第67話:魔物? いいえ、ただのダシです
翌朝。
港町ポルトゥスの漁師たちが、決して近づこうとしない禁断の海域――通称『魔の海域』。
普段なら静寂に包まれたその死の海を、今、漆黒の移動要塞『黒き箱船』が波を蹴立てて進んでいた。
「あ、ありえねぇ……! 本当にここまで来ちまうなんて!」
デッキの上で、漁師組合長のモーガンが手すりにしがみつき、ガチガチと歯を鳴らしている。
彼だけではない。無理やり同行させられた数名の若手漁師たちも、顔面蒼白で海を見つめている。
「姉ちゃん! いや、アキラ様! もう引き返しましょう! ここから先は『奴ら』の庭だ! 生きて帰った船はいねぇんだぞ!」
「騒ぐな。ソナーには反応が出ている。……もうすぐだ」
結城 晶は、船首で風を受けながら、愛用の魔導端末を操作していた。
彼女の表情に恐怖はない。あるのは、獲物を前にした狩人の――いや、レア食材を前にした美食家の、狂気じみた期待だけだ。
「海の色が変わったな」
晶が呟く通り、周囲の海水は鮮やかな群青色から、底知れぬ濃紺へと変貌していた。
重苦しい妖気が漂い、波の音さえもどこか禍々しい。
「うぅ……お腹痛いのだ……」
さすがのポチも、ただならぬ気配を感じてか、晶の白衣の裾を握りしめている。
「来るぞ! 総員、衝撃に備えろ!」
晶の警告と同時だった。
ズズズズズ……ッ!
海面が盛り上がり、巨大な水柱が噴き上がった。
「ギシャァァァァァッ!!」
耳をつんざく咆哮と共に現れたのは、無数の触手――ではない。
ぬらりと黒光りする、幅数メートル、長さ数十メートルにも及ぶ巨大な海藻の森だ。
それらは意思を持った蛇のように蠢き、要塞を絡め取ろうと襲いかかってくる。
「で、出たぁぁぁッ! 『海魔の髪』だ!」
モーガンが絶叫する。
「あいつに捕まったら最後、船ごと海中に引きずり込まれてオシマイだ!」
さらに、その昆布の森を切り裂くように、銀色の閃光が走った。
ドッパァァァンッ!!
空中に躍り出たのは、鋼鉄の如き皮膚と、剃刀のような背ビレを持つ巨大魚。
その体長は要塞とほぼ同じ、10メートル級。
流線型のボディは砲弾そのものであり、その突進は軍艦の装甲さえも貫くと言われている。
「『弾丸鰹』!? なんで『銀の死神』までいやがるんだ!?」
最悪のツーショット。
漁師たちが絶望に腰を抜かす中、晶だけが、恍惚とした表情で眼鏡を光らせた。
「……素晴らしい」
晶は、襲い来る怪物たちを見て、舌なめずりをした。
「あの昆布の肉厚さ……間違いなく、数百年分のミネラルと、最高級のグルタミン酸を蓄えている」
視線をカツオに移す。
「そしてあの筋肉質な魚体。常に高速で泳ぎ続けた結果、血合いが極限まで発達し、濃厚なイノシン酸と鉄分を秘めているに違いない」
「はぁ!? な、なに言ってんだアンタ!?」
モーガンが正気を疑うような目で見るが、晶は止まらない。
「グルタミン酸とイノシン酸。……この二つが出会った時、旨味の相乗効果は7倍から8倍に跳ね上がる。つまり、ここは地獄ではない。『天然のスープ鍋』だ!」
晶はマイクをひっ掴み、叫んだ。
「攻撃開始だ! ただし、殺すなよ! 貴重な資源だ!」
「殺さずにどうしろってんだよぉぉッ!?」
ボルスがハンドルを切りながら悲鳴を上げる。
カツオが空中で身を捻り、要塞の横腹めがけて特攻の態勢に入った。
激突まであと数秒。
「テオ、発電機直結! 電圧最大!」
「了解! フルパワーです!」
「食らえ、科学の鉄槌! 『広域感電漁法』!!」
バチチチチチチッ!!
