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Criminal Snow  作者: しんとうさとる
第一章
12/23

第1-20章

今回は結構長めです





-20-








夜が迫る。

まだ日は高く日没までは時間があるが、しかし確実に太陽は傾いて闇夜は近づいてくる。

空は曇り、雨が降り出さんばかりに遠くから雷鳴と共に黒い雲が街に向かっていた。稲光が時折眩くビルの窓を照らし、静まり返った街を包み込む。


アンジェとハルは暗い街中を走り抜けていた。

普段なら人で溢れかえっているはずの都心部には人の姿は無く、怖いくらいなまでに閑散として静まり返っている。当然、車やバイクの類も一台も走っておらず、放置されたままの乗用車やバスが不揃いに道を遮っている。

――まるで、ゴーストタウンだ

行くてを塞ぐ車を踏み台にしながらハルは思った。街からは全ての人が消えて何も残らない。今はこうして残っている車や家も、その内に夜に飲み込まれていく。そして初めから何も無かった様にして消えていく。そんな気がした。無論そんな事はないのだけれど。

ハルは、自分の前を走るアンジェの背中を見た。気を抜けば不可思議な何かに引きずられて脚が重くなってしまいそうな街で、軽快な足取りのまま飛び跳ねて車を避けていく。

アンジェの視線は一直線に前を捉え、迷う事無く街の外郭へと向かっている。ハルもそれを追いかける形で走っていた。もしアブドラと同じ方向に向かっているなら追いつくのも時間の問題だ。アブドラが体を鍛えていたのは見た目から分かったが、基礎能力がノイマンと比べて違う。

何気なしにハルはアンジェの背を追っていた。だが不意に不安に駆られる。

いや、まさかな。嫌な予感が過り、そんな事は無い、と笑ってみせる。

しかし、と普段のアンジェの行動を省みてみる。すると不安は増殖し、留まる事は無い。走りながら、いつしかハルの中でその不安は確定事項にまで進化していた。

ハルは必死で願う。外れてくれ、と。

そしてその願いが成就する事を確かめるため、走る速度を上げてアンジェの横に並んだ。


「アンジェはアブドラがどこにいるか、分かってるんだよな!?」


ハッハッ、と軽く息を弾ませるアンジェに尋ねた。

肩越しの声にアンジェは、何を言ってるんですか、とばかりに軽く首を傾げる。その様子を見て「そうだよな」と胸をなで下ろした。よかった、そこまでバカじゃなかったか、と。

だが。


「知りません!」


言い放った。しかも自信満々に。

黙して一秒、二秒。ようやくアンジェの言葉が染み渡って、ハルの口からはマヌケな声が漏れた。


「……は?」

「だから!知りませんよ、私は」

「じゃあどこに向かって今まで走ってんだよ!?」

「何となくコッチかな~って思いまして」


ハルは頭を抱えた。そうだ、忘れていた。コイツはこういうヤツだったよ。

ホテルの部屋からは煙のせいでアブドラがどちらへ向かったかは見えていない。しかしアンジェはその行き先を予め知っていたかの様に真っ直ぐに走っていた。その小さな背中はなぜかとても心強く、だからハルもここまで黙ってついてきたというのに。

ハルの顔を見て、ようやくアンジェもまずい事を言ったと気づいたのか、テヘ、とわざとらしい程に満面の笑みを浮かべてごまかしてみる。

問答無用のミドルキックが尻に突き刺さった。


「ったく……

まあいいさ。どうせアタシもこの方向だと思ってたし」

「アタタタ……じゃあ別に蹴る必要は無かったんじゃ……」

「確信は無いんだよ。お前があんまりにも自信満々にこっち向かうから、アタシまで疑いなくついてきてしまったじゃないか。それがムカついた。

だいたい、微妙に方向がアタシが行くつもりだった方向とずれてる」

「それで、ハルが考えてる場所ってどこなんですか?」

「アレだよ」


アゴをしゃくってアンジェの視線を誘導する。その指し示す場所に眼を向ければずっと向こう、街を囲む城壁の上に強く存在を誇示する物があった。


「ヤツの目的がどこにあるのかは知らない。だけど、もし無差別に街を攻撃するならあのライフルはもってこいだ。

あれだけデカイ代物なんだ。威力がどのくらいかは知らないけど、街を蹂躙するには十分すぎるだろうな」

「でも、同じ物が何十個ってありますよ?

まさか一個ずつ虱潰しに探して街を壁沿いに走りまわるんですか?」


城壁は一辺だけでも十数キロにも及び、それに沿ってマラソンをする事を想像してアンジェは、うへぇ、と顔をしかめてみせる。ハルは軽く苦笑いを浮かべてみせ、


「最悪の場合はそうなるな。

だけどおおよその検討はついてる。だからアレに向かってるんだよ」

「まさか、なんとなく、じゃないですよね?」

「お前と一緒にするんじゃない。

スペックが分からないから断定はできないけど、距離や遮蔽物、狙いそうな目標を考えると自ずと範囲は絞られてくるもんさ」

「……ハルは、アブドラさんが何を狙うと思いますか?」


幾分暗くなった声でアンジェに問われ、ハルは考えこむように少しだけ顔を伏せる。

そして、思いつきだけど、と前置きして幾つか候補を並べていく。


「昨日みたいに高層ビルを狙うっていうのがまず考えられる。

街全体に戒厳令が敷かれてるし、住民は結構な人数が地下に避難してるから人的な被害はそうでもないだろうけど、この街の象徴的な物でもあるからな。それを壊せば精神的なダメージは与えられる。

