第98話:社畜だった神々
「ヒャッハー! 行くぜぇぇ! 俺に切れないものはないッ!」
カフェインの過剰摂取で目がギンギンになったガンドを先頭に、一行は居住区画の奥へと進んだ。
目指すは、公園の向こうにそびえ立つ、巨大な集合住宅だ。
かつて、この研究所で働いていた研究員たちの宿舎。
外観はシンプルで飾り気のない白い箱の積み重ねだが、規則正しく並んだ窓やバルコニーは、高度な建築技術を物語っている。
「ここが古代人の住居か……。砦みてぇにデカいな」
「入り口はどこじゃ? 城門が見当たらんぞ」
タマがキョロキョロしていると、晶が建物のエントランスと思しきガラス扉の前に立った。
「開けゴマ」
ピッ。
ウィーン……。
晶が手をかざすと、自動ドアが滑らかに開いた。
もはや驚く者はいなかった。晶が「顔パス」で古代遺跡を掌握していることは、周知の事実となりつつある。
「適当な部屋に入るぞ。……ここがいいな」
晶は廊下を進み、手近な一室のロックを解除した。
プシュッという音と共に扉が開く。
そこは、数万年の時が止まったままの、生活空間だった。
「おおおぉぉ……!」
一行から感嘆の声が漏れる。
そこは、広さ十畳ほどのワンルームだった。
だが、その内装は彼らの常識を覆すものだった。
壁に埋め込まれた収納棚。
柔らかそうなクッションが敷かれた椅子。
そして、部屋の隅にはスプリングの効いたベッドが置かれている。
「アネキ! 見てよこの椅子! 無限に回るぞ!」
リナがキャスター付きのオフィスチェアに座り、子供のようにクルクルと回転している。
ベアリングの精度が高すぎて、一度回すといつまでも止まらないらしい。
「ふかふかなのだ! 王様のベッドより柔らかいのだ!」
ポチはベッドにダイブし、トランポリンのように跳ねて喜んでいる。
高反発マットレスの感触は、藁や羊毛のベッドしか知らない異世界人には衝撃的だろう。
(……典型的な独身研究員の部屋だな)
晶は散らかった机の上を見ながら苦笑した。
飲みかけだったと思われるカップや、書類の山がそのまま残されている。
まるで、昨日まで誰かが住んでいたかのような生活感だ。
「アキラ様、こちらに来てください! 何かあります!」
机を調べていたセシリアが声を上げた。
彼女の手には、埃を被った「黒い板」が握られていた。
「魔導書……でしょうか? 紙の束は見当たりませんが、この黒曜石の板だけが机の中央に鎮座していました」
「なんだこりゃ? 鏡か? 鍋敷きか?」
横から覗き込んだガンドが、板の表面をペチペチと叩く。
硬質だが、石でも鉄でもない奇妙な手触りだ。
「ふむ……。魔力は感じんのう。ただの黒い板切れじゃ」
「いえ、見てください。この薄さ、この軽さ……。ただの板ではありません。きっと、特定の儀式を行うことで文字が浮かび上がる『賢者の石板』に違いありません!」
セシリアが期待に目を輝かせている。
晶はそれを受け取り、懐かしそうに目を細めた。
(……タブレット端末だな。しかもプロ仕様のハイエンドモデルだ)
薄型で軽量。ベゼルのない全面ディスプレイ。
数万年前の遺物とは思えないほど洗練されたデザインだ。
晶は側面の電源ボタンを長押ししてみたが、画面は漆黒のままだった。
「反応なしか。まあ、バッテリーが切れていて当然か」
「バッテリー?」
「魔力切れということだ。……テオ、出番だ」
晶は部屋の隅で縮こまっていたテオを呼んだ。
「ひっ、はい! な、何でしょう?」
「お前の雷魔法で、こいつに魔力を雷魔法に変換して流し込め。ここにある端子からだ」
晶はタブレットの下部にある充電ポートを指差した。
「ただし、出力は最小限だ。全力で撃ったら中の回路が焼き切れるぞ。『静電気でパチッとなるくらい』の微弱な電流を維持しろ」
「ええっ!? そ、そんな繊細なコントロール、やったことないですよぉ!?」
「やれ。焦がしたら、お前の杖をへし折って焚き火にするぞ」
「ひいいっ! や、やりますぅ!」
テオは涙目で杖を構え、震える先端を端子に近づけた。
「うぅ……静まれ僕の魔力……。ちょびっとだけ……ちょびっとだけお願い……! 『微小雷撃』……!」
バチッ、バチチッ。
紫色の火花が散り、電流が端子へと吸い込まれていく。
数秒の沈黙。
そして。
フォォォン……♪
美しい起動音と共に、漆黒の画面に光が灯った。
中央に浮かび上がったのは、リンゴ……ではなく、月を模した「ウサギのマーク」だった。
「「「おおおっ! 光った!」」」
「文字が……絵が浮かび上がりましたわ!」
全員が歓声を上げ、晶の手元を覗き込む。
起動シークエンスが終わり、ホーム画面が表示された。
パスワードロックはかかっていない。どうやら持ち主はセキュリティ意識が低かったらしい。あるいはズボラだったか。
「すごい……! これが古代の叡智……!」
