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Criminal Snow  作者: しんとうさとる
第二章
18/23

第2-6章

今回は二つまとめてです。


-6-




各都市をその名前で呼ぶ時、大抵はその都市国家の中心部、とりわけ城壁で囲まれた土地の事を指す。城壁の外の場所を呼称する時は「サリーヴ北部郊外」「スピールト南部郊外」というふうに呼ばれ、城壁の外では野盗や異常繁殖したモンスターの脅威にさらされることも珍しくはない。内と外は明確に区別され、住居や安全性などの面で大きく異なる。

ブルクセルもまた他の都市国家と同じく四方を高く強固な城壁で囲まれている。しかし他の都市と異なるのは、ブルクセルという呼び名はブルクセル全体を指し、城門の内側のみを表す点にある。ゆえに城門の長さは他の追随を許さないほどのスケールになり、「都市国家」としては面積は狭いものの、「都市」としては膨大な広さを誇る街でもあった。そしてだからこそ、都市の内側であっても街の発展度合いが異なる場所が生まれてもくる。


「おっせぇな……」


その都市の内側、街の中心部からの距離を考えると他の都市ならば十分に郊外と呼ばれる程度遠くのアパートの前で、アンジェとハルは人待ちをしていた。都心の喧騒も遠く、それなりの広さのある通りだが人の姿はポツリポツリとしかいない。通りの向かいには寂れた飲食店、背後にはくたびれたアパートがあり、ハルはタバコを吸って時間を潰していた。


「遅いですね」

「まったく、依頼しておいて人を待たせるとはホントいいご身分だよ、アイツは」

「まー実際いいご身分の人ですからね」


腕時計を見ながらつぶやいたアンジェに、ハルは小さく舌打ちして応じる。ハルにしては珍しく不機嫌な様子を隠そうともしておらず、タバコの煙を勢い良く吐き出した。

後ろのアパートの玄関が開き、昨日に聞いた依頼対象かと思って二人は振り向いたが、出てきたのはやせ細って覇気の無い壮年の男で聞いていた人物ではない。軽く息を吐いて男からハルは眼を離す。男は通りすがりにジロ、とハルの方を見て行ったが、ハルが睨み返すと何も言わずにどこかへと向かっていく。


「だいぶイライラしてますね。そんなにあのギルトの長さんが嫌いなんですか?」

「アイツを好きな奴がいたらぜひともココに連れてきて欲しいもんだ。何より、アイツに良いように使われてるのがムチャクチャむかつく」


短くなったタバコを握りつぶし、持っていた灰皿へ詰め込みながら、ハルはすっかり癖になったため息を深々とついた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「なんだ、嬉しく無さそうだな。せっかくの再会だ。もっと喜べよ。

なあ、『魅入られし兵隊』アフィールド・リーパー


玉座に座り、頬杖をついたロッテリシアが幾分しわがれた声でその名前を口にする。それとほぼ同時に、顔の横に一本のナイフが突き刺さった。玉座の背もたれに刺さったそれは奥深くまで達し、だがロッテリシアは微動だにせず、楽しそうに笑った。

そばに控えていた、おそらくはロッテリシアの護衛と思われる女性ギルト員たちが色めき立つ。ギルトの武装に疎いアンジェが見ても高性能さが伺える銃の安全装置を外し、腕から剣を顕す。ハルは彼女らを一睨みすると、自身もマントの下に隠しているホルスターの銃に手を伸ばし、一触即発の緊張が立ち込める。突然のハルの凶行とも思える行為と、瞬く間に変わった空気にアンジェはどうしたものか、とあたふたと互いの顔を繰り返し見る。

しかしその空気も(マイストラム)であるロッテリシアが軽く手を上げた事で弛緩した。

合図を受け、女性ギルト員は武器を自分の体の中に収め、それを見てハルもまた銃に掛けていた手を元の位置に戻す。冷や汗を掻いていたアンジェは、ハルの後ろでそっと胸をなで下ろした。


「いきなりご挨拶だな。せっかく可愛らしい顔をしてるんだ。もっとお淑やかにしたらどうだ?」

「お前がキチンとアタシの名前を呼べば、アタシもおとなしくしてるさ。『壊れた機械』アンタッチャブル・イェーガー

「そうか、それは失礼したな。それでは改めて再会を祝そうじゃないか。アフィールド・リーパー」

「……」

「冗談だよ。だからそう睨むな、ハル・ナカトニッヒ。かわいい顔が台無しだぞ?」


先ほど投げつけたものよりも一回り大きい、例え相手がロバーであっても傷つけることが可能そうなコンバットナイフを無言で手に取るハル。ロッテリシアはわざとらしく肩を竦めた。


