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Criminal Snow  作者: しんとうさとる
第一章
13/23

第1-21章

感想とかいただけたら嬉しいです。







-21-







暴風が吹き荒れる。

城門近くの街の郊外。その一角で、二人を中心として激しい攻防が繰り広げられる。

振るわれた腕が雨を切り裂き、風を切り裂く蹴りが家屋の壁を壊し、踏み止まる脚が地を抉る。

ハルが手に持つナイフを鋭く横薙ぎにする。

ヤンは上半身だけを反らし、それを避ける。

だがハルの攻撃は止まない。

逆手に持ったナイフを突き出し、薙ぎ、振り下ろす。攻撃の合間には幾つものフェイントが折混ぜられ、一つ一つの動作の隙を補完していく。

流れる様な動き。身体系ノイマンとしての基礎能力の高さに加えて、長い鍛錬によって培われてきた技量。完成された攻撃に徐々にヤンは避けきれなくなる。

チッ、と小さな舌打ちがヤンの口から零れる。ハルはそれに一切反応を示さず、表情を無くしたままに体を動かし続ける。

やがてヤンは攻撃を捌き損なった。ハルはそれを好機と見て体をヤンの懐に滑り込ませた。

ヤンの眼が見開かれ、口元が歪む。ハルはナイフを横薙ぎに振り抜いた。


「なんてね」


硬い金属音が鳴った。

驚きに染まった顔でハルがナイフの先を見る。

ナイフを防ぎ、切り裂かれたヤンの袖の下。そこから黒い篭手がのぞいていた。

ギリギリと音を立て、しかし篭手に阻まれてナイフは止まって動かない。


力が拮抗し、刹那の時間だけ互いの動きが停止。だが小刻みに震える腕が徐々にナイフを押し返し始めた。

顔を覆う漆黒の闇。その下から愉悦に歪んだ顔が姿を現す。

ハッとハルは眼を見開いた。慌てて距離を取ろうと脚に力を込める。

が、その前にヤンの咆哮が辺りの空気を震わせた。


「うおおああああっ!!」


力任せに腕を振るい、ナイフごとハルを弾き飛ばす。

軽いハルの体は容易く浮き上がって数メートル程度飛んで行き、体勢を崩しながらも足を地面に押し付けて留まる。


「もういっちょおおぉぉっ!!」


切れ長の釣り上がり気味の眼を更に鋭くし、ヤンはハルへと飛び掛かり、体重を乗せた跳び蹴りがハルの腕にめり込む。

骨が軋む。

咄嗟に両腕をクロスさせてガードするが勢いを殺し切れず、大きくハルの体が回転する。

世界が上下した。

頭上に地面を見ながらもハルは姿勢を何とか制御する。後方宙返りの様にバランスし、だがその時、視界の端にヨハンの姿を捉えた。

ハルはナイフを地面に突き立てた。アスファルトが削れ、ギャリギャリと耳障りな音を立てる。

火炎フレイムは能力者が視認した場所にしか発生しない。したがって相手の動きを予測して炎を発生させる必要がある。ハルはナイフを利用してヨハンの狙いをずらそうとした。

渾身の力を両腕に込め、反動を利用して飛ばされる方向を変換。ナイフを手放して宙に舞う。

直後、ナイフを中心にして炎が立ち昇った。

熱がチリチリとハルの前髪を焦がし、それでもバク宙をして足から着地。それと同時に腰に携えていた銃をヨハンに向けて発砲。

連続して放たれた三発の銃弾が全てヨハンの体へと迫る。

だが炎の壁が二人の間に立ち塞がる。弾は飲み込まれ、炎が消えた時には何事も無かったかのようにヨハンがハルに、無表情に濁った視線を送っていた。


「また避けられちゃったね……」

「いいんじゃねいいんじゃねいいんじゃねぇ!? お姉さんやっぱいい! 戦いってやっぱこーじゃなきゃ?

