第61話 テオの「OHANASHI」
パリンッ!!
乾いた音が森に響き渡り、展開しかけていた魔法陣に、晶が投げたフラスコが直撃した。
「な、なんだ!? 水か!?」
飛び散った液体が、赤く輝くマナの光に触れる。
その瞬間。
ジュワァァァァッ!!
「ぐあぁっ!? 目が、目がぁぁぁ!!」
リーダー格のエルフ、リオンが顔を押さえてのたうち回る。
放たれるはずだった精霊魔法『炎の槍』は霧散し、代わりに強烈な刺激臭と白煙が辺りに充満した。
そう、晶が投げつけたのは、実験で余っていた『濃縮アンモニア水』だ。
(……ふん。私の可愛い『麹』を汚物扱いした報いだ)
大樹海『エメラルド・フォレスト』の片隅。
森の純潔を守る過激派エルフたち相手に、晶の科学実験が幕を開けた。
「き、貴様ぁ! リオン様に毒を!?」
「穢れた人間め! 焼き払え!!」
リーダーが倒れたことで、逆にエルフたちの殺気が膨れ上がる。
彼らは、晶の背後にある『麹室』から漂う発酵臭を「毒」と断じ、浄化しようと押し寄せてきた過激派だ。
数十本の杖が、一斉に晶へと向けられる。
「アキラ殿! 逃げてください! 彼らは本気だ!」
仲裁に入ったエルウィン王子が悲鳴を上げる。
だが、晶は動かない。
彼女が守っているのは自分ではない。背後の部屋で培養されている、数十億の「麹菌」たちだ。
「……動けんよ。私が退けば、ドアの隙間から熱気が入る。室温が1度でも上がれば、麹の出来が悪くなる」
晶は白衣のポケットに手を突っ込み、顔色一つ変えずに背後の部下に声をかけた。
「テオ。……やれ」
「はい、社長」
晶の背後から、一人の男が歩み出た。
元宮廷魔導師の研究員、テオだ。
かつては「理論ばかりで実戦に使えない」と嘲笑されていた男だが、今、その表情に自信なげな色は微塵もない。
「テオよ、全部やるなよ? 妾にも少し残すのじゃ」
テオの足元から、赤い髪の幼女――タマがひょっこりと顔を出した。
彼女は迫りくる炎の魔法を見て、恐怖するどころか、舌なめずりをしている。
「久しぶりの『火』じゃ。……おやつにはちょうど良さそうじゃのう」
「放てッ!!」
エルフたちの一斉射撃が開始された。
轟音と共にログハウスへ殺到する灼熱。
直撃すれば、建物ごと消し炭になる威力だ。
「――いただきまーす、なのじゃ!」
タマが大きく口を開けた。
人間の子供の小さな口。だが、その吸引力は掃除機の比ではなかった。
ヒュオォォォッ!!
先頭を飛んでいた数本の炎の槍が、軌道をねじ曲げられ、タマの口の中へと吸い込まれていく。
パクッ。
タマが咀嚼する。
「……ふん、ぬるいのじゃ。薪の火の方がまだマシじゃな」
ゲフッ、と小さな煙を吐き出し、タマがつまらなそうに言い放った。
「なっ!? 子供が……魔法を食っただと!?」
エルフたちが驚愕に目を見開く。
だが、攻撃はまだ終わらない。残りの数十本の槍が、着弾の軌道に入っている。
「……対象座標、熱エネルギー係数確認。強制排気」
テオがボソリと呟き、杖を軽く振った。
その瞬間。
ジュッ……。
そんな間の抜けた音と共に、残りの炎の槍が、晶の目の前で「掻き消えた」。
煙すら残らない。ただ、熱だけがどこかへ消え失せたように。
「な……ッ!?」
リオンが絶句する。
「炎が……消えた? 防御魔法の障壁も見えなかったぞ!?」
「消したんじゃない。移動させたんだ」
テオが眼鏡の位置を直し、淡々と解説を始めた。
「熱力学第一法則。エネルギーは消滅しない。僕は君の魔法の熱量を、座標指定で上空100メートルへ転送しただけだ。……ほら、あっちが熱いよ」
テオが指差した上空で、雲が一瞬で蒸発し、ぽっかりと穴が開いた。
「ば、馬鹿な……! そんな芸当、精霊の加護なしにできるはずが……!」
「精霊? 君たちの魔法は『お願い』だろ? 機嫌が悪ければ不発もある」
テオは一歩踏み出した。その足元から、幾何学的な魔法陣が展開される。
「でも、僕のアキラ流科学魔法は『命令』だ。物理法則さえ理解していれば、ご機嫌取りなんて必要ない」
◇
「おのれ……! 生意気な人間め! これならどうだ!」
リオンが激昂し、次なる魔法を放つ。
上空に雷雲を呼び寄せ、紫電の雷撃を落とす『雷帝の槌』。
「落ちろぉッ!!」
バリバリバリッ!