ギルトの建物を狙えば逃げ切れる可能性も高くなるだろうし、街外れの工場地帯を狙う可能性もある。

もし、この前の国境紛争とどこかで繋がってるなら、城壁を第一目標にしてクローチェが侵攻しやすい様にする事も考えられるな」


ハルが次々と目標候補を挙げていく。それに伴ってアンジェの表情も一段と暗くなる。


「攻撃されたら、やっぱり私たちのせいになるんですよね……?」

「どうだろうな。アタシたちがアイツを連れてきた時点ではまだ確証は無かったし、ギルトに連れて行ってても、別の仲間が同じ事をするかもしれないな。

でも、ま、どっちにしてもお前がいる以上アタシたちがやる事は変わってないよ」


そう言って走りながらハルはアンジェの頭をポンポン、と軽く叩く。相変わらず子供扱いするようなハルに、アンジェはムッとした表情を浮かべるが、それもそうですね、とため息混じりに言葉を吐き出す。


「じゃあ、とりあえず急ぐとしますかね」


その言葉にアンジェもうなずき、ハルは走る速度を上げる。

アンジェもまた硬質な冷たさを持つ四肢に力を込めた。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





先日の爆破で崩れたビルから少し離れた別のビル。アンジェとハルの二人はその前を走り抜け、街外れへと消えていく。壁の影で倒れている兵士にも気づかずに。

二人が通り過ぎたビルの屋上に、二人を見下ろす影があった。フェンスも何も無い屋上の際に立ち、時折強い風が吹きすさぶ中で彼は眼鏡越しに視線をアンジェたちに送る。


「おやおや、こんな時にどこに行こうとしてるんでしょうね……」


口元に小さな笑みを浮かべ、ノイエンは独りごちた。風に彼の着るコートの裾が揺らされ、ノイエンは眼をわずかに細めて二人が向かっていった方向を見据える。


「彼らを止めるつもりなんでしょうか。

まあ、彼女らの目的がどうあれ、今回は傍観させていただくだけですけど」


ギシ、と扉の軋む音が背後から聞こえる。ノイエンが振り向くとマントをはためかせながら歩いて来るシュベリーンがいた。


「ご苦労さまでした。まさか殺してはいませんよね?」

「ああ。少しの間眠ってもらっただけだ。エントランス以外にも数人いたからそいつらにも眠ってもらったが」

「結構。これで邪魔されずに見学することができます」


そう言ってシュベリーンに背を向け、街の外壁へと再び視線を戻す。ポケットからタバコを取り出し、ジッポライターで火を点ける。美味そうに頬を緩め、煙を口の中で転がすとゆっくりと煙を吐き出した。


「タバコは健康に良くない」

「重々承知してますよ。でもいいじゃないですか。せっかく探してた物が見つかって、それが使われるかもしれないんです。どうせ見るなら最高の気分で見たいじゃないですか」

「そんなものか」

「そんなものです。君には理解できないかもしれませんが」


シュベリーンはそれには返事をせずに、ノイエンと同じ様に外壁の上に座る巨大なライフルを見た。みな一様に街の外を向いていて、変わらず街に近づく全てに対して畏怖を与え続ける。

「私が調べたところによるとですね」


タバコを左手に携えてノイエンが話し掛ける。


「あの兵器は既存のどの技術とも異なる技術が使われているらしいんです」

「そうなのか?」

「ええ、とは言ってもそれがどのような技術なのかまでは分かってはいませんが」

「お前でも調べられなかったのか」

「ソフト的にもハード的にもやたらと警備が厳重でしてね。情報を探ろうとしても何重にもプロテクトが掛かってますし、かと言って直接ライフルに近づくのも難しいんです。分かったのはあれがエネルギー兵器である事と、私が知る限り世界でこの街にしか配置されていない事、それとどうやら『ユビキタス』が絡んでるらしい事だけです」

「ユビキタス……」


シュベリーンはその名前を繰り返した。


「ユビキタスについてもどうにも情報が手に入りませんでね。ああいう兵器を作り上げるくらいですから、私たちが探してる物を彼らは恐らく持っているんでしょう。ま、彼らが一から新しい技術を開発した可能性も否定できませんが」

「だがエネルギー兵器ならそう珍しいものでも無いはずだ」


そう言ってシュベリーンはマントから腕を出した。二の腕が縦に裂けて、そこから細い筒状の銃身が見える。

シュベリーンの疑問に、だがノイエンは笑みを浮かべて首を横に振って見せる。


「既存のエネルギー兵器で難しいのは何だと思いますか?」

「威力か? いや、連射性か……」

「中々いいところをついてますが、答えはエネルギー総量なんですよ。シュベリーンは大型のエネルギー放出型兵器を見たことがありますか?」


ノイエンの質問に「いや」と短く答える。


「大体が掌サイズで、大きいものでも肩に担ぐ程度でしかありません。そして威力を重視すれば弾数は少なく、弾数を多くすれば一発の威力は小さなものでしかなくなります。というのも携行できるバッテリーに込められるエネルギーの全体量が小さいからです。

物を壊す、というのは結構エネルギーを使うものなんですよ。だから巨大な、それこそあのライフルの様に大きな物になれば、もし今までのバッテリーを使うならばそのサイズはとてつもない大きさになってしまうんです。しかもバッテリーそのものも高価です。数が作れて威力が高い武器なら火薬の方が何倍も便利なんです。だから今まで誰もそんなモノは造らなかった」