自分も相手もギリギリのトコでどつき合わないと楽しくないっしょ!」

「相変わらずジャンキーだね、ヤンは……」

「なんつーの? 相手を一方的にぶちのめすのも楽しいっちゃ楽しいんだけどさ、こう、自分もちょっとミスればぶち殺されるかもしんないっつーのがいいスパイスになってるってゆーか。

お姉さんもそう思わね?」

「アタシをお前と一緒にするなって」

「流石にヤンと一緒にするのはお姉さんが可哀想すぎるよ」

「なんでテメーまでお姉さんの味方してんだよ!」


ヤンがヨハンの頭目掛けてゲンコツを振り下ろすが、ヨハンはヒョイっと頭をずらして避ける。


「今のヤンに殴られたら多分すっごく痛いと思うんだけど? ていうか痛いで済まないよね?」

「テメーは一回俺に潰されるべきだ!」


ヨハンに向かってヤンは叫ぶが、唐突に左腕をヨハンの目の前に突き出した。そして呆れたように肩を竦ませる。


「……話してる途中に、なんてひどくね?」

「こっちはお前たちみたいに暇じゃないんだよ」


白煙の立ち昇る拳銃を構えながら冷たくハルは切り捨てる。

ヤンは手を開いてつかんだ弾を地面に落とし、ニヤリと笑うと血のにじんだ掌をペロ、と舐めた。


「そんな事言っちゃって、お姉さんもホントは戦うのが好きなんでしょ?それで待ちきれないってか?」

「アタシとしては面倒なんでさっさと終わらせたいだけなんだけどな」

「まぁたまたご冗談を。

じゃあなんで兵隊さんなんてやってたの? それも色んな国で」


ハルの眉がわずかに動く。だがそれだけで、些細な変化はすぐに元に戻る。


「俺もこんな事ばっかやってるからさぁ、色んな奴と戦ってきたんだよね。

面白かったよ? 国が違えば体の動かし方とかバラバラだからさぁ、全っ然動きが読めなかったりすんだよね。ま、そいつらみんなぶち殺してきたんだけど。

それはどーでもいいんだけど、お姉さんの動きの中に見た事ある動きがいくつもあったわけよ」

「格闘術に少し興味があってな、単に教えてもらっただけさ」

「軍人さんしか教わらない体術もあったけど?」

「たまたまその国の軍で働いてただけだ。従軍した事はあるんでな」


ハルの説明にフーン、と気の無い返事をし、でもさ、とヤンは大ぶりの口を横に広げた。


「お姉さん、さっきから笑ってるじゃん?」


ハルの双眸が驚きに開かれる。

銃口をヤンに向け、左手をそっと自身の口元へともっていった。

触れる。指先で唇の形をなぞるように。

人差し指の軌跡。それは確かに緩やかな弧を描いていた。


「もしかして気づいてなかった?

ならいけないなぁ、いけないよ。こんな時は欲望に忠実に生きなきゃ。じゃなきゃツマンないし。

それにそんなんじゃさ、お姉さん……

死んじゃうよ?」


言い終わると同時にヤンの姿が消える。

ハルもすぐに我に帰るとその場を飛び退いた。直後に炎が、先ほどまでいた空間を焼く。

炎が拡散していく。それを突き破るようにしてヤンの姿が接近し、ハルの柔らかい頬に熱がこもった。

ねじ切れそうな程に首が反転し、ハルの体が一度地面で跳ねる。背中に衝撃を感じ、それでも体勢を整えると体を低くして立ち止まる。


「ひゃああっはあああぁぁぁっ!!」


痛みに歪んだ顔を上げ、そこには奇妙な声を叫びながら飛び掛ってくるヤンの姿があった。

予想外の速度。予想外に強力なラスティング能力。だが行動は想定内でしかない。

速やかに銃を構え、ヤンの体めがけ発砲。

この距離ならば当たる。引き金を引く瞬間、ハルはそれを疑っていなかった。

しかし弾は外れた。

ヤンの皮膚一枚を削っただけで遥か後方へと流れていく。ラスティングで強化された眼がじんわりとにじんでいく血と振り回されるヤンの脚の動きを捉えた。

強化が最も施されるのは視力。故に動きを捉える事はできる。だが自身の四肢が反応できるとは限らない。体を後ろに反らせて蹴りを避けようと試みる。が、叶わない。大砲の様な音を響かせて、ヤンの足がハルの腹部にめり込んだ。