「あのぉ……」


友愛と拒絶。いや、互いに拒絶しているのか。ロッテリシアの口調にそぐわない雰囲気の中でアンジェは二人の会話に割って入った。


「お二人は知り合いなんですか?」


友人ですか、とは尋ねない。ふざけてそう尋ねるには、ハルのまとう雰囲気が重すぎた。とりあえず間違いではないだろう疑問を口にし、アンジェは玉座の上のロッテリシアを見上げた。

座っているのでよく分からないが、特別大きな体では無い。身長はハルと同じくらいだろうか。肩から伸びる真紅のマントが上半身を覆い隠し、右手だけは隙間から伸びて頬を支える杖となっている。暗い色のズボンで覆われた長い脚は、頬杖と同じく尊大に組まれていた。髪は長く、ウェーブの掛かったややくすんだ金髪にいくつもの傷が顔に走っている。口元には薄く笑みが浮かんでいて、一見機嫌の良さを伺わせるが、アンジェはそうは感じ取れなかった。

目元は細められ、口元同様に笑みを浮かべているようにも見受けられるが、その奥に垣間見える視線はアンジェに対する友愛の情とは異なる。冷たい、品定め。その瞳を見た途端、アンジェは射すくめられたかの様に寒気を感じた。


「ちが……」

「そうだよぉ、アンジェ・ユース・エストラーナ」


露骨に顔を顰めて、ハルは自分の後ろにいたアンジェに否定の返事をしようとした。だがそれをロッテリシアは遮って、楽しそうに話し始めた。


「私たちは長い付き合いでね、初めて顔を合わせたのが十年前だ。そこから数えきれないほど間近でナカトニッヒの顔を見たよ。吐息がかかるほどの距離でな」

「えっ!?」

「誤解を招く言い方をするな。戦場以外でお前に会うのはこれでまだ三回目だ」

「一回目は上官と部下(雇い主と傭兵)で、二回目はお前が捕虜となって捕まった牢屋の中だったな、確か。あの頃のお前は可愛かった。いつもギラついた眼をして、そのくせ戦場で顔を合わせる度に瞳には絶望しか映っていなかった。そんなお前が私は大好きだった」


ロッテリシアの眼がスッ、と細められる。顔がわずかに上向き、だが視線だけは階段を挟んで低い位置にいるハルヘ向けられていた。


「――殺してやりたいくらいにな」


憎しみと侮蔑と嘲りが入り混じった、女性にしては低くかすれた声が届く。底冷えをする寒さが、直接向けられてはいないアンジェに触れ、アンジェは知らず一歩後退った。

ハルは真っ向から見下してくるロッテリシアを睨み返し、静かに言い返す。


「アタシはお前が大嫌いだ」

「フッ……嫌われたものだな。私としてはお前を愛してやまないというのに。

まあいい」


頬杖を外してロッテリシアは立ち上がった。ユラリ、とマントが揺れ、その下からは金属が擦れる音が広大な部屋に響く。

何を、とハルは身構えるが、ロッテリシアは軽く微笑みながらハルに目配せをする。そして次の瞬間にはハルの視界からその姿を消した。


「これがお前がツバをつけた娘か。中々可愛いじゃないか」

「なっ!?」


背後からのロッテリシアの言葉にハルが振り向くと、そこにはアンジェの顎に手を掛け、その顔を覗き込むロッテリシアがいた。二人からはロッテリシアが突如消えて、そして突如現れたようにしか見えていない。ハルは動きを捉えられなかった事に驚きを顕わにし、アンジェは突然の事態を理解できず、呆然としたままにロッテリシアの吐息を受けていた。


「少々幼いのが気になるが、悪くない素材だな。

ふむ……ナカトニッヒ」

「……何だよ?」

「もうこの娘を食ったのか?」

「ふぇっ!?」


記憶が無い、といえどもアンジェとて記憶を亡くしたまま何年も過ごしている。当然そう言った知識についても、多少乏しくはあるが意味を理解できる程度には持っている。顔を赤くして、アンジェは慌ててロッテリシアを押し退けた。


