第94話:最凶の魔獣(? )現る
ゴオオオオオオ……!
待ち構える晶たちの耳に、低く、重い音が響いてきた。
それは風の音のようでもあり、何かを吸い込む音のようでもある。
「ッ! 来るぞ!」
リナが鋭く叫ぶ。
「足音がしねぇ! 浮いてやがるのか!?」
「速い……! 急速接近!」
クロウが叫んだ瞬間だった。
通路の曲がり角から、黒い影が飛び出してきた。
「グルルルル……!」
現れたのは、直径1メートルほどの「黒い円盤」だった。
(ん? ル◯バ?)
どこか懐かしさを感じるそのフォルム。
大きさこそ尋常ではないが、現代日本でも当たり前に見かけるお掃除家電だ。
だが、他のメンバーにとっては、それは未知の脅威でしかなかった。
目も、口も、手足もない。
のっぺりとした黒曜石のような光沢を放つ平たい物体が、恐ろしいスピードで床を滑るように迫ってくる。
「あたいが迎撃する!」
リナが地面を蹴った。
神速の抜刀。
ミスリルの刃が、疾風となって円盤へと振り下ろされる。
「はぁぁッ!」
鉄塊すら両断する必殺の一撃。
だが。
ガギィンッ!!
凄まじい金属音が廊下に響き渡り、火花が散った。
「くっ……!?」
リナの体が弾かれた。
手首が痺れ、剣が悲鳴を上げている。
だが、斬りつけた円盤の表面には、傷一つ付いていなかった。
「馬鹿な……! ミスリルの剣が通じねぇぞ!」
「硬度が高すぎるぞ! オリハルコンの甲羅を持つ魔獣か!?」
ガンドが驚愕の声を上げる。
攻撃を受けた円盤は、しかし反撃してくる様子はない。
衝撃で軌道を変え、壁に向かって一直線に突き進む。
バンッ!
壁に激突。
すると、まるで意思を持っているかのようにクルリと回転し、角度を変えて再び走り出した。
ウィーン……。
「み、見ろ! 動きが変わったぞ!」
「不規則な挙動……。こちらの攻撃パターンを読んで、的を絞らせないつもりか!?」
セシリアが杖を構えながら戦慄する。
壁にぶつかっては向きを変え、ジグザグに迫りくるその動きは、予測不能な高等戦術に見えたのだ。
「物理が効かねぇなら、魔法だ!」
「燃え尽きろ! 火球!」
ボルスが魔導銃を撃ち、テオが炎を放つ。
だが、円盤の黒い装甲はそれをすべて弾き返す。
耐熱コーティングと曲面装甲が、衝撃を完璧に受け流しているのだ。
「魔法も効かねぇだと!? 無敵かよこいつ!」
一行がパニックに陥る中、一人の勇者(?)が名乗りを上げた。
「ボクが止めるのだ! みんなを守るのだ!」
ポチだ。
ポチは身体を巨大化させ、伝説の魔獣フェンリル形態へと変化した。
持ち前の瞬発力で床を蹴り、円盤に向かってダイブする。
「必殺! ポチ・クラッシュなのだー!!」
全体重を乗せた攻撃。
だが、相手はツルツルに磨き上げられた超硬度ボディである。
ツルッ。
「!?」
ポチの爪も牙も立たず、あえなく滑った。
そのまま円盤の上を通過し、勢い余って向こう側へ着地――しようとした、その時だった。
ズボォッ!!
「ぎゃっ!?」
ポチの悲鳴が上がった。
着地した場所が悪かった。
円盤の後方、強力な吸引力を発揮している「吸気口」の真ん前に、ポチの自慢のフサフサな尻尾が垂れてしまったのだ。
ズボボボボボボボ!!