「がっ……はぁ……!」


くの字に体が折れ曲がり、吐瀉物がハルの口からこぼれ落ちた。

メリメリ、と嫌な音が強化された聴覚によって拾われ、そして何かが砕ける音。脊髄から脳髄へと衝撃が伝わっていく。

痛い。

その言葉が一瞬にしてハルの思考を支配する。

真っ赤な情景が浮かんでは暗闇に落ち込み、赤と黒が明滅。そしてほのかな光が瞳を暖める。

――ちょっと意識が飛んだか

宙を舞う中でハルは冷静に自身の状況を判断した。

体は雨を切り裂き、急速にヤンとヨハンの姿が小さくなっていく。

手応えがあったからか、ヤンの顔はこれまでよりもずっと深い笑顔が浮かんでいた。ヨハンもチャンスと見たか、止めを刺す為にハルを見つめ、うっすらと笑っていた。

そしてハルもやはり笑っていた。

今度は手で触れなくても分かる。痛みに顔をしかめていても、同時に口元は明確な弧に歪んで目の奥底では喜びに満ち満ちている。

これだ、この痛みだ。

声に出さずにハルは叫んだ。

生を否応無しに感じさせる、この苦痛。手が、脚が、頭が、脳が、心臓が自分はまだ生きているのだと訴えてきてくれる。生きていて良いのだ、と笑いかけている。

能力を使った後の様な死に向かう苦痛とは違う、死と隣接しているから触れることの適う生へと繋がる病。久々に感じた心からの歓喜に、ハルは体を震わせた。

狂っている。ヤンもヨハンも、そして他ならぬ自分自身がこの中では一番狂っている。それはどう言い繕っても隠しようの無い事実。

ヨハンの炎がハルの視界を覆い隠す。熱が濡れた体をあっという間に乾かし、焦がし始める。

もう、構わない。力を発動させた後の痛みが何だ。死に至る病が何だ。そんなモノ、今感じている快感に比べれば取るに足らないものだ。痛みで死んでしまっても構わない。だが他人に、殺される快楽を奪われるのだけは――許さない。

ハルの瞳が姿を変えた。

そして暴力的な爆発が辺りを吹き飛ばした。



ヨハンは確信していた。

ヤンの攻撃が確実に決まり、自分の火炎能力フレイムでハルを焼き殺す。自身に未来視の能力は無いが、それでも未来は確定事項。他の未来は考えられなかった。

ヤンと違って戦闘快楽者ではない、とヨハンは自覚している。人を殺すのに何も感じはしないが自分が殺されるのだけはゴメンだ、と常々思っている。殺人快楽者である事は否定しないが。

そもそも外界系能力の自分は直接戦闘には向かないのだ。能力自体に自信はあるが、身体系では無い自分では、ヤンやハルみたいな身体系能力者と一対一で向きあえばとても勝つのは難しい。ノイマンの強能力者である以上身体能力はそこそこあるので、ただのメンシェロウトやアウトロバーには殴り合いでも負けるつもりは無いが、所詮そこ止まり。まして自分の体は成長からは嫌われている。だからこそヤンとコンビを組んでいるのだ。

ハルは強かった、とヨハンは心の底から思う。とても自分独りでは敵わないほどに。ハルに自分の場所を看過された時はかなり焦った。一対一で叶わない以上、自分の役割は相手に気づかれる前に殺ること。だけどもし、万が一バレてしまった場合にどうするか。答えは単純だ。補ってくれる相方がいれば良いのだ。

ハルは強かったが、ヤンの方が能力では上。戦闘技術だとハルの方が上に見えたが、ヤンの能力がその差をひっくり返した。後は自分が止めを刺すだけ。吹っ飛ばされるハルの姿にしっかりと焦点を定め、能力を発動させる。これで終り。後は動きに合わせて炎の位置を操作すればいい。そして狙い通りにハルは炎の中に納めた。これで終わりだ。

雨でぴったりと額に貼り付いた髪をヨハンは指で拭う。そして緊張を解くためのため息を吐き出す。そのつもりだった。

突然の轟音。そして暴風。痛い程の音と風が押し寄せ、思わずヨハンは両腕で顔を覆った。

風が収まり、雨が再び二人を濡らし始める。ヨハンはそっと腕の隙間から正面を見た。そこには亡霊が立っていた。


雨音に混じって足音が届く。ピチャ、ピチャ、と水たまりが跳ねてズボンの裾を汚していく。

爆発の影響か、ハルのマントやシャツはボロ布の様に破れていた。髪の毛先は焼け焦げ、顔や手の露出していた箇所にはいくつも火傷の跡があり、それでもしっかりとした足取りで、だがゆっくりとヤンとヨハンの方へと向かっていく。その様は、口元に浮かべられた不敵な笑みと相まってひどく不気味。

