第8話:紫電使い? いいえ、イカの天敵です
「……ないな」
『よろずや 結城』の薄暗い倉庫で、結城 晶が在庫リスト片手に呟いた。
白衣の裾が、溜息とともに揺れる。
「アニキ、何がないんだ?」
「ローションの原料だ。先日の『大掃除』で使いすぎた」
晶は眉間を押さえた。
あの伝説となった「人間カーリング事件」、もとい、盗賊退治。
路地裏をピカピカにした代償として、晶特製の『超潤滑ローション』の主成分である「海藻由来の増粘剤」が底をついてしまったのだ。
「あれがないと、今後の『敵対的接客』や『店の清掃』に支障が出る。……補充しに行くぞ」
「海藻? 海に行くのか?」
「いや、海は遠い。近くの『静寂の湖』に、同質の成分を持つ巨大水生植物が自生しているはずだ」
「静寂の湖……? おいおい、あそこはヤベェ噂しか聞かねえぞ」
リナが顔を引きつらせるが、晶は聞く耳を持たない。
「ポチ、準備しろ。今日は海鮮バーベキューだ」
「イカ! イカ焼き食べるのだー! 行くのだー!」
食い意地の張った看板娘が、カウンターの奥から弾丸のように飛び出してきた。
◇
街から馬車で一時間ほど。
一行は、深い森の奥にひっそりと佇む『静寂の湖』に到着していた。
風もなく、波一つない鏡のような水面。
周囲の木々を逆さに映すその湖は、神秘的であると同時に、生物の気配を拒絶するような不気味な静けさを湛えていた。
「……なぁアニキ。やっぱり帰らねえか? 本能がビンビンに警鐘を鳴らしてるんだけどよぉ」
晶たちが乗った小さな手漕ぎボートの上で、リナが剣の柄を握りしめて周囲を警戒する。
岸では、泳げないフローラが優雅にティーセットを広げ、陸上からの観測を決め込んでいた。
「気のせいだ。……お、反応あり」
晶がゴーグル越しに水面を見下ろす。
透明度の高い湖底に、ゆらゆらと揺れる巨大な影が見えた。目的の海藻だ。
だが、それを回収しようと晶が網を伸ばした、その時だった。
ザバァァァッ!!
突如、湖面が爆発したかのように盛り上がった。
大量の水飛沫と共に現れたのは、ボートよりも巨大な赤黒い肉塊。
そして、大木のように太い無数の触手が、怒り狂ったようにうねっていた。
「で、出たぁぁぁッ!!」
リナが絶叫する。
「『大王イカ』だ! この湖の主だぞ!?」
「ギシャァァァァッ!!」
怪物が咆哮し、丸太のような触手を振り上げる。
一撃でも食らえばボートごと粉砕されるのは明白。
「無理だアニキ! 水中じゃ勝ち目がねぇ! 剣も届かねえし、足場も悪い! 一旦引くぞ!」
「ひゃうっ!?」
ポチが「わふっ」と情けない声を上げて、晶の白衣の裾にしがみつく。
絶体絶命のピンチ、だが。
「……予定通りだ」
晶の呟きは、喧騒の中でも不気味なほど冷静だった。
彼は怯えるポチの首根っこを掴むと、オールを握らせて命じた。
「ポチ。死にたくなければ、全力で岸まで漕げ」
「へ……? あ、あいつと戦うんじゃないの?」
「こんな不安定な足場で戦えるか。奴を『岸辺』まで誘導する」
晶の冷徹な声に、ポチはハッと我に返った。
このままでは怪物に食われる。それだけは理解できたのだ。
「わ、わかったのだ! 逃げるのだ! 全力で逃げるのだー!」
火事場の馬鹿力、あるいはフェンリルの本能か。
ポチが半泣きでオールを動かすと、手漕ぎボートとは思えない速度で水面を滑走し始めた。
「うおっ!? はえぇ!?」
「よし、その調子だ。リナ、振り落とされるなよ」
あっという間にボートは岸辺に乗り上げた。
「た、助かったのだ……」
砂浜にへたり込むポチ。だが、晶は休むことなく動き出した。
岸に置いてあった木箱を、カタリと開ける。
「さぁ、漁を始めよう!」
「はぁ!? アニキ、正気かよ!? 相手は神話級の魔物だぞ!?」
息を切らしながらリナが叫ぶ。
「分かってる。要するにデカいイカだろ? ……水場、巨大生物、そして湖の水。導電条件は完璧に揃っている」
晶が取り出したのは、二本の太い「銅線ケーブル」と、それに繋がれた無骨な装置だった。
装置の中心には、以前入手した『雷の魔石』が組み込まれ、バチバチと青白い火花を散らしている。
いわゆる、魔石駆動式の「高電圧発生機」だ。
「水は電気を通す。そして生物の神経系は電気信号で動いている。……そこに過剰な電圧を流し込めばどうなるか。単純な理屈だ」
晶は無造作にケーブルの先端、電極を湖へと投げ込んだ。
チャポン、チャポン。軽い音がして、電極が沈んでいく。
クラーケンが、邪魔なボートを叩き潰そうと触手を振り下ろした、その刹那。
「……広域電撃、最大出力」
晶が装置のスイッチを入れた。
カッ!!!!
