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Criminal Snow  作者: しんとうさとる
第一章
14/23

第1-22~epilogue

第一章終了です。

お読みいただきましてありがとうございました。







-22-







時間を掛けてアブドラはゆっくりと階段を登っていく。

レンガで作られた通路に足音が凛と響いた。灯りの無い、冷たい空気が汗ばみかけていたアブドラの体を冷ます。

数分も経たずして階段が途絶えた。アーチ状の出口を抜けると雨音が出迎える。遠くからは雷鳴が轟き、目映い閃光に時々眼を閉じる。

城壁の上に立つと蒸すような空気がアブドラを包み込んだ。

土砂降りの雨の中を踏み出し、痛い程の刺激が顔を打つ。

正面には巨大なライフル。まだ距離があるはずなのに、その巨大さのせいで手が届きそうな気がしてくる。

歩きながらアブドラは街の方を見た。遠くに自らの手で崩したビルが見える。街の象徴でもあったはずのそれは今や崩壊の象徴へと変わり果てていた。


――まずは一つ


目的を達成し、それを確認したことでアブドラはわずかな高揚感を覚えた。

経緯にどこか誇り辛いところはあったが、まあ成功と言えた。


――後は……


もう一箇所を破壊すれば、最大の目標が達成される。そのために自分は危険を犯してこの街に来たのだ。

街の中心を睨みつけ、強く褐色の拳を握り締める。熱が内から内から湧き上がり、目的が成し遂げられるのを今か今かと、アブドラを燃え尽くさんばかりに炎が揺らめく。

足元からは雨音に混じって微かな話し声が聞こえる。見下ろせばアンジェとミシェルが戦いを開始していた。

遠くから眺めていても、メンシェロウトであるアブドラにはまともに動きなど見えない。だがそれで良い。殴っても蹴っても、所詮非力な自分には奴らにダメージなど与えられない。だからこそ他の手段を模索して、今、ここに立っている。

数秒だけ足元の戦いを眺めていたが、すぐに興味を無くしてライフルを見た。

街の外へ向けられたまま、何も無い場所へとそれは砲身を向け続ける。一度も使われていないのか砲身には傷一つなく、稲光にまぶしく反射する。

美しい。アブドラはそんな感想を抱く。

傷一つ無い、完璧な美が破壊的な衝動を宿している。兵器という壊すしか能の無い物が欠けようの無い美しさを持っている。倒錯的な何かに囚われて、アブドラは手を伸ばした。

手がライフルに届こうという時、アブドラの脚が何かを蹴飛ばした。

顔を下に向けると、倒れ伏した軍服を来た兵士。ロバーらしく、非常に重くて少し力を加えた程度では全く動かない。

すでに絶命している兵士を見て、アブドラは眉間にシワを寄せ、そして脚を振り上げた。

怒りに突き動かされて、だが脚を上げたままアブドラは動きを止める。

感情そのままに兵士をにらみ、何かに耐えるように奥歯を強く噛み締める。

時が止まったかの様にアブドラはそのままの体勢でいたが、やがて脚を下ろし、兵士をまたぎ越してライフルの前に立った。


ライフルの操作席に座ったアブドラはポケットから何かを取り出し、それをコンソール下へと接続した。

時刻は夕暮れだが、悪天候のせいで夜の様に暗い。その中で、ライフルのマニュアル操作用コンソールにあるモニターが光を放っていたが、コードを繋いだ直後モニターは黒く染まり、そしてまたすぐに画面が開かれてアブドラの顔を照らし出す。

モニターに文字が映し出される。パスコードを要求する文章が現れ、アブドラは差し込んだ端末を操作する。

膝の上に置いたコンピュータはほのかに光っていたが、操作すると光が強くなり、ホログラムモニターが浮かび上がった。

モニター上のキーボードを叩き、大量の文字列が流れ始める。

しばらくその光景をアブドラは腕組みして眺めているだけだったが、文字列が途切れ、電子音が小さく終了を告げるとコンソールモニターにタッチしてパスワードを入力した。

今度は大きめの音が鳴り、それと同時にカチッとロックが解除される音がした。

コンピュータを外し、アブドラはそれを放り投げると踏みつぶして破壊する。

完全に壊れた事を確認すると、アブドラはコンソールを操作して画面を切り替える。モニターには街の外が映し出され、アブドラがボタンを押すとライフル全体が街の方へと回転する。光の無い街並みが眼に入ってくる。街は暗いがモニター上の景色は処理が施され、昼間の様子と変わらない。