要塞の船底から展開された電極が、海中に猛烈な電流を放出した。
水は電気を通しやすい。特に塩分を含んだ海水は、最高の導体だ。
青白い電光が海面を走り、襲い来るカツオと昆布の森を一瞬で包み込んだ。
「ギョエェェェッ!?」
カツオが空中で硬直し、ビクンビクンと痙攣する。
蠢いていた昆布たちも、電気ショックを受けてダラリと力を失い、海面に横たわった。
ズザザザザ……ン。
巨大カツオが、白目を剥いてプカァ~と仰向けに浮かび上がる。
完全なる沈黙。
ものの数秒で、魔の海域は静まり返った。
「……は?」
モーガンが口をあんぐりと開けている。
「い、一撃……? あの化け物どもが、雷一発で……?」
「ただの電気ショックだ。魚は側線で電気を感じ取るからな、人間より電撃には弱いんだよ」
晶は涼しい顔で解説し、次なる指示を出した。
「よし、気絶している間に施工するぞ! ボルス、魔導ブイを射出!」
「アイヨッ!」
シュパッ、シュパッ、シュパッ!
要塞から四方八方に、銀色のポールが撃ち込まれる。
それらは海面に突き刺さると、互いに微弱な電流の結界を張り巡らせた。
目に見えない『電気柵』の完成だ。
「これで奴らはこの海域から出られない。外からの侵入も防げる」
晶は満足げに頷き、モーガンの肩を叩いた。
「おめでとう、組合長。今日からここは、お前たちの管理する『養殖場』だ」
「よ、養殖場ぉぉぉッ!?」
モーガンが素っ頓狂な声を上げる。
「魔物を……飼うつもりか!? 正気じゃねぇ!」
「殺してしまっては一回限りだろ? 私は未来永劫、この極上の出汁を味わいたいんだ。……定期的に収穫に来るから、しっかり管理しろよ?」
晶は魔導アームを操作し、浮かんでいるカツオの中から、手頃なサイズの一匹を鷲掴みにした。
さらに、海面を覆う昆布も大量に刈り取る。
「今回はこれくらいでいいだろう。残りはリリースだ。……資源保護ってやつだな」
(……ただの恐怖政治じゃねぇか)
モーガンは、電気柵の中で目を覚まし、怯えたように身を寄せ合う魔物たちを見て、少しだけ同情した。
かつて船乗りを食い散らかした海の王者たちは、今や一人の理系作家によって「家畜」へと堕とされたのだ。
◇
夕方。
港町ポルトゥスに帰還した『黒き箱船』の甲板には、山のような昆布と、縛り上げられた巨大カツオが鎮座していた。
その異様な光景に、港中の人々が集まってくる。
「おい見ろよ……あれ、弾丸鰹じゃねぇか?」
「なんてデカさだ……。あんなのが本当に獲れるなんて」
どよめきが広がる中、晶は仁王立ちで獲物を見下ろしていた。
「お魚さん、デカすぎて食べきれないのだー!」
ポチがカツオの背中に乗ってはしゃいでいる。10メートルの全長は伊達じゃない。
「生で食うにはデカすぎるな。大味かもしれん」
晶はナイフを取り出し、カツオの分厚い皮膚を少しだけ削ってみた。
下から現れたのは、ルビーのように赤く輝く、筋肉の塊だ。
「……だが、加工すれば化けるぞ」
晶の脳裏に、ある工程が浮かび上がる。
煮る。燻す。乾かす。削る。そして、カビを生やす。
手間暇をかけ、水分を極限まで抜き去った先に生まれる、世界一硬い食材。
「作るぞ。……黄金のスープを生み出す宝石、『本枯れ節』をな」
晶の口角が歪に上がった。
第2章・全69話まで完結保証しています。キリの良いところまでキッチリ読み切れます!
続きが気になる、面白かったと思っていただけたら、
ブックマークや、下の【☆☆☆☆☆】(評価)で応援していただけると嬉しいです!
第3章執筆のモチベーションに使わせていただきます。