落雷がテオの頭上へ降り注ぐ。
だが、テオは空を見上げ、つまらなそうに呟いた。
「空気の絶縁破壊を確認。……誘電率操作、絶縁抵抗最大化」
バチッ、フスン……。
雷はテオの数メートル上空で、見えないゴムの壁に阻まれたように霧散した。
「電気は通りやすい道しか通らない。空気の抵抗値を上げれば、雷だって落ちてこられないさ」
「な、なら風だ! 暴風刃!」
カマイタチのような真空の刃が襲いかかる。
「気圧傾度力の逆算。……逆位相の風を衝突させて相殺」
ヒュオッ。
風の刃は、テオが放った「逆向きの風」とぶつかり、無風状態となって消え去った。
「くそっ! なぜだ! なぜ当たらない!」
エルフのエリートたちが次々と魔法を放つが、その全てが「理屈」によって無効化される。
それは戦闘というより、一方的な「講義」だった。
「君たちの魔法は感覚的すぎる。『強く念じる』とか『熱く燃えろ』とか……効率が悪すぎるんだよ。もっとパラメータを絞って、座標とベクトルを定義しないと」
テオが杖で黒板を叩くような仕草をする。
その背中を見て、晶は満足げに頷いた。
かつて落ちこぼれだった男は、今や「熱力学を理解した魔法使い」へと進化していた。
「お、おのれぇぇぇッ! なら、最大火力で森ごと吹き飛ばしてやる!」
リオンのマナが暴走を始める。自爆覚悟の大技だ。
だが、テオは眉一つ動かさない。
「させるかよ。……授業は終わりだ」
赤いオーラを纏った杖が、無慈悲に振り下ろされる。
「『断熱圧縮』!」
テオが杖を振り下ろす。
刹那、空間そのものがひしゃげたように歪んだ。
直後に訪れるのは、急激な圧縮が生んだ高熱と破壊の嵐。
ドォォォォンッ!!
「ぐ、あぁぁぁ……熱い……息が……!」
高熱と酸欠。
エルフたちは一瞬にして意識を刈り取られ、バタバタと地面に倒れ伏した。
「ふぅ……。空調管理完了です社長」
テオが汗を拭い、晶に敬礼する。
完全勝利だった。
◇
数分後。
気絶していたエルフたちが目を覚ますと、彼らは木に縛り付けられていた。
目の前には、七輪で餅を焼いている晶と、それを見つめるポチとタマの姿。
「……っ! き、貴様ら! 我らをどうする気だ! 煮て食うつもりか!」
リオンが叫ぶ。
晶は呆れたように彼を見下ろした。
「食わんよ。……食うのはお前たちだ」
晶は七輪の上でプクッと膨らんだ餅を皿に取り、その上から「黒い液体」を垂らした。
ジュワッ……。
焦げた醤油の香ばしい匂いが、周囲に爆発的に広がる。
「くんくん……! いい匂いなのだ! アキラ、それ食べる! ボクが毒味するのだ!」
我慢できなくなったポチが、晶の袖を引っ張る。
晶は苦笑し、小皿に取り分けた餅をポチに渡した。
「ほらよ。熱いから気をつけろ」
「はふっ! あむっ……! んぐ、んぐ……!」
ポチがハフハフしながら餅を頬張る。
次の瞬間、彼女の銀色の尻尾がプロペラのように回転した。
「んん~~~~ッ!! 美味しいのだー! お口の中でお豆さんの匂いが爆発したのだ! これだけでご飯100杯いける味なのだー!」
ポチは口の周りを黒くしながら、恍惚の表情で餅を飲み込んだ。
「妾にもよこせ! さっきの『火』は不味かったが、この匂いは食欲をそそるのじゃ!」
タマがポチの皿から餅を一つ掠め取る。
「あむっ……。……ほぅ。この黒いタレ、ただ塩辛いだけではないな? 深みがあるというか、古き良きカビの香りがするというか……妾の好みなのじゃ!」
「わかるか? さすがは元・古代種。発酵の深みが理解できるとはな」
「ふん、当然じゃ! もっと焼くのじゃ! お代わりじゃ!」
その様子を見て、リオンたちがゴクリと喉を鳴らす。
毒? 腐敗?
本当に毒なら、あの神獣やドラゴンの幼女があんな顔をするはずがない。何より、この暴力的なまでに食欲をそそる香りはなんだ。
「さあ、お前たちも食え。これが『腐敗』の味かどうか、舌で確かめろ」
晶は醤油をたっぷりつけた餅を、リオンの口に強引に押し込んだ。
「んぐっ……!? むぐ、むぐ……」
リオンは抵抗しようとしたが、口の中に広がる味に、目を見開いた。
塩味。甘み。酸味。苦味。
それらが複雑に絡み合い、穀物の旨味を極限まで引き立てている。
腐った味などではない。これは――。
「……う、美味い……!」
リオンの目から涙がこぼれた。
敗北感と、感動がない交ぜになった涙だ。
「なんだこれは……! ただの豆と麦が、なぜこんな高貴な味になる!? まるで森の生命そのものを濃縮したようだ……!」
「それが『発酵』だ」
晶は瓶に入った醤油を掲げた。
「微生物たちが時間をかけて醸した、命の滴。人間に害があれば腐敗だが、有益なら発酵。……お前たちが守ろうとした森は、こんなにも美味いものを生み出せるんだよ」
リオンは咀嚼を止められず、餅を飲み込んだ。
もう、疑う余地はなかった。
彼らは森を汚す者ではない。森の可能性を引き出す、賢者なのだと。
「……我々の、負けだ」
リオンが頭を垂れると、他のエルフたちも一斉に戦意を喪失した。
それを見て、エルウィン王子が安堵の息をつく。
「わかってくれたか、リオン。彼らは森を腐らせる者ではない。……森を『美味しくする』者なのだ」
こうして、エルフの森における「発酵騒動」は幕を閉じた。
誤解は解け、晶たちは最高品質の醤油と味噌、そして新鮮な野菜を手に入れた。
「よし。調味料は揃ったな」
晶は空を見上げた。
第2章・全69話まで完結保証しています。キリの良いところまでキッチリ読み切れます!
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第3章執筆のモチベーションに使わせていただきます。