ボタンを細かく押し、慎重にライフルの向きを操作する。

街の外れの工場地帯を通過し、街の中心にある議事堂を通り過ぎ、瓦礫の山を乗り越える。

やがて砲身は工場地帯とは真逆にある外れを指し示した。

何も無い、空白地帯。近くに住宅街はあるが、市民の憩いの場としても使えそうで、比較的土地は綺麗に整備されている。

面積はとても狭く、この街の一般的な住宅のおよそ半分程度。工事が計画されているのか、土地の周りはロープが張られていて侵入できない様になっている。

何の変哲もないただの空き地。だがアブドラは知っている。地下に要人用の極秘シェルターが建設されていることを。そして、自分が本当に殺したい奴がそこに居ることを。

だから自分はこの計画に参加したのだ。奴さえモニターに示される照準マーカーがそこを捉えた。マーカーが中心に向かって小さく絞りこまれ、アブドラは手元のボタンを押し込む。

低い音を立ててライフルにエネルギーが込められていく。砲身内部に光が満ちていき、闇夜に存在を主張し始めた。

瞬き一つせずアブドラはモニターを睨み続ける。モニターの隅に示されたエネルギーゲージが上昇し、そして限界までメーターが達した。

瞬きを一つ。口からは大きなため息が溢れる。

濡れた掌を拭き取り、最終安全装置を解除するためにコンソール下のスイッチへと手を伸ばした。


「そこまでです」


首筋に突きつけられた拳銃の感触と男の声にアブドラは動きを止め、ゆっくりと手を上げる。


「邪魔をするな」

「そういう訳にもいきませんね。貴方が照準をそちらに向けている以上は私も止めざるを得ません」

「俺が聞いた話では互いの行動に関しては不干渉だったはずだ」

「なら約束事を先に破ったのはそちらの方と言うわけですね」


拳銃をアブドラに押し付け、男はハンマーコックを倒す。

男は顔に朗らかな笑顔を貼り付け、左手で帽子の縁から垂れる水気を切ってかぶり直した。それでもアブドラが動こうとすると、すかさず銃を押し当てて動きを牽制する。


「私たちユビキタスと貴方たちペリオデオは確かに相互不干渉ということで合意しています。

ですが、貴方は事もあろうに私たちのトップの一人を殺した。偽装はされてましたけどね。これでは不干渉とはとても言えないでしょう?

先日貴方が殺した彼も、そして今殺そうとしている彼もユビキタスの上層部は高く評価しています。今、彼がいなくなるのは非常に困りますし、実際に困ってるんです」

「だから俺を殺す、か。暇なことだな」

「私も暇な方が好きなんですが、たまには仕事をしないと上司に睨まれてしまいますし。仕方ないので貴方の動きを監視させてもらいました。

気づいていたでしょう?」

「まあな」


返事をしてアブドラは低く笑う。分かっていながら止めようとしなかった自分を自嘲し、それと同時に目的を達成できた事を誇らしくも思う。


「貴方たちペリオデオと違って、私たちの組織はトップダウン色が強いんです。彼が死んだせいで計画の見直しも大急ぎでしてるみたいですし、エージェントも上手く動けないんで私も大忙しですよ」

「天然の天才(ジェニアル)たちならすぐにやり直せるだろう。凡人の俺とは違ってな」


嘲るようにアブドラは鼻で笑う。男は、縁の幅が広くて分かりづらいが、どこか困ったような表情を浮かべた。


「それを言うなら、その天才たちを慌てふためかせる貴方はもっと凄いという事です。だいたい、どうやって彼があそこにいる事を突き止めたんですか? この街のシェルターの場所は上層部の極一部しか知らないはずですが」