「アレは違うのか?」


ライフルに眼をやりながらのシュベリーンの問いに「ええ」とノイエンは頷いた。


「あれだけの数を作る、という事はそういった問題が解決したのでは無いかと私はにらんでます。しかし、今まで誰も見たことがありませんからね。実際の威力がどれほどなのか分からないんですよ」

「だから観察、か」


無表情ながら、どこから呆れた風にも見えるシュベリーンに、ノイエンは楽しそうに笑って見せる。そしていつの間にか消えてしまっていたタバコを投げ捨てると、また新たに一本取り出して火を点けようとライターをこする。

だが小さな雫が口にくわえたタバコを濡らし始めた。


「おや、雨が降ってきましたね」


残念、と漏らしながらノイエンはフードを被ってタバコをケースに仕舞った。


「がっかりさせないでくれると嬉しいんですが」


静かな街に雨音の調べが響き渡る。街を一望できるビルの上から全てを傍観するべく、ノイエンはそれきり口をつぐんで雨音に耳を傾け続けた。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆








「……音がします」


しばらく黙って走っていた二人だが、不意にアンジェがそう漏らし、ハルに先行する。

更に加速する街の景色。次から次へとビルが後ろへと流れて行く。

街が静かなのに変わり無い。だがアンジェの耳はそこに異変を捉え、そしてまた静寂が訪れた。


「この辺りです」


ハルに聞こえる程度につぶやきながら車を跳び越える。軽快な動作でジャンプし、果たして、その先には数人分のロバーが地面に横たわっていた。

着地時に踏みつけてしまいそうになり、ハルは空中で体を捻って上手くそばに着地。両の足をアスファルトに押し付け、摩擦音を立てながら停止した。


「これは……もうダメだな」


ロバーを見下ろしながらハルがつぶやく。

男たちは皆、頭部を破壊されていた。四肢のいずれかは折れ曲がっている。後頭部が完全に変形している者、首が不自然な方向に直角に折れている者、頬骨が落ち込み、圧迫されて眼から赤い循環液を垂れ流している者。見ただけですでに絶命しているのが分かる。

念のために倒れている男の首元に手を当ててみるが循環液の流れは感じられない。二人は一度眼を閉じ、軽く黙祷を捧げて男たちの服装を頭から脚へと見ていった。


「ギルトのロバーだな。不意を突かれたか、それとも力に差があり過ぎたのか。三人とも一撃でやられてる」

「アブドラさん、ですか?」

「んなわけねーだろ。爆発物に関しては知らないけど、アイツの戦闘能力は普通のメンシェロウトレベルだよ。こんな芸当ができる訳ない」

「それじゃあ……?」

「仲間がまだいるって事かな。それも直接的な荒事専門のヤツが」


そう言ってハルは目の前に迫った城壁を見上げた。視線の先には一つ目のライフルがある。


「どうやら運の良い事にいきなり当たりみたいだぞ、アンジェ」


言いながらハルはニヤ、と口元を歪めた。アンジェも一度喉を鳴らし、表情を引き締める。

辺りを見渡し、ハルが一歩を踏み出してその足が地に着く。瞬間、二人は同時にその場から飛び退いた。

二人のいた場所が突如として炎に包まれる。赤々とした火炎は暗くなり始めた世界を一瞬で明らめ、そしてまた一瞬で消えてゆく。

何処かからかの攻撃。二人がそれを避けた直後、ハルは背後にアンジェとは違う気配を感じた。

ハルは動じない。姿を確認する事も無く体を前に倒す。頭上を何かが通り過ぎ、空気を裂く音が耳を打つ。

前屈した状態で片足を後方へ跳ね上げた。ハルは捉えた、と思ったがその蹴りもまた空を切るだけだった。


「ロバー……じゃないか。ノイマン、それも身体系能力者か」


攻撃の意志が途切れたのを感じ、ハルはゆっくりと体勢を整える。そして数メートルの間を空けて相手と対峙した。

黒いシャツに黒いジーンズ。ブーツも黒と全身を黒で統一していて、手首と首周りにはジャラジャラとたくさんのアクセサリーを身につけており、とても戦闘向きとは思えない格好をしている。整髪料で整えているのか、金色の髪はツンツンに立てられていて、少し捲り上げられた袖や乱雑に開けている襟からだらしない印象を与える。


「へぇ、どんな奴かと思ったら意外とやるじゃん、アンタ。まさか両方かわされるとは思わなかったぜ」


最後の蹴りも中々のモンだったぜ、と軽薄な笑みを浮かべながら飄々と賞賛する。どこか小馬鹿にした様にも見て取れるが彼の中では言葉以上の意味は無い。ただ純粋に褒めていた。


「アブドラさんの仲間の人ですか?」

「アブドラ? ああ、そう言えばアイツの名前ってそんなだっけ?