「きっと、神々の深淵なる知識や、宇宙の真理が記されているに違いありません!」
セシリアがゴクリと喉を鳴らす。
晶はアイコンの一つをタップした。
「さて、何が残されているか……」
開いたのは、テキストエディタらしきアプリ。
そこには『業務日誌』というタイトルのファイルが保存されていた。
「日誌か。当時の研究の記録かもしれん」
晶は最新のページを開き、翻訳魔法を通して読み上げた。
『○月×日:今日も徹夜だ。所長の人使いが荒すぎる。帰りたい。布団で寝たい』
「……はい?」
セシリアが素っ頓狂な声を上げた。
晶は構わずスクロールする。
『○月△日:カフェインが効かない。胃が痛い。食堂の飯は飽きた。実家の母さんの味噌汁が飲みたい』
『○月□日:締め切りヤバい。バグが取れない。誰かこの星ごと爆破してくれ』
『○月○日:腰が痛い。椅子を変えてくれ。経費が落ちないってどういうことだクソ上司』
『○月×日:地獄カイゼンプロジェクトが難航中。魂のエネルギー変換効率が悪い。誰か、この地獄のような業務フローを自動化してくれ……』
……沈黙が流れた。
神々しい古代遺跡のイメージが、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。
「え、えーと……? 神様なのに、胃が痛いんですか?」
「実家の母さんって……神様にもお母さんがいるのか?」
「なんか……俺たちと変わらなくねぇか? やけに人間臭いぞ」
ボルスが微妙な顔で呟く。
晶は「ふっ」と自嘲気味に笑った。
(……どこの世界も、いつの時代も、社畜の悩みは同じということか。それにしても、『地獄の業務フローの自動化』ね。……理系として、少しばかりそそる課題だな)
高度な科学文明を持っていても、労働の辛さからは逃れられないらしい。
逆に親近感が湧いてくる。
「アネキ、これはなんだ!?」
リナが画面の端にあるアイコンを指差した。
タイトルは……『My Angel』
「天使?」
晶はタイトルを読み上げた。
「天使……? おお! これこそ神の使いの記録映像かもしれん!」
「見るのじゃ! 本物の天使を拝むのじゃ!」
期待を取り戻した一行に急かされ、晶は再生ボタンを押した。
画面に映し出されたのは――。
『んふふ……可愛いよミケ……お前だけが俺の癒やしだ……』
デレデレした男の声と共に、画面いっぱいに映ったのは、もふもふの子猫だった。
猫じゃらしを追いかけ、テーブルから滑り落ちる子猫。
自分の尻尾を追いかけてグルグル回る子猫。
飼い主の指を甘噛みする子猫。
『ニャ〜ン♪』
あざとい上目遣いでカメラを見つめる子猫のアップで、動画は終わった。
「…………」
再び沈黙。
「……猫なのだ。どんくさい猫なのだ」
「なんじゃこのふやけた生き物は。威厳のかけらもない」
ポチとタマが呆れたように感想を漏らす。
だが、晶は深く頷いた。
「なるほど。『天使』だ」
「えっ!? アキラ様、これがですか!?」
「疲れた心には、どんな薬よりも効く。……古代人も、猫動画でSAN値を回復していたのか」
晶は画面の中の子猫を見つめた。
数万年前、過酷な労働環境にあったこの部屋の主も、この動画を見て明日への活力を養っていたのだろう。
そう思うと、この見知らぬ古代人が、同志のように思えてならなかった。
「……行くぞ。重要な技術書はなさそうだ」
晶は端末の電源を切り、自分のリュックに放り込んだ。
これは後で、個人的なコレクションにしよう。
その時だった。
グゥゥゥ〜……キュルルル……。
盛大な音が、静かな部屋に響き渡った。
全員の視線が一点に集まる。
「……アキラ、お腹が減ったのだ」
ポチが腹を押さえてうずくまっていた。
思えば、月面に着陸してから、水分しか摂取していない。
ましてやポチの場合、フェンリル形態に変身したから、カロリーの消費も激しかっただろう。
「ジュースだけじゃ足りないのだ。お肉が食べたいのだ……」
「そう言えば、俺も腹が減ったな。飲み物で誤魔化してたが、限界だ」
ボルスも腹をさする。
ハイテンションだったカフェインの効果が切れ始め、急激な空腹感が襲ってきたようだ。
「そうだな。生活感のある部屋があったなら、あれもあるはずだ」
晶は部屋を出て、通路の案内板を見上げた。
そこには『Dormitory(宿舎)』の文字と並んで、フォークとナイフのアイコンが描かれている。
『Cafeteria(食堂) → 100m』
「キッチンだ。……保存食ではなく、まともな温かい飯が食えるかもしれんぞ」
その言葉に、全員の目の色が変わった。
「肉! 肉はあるのか!?」
「温かいスープ……! 飲みたいですぅ!」
「ヒャッハー! 飯だぁぁ!!」
空腹の猛獣と化した一行は、案内板の矢印に従い、食堂エリアへと殺到した。