「情報というのは必ず漏れる物だ。要はそれを見逃さないだけに過ぎない」

「なるほど。わかりました、心に留めておきますよ」

「それで、どうした? 俺を殺すんじゃなかったのか?」


心底感心したように大仰に男はうなずいていたが、アブドラにそう言われ、また困惑の表情を浮かべてみせた。


「殺さないといけないんですけどね、実は少し迷ってます。

先ほどから言ってますけど、私は貴方をかなり評価してるんです。できれば殺したくないくらいに」

「ありがたい言葉だが、俺は全然優秀な人間じゃない。失敗して、失敗して、地面に這いつくばってばかりいる人間だ。

今ここにこうしているのもこの間、奴を殺しそこねたからだ。こんなライフルを使うのも所詮次善の策だよ」

「折角殺されないで済む口実を作ってあげたのに、どうしてそれをぶち壊すような事を言うんでしょうか」

「根が正直者でな。嘘は吐けない性質なんだ」


アブドラがそう伝えると、男は声を上げて笑った。

無邪気な笑い声に重なるようにアブドラも珍しく笑い声を上げた。

だがその声を途切れさせると、アブドラは唐突に振り返って銃口を握って男の腕ごとひねり上げた。

銃口の向きがアブドラから外れ、男の頭から帽子が落ちる。男の顔が顕になったが、その表情には、突然のアブドラの行動にもいささかも驚いたところは無く、笑った時そのままの笑みを浮かべていた。

街の中心で爆発音がした。雨の中を黒煙が空へ昇る。それを皮切りに、街の至る所で爆発が起きる。そしてその音に重なるようにして二人の間に銃声が響いた。

建物が崩壊する音が届き、同時にアブドラの膝が地面をつく。腹部からこぼれ落ちた血が濡れた地面ににじんで雨に流されていく。

男の左手には別の銃が握られていた。右手側の銃からアブドラの手が離れ、その銃をスーツの内ポケットに仕舞うと、雨で崩れたシルエットを正すために一度スーツの裾を下へと引っ張った。


「残念ですが、正直者は不利益しか被らない世の中なんですよ」

「……まさかもう一つ……隠し持っていたとはな……」

「人を騙すのが好きなものでして。序に言えば迷っているというのも嘘です」


ニッコリと笑顔を浮かべると、男は立て続けに三度引き金を引く。

弾き出された弾は全てアブドラの腹部に命中し、だがすぐには死なない位置に穴を開けた。

一箇所に穴が開けば悲鳴が漏れ、二つ目には鮮血が、三発目には悲鳴が唸り声に変貌する。


「苦しませて殺せ、との命令でして。

ああ、恨むのは何でもいいですよ。私でも私の上司でも、この世界でも」

「ぐ…あ……」


褐色の肌の上、口元から血が零れ落ちる。食いしばった歯がべっとりと赤く染まっていた。

それでもアブドラは立ち上がった。ヨロヨロ、と指先で突いただけでも倒れてしまいそうで、だが絶対に膝はつかないとばかりに幅広に脚を開く。


「やはりしぶといみたいですね。

ですが、それだけ苦しみも長くなりますよ?」

「…構わん。俺は家族を失った。故郷も無くなった。神への信仰も捨てた。これまでの事に比べればこの程度、何の障害にもならん」


眼光鋭くアブドラは男を睨みつける。

男は腹部から流れ落ちる血を笑ったまま眺め、顔に貼りつけていた笑みを消して再度銃をアブドラに向けた。


「貴方が言うと本当にこの状況を何とかしてしまいそうな気がして怖い。何の力も持たないただのメンシェロウトだというのにね。

やはり貴方は危険です。命令違反ですが、早々にここを去ることにします。

そうだ。最後に神に祈ってあげましょう。嬉しいでしょう?」


アブドラは口に溜まった血を吐きつける事で応える。男の足元へ落ちた粘っこいものが弾け、ズボンの裾をわずかに赤く汚した。


「そういう返事をしてくれる貴方が私は好きですよ。

それでは、苦しみ抜いたアブドラ・エスラーンに神の祝福を……」

「アブドラさん!!」


男が皮肉を口にした時、アンジェの呼ぶ声が二人の間に割って入る。

とっさに男は声に反応し、注意がアブドラからアンジェへと移った。そしてその瞬間をアブドラは見逃さない。

半ば倒れこむ形で男へと体当たりをし、体勢を崩した男の銃口は虚空へと向かう。


「くっ!」


大柄なアブドラに覆い被さられ、倒れそうになるが間一髪ではい出して銃を構え直した。

だが男の左手に強い衝撃。ゴム弾頭が手に当たって宙を舞い、拳銃はカラカラと音を立てて雨の中を転がっていった。

一瞬だけ男はアンジェを見る。しかしすぐに右手の銃をアブドラに向けようとした。だがアブドラはすでにライフルを挟んで反対側へと逃げ、男には次から次へとアンジェからゴム弾が飛んでくる。


