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第96話:ポチ、危機一髪!?

 開いた扉の奥には、上下移動のための小さな部屋、エレベーターホールが待っていた。


「……箱、ですか?」


 セシリアが怪訝な顔で覗き込む。


 そこにあったのは、金属製の壁に囲まれた、四畳半ほどの狭い小部屋だった。


 窓はなく、奥の壁に鏡が張られているだけの、無機質な箱だ。


「全員乗れ。少し狭いが我慢しろ」


「こ、この中に全員でか? 牢屋より狭いぞ」


 ボルスが文句を言いながらも、晶に促されて体をねじ込む。


 ポチとタマも含めて10人。


 定員ギリギリの満員電車状態だ。


「むぎゅう……。狭いのだ。リナの鎧が硬いのだ」


「我慢しなポチ。……しかしアネキ、これはどういう部屋なんだ? 出口が見当たらないけど。」


 全員が乗り込んだのを確認すると、晶は入り口横の壁に設置された操作パネルに向かった。


 そこには『B1』『B2』『B3』『B4』という文字が光っている。


「これは『昇降機(エレベーター)』だ。これに乗って地下深くの区画へ移動する」


 晶は迷わず『B2:Residence(居住区)』のボタンを押した。


 ポーン♪


 軽やかな電子音と共に、重厚な金属扉がスライドして閉まった。


「と、閉じ込められたぞ!」


「まさか、このまま箱ごと圧縮プレスする気じゃねぇだろうな!」


 ガンドが慌てて扉を叩くが、びくともしない。


 完全なる密室。


 逃げ場のない閉塞感に、一行の緊張が高まったその時だった。


 テ〜レ〜、テ〜レ〜、テレレレ〜♪


 唐突に、天井のスピーカーから音楽が流れ始めた。


 軽快なリズムと、安っぽいシンセサイザーの音色。


 いわゆる「エレベーターミュージック」――ボサノヴァ調のBGMだ。


「な、何ですかこの音色は……!?」


 セシリアが血相を変えて周囲を見渡す。


「楽器が見当たりません! なのに、虚空から旋律が直接脳内に響いてきます!」


「精神干渉系の魔術か!? 聞くな! 心を乗っ取られるぞ!」


 リナが叫び、全員が慌てて耳を塞いだ。


「落ち着け。ただのBGMだ」


「ビージーエム……? まさか、次元跳躍のための詠唱ですか!?」


「この軽薄なリズムが、精神をトランス状態へ導くための儀式だというのか……!」


 テオとセシリアが、それぞれ勝手な解釈で戦慄している。


 晶はため息をついた。


 沈黙の気まずさを紛らわすための音楽が、逆に恐怖を煽るとは計算外だった。


(……まあいい。舌を噛まないように注意しておけよ)


 晶が心の中でカウントダウンを始めた、その瞬間。


 ギュンッ!!


「うおっ!?」


 唐突に、凄まじいGが全員の体にのしかかった。


 床が強力な力で押し上げられ、膝が折れそうになる。


 通常のエレベーターではない。


 地下数千メートルを数分で移動するための、リニアモーター駆動による超高速エレベーターだ。


「ぐおおぉッ!? か、体が重ぇ! 地面にめり込むぅぅ!」


 ボルスが悲鳴を上げて床に這いつくばる。


「くっ……! これは重力魔法!? いや、空間そのものが歪んでいるんです!」


 テオが必死に杖で体を支えながら叫ぶ。


「これは『空間転移(テレポート)』の副作用です! 肉体と魂の座標がズレて、強烈な圧力を生んでいるんです!」


「魂が……魂が剥がれるぅぅぅ!」


「耐えてください! あの陽気な音楽に意識を集中して! リズムに乗り遅れたら、次元の狭間に置き去りにされますよ!」


 セシリアが涙目で叫ぶ。


 密室の中で、屈強な男たちがボサノヴァに合わせて必死に耐えている光景は、側から見ればシュール極まりない。


(大袈裟だな……。まだ2Gくらいだぞ)


