第76話:穴掘り? いいえ、温泉リゾートです
白銀に閉ざされた獣人国『ホワイト・ファング』。
その王城の裏手に広がる広大な雪原が、今、かつてない熱気に包まれていた。
「掘れぇぇぇッ! 姉御の命だ! ここを地上の楽園に変えるぞ!」
「「「オオォォォッ!!」」」
第三王子ヴォルフの裂帛の号令に応え、数百人の獣人兵士たちがツルハシを振るう。
極寒の風が吹き荒れる中、彼らの鍛え上げられた筋肉からはもうもうと湯気が立ち昇り、雪原を熱気で溶かさんばかりの勢いだ。
地熱床暖房、近代的畜産プラント。この凍てつく国に文明の火を灯してきた結城 晶が、最後に着手したのは、壮大な「穴掘り」だった。
「……いいペースだ」
晶は現場を見下ろす丘の上で、湯気の立つコーヒーを啜りながら満足げに頷いた。
手元のクリップボードに挟まれたリストには、すべての項目にチェックが入っている。
ドワーフの麺と鍋。
エルフの醤油と野菜。
港町の魚介出汁と塩。
そして、この地で手に入れた豚骨、鶏ガラ、氷河の水。
ラーメンを構成する全てのピースは揃った。
「最高のラーメンには、最高のシチュエーションが必要だ。……湯上がりの一杯こそが、至高の贅沢だからな」
◇
数日後。
静寂な白銀の世界に、巨大な湯気が立ち上った。
巨石を組んで作られた、野趣あふれる広大な岩風呂。
地下深くから引いた源泉が惜しげもなく掛け流され、並々と注がれた湯は、雪景色の中で乳白色の神秘的な輝きを放っている。
『雪見大露天風呂』の完成だ。
さらにその横には、地熱蒸気を利用した『ロウリュウ・サウナ』と、氷河の氷を浮かべた『キンキンの水風呂』まで完備されている。
「さあ、入れ。……まずは身体を清めるんだ」
晶が促すが、集まった獣人たちは湯気を前に躊躇していた。
「ゆ、湯に浸かるのか……? 俺たちは毛皮があるから、濡れると乾かすのが大変なんだが……」
「猫科の者は水が苦手でな……。本能が拒否しているのだが」
特に猫系や虎系の獣人たちが、耳を伏せて後ずさる。
だが、ここで先陣を切ったのは、やはりこの男だった。
「ウジウジするな! 姉御が作ったものに間違いはない! 俺が証明してやる!」
ヴォルフが服を脱ぎ捨て、ザブン! と一番風呂に飛び込んだ。
「……ッ!!」
一瞬、ヴォルフの動きが止まった。
張り詰めていた筋肉が、波紋のように震える。
そして。
「…………ごぐらくぅ…………」
魂が抜けたような声と共に、強靭な肉体がとろりと液状化した。
「温かい……! 毛穴の奥まで熱が染み込んでくる……! こいつは床暖房の比じゃねぇぞ!」
その恍惚の表情を見て、他の獣人たちも恐る恐る足を入れる。
チャプ……。
「お? ……おお? ……おおおぉぉぉッ!」
次々と陥落していく猛獣たち。
お湯の浮力と温熱効果が、彼らの野生を溶かしていく。
数分後には、数百匹の獣人たちが湯船に首まで浸かり、「あひぃ~」と情けない声を上げて骨抜きになっていた。
獣王ガオウに至っては、頭に手ぬぐいを乗せ、エルフの国で作った枡酒を湯船に浮かべてご満悦だ。
「極楽じゃ……。わしはもう、ここから出とうない……」
「……ふぅ。やっと人心地ついたのじゃ」
獣王の隣で、頭に手ぬぐいを乗せたタマが、温泉に肩まで浸かって溜息をついていた。
その顔は真っ赤に茹で上がり、完全にだらけきっている。
「やはり爬虫類にはこの熱量が不可欠じゃ。……おい犬、背中を流すのじゃ」
「ポチも一緒なのだー! 泳ぐのだー!」
ポチが犬かきで湯船を横断し、タマの周りをグルグル回って波を起こす。
「こら、揺らすな! 妾は静かに温まりたいのじゃ……むにゃあ……」
文句を言いつつも、タマは気持ちよさそうに目を細めていた。
◇
そして、宴の刻が来た。
風呂上がり。身体の芯まで温まり、適度な疲労感と強烈な空腹感を覚えた獣人たちの前に、一台の屋台が現れた。
暖簾はない。
あくまで、晶が追い求める『究極の一杯』を完成させるための、「実地試験」の場だ。
その奥で、晶が湯切りザルを構えていた。
「待たせたな。……これが文明の味だ」
晶の目の前には、二つの寸胴鍋が並んでいる。
一つは、畜産プラントで育てた豚のゲンコツと鶏ガラを、圧力鍋で限界まで炊き出し、乳化させた「濃厚動物系白湯」。
もう一つは、港町の本枯れ節、煮干し、昆布から低温でじっくり抽出した「黄金魚介出汁」。
これらを丼の中で絶妙な比率で合わせる。
『Wスープ』システムだ。
丼の底には、エルフの森で醸した醤油ダレと、森のネギ油、そしてプラントで精製した純白の背脂。
そこに熱々のWスープを注ぐと、ジュッ! という音と共に、爆発的な芳香が雪原に広がった。
茹で上がったドワーフ製の太麺を投入し、具材を乗せる。
トロトロになるまで煮込んだハイ・オークのチャーシュー。
黄身がゼリー状に輝く半熟煮玉子。
極太メンマ、海苔、刻みネギ。
「へい、お待ち。……『特製・全部乗せラーメン、試作版』だ」
湯気の立つ丼が、獣王とヴォルフの前に置かれた。
琥珀色に濁ったスープの表面に、背脂の粒子と香味油がキラキラと輝いている。
その神々しさに、獣王がゴクリと喉を鳴らした。
「こ、これが……お主が世界を巡って求めた味か……?」
「冷めないうちに食え」
獣王が震える手でレンゲを持ち、スープを一口啜る。
ズズッ……。
カッ!!