ジャリ、と靴底が擦れる音がした。ヤンが足元を見れば、先ほどまで前にあった右足が左足の後ろへと移動していた。

ヤンの顔から笑みが消える。そして驚き。代わって怒りへと表情が変貌する。


「ざっけんなよ……」


自身が感じた感情は恐怖。これまでどんな強敵であっても戦闘は楽しかった。例え劣勢であろうとも、死を間近で目にしようと恐怖など感じなかった。


「ふざけんなふざけんなふざけんな……」


何度も同じ言葉を繰り返す。

到底受け入れられない。自分のアイデンティティを覆す感情。そんなモノはあってはならない。

ヤンは地面を強く蹴る。もう遊ぶ気は無かった。

一秒でも早く、奴を殺す。それだけを考え、これまでよりもずっと速くハルへと迫る。

音速の拳がハルの顔へと吸い込まれる。が、到達する前にハルは少しだけ体を動かしてあっさりと避けた。

軽くいなし、ハルとヤンの体が交差するその瞬間、ヤンは何かにつまずいた。そのすぐ後に背中に強烈な衝撃を受けて、思わずヤンは叫び声を上げた。

ただ衝撃だけが体を抜け、次に痛み。それが蹴り飛ばされたからだと気づいたのは地面を無様に転がった時だった。

水たまりの中を転がりながらもすぐに立ち上がる。即座に追い打ちが来るかと思ったがそれが無い。代わりに離れたところで爆発音が何度も鳴った。


「く、来るな!僕に近寄るな!!」


ヨハンは悲鳴じみた叫び声を上げた。雨の中で炎が猛々しく舞い上がり、だが次の瞬間には突然発生した爆発によって炎ごと吹き飛ばされていく。

ヨハンは逃げた。顔を恐怖に歪め、ギョロッとした大きすぎる眼は更に大きく見開かれている。ハルに背を向けて懸命に、懸命に走ろうとした。だが震える足は思うように動いてくれはしない。

ハルは濡れた髪を一度掻き上げ、歩く。走るでも無く、なのにヨハンとの距離は詰まっていく。

爆発で消し損ねた炎がハルの顔を焦がす。わずかに顔を逸らし、だがすぐに元の位置に戻る。ゆらめきの奥のハルの顔にはうっすらとした笑みが浮かんでいた。

ヤンの様に狂気を押し出さず、静かに笑う。瞳には何が映っているのか。決まっている。ヨハンしか見えていない。恐怖で崩れたヨハンの顔しか。それはヨハンにも伝わり、一層の恐怖を引き起こす。


「ヨハン!」


叫ぶと同時にヤンは駆け出し、手を伸ばす。

それを合図としたかの様にハルの姿が消える。消えた様にヨハンからは見えた。

ハルを見失った、と理解する前にヨハンのすぐ後ろで爆発。為す術無く弾き飛ばされ、背骨が折れる音を聞いた。

手も、脚も動かすことができない。前後も、上下も自分が今どんな状態になっているのか理解ができない。感覚は消え、痛みも感じない。あるのはただ恐怖だけ。

ハルは抵抗なくヨハンの頭を片手でつかむ。それはまるでボールをつかむように軽く、簡単に。

ヨハンの視界には熱を持ったハルの掌。雨に打たれ、それでも絶えること無く温もりを保ち続けている。

暖かい。そんな感想が頭を過り、言葉が口から出てくる前に頭蓋は地面へと叩きつけられた。

パシャ、と水たまりを踏みつけた様な音がする。どちらかと言えば、バケツの水をひっくり返した音か。

ハルの頬に赤いラインが走る。それは降りしきる雨によって簡単に洗い流され、なのに地面が砕けてその後にできた赤い溜まりは流れずにかさを増していく。そしてヨハンはそれきり動かなくなった。


