言えるマントが揺れる。アンジェのマントがはためき、ハルのマントは体にまとわりついた。


「でも気持ちは分かりますよ。私だって辛い時はありますし、そういう時は神様に祈りたくもなります」

「分からなくはないさ。何かに頼りたくなる気持ちだって理解はできる。

でもさ、居もしない神様に祈るだけってのが納得できないんだ。

どこまで行ったって自分を変える事ができるのは自分でしかなくて、他人なんてそれを助けるくらいしかできないんだからさ」

「祈って気持ちが軽くなるなら悪くないと思いますよ?」

「そうかもな。それで終わるなら悪くもない。アタシだってすがるものはあるし、それを頼りにしてる部分もあるからな。でも一度それで状況が、どうしようもない状況が良い方向に転がってしまうとダメだ。自分では動かなくて、何かに頼って生きる人生になってしまう。

さっきの奴の眼を見たか? あれはもう、何も見えてない。他人を信用してなくて、ただ自分の信じたい物だけを信じてる。ああなるともう、な」


けどな、とハルは顔をうつむけた。


「何度も言うようだけどさ、アタシはその気持ちが本当に理解できるんだ。

多分さっきの奴も前は別の町に居たんだと思う。明らかに町の雰囲気にそぐわないしな。この町のことを聞いて逃げてきたんだろうさ。きっと戦いが激しい場所に居たんだと思う。

お前は知らないかもしれないけどさ、戦争って奴は本当にダメなんだ。街を焼いて人を殺す。でもそれだけじゃない。焼かれた方も焼いた方も壊してしまう。どっちも壊してしまうんだ。そしてアタシはそれをこの目で嫌というほど見てきた。そしてだからこそ宗教ってモンを、神様を信じられない」

「ハル……」


人は弱いな。

ハルはそう呟いた。細められた眼は遠くを見つめ、寂しそう。

太陽が雲に隠れ、町全体に影が落ちる。暖かかった日差しは鳴りを潜め、通りの両端に植えられた木が一度小さく揺れ、そしてやや強い風が吹いて木々が擦れた音を奏でた。アンジェが空を見上げると雲が一面を覆っていた。雲自体は厚くは無く、見た限りではすぐに雨が降りそうな様子では無い。


「嫌な雲だな……」


だがハルにはそうは見えなかったようで、浮かべていた寂しげな笑みを消すとアンジェを促してギルトへと戻る事にした。足早に通りを歩き進める。裏通りには相変わらず人気は無く、薄暗い町に木々が不気味な嗤い声を上げている。

その小さなざわめきの中に、くぐもった声が混じった。風の鳴き声に消されてしまいそうな程に小さな声だったが、二人は気づいた。くぐもった声に次いで聞こえる囁き。だがそれは男女が愛を語る甘いものではなく、男の低く、ドスの聞いた声だった。


「強盗か……」


冷たく暗い路地の脇をハルは横目に見ながら通り過ぎる。見たところ犯人も被害者も男性。犯人の方はいかにもなガタイで、強面のフェイスを装着していた。右腕が手首のところから折れ、そこから黒光りする銃が顔を覗かせていた。

もう一人は若者で、その銃を頭に押し付けられ、恐怖に体を震わせていた。犯人に殴られたのか、左頬が赤くなっている。その時の切れた様で、深紅の液体が傷口から流れ落ちていてそこには皮膚の下にある金属が少し露わになっていた。

せっかく良い顔のフェイスマスクを付けてるのに台無しだな。

ハルはその程度の感想だけを呟いてその場から離れようと足を進めた。

例え平和な町でも強盗や殺しは珍しくない。戦争が終わって四年経つとは言っても、一度荒れた治安はそうは簡単に回復する事は無かった。長い戦争で滅んだ国もあれば、国が名ばかりになった所もある。国は残っても、支配階級がメンシェロウトからアウトロバーに、アウトロバーからメンシェロウトに変わった事も珍しくは無く、ノイマンの国もいくつか造られた。その結果として政情は不安定で、色んな国に亡国の民が流れ、安心で安全な生活を送れる国など世界中を探しても数えられる程度。


(……まあ、いいか)


犯人の顔は覚えたし、被害者の方も抵抗しなければあれ以上痛めつけられる事は無いだろう。顔の交換はそう簡単には出来ないし、銃を腕に仕込んでいる事から軍人崩れか。ならばギルトのデータベースを探せばすぐ捕まるだろう。いずれにしても後はギルツェントの仕事で、ニーナにでも連絡してやろう。

ハルは面倒くさそうにため息をつき、ギルツェントへと急ぐ。表通りから行った方が早いだろうか、と体の向きを別の路地に向けたところでハルは気づく。

アンジェが居ない。

まさか、とハルが振り返った時、今日ずっと聞いていた声が路地から聞こえた。


「何をしてるんですか?」








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