「い、いえっ、私は、その、の、ノーマルですから……」

「何だ、まだ食ってなかったのか? 何なら私が貰ってやろうか?」

「ええええっ!?」


クィ、とアンジェの顎を上げさせて、ロッテリシアは怪しく笑う。より一層顔を近づけ、アンジェの唇に生暖かい吐息が掛かり、ロッテリシアの口の端に牙を見たような気がして、アンジェは知らず喉を鳴らした。

近づく唇。赤くなる顔。

掛かる吐息。響かんばかりに高鳴る胸。

捕らえられたアンジェ。捕まえて離さないロッテリシア。

観念してアンジェは顔を真赤にしたままギュッと眼をつむった。


「……おやおや」


ロッテリシアは愉快気な声を発して、顔をアンジェから遠ざけた。


「冗談が過ぎたようだ。殺し合いになる前に手を引かせてもらおう」


クルリと踵を返し、ロッテリシアは元の玉座に戻って行く。その後ろ姿をアンジェは赤い顔のまま、ハルは銃口をロッテリシアに向けたまま見送る。


「さて、と」


真っ赤な玉座に腰掛け、また元の様に膝を組んで頬杖をつく。


「再会を喜ぶのもここらにして、そろそろ本題に入ろうか」

「お前が一方的に時間を使っただけだがな。いい迷惑だ」


不機嫌な様子で吐き捨てるハルにアンジェは苦笑した。ロッテリシアの方は浮かべた笑みを崩さずに手を上げて控えていたギルト員に合図する。


「何だよ、コレ?」


二人の女性がそれぞれ紙を取り出して、アンジェたちに手渡す。つらつらと書かれた都市の名前と年月。そして――右端に書かれた犠牲者の数。リストは上から古い順に並べられていて、古くは数十年前までさかのぼっている。アンジェとハルは上から下へと目線を動かし、やがて最後の行に達した時、短く息の詰まった様な声を発した。


「サリーヴ事件……」


ユーロピア南部の巨大都市サリーヴで起きたビル爆破事件。万に近い犠牲者を出した事件の容疑者は全員死亡。容疑者たちはみなメンシェロウトで、過去のメンシェロウトの覇権を再び取り戻すために無差別の爆破テロを行った、という記事をハルは思い出す。そしてアンジェもハルも、それが真実とは程遠いであろう事を知っていた。

記事では事件の内容が短く簡潔に述べられて、紙面の残りは犯人たちを「現実を直視できない夢想に踊らされた愚か者の集団」として嘲笑う内容だったのをはっきりと憶えている。

アブドラを撃った男にアンジェとハルが倒したノイマンたち。彼らは明らかにアブドラとは毛色が違った。かと言って個人的に彼らがアブドラと行動を共にしていたとも思えない。恐らくは、アブドラの背景にはアブドラたちを支援していた何かしらの組織がいたのだろう。


「ある組織が関わっていたと見られている事件の一覧だ」


ロッテリシアは姿勢を変えないままに、二人にそう告げた。


「規模・本拠地・構成員など主な情報は不明。いつ設立されたのかも何を目的としているのかも一切分からん。そこに書かれている事件も、あくまで推測だ。単に関わっているだけの事件はもっとあるかもしれんが、とりあえずは確度が高い事件だけを並べている」

「名前も分からないのか?」


ハルの質問にロッテリシアは「いや」と否定を口にする。


「名前は分かっている。と言っても、分かったのはごく最近だがな。

組織の名前はユビキタス」

「ユビキタス……」

ユビキタス(どこにでも在る)、か。中々どうして、実態を表してるいい名前だな、ペルトラージュ。それで、ユーロピア最大軍事・警察機構の長たるお前はどうするんだ?」

「無論、潰す」


皮肉げに笑いながら問いかけたハルに、ロッテリシアは嘲笑うように鼻を鳴らすと、眼を鋭く細めてそう言い放つ。

「だが」ロッテリシアは表情を緩める。


「組織の性格によっては共存も考えている」

「そんな!」


ロッテリシアの言葉に異論を唱えたのはアンジェだった。

アンジェはアブドラの心が悲しかった。想いが辛かった。追い詰められた感情が苦しかった。報われないと知っていて、心は晴れないと分かっていて、それでもなお、ああしなければいけなかったアブドラの存在が狂おしかった。

