ー第2節 「お茶が苦く社長が激怒し犯人を探している」と勘違いし身を隠すユイ。社内は謎の専門家の話題で持ちきりだが、エリートたちは無能な彼女を完全に容疑者から除外していた。
第2節 「お茶が苦く社長が激怒し犯人を探している」と勘違いし身を隠すユイ。社内は謎の専門家の話題で持ちきりだが、エリートたちは無能な彼女を完全に容疑者から除外していた。
翌朝、グランドクロス商事のオフィスは、ある噂で蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
『社長のパフォーマンスを劇的に回復させた、謎の専属メンタルトレーナーが社内に潜伏しているらしい』というものだ。
「ねえ、聞いた? 昨日の午後、社長が倒れかけた時に、誰かが奇跡のブレンドティーを飲ませて完全復活させたらしいわよ」
「それどころか、今日の社長、朝から海外支社と五カ国語で同時にオンライン会議して、三つの大型買収案件を即決したらしいわ。脳の回転速度がスーパーコンピューター並みになってるって、役員たちが震え上がってたわよ」
給湯室の隅で息を潜めながら、ユイはその会話を聞いて真っ青になっていた。
「ど、どうしよう……!」
ユイは両手で顔を覆い、ガタガタと震えた。彼女の脳内では、事態は全く別の方向に解釈されていた。
(昨日、社長にお茶を出した時、ティーバッグを二つも入れちゃったから……! きっとすごく渋くて苦くて、喉が張り裂けそうになったんだわ! だから社長は怒り狂って、私をクビにするために血眼で犯人を探してるんだ……!)
過労とストレスで倒れそうだった社長に、罰ゲームのような激渋のほうじ茶を飲ませてしまった。そのせいで社長の脳の神経が怒りで振り切れ、ヤケクソになって仕事をしているに違いない。ユイの極端な思い込みは、見事なまでに真実とすれ違っていた。
「ふふん、その謎の専門家、きっと海外の超一流大学で脳科学を修めたドクターに違いないわね」
得意げな声とともに、お局社員の冴島が給湯室に入ってきた。彼女はユイの存在に気づくと、鼻で笑うように見下ろした。
「あら、ユイさん。あなたも社長の専属トレーナーの噂、聞いてたの? でも安心して。私たちのような能力至上主義のエリートの中にしか、そんな天才は存在しないわ。あなたみたいな、専門スキルゼロでコピー取りとお茶汲みしかできない底辺の雑用係なんて、一生関わることのない世界の話よ」
「はい……おっしゃる通りです……」
ユイはホッと胸をなでおろした。冴島の言う通りだ。エリート至上主義のこの会社で、誰一人として「奇跡の霊薬を淹れたのが、能力ゼロの派遣社員であるユイだ」と疑う者はいない。彼女は完全に容疑者リストから除外されていたのだ。
「(よかった……。このまま大人しくしていれば、私が激渋のお茶を飲ませた犯人だってバレずに済むわ)」
ユイは深く安堵のため息をつき、今日も目立たないように、ひっそりと雑用をこなすことを心に誓った。