そうだよ、お嬢ちゃん。俺はアブドラ君のお友達で、ちょっとだけ君らと遊びたいの」

「つまり足止めか」

「一応、形上はね。どっちかっつーとただ単に俺が遊びたいだけなんだけどさ。今のやりとりだけでお姉さんたちならケッコー楽しめそうだって分かったし」


コイツら弱かったからさー、と足元に転がっていたロバーの一人を男は蹴飛ばす。蹴られたロバーは加わった力そのままにゴロ、と転がって折れた腕が不自然な方向を示した。


「参ったな、こっちはアブドラと話があるんだけど。それも大至急で」

「そうなの?」

「そうなんです。だから、またにしてもらえませんか?」

「そりゃ残念。きっと今日が会えるの最後だからさ、そういう訳にもいかないんだよねー」

「まあそうだろうな」

「そゆこと。無理やりってあんま好きじゃないんだけどさぁ」

「嘘だろ?」

「うん、嘘」


あっさり嘘を認めて男はケラケラと笑う。つかみどころの無い男の様子に、ハルは深くため息をついて頭をかきむしる。そして男とは違う明後日の方向を向くと、誰もいないはずの所に話しかけ始めた。


「そっちも早く出てこいよ。こっちは時間ないんだ」

「お姉さん、何言ってんの?もしかして、さっきの攻撃が実は当たっちゃってたりして頭がパーになっちゃった?」

「ムカつくこと言いながらトボケるな。お前一人じゃさっきの攻撃は無理だって分かってるから」


早くしやがれ、とハルが促すと放置された車の陰からもう一人が姿を現した。

その姿を見てアンジェは子供、と小さく声を漏らした。現れたのはアンジェよりもずっと小柄で、一見華奢に見える。長くも短くもない黒髪は丁寧に切りそろえられ、最初に現れた男とは対照的に白いワイシャツのボタンを一番上まで留めて、こちらは裕福な家庭の息子といった感じだ。

だがアンジェのつぶやきを聞き止めたハルはその言葉を否定する。そして、男の顔を見た瞬間にアンジェも理解する。

気持ち悪いほどに極端に青白い肌に、ギョロッとした、小さな顔に不釣合な大きな眼。精気の無い表情で男は隣に立っている男を見上げると、


「……バレちゃったね」

「っかしいなぁ。どこでバレたんだ?」

「炎のタイミングとお前が攻撃してきたタイミングがおかしいんだよ。身体系パワータイプと外界系コントローラー能力は両方使える奴はただでさえ少ない上に、通常は切り替えるのにラグが生じるはずだ。同時に使える奴以外はな」

「ヤンはいっつも出て行くの早過ぎるから……」

「っせーなー。しょうがねーだろ、敵をぶち殺すにはあのタイミングが一番なんだよ。

だいたい、自分が隠れてた方が相手を倒しやすいっつったのはテメーじゃねえか、ヨハン」

「はいはい、責任転嫁責任転嫁……」

「うわっ、なにそれ?すっげームカつくんですけど?

何、ヨハン?テメー殺されてーの?」


ハルとアンジェを放っておいて口論を始める二人。呆れた様にハルは二人の様子を眺めていたが、隣に移動してきたアンジェに目配せすると、ジリジリと後ろに下がり始める。

アンジェもハルの意図を理解して後退りし、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるヤンとヨハンの隙を見て地面を蹴った。

一歩目を踏み、加速する。続いて二歩目。三歩目で最大速度に達する、というところでアンジェの体が後ろに引っ張られた。

後方へと倒れるアンジェの顔の正面で赤い炎が突如として現れる。

ハルの腕に抱き留められながら、アンジェは後ろを振り返った。そこにはいつの間にか口論が終わってアンジェたちを見る二人がいた。


「ゴメンねー、退屈させちゃったよね?

ヨハン、テメー、(バラ)してやっから後で覚えとけよ?」

「おーけーおーけー。分かったから早く始めようよ……」


アンジェに対してにこやかに笑いかけたかと思うと、コメカミに青筋を立てて隣のヨハンをヤンは見下ろす。それをヨハンがあしらう様に吐き捨て、そのセリフにまたヤンが顔をひくつかせた。

また喧嘩が始まりそうな雰囲気にハルはわざとらしく大きなため息をつき、二人にも聞こえる様に大きめの声でアンジェに話しかけた。


「メンドクセーな。

アンジェ。ここはアタシ一人で十分だからお前はさっさとアブドラの所に行ってこい」


えっ、とアンジェはハルの顔を見る。ヤンもヨハンもピタリと口論を止め、同じようにハルの顔を見ると獰猛な笑みを浮かべた。


「さっきので分かってたけど、お姉さん相当腕に自信があるんだね。

うっわー、ヤベエ、俺チョー楽しみなんですけど?」

「ヤンは黙っててくれない……?

時間稼ぎのつもりなんだろうけど、お姉さん、それ本気で言ってるの?」

「アンジェ」


アンジェから離れ、ハルは二人と対峙してアンジェに背を向ける。

自分よりもずっと大きな背中を見て、アンジェは戸惑ったものの、ハルに向かって一度うなずいて走り始めた。

だいぶ時間を消費した。アンジェは即座に最高速まで加速して、あっという間に三人の元から離れて行く。


「行かせて良かったの……?」

「別にいいんじゃねーの? お姉さん相手なら言い訳くらいにはなんだろ。

それよりさ、俺ら相手にどんだけ遊んでくれんのか、さっさと見せてもらおうぜ?」

「何か勘違いしてないか?」


明らかに見下した感のあるヤンに、ハルは不敵に笑い、ポケットの中身を確認する。

次いで懐から大ぶりのナイフを取り出すと不遜に言い放った。


「お前たち程度の相手はアタシ一人で十分だって言ってるんだよ」







◇◆◇◆◇◆







アンジェが駆け出してわずか十数秒。一般的なメンシェロウトよりも遥かに優れたアンジェの耳は、背後で開始された戦闘音を捉えた。

その音が、自分が一歩踏み出す度に小さくなり、その事実がアンジェの心をつかむ。

本当にハル一人に任せて良かったのか、そんな考えが浮かんで頭から離れない。自然と表情が歪み、だがその迷いを払うかのごとく必要以上の力を込めて地面を蹴る。

今自分が成すべきは何か。走りながら整理し、目的に集中する。

アンジェの顔から表情が消える。

止めるべきはあの男。争いを引き起こそうとする行為を止める。速やかにそれを実行するためには、直接関係のない争いは取るに足らない些事だと切り捨てる。

ハルの推測が事実なら、予測が適切なら――膨大な被害が出る。街の状態、人々の心理状態、都市と都市の冷たい関係。それらを加味すれば予想は恐らく必然へと変わる。街は機能を失い、本格的な戦争状態に入りかねない。そうなれば自分の力で争いを収める事は不可。最悪の事態を防ぐための最善は男の存在を最速の手段を以ての排除!