戦争が無ければ。争いが無ければ。誰かが理不尽な目に合わなければ、世界は優しく回り続ける。なのにその調和を壊す奴らが居る。争いの火種を撒き散らす奴らがいる。

自身からこみ上げる「何か」。アンジェ自身の心のどこかに巣食ったそれがアンジェをけしかける。それをアンジェも止めようとしない。

争いを許容できず、闘争を許容しない。

世界の調和を保つ責を持つギルトのトップであるロッテリシアの言葉を、アンジェは認められなかった。


「アンジェ」


アンジェの肩に手を掛け、ハルが呼びかける。諌める様な、気遣う様な響きを以て名前を呼ばれ、アンジェはハッと我に返ると「ゴメンナサイ」と小さく謝罪して視線をロッテリシアから逸らした。


「ふふっ……可愛いやつだな。世の中の汚れを知らない無垢なところがまた良い。つくづくナカトニッヒの物な事が惜しまれる」

「違いますっ!!」

「そんな話はどうでもいい。

で、こんなモンをアタシらに見せてどうしようって言うんだ?」


ヒラ、とロッテリシアに向けて紙を突き出す。ロッテリシアは楽しげに笑い、「依頼したい」と口にした。


「依頼?」

「そうだ。別におかしな事ではないだろう? ここはギルトで貴様たちの実力は知っている。信頼できる相手に依頼をするのは当然だ」

「信頼、ねぇ……」


胡散臭い話だ、とハルは内心だけで吐き捨てた。目の前の相手の「信頼」など、とてもじゃないが信じられないし信じたくもない。そんなハルの心の中を知ってか、ロッテリシアはニヤニヤと笑みを浮かべているが、それがまたハルの癪に障る。だから話の続きをさっさと促した。


「それで、アタシたちに何を依頼するって?」

「何、簡単な依頼だ。オシメの取れないクソガキでもできるモンさ。貴様なら人を殺すよりも容易くできる程度の依頼だよ。それこそ、そこの無知な娘でもできるだろうな」

「余計な御託はいい。さっさと話せ」

「そうせっつくな。

明日、ウチの職員がのアイントヘブンの街へ向かう。彼女の護衛を依頼する」

「……ただの観光ってワケでも無さそうだな」

「モチロン仕事だよ。それもギルト肝いりのな」

「その人って重要人物なんですか?」


アンジェの質問にロッテリシアは口だけを動かして否定する。


「彼女は単なるウチの職員だよ。少々特徴的だがな」

「にもかかわらず護衛を依頼する。しかもギルトでは無く外部に依頼する形で。という事は相当ヤバいモンをそいつは持ってるって事か」

「いい読みだ。流石だな。まあ無駄足に終わるかもしれないがな」

「どういう事だ?」

「ユビキタス、という組織はこれまで存在すら知られていなかった。あれだけ事件に関わっているにもかかわらず、だ。組織の規模自体が小さかったからか、それとも徹底的に存在が隠蔽されてきたからかは知らんがな。

だが状況が変わった。以前には組織員の事も一切把握出来ていなかったが、最近になって少しずつ構成員の場所を突き止める様になってきていてな、情報を得られるようになっているんだよ。貴様たちが昨日捕まえた男がいただろう? あの男もユビキタスの人間だ」


所詮下っ端だったがな。

その点についてはロッテリシアも期待してはいなかったのだろう。アンジェが驚きの声を上げ、ハルが眉間にシワを寄せるが、そう言い放つロッテリシアの表情は変わらない。


「ギルトとしてはユビキタスの情報なら何でも欲しくてな。丁重に(・・・)ご協力を願ったんだが、大した情報は得られなかった。せいぜいこの街に住む下っ端構成員の居所を知っていた程度だったよ」


何事も無さそうに話すロッテリシアの顔を見て、アンジェの背筋に怖気が走った。隣のハルを見ると、ハルは眉間にシワを寄せて険しい顔をしたままだ。

言葉の裏を読むことが苦手なアンジェでも理解した。いや、理解させられた。昨日捕まった男も、そして男から得た情報で判明した「ユビキタス」の構成員たちも恐らくは生きてはいないであろうことを。確証は無いが、アンジェはそれが事実であろうことを何となく確信していた。

それを指示したであろうロッテリシアは口元に笑みを浮かべたまま。なのにその笑みが凄惨なものにも見える。なるほど、とアンジェはハルが彼女を嫌う理由に得心した。


「一人見つかれば芋づる式にあぶり出せると思ったんだがな、やはりそうもいかないらしい。捕まえた奴らだけでグループは完結していて、それ以上繋がりは見つからなかった」

「だけど、新しい構成員がアイントヘブンの街で見つかった」

Genau(その通り)