「ここに来てロバーの邪魔が入りましたか……

残念ですが引き際ですね」


腕の内部に装備されたアンジェの銃を見てアンジェをロバーと判断し、戦闘の継続を断念した。そして体の向きを都市の外へ向けると、高い城壁から躊躇なくその身を躍らせた。

銃声が途絶え、雨音だけがアンジェとアブドラ二人の耳を打つ。アブドラはしばらく警戒していたが、やがてそっと柵から身を乗り出して落ちていった男の行方を確認する。が、男の姿はすでにどこにもなく、どこへ行ったかも分からない。

ふぅ、と大きく息を吐き、アブドラは体をライフルに預けた。


「大丈夫ですか、アブドラさん!」

「近づくな」


危機が去ったと判断して、アンジェは右手の銃を元に戻してアブドラへ駆け寄ろうとする。が、アブドラは小さく、だがはっきりとした声で制止した。

閉じていた眼を開き、暗い夜空を見上げる。一度また眼を閉じ、奥歯を噛みしめてよろめきながらも立ち上がった。


「それ以上近づくな。一歩でも近づけば……俺はこの引き金を引く」


そう言ってアブドラはライフルの操縦桿をつかんでスイッチに手を掛ける。

アンジェは素早く銃を構え、照準をアブドラに合わせてみせる。


「どうして……どうしてそこまでして……」

「お前には分からないだろう。例え、どれだけ俺が言葉を尽くして説明したとしてもな。

人は経験してみない事にはその本質を理解する事はできない。奪われ、傷ついてやっと理解できるものだ」

「そんなの…理解したくありません!」

「ああ、そうだ理解する必要はない。君の様な人間は理解してはいけない」


話しながらアブドラの口からは血が流れ落ちていく。腹から零れる赤い命は濡れた服ににじみ、やがて水に溶けていく。

激しくアブドラが咳き込む。その度に血が飛び散り、世界に散っていった。


「アブドラさん!」

「なあ、アンジェ。君はこの世界をどう思う?」


顔を少しだけ伏せ、アブドラはアンジェに尋ねた。アンジェは首を横に振って、泣きそうな顔をアブドラに向ける。


「……もう、しゃべらないでください。じゃないと……」

「いいから答えてくれ。こんな、争いだらけで、傷つき、傷つけ、奪い、奪われ、神に祈ることもできない世界を……君はどう思う?」


泣きそうな顔に笑みを浮かべてアブドラは再度尋ねた。

アンジェは右腕の銃を構えたまま、ゆっくりと頭を振った。


「私には…アブドラさんがどんな答えを求めてるのか分かりません……

ですけど……とても悲しい世界だと思います」

「そうか……」

「でも……」


アンジェは眼を閉じて、これまでの記憶を思い返す。

昔の記憶は無い。両親はどんな人で、兄弟がいたのか、友人はいたのか、何もまだ分からない。自分がどんな人と触れ合い、どんな風に成長したのか、自分の中に残っている昔の世界はどこにもない。

だが今の世界はここにある。旅をして、怒られて、塞ぎこんで、痛みに泣いて、街に驚いて、景色に感動して、そして誰かと笑っている世界は確かにある。


「同じくらいに世界は優しいんです。ある時は平等に不平等で、でもある時は不平等に平等で……

大切な物を貰ったり無くしたりを繰り返して、時には厳しくて、残酷で……

だけど」


伏せていた顔を上げて、アンジェはアブドラを見た。

うるんだ瞳をアブドラの瞳に向け、アンジェは微笑んだ。


「時々美しい」


アブドラの中でアンジェの姿が誰かと重なる。

今は遠い砂漠の国。照りつける太陽の元で項垂れる自分の姿。始めたロバーと町の人との調停が上手くいかずに、嫌気が差して全てを投げ出したくなった時、いつも彼女の姿が自分の隣にあった。