強烈な閃光が湖面を染め上げた。
数万ボルトの超高電圧が、湖水という巨大な導体を介して一瞬で伝播する。
バチバチバチバチッ!!
青白い稲妻が水面を走り、クラーケンの巨体を直撃した。
「ギュラァァァァッ!?」
クラーケンの絶叫が響く。だが、それは一瞬のことだった。
クラーケンの全身が強制的に収縮する。
「あ……?」
リナが呆気にとられる目の前で、クラーケンは白目を剥き、ビクンビクンと震え――。
プカーッ。
情けない音と共に、だらしなく腹を上にして水面に浮き上がった。
それだけではない。
クラーケンの周囲から、巻き添えを食らった小魚や水棲魔物たちも、次々と白い腹を見せて浮いてくる。
一撃必殺。完全なる蹂躙である。
「す、すげぇ……。剣も魔法も使わずに、一瞬で……」
リナが剣を戻すのも忘れて呟く。
岸で見ていたフローラが、ティーカップを取り落とし、震える声で天を仰いだ。
「なんと……。水龍の加護を受けた湖そのものに、裁きの雷を落とすとは……」
フローラの瞳には、湖面を走る青白い残滓が、神の怒りのように映っていた。
「これは伝説の広域殲滅魔法『紫電の海』……! アキラ様は天候さえも支配下に置き、水面を処刑台に変えてしまうのですね……!」
恍惚とした表情で、フローラが駆け寄ってくる。
「アキラ様、ギルドカードをご確認くださいませ! これほどの偉業……きっと『紫電の処刑人』や『水神』、あるいは『湖の支配者』といった、伝説に残るような称号が刻まれたに違いありませんわ!」
「称号? ……ああ、そういえば通知が来ているな」
晶は装置を停止させると、懐からギルドカードを取り出した。
カードの表面が淡く光り、新たな文字が浮かび上がる。
「見せてみろよアニキ。神話級を倒したんだ、とんでもねぇのが……」
リナも興味津々で覗き込む。
フローラに至っては、祈るように手を組んでその瞬間を待っていた。
だが、そこに刻まれていたのは――。
【称号:イカの天敵】
効果:軟体動物へのダメージUP(微)、イカ料理の味が良くなる
「…………」
その場に、本当の意味での「静寂」が流れた。
「ぶふっ!!」
沈黙を破ったのは、リナの噴き出す音だった。
「い、『イカの天敵』……ッ! ぐ、あはははは! まんまじゃねーか! 色気もへったくれもねぇ!」
「そ、そんな……。あのような神の雷を振るっておきながら、評価は『イカ』……?」
フローラが愕然として膝をつく。
だが、当の晶は別の意味で不満げに眉をひそめていた。
「……不服だな」
「だろ!? さすがにアニキも、もっとカッコいいのが良かったよな?」
「イカに効くなら、タコにも効くはずだ!」
「そこかよ!!」
晶は真顔で分析を続ける。
「電撃は神経系を持つ生物全般に有効だ。なぜイカに限定される? これでは汎用性が低いと誤解されかねない。『海洋生物キラー』あるいは『広域感電漁法』あたりが妥当だろう」
「どっちにしても、カッコ悪いじゃんかよ!!」
リナのツッコミなど意に介さず、晶は「まあいい」とカードをしまった。
「効果に『イカ料理の味が良くなる』とある。ポチが喜ぶだろう」
「わーい! アキラおいしいイカ作るのー? 楽しみなのだー!」
足元で無邪気に跳ねるポチ。
その平和な光景を見つめていたフローラは、ハッと何かに気づいたように顔を上げた。
「そうですわ。これはアキラ様のご慈悲!」
「あ? 今度は何だよ」
「真の強者は、その力を誇示しないもの。あえて『イカの天敵』などというユニークな名を冠することで、周囲の警戒を解き、民衆に親しみやすさを与えているのです……! なんという深慮遠謀、そして謙虚さ……!」
「……ポジティブすぎて羨ましいぜ、お前」
結局、フローラの信仰心は揺らぐどころか、斜め上の解釈でより強固なものとなったのだった。
「よし、大漁だ。海藻もこいつの足に絡まってるやつで十分足りるな」
「へいへい。んじゃ、飯にするか。リナ、火の準備を頼む」
「おう! 任せな! 新鮮なイカ焼きといこうぜ!」
気絶したクラーケンを引き上げ、一行は意気揚々と炭の準備を始める。
だが彼らはまだ知らない。
湖畔の湿気が、楽しいBBQの前に立ちはだかることを。
第1章・全38話完結保証しています。キリの良いところまでキッチリ読み切れます!
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第2章(ラーメン編)は執筆済みなので、第3章執筆のモチベーションに使わせていただきます。




