第70話:滞在? いいえ、出航です
港町ポルトゥスでの滞在最終日。
空は朝から鉛色の雲に覆われ、湿った生暖かい風が吹き荒れていた。
だが、そんな不穏な天気とは裏腹に、移動要塞『黒き箱船』の四次元格納庫の中身は、希望に満ち溢れていた。
「……積み込み完了だ」
結城 晶は、リストを見ながら満足げに頷いた。
黄金のスープを生み出す『本枯れ節』と『海魔の昆布』。
隠し味となる『煮干し』。
そして、ミネラルたっぷりの『パウダースノー・ソルト』。
さらには、海の家で稼ぎ出した、当分は遊んで暮らせるほどの『莫大な旅費』。
港町で得るべきものは、全て手に入れた。
「姉ちゃん、本当に行くのか? 今日はやめておけ」
見送りに来た漁師組合長のモーガンが、空を見上げて渋い顔をする。
「『海が吠える』日だ。じきに嵐が来る。こんな日に船を出すなんて自殺行為だぞ」
「忠告は感謝する。だが、私にはスケジュールがあるんだ」
晶は要塞のハッチに手をかけ、モーガンに向き直った。
別れの時だ。
「モーガン。最後に一つ、言っておくことがある」
「あん? なんだ?」
「あの『魔の海域』の養殖場……あそこは私の大切な『畑』だ。獲り尽くすなよ」
晶の瞳が、真剣な光を帯びる。
「魚も昆布も無限じゃない。根こそぎ獲れば、いずれ海は死ぬ。……小さい魚は逃がし、昆布は根を残して刈る。そうやって海を育てながら獲るんだ」
「海を……育てる?」
「そうだ。『持続可能な漁業』だ。未来の子供たちにも、この美味い出汁を残してやるのが、大人の責任だろう?」
モーガンはハッとした顔をした。
今までの彼らは、獲れるだけ獲るのが漁師だと思っていた。だが、この少女は遥か先の未来を見据えている。
「……へっ。耳が痛ぇ話だ」
モーガンはニカっと笑い、拳を突き出した。
「わかったよ。約束する。あんたがくれた『視える目』と『美味い出汁』……そしてこの教え、必ず守り抜いてみせる」
「ああ。期待している」
晶も拳を合わせる。
年齢も性別も違う二人の間に、熱い約束が交わされた、その瞬間だった。
ゴロゴロゴロ……ッ!!
遠雷と共に、突如として暴風雨が港を襲った。
バシバシと横殴りの雨が叩きつけ、港内の波が一気に高くなる。
「うわぁっ!? 来たぞ! 嵐だ!」
「姉ちゃん! 早く戻れ! 船がひっくり返るぞ!」
漁師たちが悲鳴を上げて避難しようとする。
「きゃあ! 雨さん冷たいのだ! お耳が濡れちゃうのだー!」
ポチが慌てて晶の白衣の中に潜り込む。
だが、晶は動じなかった。
懐から魔導気圧計を取り出し、針の動きを一瞥する。
「……気圧低下。前線通過に伴う突風か。想定の範囲内だな」
晶は要塞に乗り込むと、冷静にコマンドを入力した。
「総員、閉鎖! 『全天候型クルーザーモード』へ移行する!」
ガション、ガション、プシューッ……!
要塞の窓に重厚な防爆シャッターが降り、ドアが完全密閉される。
さらに、船体の中心部で、巨大なフライホイールが高速回転を始めた。
ブォォォォォン……!
「『魔導ジャイロ・スタビライザー』、起動」
回り続けるコマが倒れないのと同じ原理で、船体の傾きを物理的にねじ伏せる装置。
つまり、これがあれば、荒波に揉まれても船体は常に『水平』を維持し続けるということだ。
船体が傾こうとする力を、回転する鉄塊が無理やり押さえ込む。
ギチチチチッ……!
船のフレームが悲鳴を上げるが、この要塞の剛性なら耐えられる。
魔力の消耗が激しいために無制限には使えないが、まさに今の天候で使うべきものであろう。
「出航だ! 面舵一杯!」
ボルスが叫び、スロットルを全開にする。
ズドォォォォォンッ!!
黒き箱船が、荒れ狂う波に向かって突進した。
普通なら大波に飲まれて転覆するところだが、要塞はまるで岩のように安定したまま、波を砕いて突き進む。
ザッパァァァンッ!!
白い飛沫を上げ、嵐の中を切り裂いていく黒い巨体。
「す、すげぇ……」
モーガンたちは、雨に打たれるのも忘れて、その光景に見入っていた。
「嵐なんて関係ねぇってか……。とんでもねぇ女だったな」
「ああ……。まさに、嵐そのものだったぜ」
彼らは敬意を込めて、見えなくなるまで手を振り続けた。
◇
一方、要塞の内部。
外は暴風雨が吹き荒れているが、防音・防振完璧な居住区は、図書館のように静まり返っていた。
スタビライザーのおかげで、コップの水面すら揺れていない。
「……ふぅ。外は荒れているな」
晶はソファに座り、書きかけの原稿を広げた。
快適な室温、適度な湿度。執筆環境は最高だ。
「ぬくぬくなのだー。ミカン美味しいのだー」
「コタツ、最高なのじゃ〜」
リビングの中央には、晶が即席で作った『魔導コタツ』が設置され、ポチとタマがその中に潜り込んでミカンを食べている。
「社長、北へ向かうにつれて、気温が下がってきましたね」
テオが窓の外の寒暖計を見て報告する。
「海水温も低下しています。……次の目的地は、相当寒そうですよ」
「望むところだ」
晶は万年筆を走らせながら、不敵に笑った。
「寒い場所には、寒い場所なりの『美味いもの』がある。……脂の乗った魚とか、カニ…とかな」
船は北北西へ。
目指すは極寒の地、獣人国『ホワイト・ファング』。
第2章・全69話まで完結保証しています。キリの良いところまでキッチリ読み切れます!
続きが気になる、面白かったと思っていただけたら、
ブックマークや、下の【☆☆☆☆☆】(評価)で応援していただけると嬉しいです!
第3章執筆のモチベーションに使わせていただきます。