幼い娘を膝の上に置き、混血故の透き通るような白い肌の手で自分の手を握ってくれた。

『どんな人でも辛い時があるの。悲しい時があるの。理解されなくて、どうしようもない時はあるものよ。

でもね、貴方を理解してくれる人は確かにいるの。悲しい時に慰めてくれる人はいるの。そのくらいには世界は美しいものよ』


――ああ、そうだった


アブドラの中で蘇る。

怒った顔も、べそをかく顔も、笑った顔も、存在自体が愛しい娘の姿が。

どんな時も微笑んで支えてくれた、かけがえの無い妻の顔が。

何度ロケットの写真を見てもぼやけた姿しか、アブドラの中では見えなかった。なのに――

アブドラは眼を閉じて天を仰いだ。


――それが今はこんなにもはっきりと見える


アブドラの顔に笑みが浮かんだ。自嘲や嘲笑では無く、心よりの笑顔。

彼女の姿を取り戻せた。それが何より嬉しく、そして、だからこそ――憎い。


「アンジェ……君には感謝しないとな。

それと先ほど、言葉が軽い、と言ったことを撤回しよう。今の君の言葉は俺の中に確かに届いた」

「アブドラさん……」


考えを変えてくれた。そう思ってアンジェは緊張を緩め、銃を下ろした。


「だが、少し遅かったようだ」


アブドラはコンソール下のスイッチへ手を伸ばした。アブドラにしか聞こえないほどの小さな音を立て、ライフルの安全装置が解除される。


「やはり君は私の様な人間を理解してはいけない。理解しようとしてはいけない。

もし理解しようとしたら、君はきっと真面目に悩み、苦しみ、それでもなお理解することを諦めないだろう。

そんな事をすれば、君は君自身を失ってしまう」

「止めて下さい……アブドラさん」

「だから……勝手な願いだが、私という存在を忘れてくれ」


アンジェに向かってアブドラは微笑みかけた。かつて、自分の娘に向けていたのと同じ優しい笑顔で。

アンジェが銃を構える。アブドラがライフルへ向き直る。照準が先ほどと変わっていないことを確認し、一度瞑目して引き金に手を伸ばした。


――間に合わない


絶望がアンジェを襲ったその時、一つの声が切り裂いた。


「アブドラぁぁぁぁぁっ!!」


ありったけの声でオルレアが叫ぶ。

バーニアを全力で噴かし、体ごと巨大なライフルへぶつかる。

激しい衝撃がオルレアに加わった。それでも痛みを無視し、肩に砲身をかつぐ形でライフルを押し上げていく。

エネルギーの充填された砲身は発熱し、押し上げるオルレアの表皮を焦がし溶かしていく。


「馬鹿野郎!今すぐ離れろ!!」

「嫌だねっ!!」


蒸発する雨に混じってオルレアの体からも蒸気が上がる。痛覚を切るでもなく、顔を苦痛に歪ませながらも向きを変えようと押し続ける。

だが固定された砲身は動かない。ギシギシときしませてわずかに上がっていくが、照準が大きく外れるには至らない。

アブドラは操縦桿を強く握りしめた。赤く染まった歯を顕にし、迷い、決断する。


「うわああああぁぁぁっ!!」


アンジェが叫び、ラスティングを発動させて走る。

ゴム弾をアブドラに向けて発砲し、アブドラの体が弾かれてライフルから離れた。だが右手だけはしっかりと引き金を握り、そして引き絞られた。

砲身の先端から一瞬だけ発光が強くなる。

まだ、間に合う。いや、間に合わない。

異なる結論がせめぎ合い、だが足は止めない

。ゆっくりと時が流れる中、ライフルに体をぶつける直前。

顔を背けて街に視線が移った時、アンジェは見た。

雄叫びを上げるハルの姿を。

ライフル真下の城壁が爆発し、弾け飛ぶ。アンジェの体がライフルにぶつかる。

それと全くの同時に、制裁の光がライフルから放たれた。

三人の体はライフルに巻き込まれる様に回転し、そして一条の光が雨雲を貫いていった。







雨が止み、光線に貫かれた空から美しい夜空が顔をのぞかせる。

光を失ったライフルが空しく転がり、砕けた城壁の小さな欠片があちこちに散らかっている。土砂降りの雨のせいで水浸しになった城壁の上。オルレアは重い体を引きずるようにアブドラへと近づいた。


