第87話:女神、発つ!
ついに、その朝が来た。
発射場である『王王亭』裏手のドック。
夜明け前の薄暗がりの中、ライトアップされた銀色の巨塔――ロケット『バベル1号』が、神々しく輝いている。
だが、その足元の光景は、神聖さとは程遠いカオスに包まれていた。
「警備よし! ネズミ一匹通すな! 空の雲の動きまで監視しろ!」
マカバリ帝国の第一皇子カイザルが、重武装の兵士たちに怒号を飛ばし、蟻の行列さえも許さぬ鉄壁の布陣を敷いている。
「食え! そして叫べ! 魂の咆哮でロケットを押し上げるんだよぉッ!」
獣人国の第三王子ヴォルフが、観客たちに焼きたての骨付き肉を配りながら、応援団長のごとく熱い檄を飛ばしている。
彼の周りだけ、BBQの煙と男たちのむさ苦しい熱気で気温が5度ほど高い。
「ノンノン、照明が遅れているよ! クレッシェンドに合わせてライトを焚くんだ!」
芸術大国ロゼの王子ルシアンがタクトを振り、王立オーケストラがやたらと悲壮感漂う壮大な交響曲を奏で始める。
そして工場の屋上には、テオの発明した『巨大魔導モニター』が設置され、数万人の信者たちが固唾を飲んで見上げている。
(……私がこれから行くのは、ただの『豊胸整形旅行』なんだが)
タラップの上で、晶は遠い目をした。
あまりにも重すぎる期待と誤解を背負い、晶はハッチへと足を向けた。
「わーい! お祭りなのだ! 行ってくるのだー!」
ポチだけが、状況もわからず観衆に手を振り返している。
搭乗員10名。
人類の夢と欲望を乗せて、ハッチが重々しく閉ざされた。
◇
ロケット内部、コクピット。
そこは、異様な光景になっていた。
「……くっ、苦しいですぅ。これ、本当に着なきゃダメなんですか?」
元王立魔導院のエリート、セシリアが涙目で訴える。
彼女を含め、全員が全身を覆う『耐Gスーツ』を着用していた。
テカテカと黒光りするラバー素材。体のラインが浮き出るピチピチのシルエット。
薄暗い船内に並ぶその姿は、やはり「悪の秘密結社の戦闘員」にしか見えない。あるいは百歩譲って「ボンテージマニアの集会」か。
「文句を言うな。それがお前の命綱だ」
晶はシートに体を固定しながら、計器を確認した。
「各員、状況報告」
「全計器作動! 震えが止まらねぇぜ……武者震いだな!」
主操縦士のボルスが、太い指でスイッチ類を弾く。
「燃料充填率100%。圧力正常。……ミスリルの接合部も完璧だ」
技師長のガンドが、愛おしそうに壁を撫でる。
「ふん、狭いのじゃ。……だが、このチョーカーがあれば寒くはないぞ」
熱源担当のタマが、首元のミスリルチョーカーを握りしめて強がる。その声は少し震えていた。
「これより『オペレーション・バベル』を開始する。目的は月面到達、および『願い』の成就だ」
晶のアイスブルーの瞳が光った。
願い。それは表向きには「人類の進化」だが、裏では「Fカップ」である。
「行くぞ。……総員、衝撃に備えろ!」
「「「イエッサー!!」」」
◇
晶は魔導インカムのスイッチを入れた。
「管制室、聞こえるか? ……打ち上げシーケンスはお前に任せる」
その瞬間。
地上の巨大モニターの画面が切り替わった。
バッ!
映し出されたのは、ロケット内部のコクピット。
黒いスーツに身を包み、決意に満ちた表情で座る晶たちの姿だ。
「おおぉぉぉッ!! アキラ様だ!!」
「なんて凛々しいお姿……! これぞ戦場に赴く神の軍団!」
広場の群衆がどよめき、興奮の坩堝と化す。
そして、画面が分割され、もう一人の人物がアップで映し出された。
地上管制室にて、魔導マイクを握りしめる聖女――フローラだ。
『聞こえておりますわ、アキラ様……!』
モニターの中のフローラは、涙を堪えながらも気高く微笑んだ。
彼女の背後には、複雑な計器類と、ロケットの機体状況を示す魔法陣が輝いている。
『このフローラ、命に代えても皆様を天へ送り出してみせます! ……民衆よ!』
フローラがカメラ目線で、広場の数万人に向かって呼びかけた。
『刮目なさい! 今まさに、神の御使いが天へと還られます! さぁ、一緒にカウントダウンを始めるのです!』
フローラの叫びに呼応し、ルシアンの指揮するオーケストラがクライマックスへと突入する。
ドラムロールが鳴り響く中、フローラの手が赤い「点火ボタン」にかけられた。
モニターには、緊張に顔を強張らせる晶たちと、祈るように叫ぶフローラの顔が交互に映し出される。
『――5!!』
「「「ゴォォォォッ!!」」」
『――4!!』
「「「ヨンッ!!」」」
『――3!!』
「「「サンッ!!」」」
船内では、晶たちがシートに身を預け、全身を強張らせていた。
来るぞ。
『――2!!』
「「「ニィッ!!」」」
『――1!!』
「「「イチィィィッ!!」」」
ゼロ。
『――点火ッ!!』
フローラが祈りを込めて、赤いボタンを叩き込んだ。
ズドゴォォォォォォォォォォン!!!!!
世界が震えた。
先日精製した『魔力飽和液体酸素』と『RP-1』が化学反応を起こし、魔法的爆発力を持った推力が生み出される。
地上のオーケストラの演奏が、一瞬で轟音にかき消された。
「うおおおおおおおおっ!?」
凄まじいGが襲いかかる。
想定5G。いや、魔力ブーストがかかり、7Gを超えている。
内臓が背骨に張り付くような圧迫感。
ギュウゥゥッ!!
その瞬間、全員が着ている黒いスーツが、生き物のように収縮した。
封入されたスライムゲルが硬化し、下半身を強烈に締め上げることで、血液が足に下がるのを物理的に阻止する。
「あがががが……!」
モニター越しに、セシリアが白目を剥いて泡を吹く姿が大写しになり、観衆から悲鳴が上がる。
「うひゃー! ほっぺたが引っ張られるのだー!」
逆にポチは、顔の皮が後ろに引っ張られながらも、カメラに向かってピースサインをする余裕を見せている。
『見事です……! あのような極限状態で、民衆に安らぎを与える笑顔と、勝利のVサインを!』
フローラの涙声の実況に、地上の観衆が「ポチ様バンザイ!」と熱狂の渦に包まれる。
だが、そんな呑気な時間は一瞬で終わった。
速度計のマッハ数が二桁に突入すると同時に、船内にけたたましい警報音が鳴り響いたのだ。
第4章・全141話まで完結保証、キリの良いところまでキッチリ読み切れます!
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第6章執筆のモチベーションに使わせていただきます。