「し、尻尾ぉぉぉッ! 尻尾が食べられてるのだー!!」
「ポチ!?」
円盤はポチの尻尾を飲み込んだまま、容赦なく前進を続ける。
ポチは四肢を踏ん張って抵抗するが、相手のトルクと吸引力が勝っている。
「いやぁぁぁ! 離せぇぇ! ハゲちゃう! お嫁に行けないのだー!!」
ズズズズ……と廊下を引きずられていくポチ。
フェンリル形態のポチは決して小さくないはずなのだが、そのシュールな姿は、巨大な魔獣に捕食される哀れな小動物そのものだった。
「なんという吸引力じゃ……! あのポチの脚力をもってしても逃げられんとは!」
「助けねぇと! だが、下手に撃てばポチに当たるぞ!」
絶体絶命。
最強の防御力と、予測不能な機動力、そして凶悪な捕食能力を持つ、未知の魔獣。
魔法文明の常識が通じない相手に、全員が立ちすくんだ。
その時。
「……やれやれ」
呆れ果てたため息と共に、白衣の影が前に出た。
「アネキ!?」
「アキラ様、危険です!」
晶は警告を無視して、暴れ回る円盤とポチの進行方向に立ちはだかった。
その表情に焦りはない。
あるのは、出来の悪い家電を見るような、冷ややかな目だけだ。
(ダイ◯ンも真っ青の吸引力だな。……まあ、数万年前の旧式モデルならこんなものか)
晶はポケットから手も出さず、迫りくる黒い塊を見下ろした。
ポチが涙目で叫ぶ。
「あきらー! 逃げるのだ! こいつは強いのだー!」
円盤が晶の足元へ迫る。
激突まで、あと1メートル。
晶は、スッと右足を動かす。
そして。
円盤の側面に、つま先を軽く差し入れた。
蹴るのではない。
進行方向の力を利用して、くいっと持ち上げるだけ。
合気道にも似た、最小限の物理干渉。
パカッ。
乾いた音がした。
黒い円盤は、いとも簡単にバランスを崩し――コロンと裏返った。
「…………」
キュイーン……プスン。
タイヤが空転する悲しい音と共に、円盤の動きが停止した。
吸気口の吸引も止まる。
「……へ?」
解放されたポチが、ボサボサになった尻尾を抱えて呆然とする。
リナたちが目を丸くして固まる中、晶は裏返ってピクピクしている円盤を冷ややかに見下ろした。
「騒ぐな。……ただの掃除機だ」
「そ、掃除機……?」
「これは『自動清掃機』だ。床のゴミを吸い取って回っているだけだ」
晶は裏面にある回転ブラシと、ゴミの吸気口を指差した。
「攻撃してきたわけじゃない。お前たちが勝手に進路に立ちふさがって、勝手に尻尾を突っ込んだだけだ」
「で、でもアキラ様! あの超硬度の装甲と、変幻自在の動きはどう説明するんですか!?」
セシリアが食い下がる。
晶は肩をすくめた。
「硬いのは、家具にぶつかっても壊れないためだ。動きが不規則なのは……まあ、ランダム走行モードというやつだな。効率は悪いが、部屋の隅々まで掃除するには向いている」
晶は、裏返ってタイヤを回しているロボットをコンコンと叩いた。
「こいつの弱点は重心だ。裏返せば起き上がれない。亀と同じだよ」
淡々とした説明。
だが、それを聞いた仲間たちの解釈は、晶の意図とは少し違っていた。
「……すげぇ」
ボルスがゴクリと喉を鳴らした。
「あの超高速の突進を……敵の重心と構造を一瞬で見抜いて、足技一発で無力化しやがった……」
「しかも、力でねじ伏せるのではなく、相手の力を利用してひっくり返すなんて……」
リナが震える手で剣を納めた。
「やはりアネキの体術は、達人の域を超えているな。……あたいなんか、まだまだヒヨッコだな」
(……いや、ただつま先入れただけなんだろうが。)
尊敬の眼差しを向けてくるリナに、晶は訂正する気力も失せた。
まあ、頼れるリーダーとしての威厳が保たれたなら、それでいい。
「行くぞ。……掃除の邪魔をしたらかわいそうだ」
晶は足先で、ロボットをクルッと元に戻してやった。
ウィーン……。
再び駆動音を上げ、ロボットは何事もなかったかのように掃除を再開し、通路の向こうへと走り去っていった。
その背中は、どこか健気で、哀愁が漂っていた。
「待つのだー! 僕の尻尾の毛を返すのだー!」
ポチが追いかけようとするのを、タマが首根っこを掴んで止める。
「よしよし、ポチや。ハゲても可愛いぞ」
「ハゲてないのだ! ちょっと薄くなっただけなのだ!」
騒がしい一行は、ロボットを見送り、さらに奥へと進んだ。
◇
通路を抜けると、視界が一気に開けた。
「おおぉぉ……!」
そこは、巨大な吹き抜けの空間だった。
高さ数十メートルはある天井。壁一面がガラス張りになっており、そこからアステルの青い光が差し込んでいる。
床には幾何学模様のカーペットが敷かれ、中央には巨大なカウンターのようなものが設置されていた。
「ここは……王城の謁見の間か?」
「いや、高級ホテルのロビーみてぇだな」
ガンドとボルスがキョロキョロと辺りを見回す。
確かに、研究所というよりは、来客を出迎えるための「受付ロビー」といった雰囲気だ。
(……ここが『受付』か)
晶は中央のカウンターへと歩み寄った。
誰もいない。
数万年の間、誰も訪れなかったのだから当然だ。
だが、晶がカウンターの前に立った瞬間。
ブォン。
低い音と共に、空間が歪んだ。
「ッ! 何か出る!」
リナが再び剣に手をかける。
何もない空間から、光の粒子が集まり、人の形を形成していく。
「ヒッ……! ゆ、幽霊!?」
「地縛霊じゃ! 塩を撒け、塩を!」
セシリアとタマが悲鳴を上げる中、その光は、一人の美しい女性の姿をとった。
透き通るような肌。銀色の髪。そして、古代の奇妙な服を身にまとった美女。
彼女は虚空を見つめたまま、抑揚のない声で語りかけてきた。
『ようこそ、月面第3研究所へ。……本日のご用件をお伺いします』
それは、生きた人間ではなかった。
だが、死霊でもない。
晶は目を細めた。




