存在の噂
彼女はいつも笑っていた。笑顔を決して絶やさない美少女。肩よりも長いストレートな黒髪。西洋風な落ち着いた服装。その耽美な容姿は、この街で、しばしば噂になっていた。
しかし、なぜか誰も関わったことがないという。街角ですれ違ったとか、商店街から出てくるところを見かけたとか、バスに乗り込む後ろ姿を見たとか。
「忘れた頃に見かける」
そう言って首を傾げる人間は多かったが、いつ、どこで見たのかを正確に言える者はいなかった。まるで、思い出そうとすると輪郭だけが薄れていくようだった。
──その女性が、ショッピングモールにいた。ガラス張りのショーウインドウの前で、彼女は一着の服を眺めていた。
蛍光灯の光を受けて、彼女は笑っていた。
けれど、その笑顔はどこか不自然だった。
頬の角度も、唇の開き方も整いすぎていて、貼り付けられた仮面のように見えた。
やがて彼女は店の前を離れ、建物の奥に消えた。なぜか目を離してはいけない気がして、慎重な足取りで追いかけていた。
だが、角を曲がった先に、彼女の姿はなかった。通路はまっすぐ続き、隠れる場所もない。それなのに、まるで最初から存在しなかったかのように、何もない空間だけが残っていた。
生暖かい風が、頬を撫で上げた。
背中を這うように鳥肌が立ち上がる。
ざわざわとした気配が全身を支配する。
落ち着かない。
喉の奥にその感覚が溜まっていく。
夕暮れの光が、時計塔をわずかに照らした。
街はいつも通りの時を刻んでいる。
でもその針は、思ったよりずっと早く進んでいた。
──数日後、その場所を訪れると、ショーウインドウは白い紙で覆われていた。
ゆっくりと周囲を歩いていると、急に風が吹いた。冷たい風。
「……忘れて」
囁くような透き通った声。
頭の中に、あの日見かけた彼女の姿がよぎる。でも、黒い霧のようなノイズによってその姿は街の中に散っていった。
ふと、白い紙で覆われた店が視線に入った。
……店の名前を、思い出せなかった。
街の人間たちは、噂話を広げていく。
「そんな人、いたっけ」
その言葉の隙間に、黒い影が落ちていた。