鷹揚にロッテリシアは頷く。「そこで、だ」と言葉を続けながら組んでいた脚を組み替える。


「明日ウチの職員を派遣してな、ぜひご協力願おうと思ってな」

「ハッ! 今度はどんな拷問をするんだ? 指を切り落としながらか? それとも水責めか?」

「いやいや、そんな恐ろしい事は私にはできんさ。ただ知っている情報を教えてもらうだけよ」

「どうだか」


わざとらしく肩を竦めて見せるロッテリシアに向かって、ハルは侮蔑を込めた返事を返す。それにまたロッテリシアは小さく笑い、ハルは舌打ちをする。


「ユビキタスという組織の規模も力も分からんからな。ここまで情報を隠蔽して何十年も暗躍してきた奴らだ。奴らとしても情報が漏れるのは好ましいことではないだろう。どんな妨害があるか予想できんからな、実力を知っている貴様に護衛を依頼しようというわけだ。幸いにもちょうど騒ぎを起こしてくれたことだしな」


それで、どうする?とロッテリシアは二人に返事を求めた。アンジェはハルの方を見遣るが、ハルは顔をしかめて、楽しげなロッテリシアを見上げる。


「断る」


ハルはきっぱりと言った。

その返答にアンジェは僅かな驚きを以て、ロッテリシアは「やはりな」と小さなつぶやきで以て応える。


「理由を聞いてもいいか? 報酬はそれなりに弾むぞ?」

「アンタの事が嫌いだから。それじゃ不足か?」

「なるほど、確かに道理だな。それ以上の理由は要らない、か」


その言葉にハルは首肯して、アンジェに声を掛けるとロッテリシアに背を向けて入ってきた扉へと向かう。アンジェは慌ててその後ろを追いかけるが、ロッテリシアはその背中を見送りながら指を鳴らした。

それを合図として、扉が大きな音を立てて開かれる。武装した兵士が次から次へと入り込み、驚く二人を瞬く間に包囲する。


「……何のつもりだ?」

「なに、そういえば紙の最後に書かれていたサリーヴ事件。あれに貴様たちが関与していたという噂を思い出してな。犯人の一人と親交があったとも聞いてる。ぜひとも話を聞いてみたいと思ってな」

「アタシらが犯行に関わっていると?」

「そんな!? アブドラさんと話はしましたけど、爆破なんてしてません!」

「さて、私としてはそれを信じてやりたいところではあるがな、残念ながらギルトの幹部全員がそれを信じてくれるか別問題だ。

それに、アブドラという男とはどこで話をしたんだろうな?」


ハルは笑いながら話すロッテリシアの顔を睨みつける。冷たい瞳を湛えて、しかしニヤニヤと笑みを浮かべてハルは確信を抱く。

全部、知ってやがる。

あの時、あの街で何があったか。いつ、どこで、誰が、何を、どのように行なったか。その詳細を把握している。どうやって知ったか、その手段については分からない。事情を自分らの他に知っているのはオルレアと事後処理にあたったビジェの支部長であるアグニスくらいか。オルレアは旅に出ているはずだし、アグニスは口外しないと約束はしてくれたはずだが、どこから漏れたのか。

いや、確かに自分たちはあの事件に深く関わっている。が、罪を犯したか、と問われればノー、だ。アブドラをホテルで治療してギルトへ突き出さなかったところはグレーだが、犯人である確証はあの時は無かったわけだから、ギルトから問われる謂れは無いし、だからアグニスも特に聴取を行わずに送り出した。

問題は、そこらのグレーゾーンの話を目の前の女が知っている事。シロをクロに、クロをシロにすることさえできる。グレーを真っ黒にする事くらい、それこそ指先一つで可能だろう。


「おとなしく依頼を受けてくれるなら、この事を不問にするくらいはしてやるぞ? もちろん報酬もキチンと払おう」

「強引に押し通る事もできるんだぜ? この数とアンタが相手だって逃げるくらいはできる」

「ふむ……それは困るな。ギルトも戦闘要員は人手不足だからな。数を減らされるのは困る。

仕方ない。ビジェのギルト支部長のトップが入れ替えるか」


是非も無い。最初から選択肢なんて用意されていない。あるのはハイかイエスか。依頼なんて形を取る必要など無かったのだ。にもかかわらずここまで茶番を続けたのは、偏にニヤニヤ笑いを浮かべたまま二人を見下ろすロッテリシアの趣味か。