「ダメだったか……」


夜空を眺めながらアブドラはつぶやいた。大の字になって寝そべり、水たまりが体温を奪い去っていくが、アブドラは寒さを感じなかった。


「アブドラ……」

「分かってはいたさ」


顔をのぞきこんだオルレア。そこに肩を抑えたアンジェが加わる。アブドラはその表情と月とを見ながら語りかける。


「俺の復讐が、大部分にとっては迷惑にしか過ぎなくて、俺と同じ悲しみを俺自身が生み出していたのは分かっていた。どんなにロバーを殺そうとも俺さえ報われず、俺と同じ人種を数えきれない程に作り出すだけの、何の意味も無い行為だと理解していた」

「分かっていたのに、どうして……?」

「そうでもしなければ、耐えられなかった。生きていけなかった。自分という存在の可愛さに、俺は無数の命を食わなければならない、害悪に成り下がった。

この時代、似た様な人間は数多くいるはずで、みんな耐えてたというのにな」


まったく、愚かにも程がある。

そう言って深いため息を血と一緒に吐き出した。


「忌み嫌っていたはずのロバー以下に俺は成り下がり……楽しく笑っていたはずの人間を、ロバーを、たくさん殺してしまった。

もし、俺がしてしまった事でメンシェロウトを非難する奴がいたら……迷わずこう答えるだろう。悪いのはメンシェロウトではない、俺が悪いのだと。

区別するべきは人種では無かった……俺の家族を殺したのはロバーではなく、あの時、あの場所にいた奴らだった。見殺しにしたのはメンシェロウトではなく、町の人間だった。メンシェロウトもノイマンもロバーも関係ない。見るべきは人間そのものだった……」


ゆっくりと瞬きをする。星空はにじんで見えた。


「オルレア、だったな……」


声を掛けられてオルレアは大きくうなずく。


「お前は……ロバーであるお前は……メンシェロウトを憎むか……?」

「…いや……私は憎まない。もう、憎めない……」

「そうか……」


ありがとう。礼を述べてアブドラは血に濡れた手をオルレアに向かって伸ばした。

力なく掲げられたそれをオルレアは両手で強く握りしめた。

手にわずかに伝わる感触にアブドラは驚きの表情を浮かべて、そして笑った。


「ありが…と……」


眼はもう、開かなかった。










-epilogue-







「ホントに一人で行くのか?」

「ああ、考えを変えるつもりはない」


城門を前にして問いかけるハルに、オルレアは真っ直ぐに見つめてそう応えた。

その隣で、頭に包帯を巻いたアンジェが心配そうに見上げる。と、その肩を大きな手が叩く。


「心配いりませんよ。彼女なら大丈夫です。私が太鼓判を押してあげますよ」

「いえ、丁重にお断り申し上げます」


アグニスの申し出をオルレアはきっぱりと断る。

ひどいなぁ、と言いながらもそのアグニスの顔は笑っていた。


「部長の太鼓判ほど当てにならない物はないですからね。何にでも簡単に押してしまいますから」

「そんな事はないですよ?きちんと相手は見極めてますから」


今回も私の言う事を聞いて良かったでしょう?

そう言ってアグニスはアンジェとハルの顔を見た。それに従ってオルレアも二人を見て、そして、そうですね、と小さく笑う。


「私としてはもう少し彼女たちと一緒が良いとは思うんですが、まあオルレアが決めた事ですから心配してませんよ」

「私も彼女たちにはお世話になりました。ですが、ここからはしばらくは一人で歩き回ってみたいんです」

「ケガには気をつけてくださいね、オルレア」

「私はお前の方が心配だがな」


声を掛けたアンジェに、オルレアはため息混じりに返した。

どういう事ですか、と頬をアンジェは膨らませて抗議するが、そのまんまだろ、とハルから突っ込まれ、ますます頬を膨らませてそっぽを向いた。

そんなアンジェの様子に微笑ましさを感じてオルレアは笑顔を見せる。

尚もアンジェとそれをいじるハルの二人を眺め、アグニスの方を見ると同じ様に微笑ましく見ていた。

オルレアは空を見上げる。先日までの雨が嘘の様にどこまでも晴れ渡っている。城門の奥に広がる街並みは廃墟。だが今、後ろには美しい山々が見渡せ、世界がオルレアの旅立ちを祝福していた。