獣王の瞳孔が開き、全身の毛が逆立った。
「ヌオォォォォォッ!!」
咆哮。
「なんだこれはぁぁぁッ! 豚と鶏の重厚なコクが来たかと思えば、直後に魚介の透き通った旨味が押し寄せてくる! 海と大地が……口の中で握手しておるわ!!」
複雑怪奇にして、完璧な調和。
一口飲むだけで、脳髄が痺れるほどの旨味の暴力。
「麺もいくぞ!」
ヴォルフが箸で麺を持ち上げ、勢いよく啜り込む。
ズルズルズルッ!!
「……ッ!!」
ヴォルフの目から、ツーっと涙がこぼれた。
「もちもちだ……! この太麺が、濃厚なスープと脂を絡め取って、口の中で暴れ回る! 噛むほどに小麦の甘みが広がって……!」
彼は丼を両手で持ち上げ、叫んだ。
「これが文明か……! 俺たちが求めていた温かさは、ここにあったんだ!」
「ポチも! ポチも食べるのだー!」
ポチも自分の丼に顔を突っ込み、一心不乱に食べている。
「んぐ、んぐ、んぐ……ぷはぁッ! 美味しいのだー! 全部の味がするのだー! 今までアキラと集めた美味しいものが、全部詰まってるのだー!」
「熱っ! あつっ! ……はふはふ!」
その横で、タマが涙目で麺と格闘していた。
「なぜ人間はこんなに熱くして食うのじゃ……! じゃが……美味い!」
タマはフーフーと息を吹きかけながら、スープを啜る。
「この脂……そして濃い味……! 体の芯から火が灯るようじゃ。温泉で温まった体に、さらに熱を注ぎ込む……これぞ至高の『保温』じゃな!」
(……保温て)
晶は苦笑するが、タマの満足そうな顔を見て確信した。
このラーメンは、種族すらも超える味になったと。
その言葉通り。
この一杯には、旅の記憶が詰まっている。
ドワーフの技術、エルフの森の恵み、港町の海の幸、そして獣人国の力強さ。
世界を巡り、繋いできた絆が、一つの丼の中で結晶化していた。
(……悪くない。バランスは及第点だ)
晶は、彼らの反応を見て小さく頷いた。
試作は成功だ。
◇
全員がスープの一滴まで飲み干した後。
満足感に包まれた露天風呂の縁で、晶は獣王に語りかけた。
「陛下。この国には何もないと言いましたね?」
「うむ……。寒さと飢えしかない国だと思っていた」
「違います。ここには最高の温泉と、極上の水と、そしてこのラーメンがある」
晶は雪景色を指差した。
「寒さは武器になります。冷えた体に染み渡る温泉とラーメン。これ以上の観光資源はありません。……この国を、『温泉と美食の観光立国』に作り変えませんか?」
獣王の目が輝いた。
略奪や戦争ではなく、癒やしと食で外貨を稼ぐ。
それは獣人国にとって、新たな時代の幕開けだった。
「……素晴らしい。礼を言うぞ、晶殿」
獣王は深く頷き、隣で腹をさすっているポチを見た。
「娘よ。次期王の座だが……」
ポチはニカっと笑った。
「父上、ボクは王様にはならないのだ! ボクはこの国の『観光大使』として、アキラを手伝うのだ! 美味しいものをいっぱい宣伝して、みんなをニコニコにするのだ!」
「……そうか。それがお前の道か」
獣王は優しく微笑み、ヴォルフの肩を叩いた。
「ならばヴォルフよ。お前が次期王として、この国を支えよ。晶殿から学んだ科学と、その筋肉でな」
「御意! この国を世界一熱い国にしてみせます!」
◇
こうして、長い旅は終わった。
必要なものは全て手に入れた。それ以上のものも、たくさん得た。
晶は要塞のデッキに立ち、南の空を見上げた。
その先には、故郷アステルがある。
「帰るぞ」
黒き箱船が、エンジン音を高らかに響かせる。
第2章・全69話まで完結保証しています。キリの良いところまでキッチリ読み切れます!
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第3章執筆のモチベーションに使わせていただきます。