「それで、どうする?」


再度同じ問いをロッテリシアは口にし、だがハルは悔し気に頷くしか無かった。








◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「確かに私もあんまり好きになれそうに無いですけど」


何気ないアンジェの返答に、ハルはわずかに驚いた。

アンジェという少女は誰かれ構わず好意を寄せる習性を持っている。人一人を深く知るにはまだアンジェと一緒にいる時間は短いが、ハルはその推測を強ち間違いでは無いと、確信に近く考えている。例え相手が自らを傷つける意図を持っていたとしても、実際に行動に移されるまでは危険を排除しようとはしないし、危険にさらされても敵意を向けるかは怪しい。

だがそれが彼女の本質とは言い切れない。かつて目の前で兵士が殺された際には、理性のタガを外して相手方の兵士を半ば一方的に殺戮したのだから。しかし逆に考えれば、たった一言二言言葉を交わした相手であっても、理性を飛ばせる程の激情を抱けるとも言える。

自身への害よりも、他者への害に敏感。

それはハルからしてみれば非常に危うい事だと思うが、ハルの中ではそれがアンジェという人物像である。

そんな彼女の口から否定的な言葉が出るとは、ロッテリシア・ペルトラージュも筋金入りの嫌われ者だな。眉根に小さなシワを寄せるアンジェを見てそんな感想をハルは抱いた。


寂れた一角に、鐘の音が鳴り響く。街の空気と同様にその音色は寂しげで、音のした方向を見遣れば小さく家々から飛び出した塔があった。教会らしいそこから静かな音が付近一帯へ伝わっていった。


「鐘の音って、どこか落ち着きますよね。私は好きです」

「アタシもだよ」


宗教は好かないが、それでもこの音色は荒れた心を落ち着かせる。アンジェに同意しながら眼を閉じ、響く音に耳を澄ませる。

やがて反響も減衰していき、鐘の音が消え去って厳かな雰囲気が立ち去った。また元の街へと戻る。

ガチャ。アパートの玄関が開き、中からはメガネを掛けた女性が出てくる。白髪に蒼い瞳。彼女がロッテリシアの言っていた護衛対象であると確信し、ハルは彼女の方に向き直り、アンジェも玄関のドアを閉める彼女を同じ様に見た。


(さて、と。ロッテリシア(クソババア)が信頼を置く相手はどんな人間かねぇ)


護衛の対象であるリーナ・アイザワを見定めようと、少しだけ気合を入れて彼女の方に脚を踏み出した。遠くからみる限り、メガネのせいもあってかとても理知的に見える。色は白く、病的な感じを受けるがロッテリシア曰く、それが彼女にとって普通とのこと。腕や脚の筋肉の付き方を見てみるが、とても細い。骨と皮しかついていないんじゃないか、と思わせる程に。

ロッテリシアはアウトロバーだが、彼女は人種で差別したりはしない。彼女が求めるのは能力であり、生まれも性格も関係がない。アイザワはメンシェロウトだという話で、戦闘とは無縁そうに見えることから、十中八九頭脳の方で信頼を得ているのだろう。なれば油断は出来ないな。

そうは思うが、仕事は仕事。護衛するには対象との信頼関係は非常に重要だ。

アンジェに小声で「笑顔でな」とだけ囁くと、あまり得意では無い営業用スマイルを浮かべてハルはリーナに近づく。

近づいてくる二人に気づいたか、リーナはニッコリと笑い、二人に向かって手を上げた。それを受けて、ハルも自己紹介をすべく口を開いた。


「初めまして。ハル・ナカトニッヒです。本日は宜しくお願いします」

「アンジェ・ユース・エストラーナって言います。宜しくお願いします」


挨拶をしながら握手のため手を差し出す。

リーナはそれを見て、少し慌てて手を前に出してアパートの短い階段に踏み出した。


「初めましてー。リーナ・アイザワです。よろしく……」


階段には何の装飾も施されていない。ただ石の塊から切り取った様な粗雑な段があるだけだ。出っ張りがあったりはしない。

にもかかわらず。

つまずいた彼女は、手を差し出したまま地面に向かってダイブした。


「……お願いします」


リーナ・アイザワ。天然の天才(ジェニアル)である彼女はその能力ゆえに情報探索のみ(・・)についてロッテリシアの信頼を得ている。

が。

運動に関しては心配しかされていない事を、彼女はまだ知らない。





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