現実感が乏しい。

ふわふわした感覚の中でハルは動いていた。

それでも手の中に収まったヨハンの頭が、見下ろす視線に否応無しに入り込むヨハンの体が、現実を教えていた。

ザアザアと雨音がする。ハルはラスティングを解除して眼を閉じ、顔を上げた。

ドクン。心臓が存在を主張する。折れた肋骨が痛みを訴える。能力の反動で何より頭が痛い。心は、何も訴えない。ただ小さく悲鳴をもらしただけ。


「てめえぇぇぇぇっ!!よくもっ!!」


雷鳴にも似た叫び。ハルは再びラスティングを発動させて、転がるようにその場を離れる。

見上げたハルにヤンの影が覆いかぶさる。


「くっ!」


雨に濡れた地面の上を無様に転がって避ける。頭のすぐそばで破砕音がした。砕けた地面の欠片がハルの頭をかすめ、しかしハルにそれを気にする余裕は無い。

起き上がりざまにハルは視界にヤンの姿をとらえた。

収束した瞳孔が再度形を変えかけ、だがすぐに元に戻る。


「死ねよっ!」

「ちっ!」


代わりに持っていたもう一振りのナイフを取り出して、ヤンの拳を受ける。

甲高い音を残し、残響を左から来た蹴りがかき消す。

左腕を下ろしてブロックする。それでも受けきれない衝撃はハルを吹き飛ばし、折れた肋骨から届く痛みに小さな悲鳴を叫ぶ。

顔をしかめ、今度こそハルは爆発(ブロークン)を発動させた。

自分とヤンとの間で爆発が起きる。しかしその規模は小さく、威力も乏しい。傷だらけのヤンが爆発の中を容易く抜けてハルへと手を伸ばす。伸ばした手をナイフで切り払う。篭手の隙間に刃が届き、ヤンの手から赤い血が流れ始めた。

ヤンは泣きながら力を奮う。目の前の敵の命を奪うために両拳を振り上げる。離れた所に転がるヨハンの亡骸だけを見て、更に遠く遥かに離れた、自分が奪った命を見ずに。

ヤンの動きが更に速度を上げる。代わりに動きは雑になる。

右のストレート。ハルの頬をかすめてヨハンの血を拭い落とす。

左からのボディ。肘を下げて軽く腕に当てて軌道を逸らす。

反転しての回し蹴り。髪を梳いただけで体へのダメージはゼロ。

ヤンの動きにハルは慣れ始めていた。すでに避けるのは難しくなくなっている。それでも攻守を交代するには、ハルのラスティングでは困難だった。


動きの激しい膠着が続く。その中でふとハルは思った。

自分は正義か、悪か。そんな質問をオルレアにしてみたくなる。


(どちらも正義か、いや、それは無いな。どちらも人殺しの悪。

アイツの事だ。分からない、と答えるかな……)


眼の前の存在は自分の別の可能性。欲望に委ね切ったか、それとも歯止めを掛けようとしたか。


(せっかく、人殺しを止める事ができたのにな……)


生きている実感を得るために軍へ入り、当然そこでなるのは合法的な殺人者。

罪悪と快楽の狭間で揺れながらも、結局は抜けだそうとしなかった。

麻薬漬けの毎日から脱出したときには、全てが遅かった。何もかもが手遅れだと気づき、後悔したはずだったのに。

右手にナイフ。左手に銃。懺悔と悔恨を繰り返し、それでも人殺しの道具をハルは振るい続ける。


膠着の中で落ち着きを取り戻したのか、ヤンは流れを変えようと一度距離を置いた。

ハルは、もう一度爆発を引き起こした。小規模なものではなく、ヨハンに使った時と同じようにヤンの体ごと吹き飛ばすほどのものを。

ヤンもそれを考慮に入れていたのか、立ち止まること無く動き回る。それでも爆風に煽られて体勢を崩し、ハルは銃を放つ。

扱い慣れてない、自分のものではない銃。だが照準がぶれる事は無い。

ヤンの頭目掛けて発砲されるも、ヤンは銃口から狙い所を知ってかわした。


(やっぱこれじゃダメか……)