「では、そろそろ行きます」

「あ、ちょっと待ってくださいね」


三人に背を向けようとしたオルレアだったが、アグニスから呼び止められて振り向くと、そこに手が伸ばされた。


「ブラウンからプレゼントらしいですよ。君の手に合う様に調整したって言ってました」


それは銃だった。日光に反射して黒光りし、口径も大きなそれはずっしりとした重量感を見ただけでオルレアにもたらす。

君に、と差し出されたそれだが、オルレアは手に取るのをためらう。しかし、その反応を予想してたかのようにアグニスがオルレアの手を優しくつかみ、そっと握らせた。


「世界は時々残酷です。今はこうして優しい顔を見せてくれてますが、いつ君に牙を向けるか分かりません」

「ですが……」

「君は誰かを傷つけるつもりですか?」

「違います!!」


アグニスの声に思わずオルレアは叫んだ。すぐにハッとして謝罪する。

顔を背けたオルレアだったが、アグニスは小さく笑ってみせた。


「そうでしょう?

そんな君だから彼もこれを託したんだと思いますよ」


だから持って行ってあげてください。

そう言ってアグニスはオルレアから離れる。オルレアは手の中の銃を見つめていたが、一度それを構えてみる。

風を切って銃を世界に向ける。何度も何度も。

すっと手に馴染むそれは、長年使ってきたかの様な感覚をオルレアに与えた。この手の銃を使う事は今までほとんど無かったが、安心感さえ感じさせる。


「ブラウン氏に感謝の意を伝えて頂けますか?」

「もちろん。もっとも、彼の事だからたぶん受け取らないだろうけどね」


それじゃ名残惜しいけど、とアグニスはオルレアに手を差し出した。

お元気で、とオルレアも手を握り返す。


「じゃあ元気でな」

「またいつか会いましょう」

「ああ、いつかまた、絶対に会おう」


アンジェとハルの二人とも握手をする。堅く握られたそれは容易には解けそうに無く、それでも三人は自ら手を解いて別れた。

今度こそオルレアは三人に背を向ける。手に持っていた真新しいコートを羽織り、歩き出していく。買った時には馴染まなかったその姿は、今は少しだけ似合って見えた。



オルレアの姿が見えなくなるまで三人は見送り、さて、と三人は顔を見合わせた。


「じゃあ私はこれで失礼します。ギルトのみんなも忙しさに悲鳴を上げてる頃ですから」

「この街は大丈夫なんでしょうか……?」


否が応でも眼につくビルの残骸を見ながら、独り言の様にアンジェは尋ねた。

難しいでしょうね、とアグニスは肩を竦めてみせる。


「でも何とかなると思いますよ?」

「ずいぶんと楽観的だな」

「こういう時は楽観的に考えた方が良いんですよ。

それに、私は信じてますよ。

時々人は弱い。けれど、時々、強い。今までは弱い面が出ていましたけど、ここからは強い面が顔を出してくれるはずです」


それもそうだな、とハルもうなずいてみせる。

アンジェもまた二人を見上げて大きくうなずいた。


それでは、とアグニスは二人に手を振る。オルレアとは逆の方向に歩いて行き、廃墟が広がる街の中へと消えていった。

街の外には二人と、そしてバイクが残された。


「さて、アタシたちはどうするかな?」

「ハルはどうするつもりなんですか?」

「そうだなぁ……今度は北の方に向かってみるか。これから暑くなるし。

お前は?」

「私は決まってるじゃないですか」


そう言ってアンジェは荷物を肩に担ぎ、バイクの定位置にすっぽりと収まった。


「さあ行きましょう!」


ビシッ!と彼方を指差してアンジェは叫んだ。

ハルはやれやれ、と肩を竦めてため息を吐き、ヘルメットを被ってバイクに跨った。


「そっちは南だ、バカ」

「あっれぇぇっ!?」


太陽の位置を確認しながらキョロキョロと見渡して方角を確認するアンジェ。はあああ、とわざとらしくため息をついてみせてハルはエンジンを掛けた。

低い唸り声をバイクが上げる。遮る物の無い辺りに音が無尽に響いた。


「ところで、それを持っていくのか?」


アンジェの膝の上に収まっている荷物からのぞく壊れた左腕を見てハルは尋ねた。


「はい。この街の事、忘れたくないですから」

「そっか」


短く返事をしてハルはアクセルを回す。

暖かい陽の光を浴び、舗装された道を二人は走り始めた。








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