 数分後。


 加速が終わり、等速運動に入ったかと思えば、今度は急激な「減速」が始まった。


 フワッ……。


 内臓が浮き上がるような浮遊感。


 いわゆる「マイナスG」だ。


「おっぷ……」


 今まで元気に騒いでいたポチが、口を押さえて顔色を青くした。


「ぽ、ポチ? どうしたんじゃ?」


「き、気持ち悪いのだ。世界が回るのだ……」


 ロケットの遠心加速器訓練では「たのしいのだー!」とはしゃいでいたポチだが、この密室での上下動はダメだったらしい。


 視界が動かないのに、平衡感覚だけが激しく揺さぶられる感覚の不一致。


 完全に「エレベーター酔い」である。


「あきら……目が回る……吐きそうなのだ……」


「しっかりせぬか! 吐くなよ! ここで吐いたら密室地獄じゃぞ! 全員道連れじゃ!」


 タマが必死にポチの口を押さえる。


 この狭い空間でゲロを撒き散らされれば、精神的ダメージは計り知れない。


 ある意味、今までで最大のピンチだった。


「も、もう限界……出る……!」


「耐えろポチ! あと少しだ!」


 晶がパネルを見つめる。


 階数表示が『B2』で点滅し、停止した。


 チン♪


 軽やかな到着音。


 そして、扉が静かに開いた。


「脱出だぁぁぁッ!!」


 ボルスが転がるように外へ飛び出した。


 続いて全員が、溺れる者が空気を求めるように雪崩れ出てくる。


「はぁ、はぁ……死ぬかと思った……」


「次元跳躍……成功です……。魂がちゃんと体に付いてきています……」


「オロロロロ……」


 地面に突っ伏すボルス、自分の体を触って確かめるセシリア、そして隅っこでうずくまるポチ。


 たかがエレベーター移動で、パーティは既に半壊していた。


「やれやれ。だらしないぞ」


 晶は涼しい顔で降りた。


「ほら、顔を上げろ。……着いたぞ」


 晶の声に、リナたちがふらふらと立ち上がり、周囲を見渡した。


 そして。


 その目に飛び込んできた光景に、言葉を失った。


「な……っ!?」


「ここは……!?」


 そこは、地下とは思えないほど広大な空間だった。


 天井の高さは数百メートルにも及ぶだろうか。


 遥か頭上には、魔法か科学か、人工的に再現された「青空と白い雲」が広がっている。


 太陽のような光源が輝き、地下特有の閉塞感は微塵もない。


 そして目の前には、美しく整備された「緑の街並み」が広がっていた。


 幾何学的なデザインの白い住居群。


 青々と茂る街路樹と、手入れされた芝生の公園。


 噴水が水を噴き上げ、小鳥のような小型メカが空を飛んでいる。


 それは、高度に発達した文明が作り上げた、理想郷ユートピアのような光景だった。


「空がある……? 地下なのに?」


「なんて美しい街並みなんだ……。エルフの里とも、帝都や王都とも違う……」


 ガンドとエルウィンが呆然と呟く。


 ここは冷たい研究所の通路ではない。


 かつてここで働き、生活していた人々が暮らした場所だ。


「ここは『居住区画(リビング・セクター)』。……かつてこの研究所の研究員たちが暮らしていた街だ」


 晶は、静寂に包まれた無人の街を見下ろした。 


 誰もいない。


 だが、街は生きている。


 数万年の時を超えて、主の帰りを待ち続けているかのように。


「行くぞ。……まずは休息だ。ここならまともな食事も期待できるだろう」


 晶はポチの背中をポンと叩き、先頭に立って歩き出した。


 古代の生活空間。


 そこには、皆が腰を抜かすような「未知の利便性」が眠っているはずだ。


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