第92話:神代の結界?
……その光景は、あまりにも異質だった。
灰色の砂と岩に覆われた荒涼たる月面。
無数のクレーターが口を開ける死の世界において、そこだけが切り取られたように「未来」が存在していた。
巨大なクレーターの縁に埋め込まれるようにして鎮座する、銀白色の建造物。
風化という概念を拒絶するかのように、その表面は鏡のように磨き上げられ、頭上の漆黒の宇宙と、青く輝く母星を鮮明に映し出している。
「……ありえねぇ」
船外活動用ヘルメットの通信機越しに、鍛冶師ガンドのうめき声が響いた。
彼は分厚いグローブで、その建造物の壁面をおそるおそる撫でている。
「ミスリルでも、ヒヒイロカネでもねぇぞ。……継ぎ目どころか、鍛造や鋳造の跡が一切ねぇ。まるで最初から『壁』としてこの世に生まれたみたいだ」
ドワーフの国でも最高峰の技術を持つガンドが、理解不能とばかりに首を振る。
石積みでも、レンガでもない。
高さ十メートルはあろうかという巨大な外壁は、たった一枚の金属板で構成されていた。
(……チタン合金か。いや、この光沢と強度はカーボンナノチューブ複合材か?)
晶は、科学の視点で分析していた。
表面には微細な傷一つない。おそらく、自己修復機能を持つナノマシン・コーティングが施されているのだろう。
この世界の文明レベルを数千年、いや数万年単位で凌駕している「オーパーツ」だ。
「行こう。……入り口はあそこだ」
晶が指差した先。
銀色の壁の中央に、ひときわ巨大な「門」があった。
取っ手も鍵穴もない、のっぺりとした金属の板。それが威圧的に立ち塞がっている。
「アキラ様、下がっていてください! 私が調べます!」
セシリアが前に出た。
彼女は杖を掲げ、古代遺跡特有の「魔力感知」を行おうとする。
「精霊よ、真理を映し出せ……構造解析!」
杖の先から淡い光が放たれ、扉へと吸い込まれていく。
だが。
バチッ!
「きゃっ!?」
光が扉に触れた瞬間、静電気のような火花が散り、魔力が弾かれた。
「だ、駄目です! 魔力が浸透しません! 弾かれるどころか、霧散させられました!」
「なにっ!?」
セシリアの悲鳴に、護衛のリナとボルスが武器を構える。
「僕がやってみます! ……穿て、雷撃!」
テオがすかさず攻撃魔法を放つ。
青白い電撃が真空の空間を走り、扉を直撃した。
――無傷。
焦げ跡一つ残っていない。
「嘘だろ……。テオの雷撃魔法といえば、ワイバーンだって黒焦げにする威力だぞ……」
「表面で拡散して、無効化された……? こいつは厄介だぜ」
ボルスが冷や汗を流す。
セシリアが震える声で結論を口にした。
「間違いありません。これは伝説にある『神代の断絶結界』です……! あらゆる魔力干渉を拒絶する、神々の絶対防御。今の私たちの魔法技術では、傷一つつけられません!」
一行に絶望的な空気が流れる。
だが、晶だけはヘルメットの中で冷めた目をしていた。
(……いや、ただの絶縁コーティングだな)
手元の携帯端末が示す数値は、単純な物理現象を示していた。
表面に施された特殊な樹脂加工が、電気や熱を効率よく拡散させているだけだ。帯電防止加工が優秀な家電製品と大差ない。
だが、「魔法」こそが万能と信じる彼らにとって、魔法が効かない物質は「神の結界」にしか見えないのだろう。
(認識のズレというのは厄介だな。……さて、どう入るか)
晶が周囲を観察していた、その時だった。
「あきら! ここが怪しいのだ! 光ってるのだ!」
ポチの声がした。
見れば、扉の右側の壁に、黒く光沢のある石板が埋め込まれている。
スマホの画面のような、長方形のガラス質パネルだ。
「でかしたポチ。……触るなよ?」
「開けゴマなのだ!」
言うのが遅かった。
好奇心の塊であるポチは、晶の静止を聞く前に、その肉球でパネルをバンバンと叩いていた。
ピピピッ、ブブー!
無機質な電子音が真空のヘルメット越しに響く。
黒かったパネルが赤く明滅し、拒絶の意思を示した。
「うわぁっ!? 怒られたのだ!」
ポチが飛び上がって晶の背後に隠れる。
「噛みつかれたのだ! この石、性格が悪いのだ!」
「馬鹿者。むやみに触るなと言っただろう」
「罠か!? 今度は攻撃魔法が来るかもしれない。アネキ、離れて」
リナが盾を構えて晶の前に立つ。
だが、晶はリナの肩を軽く叩いて前に出た。
「下がっていろ。……私がやる」
「アネキ!? 危険だ! 解呪の呪文もなしに触れるなんて。自殺行為だ!」
「大丈夫だ。これは魔法じゃない」
晶はパネルの前に立った。
赤い明滅が消え、再び待機画面に戻っている。
そこに表示されているのは、アルファベットに極めて似た文字と数字の羅列だった。
晶にはなぜか感覚的に読めた。
『Standby... Please input ID or Biometrics.』
(英語ベースのプログラム言語……。やはりここは、地球と似た科学文明が到達した場所か)
GUI、グラフィカル・ユーザー・インターフェース。
視覚的に操作可能なタッチパネルだ。
晶にとっては実家の家電を操作するのと変わらないが、仲間たちには「光る魔導盤」に見えているらしい。
(さて、ポチが触ってエラーが出た。つまり獣人では駄目だということだ。エルフやドワーフも弾かれる可能性が高い)
この遺跡の主は、誰を招き入れようとしているのか。
答えは明白だ。
月面に到達した、この星の「正当な管理者」の末裔。
すなわち、人間だ。
「見ていろ」
晶は右手のグローブを外し、素手を露出させた。
真空に肌を晒す危険な行為だが、一瞬なら問題ない。スライムスーツの加圧機能が血液の沸騰を防いでくれる。
晶は、その白く華奢な掌をパネルにかざした。
そして、上部のカメラ(眼のようなレンズ)を見据えた。
ヒュンッ。
緑色のレーザー光線が、晶の掌と網膜を走査する。
「うわっ!? 攻撃魔法だ!」
「アキラ様!!」
ボルスとセシリアが叫ぶ。
だが、光は晶を焼くことなく、優しく包み込んだ。
『Scan complete...(スキャン完了)』
無機質な合成音声が響く。
パネルの文字が、赤から鮮やかな「緑色」へと変わった。
『Identity confirmed: Pure Breed Human.(ID確認:純粋種・人間)』
『Welcome, Administrator.(ようこそ、管理者様)』
プシューッ……。
重厚な岩が削れる音ではない。
圧縮空気が抜ける軽快な音と共に、巨大な金属扉が左右になめらかにスライドした。
「「「おおおぉぉッ!?」」」
全員の目が点になった。
「あ、開いた……!?」
「呪文の詠唱もなしにか!? ただ手をかざしただけだぞ!?」
「すげぇ……! あの『神代の断絶結界』を一瞬で解除しやがった!」
ボルスが口をあんぐりと開けている。
セシリアは「ありえない……王立魔導院の賢者様でも数日はかかるはずなのに……」とブツブツ呟き、リナは感極まった顔で震えている。
「さすがアネキ……! 神代の呪文すらも詠唱破棄かよ! もはや魔法の理を超えている……!」
(……ただの生体認証だと言っても、絶対信じないだろうな)
晶は心の中で苦笑しつつ、表面上はクールに白衣を翻した。
「行くぞ。……招かれたようだ」