威力も初速も足りない。

銃そのものは申し分ないが、所詮一般人を相手に想定したレベル。戦闘用ロバーや異常能力者を相手するには無理な代物だ。


遠くから音が近づいてくる。高くて耳をつんざく様な音だ。

その音の方をハルもヤンも振り向いた。ヤンは怪訝な表情を浮かべるが、ハルには近づいてくるのが何なのか、すぐに理解した。


――自分てめえの銃モンで決着つけろって事か


爆発と銃でヤンを牽制しながら、急速に近づいてくる影をハルは恨めしげに見つめた。


「ちっ!お仲間の登場かよっ!!」


バーニアを噴かせてオルレアは地を這う様に低空を飛行する。ヤンの行く手を横切り、上空へと舞い上がる。そして手にしていたマシンガンを地上目掛けて乱射する。

デタラメに発射された弾丸が地面をえぐり、弾幕がハルとヤンの間にカーテンを敷く。

けたたましい銃声に混じり、街の中心から爆発音と煙が上がった。

上空にホバリングしながらオルレアは街を一望する。壊れ落ちたビルの近く、そしてこことは違う別の城門で断続的に爆発音が響いた。


「ハル!」


ヤンを牽制しながらオルレアはハルの隣に着地した。


「思ったより早かったな」

「そんな事よりも他の場所でも攻撃が起こってるぞ!」

「大丈夫だ。アブドラはこの上にいる。他はたぶんかく乱だ」


ハルの言葉に頷くと、オルレアはハルにとって見慣れた銃を手渡した。


「シュバイクォーグさんから預かってきた。

私は上に行ってくる!」


話が終わると同時にオルレアのマシンガンからカチッ、と軽い音がする。

撃ち終えたそれをヤンに投げつけると、オルレアは再度バーニアを吹かしてそのまま城門に向かって飛んでいった。

残されたハルは手の中の銃を見つめた。

ずっしりとした重さを持つ、愛用の銃。もう殺さなくてもいいように改造を頼んだはずだった。なのに――


「ケッ、邪魔が入っちまったけどよ。

終わらせてやるよ。ヨハンの仇だ」


ポキポキと指を鳴らし、ヤンは四肢に力を入れる。

再びハルへと突進を試みようとするが、ハルの構えた銃が眼に入り、回避体勢に移る。

銃口の向き、引き金を引く指の動き、銃が変わった事以外は全てがこれまでと同じで、ヤンは同じタイミングで回避行動を開始した。


「なっ――!?」


だが発射音は遥かに大きく、弾速はケタ違い。容易くかわしていたはずの銃弾がヤンの頬をかすめて筋を残していった。

ハルは引き金を引く。何度も、何度も、同じ様に。

攻守は完全に反転。これまでと違った弾速の銃に、ヤンは避けるので精一杯になっていた。

空気を裂き、雨を穿ち、地を削る。

放たれた弾丸が二桁に達した時、ヤンは爆風に視界を遮られた。

そして左足に鈍痛。貫通力の無いゴムの弾丸が足元に音も無く落ちる。

とっさに頭を庇う。庇った左手が弾き飛ばされる。

背を向けて頭を守る。背中に弾丸。苦悶の声が漏れる。

目の前で再度爆発。頭部が強制的にはね上げられ、無防備にさらされる。

まずい。

避ける事も防ぐ事も適わない。襲い来るであろう頭部への衝撃にヤンは覚悟を決めた。

一秒にも満たない、わずかな、しかし十分すぎる時間。だが何も降りかかってはこない。雨足だけが強くなる。


何が――


ヤンは振り向こうとした。しかし、首筋に冷たい物が突きつけられた。


「ダメなんだよな、まったく……」

「え?」


一発の銃声が悲しく鳴いた。





白煙が銃口から上がっている。足元にはヤンが倒れ伏している。

うつ伏せに眠るように、雨のフトンがヤンを包み込んでいた。

ヤンを撃った体勢のままハルは動かなかったが、やがて力なく銃口が下を向く。

銃をホルスターに戻し、ヤンを見下ろす。撃たれ続けた雨が絶え間なく頭から流れ、ハルの頬をたどってヤンへと落ちていく。

ハルは空を見上げた。遠くで雷鳴が轟き、雨足が弱まることは無い。

雨に打たれながらハルは眼を閉じた。そしてヤンに重なる様に倒れ、意識を失った。








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