冷徹で冷淡。機械的な思考で結論を出す。だがハッと眼を見開き、その結論を反芻して首を横に振り否定する。


「…違う。そうじゃない……!」


無傷は無理かもしれない。でも傷つけること無くアブドラを止める。それが目的。

唇を噛みしめ、言葉を口に出すことで自分の意思を明確に示す。それが本当の自分の望みで、時折頭の中でにじみ出てくる結論など望んではいないとばかりに。


ポツリ、と何かの雫がアンジェの顔を濡らす。アンジェが顔を上げると、ついさっきまで遠くにあったと思っていた雨雲が自分の真上まで到着していた。

一滴落ちてきたのを皮切りに次から次へと雨粒が降り始め、あっという間に雨足が強くなる。

ザアザアと雨が地面を叩く音がし、そしてそれに混じって発砲音がアンジェの前方から届いた。

何かがアンジェの足元で弾けて甲高い音を鳴らし、アンジェは足を止める。

弾が飛んできた方向を見るが、建物が影となって見えない。アンジェはその建物に近づいて背を壁に付ける。金属音や発砲音が断続的に聞こえており、そっとアンジェはその様子をのぞき込んだ。

こちらでも戦闘は一方的に近かった。着ている服から判断するに、恐らくはギルト所属であるロバーが戦っていて、だけどもその周りには城門を守っていたはずの兵士が横たわっている。

ロバーの男は腕に仕込まれた銃を向け、だが発砲するタイミングを得られず、振り下ろされるナイフを受けるためだけに銃を使わざるを得ない。

連撃が、襲撃した側である女性から加えられる。アンジェの眼から見ても別段その動きが速いわけでなく、実際にロバーも反撃の糸口こそつかめていないが確実にその攻撃を防いでいく。

わずかに女性の攻撃に隙ができる。男もそれを見逃さず、銃とは逆の腕に持たれたアーミーナイフを突き出した。その攻撃は女性のそれとは裏腹に十分に速い。

しかしそれを女性は難なくかわす。まるでそう来るのが分かっていた様に、流れるような動作で避け、そのまま裏拳をロバーの頭へと叩き込んだ。


「くっ!!」


女は手の甲に何かを仕込んでいたのか、それとも女もロバーなのか。男の頭に当たった瞬間に金属音が響く。音の大きさとは違ってその攻撃は軽く、男の体勢を崩しただけでその場に踏み止まる。

隙とも言えない程に取るに足らない隙。女の乏しい攻撃力を考えれば大勢に影響は無い。

だがアンジェは飛び出した。止めないと。じゃないと、殺されてしまう。

その感覚に根拠は無い。何となくでしかない、アンジェの中にある何かに急かされ、二人の間に割って入るために走りだす。

だが二人の間には刹那の距離。対するアンジェは十メートルは離れている。当然、間に合うはずが無い。






◇◆◇◆◇◆






アンジェが一歩目を踏み出した時、女の手にはすでに新しい武器が握られていた。

パッと見は単なる棍。何か特別な仕掛けでもあるのか、見た目の意匠は非常に細かい。その短剣が男に向かって振り下ろされる。

男は視界の端で軌跡を捉えていた。はっきりとその動きが見えていて、体勢を崩していても避けるのは容易い、と彼のCPUは判断。

しかし体の方は反応しなかった。

意識はあるのに体が動かない。硬直し、意思に反してただ彼女の棍を受けるだけ。

それでも。

彼は覚悟した。歯を食い縛り、耐える事に。

どれほどのダメージが残るかは分からないが、耐えられなくはないはず。

果たして、棍は彼の首筋に叩き込まれた。

打撃音が彼と彼女の耳を打ち、衝撃もまた彼の体と彼女の腕を伝わる。

グラリ、と視界全体が傾く。痛み、きしんで、だが彼は耐えた。

痛覚を強制カットし、無防備に体を晒す彼女を見て思わず彼は笑った。

――勝った

嬉しさがこみ上げてくる。

相手は決して力が強いわけでも、速いわけでも無い。ノイマンらしいが何の能力を有しているのかも分からない。ただ一つ言えることは、彼女は強い。いや、やりにくい相手と言うべきか。

彼が駆けつけた時にはすでに門兵はやられている事からもそれは明らかだった。

自分が攻撃すれば、嘲笑うかのように全てが空を切る。そして防いでいてもいつかは彼女の攻撃をくらう。

そんな強敵に勝つ。安堵と満足感でいっぱいになり、表情を緩めてしまった。

彼はわずかに視線をずらして彼女の顔を見た。

驚きか、それとも悔しさに染まっているのか、はたまた焦りか。どんな表情を浮かべているか、といささかサディスティックな期待を込めていた。

だが彼女もまた笑っていた。彼を見下し、予想通りと言わんばかりに。

整った顔が醜く愉悦によってゆがんでいた。

カチ、と彼のすぐ近くでスイッチが入る音がする。

それが何のスイッチか、どうして彼女が笑っているのか理解できない。そして理解できないままに彼の意識は消え去った。






◇◆◇◆◇◆






倒れ落ちる男をアンジェは受け止めた。いや、受け止めるしかできなかった。

支えようとするアンジェに男の全体重がかかるが、腕の人工筋肉系の出力を調整し、アンジェはしっかりと抱えると地面にそっと横たえる。

男がアンジェの顔を見ていた。

命の鼓動は無く、口元にわずかに笑みを浮かべてじっとアンジェの方を見つめている。

気味が悪くも感じさせるままに事切れているが、アンジェはそこに幾許かの安堵を感じていた。


(苦しまずに逝けたのかな……?)


