第1章 第1節 圧倒的な能力と実績が全てを決める超実力主義の会社。専門スキルを持たない派遣社員のユイはエリートから無能と見下され、理不尽な雑用とマウントに心をすり減らしていた。
第1章 給湯室の小さな奇跡
第1節 圧倒的な能力と実績が全てを決める超実力主義の会社。専門スキルを持たない派遣社員のユイはエリートから無能と見下され、理不尽な雑用とマウントに心をすり減らしていた。
東京の中心にそびえ立つ全面ガラス張りの高層オフィスビル。ここは、日本国内のみならず世界の経済を牽引する大手総合商社『グランドクロス商事』の本社ビルである。この会社を支配しているのは、圧倒的な「能力至上主義」という絶対的な掟だった。
語学力はネイティブレベルが当たり前、高度なITスキルやプログラミング能力、そして何億もの利益を叩き出すプレゼンテーション能力。そうした「目に見える専門スキル」と「数字としての実績」を持つ者だけが称賛され、持たざる者は徹底的に見下され、淘汰される。それがこの職場の常識だった。
「ちょっと、ユイさん! この資料のホチキス留め、ミリ単位でズレてるって言ったわよね!? あなた、こんな簡単なこともできないの!?」
「も、申し訳ありません……すぐにやり直します」
フロアに響き渡るヒステリックな声に、主人公のユイ(二十四歳)は何度も頭を下げた。彼女を怒鳴りつけているのは、営業部でエースを自称するお局社員の冴島である。彼女は有名大学を首席で卒業し、複数の言語を操るエリートだが、その反面、自分より能力が劣る者への当たりは苛烈を極めていた。
ユイは、この超実力主義の会社において、何の専門スキルも持たない「派遣社員」として雇われていた。彼女に割り当てられる仕事は、誰でもできるコピー取り、シュレッダーのゴミ捨て、備品の補充、そして会議用の「お茶汲み」といった裏方作業ばかりだ。
「本当に信じられない。私たちが何百億の商談を動かしていると思ってるの? あなたのそののろまな作業のせいで、私の貴重なタイムパフォーマンスが落ちるのよ。だいたい、今どきお茶汲みなんて自動サーバーで十分なのよ。AI以下の存在なんだから、せめて言われたことくらい完璧にこなしなさいよね」
「はい……すみません……」
冴島は冷酷な言葉を吐き捨てると、カツカツとヒールの音を高く鳴らして去っていった。周囲にいる他の正社員たちも、ユイを庇う者は誰一人としていない。彼らにとって、能力のないユイは職場の風景の一部か、あるいは都合よく使えるサンドバッグでしかなかった。
パソコンの画面に並ぶ複雑なデータ群や、飛び交う専門用語。ユイにはそれが呪文のように見えた。私には何もない。誇れる学歴も、華やかなスキルも、人より秀でた才能もない。だから、こんな扱いを受けても仕方がないのだ。
そうやって自分を納得させようとしても、心の奥底に蓄積していくストレスと悲しみはどうすることもできなかった。連日の残業で睡眠時間は削られ、食事もコンビニのおにぎりをパソコンの前で押し込むだけの日々。
「能力がないから、雑用しかできない無能」
エリートたちから投げつけられる見下したような視線と嘲笑が、ユイの心を少しずつ、確実に削り取っていた。肩は石のように重く、胃の奥は鉛を飲んだかのように痛む。視界がぐにゃりと歪み、息をするのさえ苦しくなってきた。
「……少しだけ、休もう……」
ユイは誰にも気づかれないように、ふらつく足取りでフロアの隅にある給湯室へと逃げ込んだ。