もしそうなら良い。苦しみに顔を歪めて亡くなるよりはずっと。

男のまぶたに触れて閉じてやる。それだけで幸せそうな表情に変わった。

その顔を見てアンジェもまた表情をほころばせるが、頭上から降ってきた声がそれを遮る。


「ちっ、また来たよ」


忌々しそうに女――ミシェルが吐き捨てる。眉間にシワを寄せて何度も舌打ちを繰り返しながら手の中にある武器を弄んだ。

カチンときたのか、アンジェも同じく眉間にシワを寄せて女をにらみつけるが、視界の端に探し人の姿を認めてその名を叫んだ。


「アブドラさん!!」


静かな街にその声は響き、容易くアブドラへと届く。

城門にある階段に足を掛けていたアブドラは声に反応して振り向き、そしてアンジェの方をじっと見つめた。

眼が細まり、口元が緩やかなカーブを描く。だがそれだけであり、再び前を向くとそのまま階段を登っていった。

アンジェはすぐさま立ち上がり、彼を追おうとする。が、ミシェルが前に立ち塞がって邪魔をする。


「おっと、アンタは行かせないよ?」

「……どいて下さい」

「そういう訳にはいかないね。面倒だけど、こっちも金もらってんだから。

くそっ、力使いすぎて頭痛いっていうのに、どうしてこうもメンドクサイ奴らが次から次に来るんだよ」


明らかにイライラした様子で舌打ちが止む気配は無く、釣り上がり気味の眼が鋭くアンジェを捉えて離さない。

負けじとアンジェも睨み返し、互いに攻撃範囲に入ったまま動かない。雨が二人を打ち、空気が冷え切っていく。

しばらくの間、雨だけが音を奏でる。


先に動いたのはアンジェだった。

鋭く突き出された腕が飛沫を飛ばす。ハルほどの鋭さは無く、だが通常ならば十分な速度を以て放たれる。

しかしノイマンらしい女は至極あっさりと避ける。それでもアンジェは、避けられるのは分かっていたので続けざまにパンチを繰り出す。

一発、二発、三発。

特別洗練された動きでは無いが、流れが途切れることもなく腕が振るわれる。そしてミシェルもわずかに体を動かすだけで全てを受け流す。

手に当てる事でミシェルは直撃を避け、だがその際の痛みに再度舌打ちをする。

しかし次第にそれも消え、攻撃を全て避け始めた。


(当たらない……!)


また一つ、空振りをする。

ミシェルの口は何やら動いているが、その声はアンジェには届かない。

ガムシャラに攻撃を続けるアンジェだが、内心で焦りは高まっていく。

当たる気がしないのだ。始めこそミシェルの体に触れていたが、今はどれだけパンチを放とうと、どれだけ蹴りを繰り出そうと、彼女に触れるイメージさえ湧かない。


(何かカラクリがあるはず……)


手を休めずに必死で思考を巡らせる。

一見すればアンジェとミシェルの間には、どうしようもないほどに力に差があり過ぎるように見える。全ての攻撃が見切られ、容易く避けられる。軽くあしらわれている感覚にさえアンジェはとらわれかけていた。

それと同時にどこか引っかかる。

ミシェルの戦いを先ほど見たが、その動きは速くは無くて、攻撃をする動作もさして鋭いとも言えない。むしろギルトの男の方が洗練されていて強者の印象をアンジェに与えていた。

なのに攻撃は当たらない。そして彼女の攻撃は命中する。その違和感。


(このままじゃダメだ!)


何か、何かを変えなければ状況は変わらない。

自分の攻撃に癖があるのか、それとも実はミシェルが優れているのか。

隙を作らないためにひたすらに攻撃を繰り返す。その最中でアンジェの頭には現状を打破し得る手段が浮かんでいた。

しかし、アンジェはその選択をためらった。


スピールトでの戦闘。おぼろげながらもその記憶は残っている。

ノイマンとしての能力であるラスティング。それを使えばきっと攻撃は当たり、最悪でも今の状況からは抜け出せるはず。

メンシェロウトである自分がどうして使えるのか、理由は分からない。生まれた時は確かにメンシェロウトだったはずで、スピールトでの件までは確かに使えなかった力。

失われた過去の中に答えはあるのだろう、とアンジェは常々考えている。そこには自分を駆り立てるあの衝動の原因も、きっとある。そしてそれこそがアンジェに力を振るうことを拒否させていた。

自意識を失う程の強い衝動と自身の能力。そこに強い関係があると、アンジェは漠然と悟っていた。

衝動に駆られた時に使えるのか、それとも使えば衝動に駆られるのか。恐らくはその両方。

あの時は止めてくれる人がいた。だが今はいない。

衝動に身を任せてしまえば、きっと目の前のミシェルをどうにかして倒し、アブドラも止められるかもしれない。だがその確証は無く、倒してしまった時に殺してしまうだろうという確信があった。感情など挟むこと無く冷徹にそのための行動を取ってしまうだろう、とハルと別れてすぐに過ぎった自身の思考がそれを証明している。

アンジェは迷った。不確定でも力を使うべきか否か。何か、短時間で決着する手段は無いのか。


「何か気もそぞろみたいだねぇ」


ハッとアンジェは意識を外へと戻す。しかしすでに遅すぎた。


「しまっ……!」


何度目か分からない攻撃が空を切り、反動で体勢が崩れる。

それと同時に、これまで回避一辺倒だったミシェルが攻勢に転じた。

アンジェの右脇腹めがけてパンチが放たれる。アンジェは体を無理矢理に回転させて直撃を免れるが、ミシェルもまた回転し、回し蹴りがアンジェの頭を狙う。

一回転ひねり、アンジェはかろうじて左腕でブロックをする。

直後、頭に衝撃が走った。

手に持っていた棍で殴られたのか、頭がグラグラする。焦点が定まらず、アンジェの視界が小刻みに振動を繰り返す。

だが普通と違ったのは、痛みと衝撃の割にダメージが大きい事。全身から力が抜け、意識がもうろうとする。

この程度の威力ならば、フラつきはすれども立ち留まることはそう難しい事では無い。しかし、アンジェの体は意に反して膝を突き、そして重力に抗えないままに空を見上げる事となってしまった。


「っ……!」


声を出すことすら難しく、顔を動かすだけでも困難。

それでもアンジェは全身に力を込め、起き上がろうともがく。


「おかしいね。本来なら一発であの世行きなハズなんだけど……」


手の中の武器を見てミシェルは物騒な言葉を吐く。ミシェルの関心は今はアンジェよりも湧いた疑問なのか、アンジェには目もくれず頭をひねる。


「アンタ、もしかしてロバーじゃないのかい?」

「メ…メンシェロ……ウト、です……」

「なんだなんだ、そーだったのかい。そりゃコイツの効き目が悪いわけだ」


疑問が解決してすっきりしたのか、戦う前までの不機嫌さは無く、快活に笑う。


「足音からロバーだと思ってたんだけどね。

そうか、義足なのか。今時珍しいメンシェロウトもいるもんだね」

「そ……の武…器は……?」

「うん?コイツかい?

教えてあげない、て言いたいトコだけどね。アンタが人間って分かったから教えてやるよ。ま、もらいモンだからアタシも詳しくは知らないんだけどね、何でもロバーに使われてるMAGECEMって金属によく効くんだとさ。威力はあそこでくたばってる奴らで分かる通り、頭に入れば一発で即死。

なんだけど、どうやら人間にも効果はあるみたいだねぇ」


だけどつまらないから、と手に持っていた五十センチ程の棍を腰に戻し、代わりに短剣の様な物を取り出した。だが形状こそ剣に似てはいるが、肉厚の刀身は打撃を主眼に置いていると思われた。


「さっきの奴は金属を変質させてダメージを与えるらしいんだけどね、コイツは鉄でも数回で砕いてしまうんだよ。

ロバー相手だと効率が悪いんだけど、気持ちいいよぅ……人間なんかをこれで殴ったら……ふふ……」


恍惚とした表情を浮かべ、武器を撫でる。

彼女のお気に入りなのか、見る視線にも熱がこもっている。

その間にアンジェは何とか立ち上がるが、アンジェは頭を抑えたまま下を向いていた。

時間が経てばダメージはそう残らないようで、殴られた場所が痛みこそするものの視界も元に戻り、もう一度戦闘を開始することも可能だった。

なのに、頭が痛い。割れるように内から内からと鈍痛が押し寄せる。そして吐き気と共に湧き上がる衝動。

無意識下で体が死を意識し、その事実を拒もうと衝動をアンジェ自身に働きかけ、だがアンジェはその衝動を必死で拒む。

目の前の女の存在はすでに目に入っていない。戦う相手は今は己自身になっている。

蝕む異常。そしてその異常はアンジェの脳裏にあるものをもたらした。

それは声だった。あるいは映像。交互に再生される映像と音声。やがてそれらは合わさり、一つの意味を作り出す。それは古くなったデータの様に映像は荒く、音声は途切れ途切れ。その中に現れた男が何かを喋っている。

白衣を着た男で、それ以外は映像が荒過ぎてよく見えない。何かを説明しているらしく、砂嵐ばかりの低い声は次第にクリアになっていった。


(……以上が身……で確認され……る能力だが、…こからは外界系……明になる。

まずは『予言者(プレディクター)』の能力に……てだ。

一般……予言者と呼ぶ事が多い……我々はこの能力を『未来視(プレコグニション)』と呼んでい…。

彼らは単なる勘で動いているのではなく、蓄積されたデータ、すなわち性格や行動パターン、気候などの情報を分析し、最も起こり得る結果を予測。その再現映像を脳内で再生して先読みをしている。

予測範囲は能力値によって時間、空間共に様々で、コンマ数秒先の目の前の事象から最大数時間後の半径数十メートル。上位の能力者になれば、そういった予測範囲の切り替えも能力者自身の意思で変更可能であることが確認されている。

ただし、予測範囲が広範になればなるほど予測精度は悪化する。

これは当然の事だな?

範囲が広がれば目の届かない範囲は目に見える範囲からの予測計算になり、時間が延びれば未知の情報が挿入される可能性がある。逆に言えば入手可能な情報量が増加するほどに予測精度は詳細になっていく)

(そっか……この人が未来視能力者……)


ミシェルがどうして攻撃を避ける事ができるのか、その理由にアンジェはようやく思い至った。

最初から全て予測されていたのだ。いつ、どのようにして攻撃し、どういった行動を取るのか。

その上でどうすれば相手をコントロールできるか、その術をミシェルは心得ていた。

始めだけミシェルに触れることができていたのは、アンジェの情報が不十分で予測精度が不十分だったため。攻撃することでデータが蓄積されて、より確定的な未来を彼女に提供していた。

自分も、ギルトの男も全て彼女の手の上で踊らされていた。

その事実に気づき、苦痛に顔を歪めながらも無理矢理にアンジェは体を起こして後ろへ飛び退き、相手との距離を取る。そして相手を見据えると、ミシェルは少し驚いた表情を浮かべた。


「ふぅん……ダメージはあるみたいだけど、そこまで体には残らないみたいだねぇ。

アンタがメンシェロウトだからなのか、それともアンタ自身だから回復が早いのか……

これは情報修正が必要かしらね」


ミシェルの声を聞き、そして脳内では先ほどから続く男の声が再生され続けていた。


(この能力者と戦闘になれば厄介に思われるが、前以て準備ができるならば対処は容易だ)

(対処が…簡単……)


そうだ。対処方法。この後にそれが説明されるはず。それさえ分かれば……

男の声には聞き覚えがあることを思い出す。それに伴い、映像は記録では無く記憶として判断される。

途端、クリアになる映像と音声。だが男の姿だけは白い光に焼かれて見えない。


「逃げる気は……無いみたいだね。ま、せっかくの獲物だし、逃がすつもりも無いけどね」


ミシェルの動きに注意を払いながらもアンジェは記憶を掘り起こそうと試みる。

その度に締め付けられるような痛みがアンジェを苛み、衝動が意識を飛ばそうと襲いかかる。

腹に力を込め、奥歯を噛みしめて耐える。黒い靄が意識にまとわりつく。それでも目の前の相手から意識を離しはしない。


「そっちが来ないなら……こっちから行くよ!」

(対象の情報が蓄積されればされるほど、未来が確定される。ならば……)


ミシェルが迫る。

ミシェルと男の記憶、両方の声をアンジェは聞いた。

アンジェは動かない。だが、決断する。

眼は、ミシェルの武器がアンジェの頭めがけて横薙ぎに振るわれるのを捉えた。


(相手が知らない情報を付け加えてやればいい)


アンジェの瞳孔が収束する。

世界が広がり、感覚は鋭敏そのもの。抑えつけられていた存在が解放され、五感が激しく刺激される。

格段に落ちる、アンジェを取り巻く全ての動き。だが、ラスティングを使用してもミシェルの腕は避ける事ができないほどに近い。しかし、アンジェはそれで構わなかった。

左腕を短剣の前に差し出し、体を反らす。かなりの硬度を持つアンジェの腕はいとも容易く砕け、だが剣の軌跡をアンジェからずらす。

腕の金属片が空に舞い、剣はアンジェの髪を梳くばかリ。そして砕けた左腕からのぞくスタンガン――


「いっけええええええぇぇっ!!」


叫びながらアンジェは左腕を突き出した。

電極の間で火花が散り、ミシェルの体に突き刺さる。


「……!!」


大電流が流れてミシェルは声にならない叫びを上げた。

身体に自由は無く硬直、彼女の意識は断線。伝わる信号はことごとく本来の回線を遮断し、焼き切る。瞬間の苦痛は彼女の全てを閉鎖して、余波が全身を激しく仰け反らせるとそのままの体勢で倒れていった。


「はあっ、はあっ、はあっ……」


荒い呼吸のまま、アンジェはうつ伏せに倒れるミシェルを見下ろす。ミシェルの意識は無く、それでも体だけは時折痙攣して震える。

一歩前に進み、冷徹な瞳が眼下の女を捉える。しゃがみ込み、一度雨を拭ってむき出しになったスタンガンを首筋に近づけていく。パチパチッと放電音が鳴る。

感情の色を失ったアンジェの瞳。顔に貼り付いた前髪の隙間から無機質な感情が発露する。無慈悲に、障害を排除しようと内部バッテリーの出力を上昇させる。

雨か汗か。雫が一筋アンジェの頬を伝う。


「あ…ああ……」


突然、アンジェは頭を抱え、苦悶の表情を浮かべた。

濡れた地面に膝を突き、そして胃の中身をぶちまける。


「が……ゲホッ!ゴホッ……あ…う……」


治まらない吐き気と激しい頭痛。汗が全身から噴き出し、震える。

痛みに耐えるため、アンジェは両腕をかき抱き、空を仰ぎ、頭を地面に擦り付けた。

嗚咽が零れ、止まらない涙が雨と混じってアンジェを洗う。

苦痛に悶え、だがそれに伴って意識を覆っていた黒い靄は晴れていく。それでも雨は止まない。ただひたすらにアンジェを濡らしていった。

ヨロヨロと立ち上がる。ビショビショになった顔でミシェルを見て、右手で眼を拭う。そして辺りを見渡した。そこには、ミシェルだけでなく幾つもの人が倒れ伏していた。

また泣き出しそうな表情を浮かべ、しかし唇をギュッと結んで堪える。

人の川をかき分けて、アンジェはアブドラを追うために城門へと足を進めていった。






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