表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

60/78

第60話 発酵、それは、生命の錬金術

 大樹海『エメラルド・フォレスト』に、久方ぶりの穏やかな風が吹き抜けていた。


 結城 晶(ゆうき あきら)による「強制点滴手術」によって蘇った世界樹は、今や森全体に生命力を供給し、枯れ果てていた大地を緑の楽園へと変貌させていた。


 その世界樹の根元近くに広がる群生地で、奇妙な収穫作業が行われていた。


「総員、抜いて抜いて抜きまくれ! 根についた土は貴重な根粒菌こんりゅうきんの宝庫だ、丁寧に落とせよ!」


「イエッサー!」


 晶の指揮の下、『黒薔薇騎士団』の面々が雑草――に見える植物を次々と引き抜いていく。


 それは、世界樹の守護によって生き残っていた『野生種の大豆』と『古代小麦』だった。


「ふふふ……大漁だ」


 晶は山積みになった枝付きの大豆を見上げ、満足げに頷いた。


 まだ完全に熟していない、青々としたさや


 醤油にするには乾燥大豆が必要だが、今のこの状態もまた、極上の食材である。


「よし。作業の合間に、まずは味見だ」


 晶は巨大な鍋に湯を沸かし、大量の岩塩を投入した。


 そこに、枝ごと洗った大豆を豪快に放り込む。


 数分後。茹で上がった豆をザルにあけ、さらに追い塩を振る。


 熱気と共に立ち上る、独特の青臭さと甘い香り。


 夏の風物詩、『枝豆』の完成だ。


「さあ食え。採れたてを茹でて食う、これこそ生産者の特権だ」


「わーい! お豆さんなのだー!」


 誰よりも早く飛びついたのは、やはりポチだった。


 彼女は熱々の枝豆を山盛り両手に抱え、器用に前歯でさやをしごいた。


 プリッ。


 中の豆が飛び出し、ポチの口の中へと吸い込まれる。


「はふっ、はふっ……ん~~~~っ!」


 ポチが目を細め、尻尾をパタパタと振る。


「甘いのだ! お芋みたいにホクホクで、でもお野菜の味がして、塩味がきいてて……止まらないのだー!」


 プリッ、プリッ、プリッ。


 ポチの手が止まらない。


 塩気の効いた豆の旨味が、噛むほどに口いっぱいに広がる。


 それは単純だが、暴力的なまでに後を引く味だった。


「……これが、あの雑草の実ですか?」


 エルフの第2王子、エルウィンがおそるおそる手を伸ばす。


 高貴なエルフにとって、森の草を食べるなど野蛮な行為に思えたのだろう。だが、ポチのあまりの食いっぷりに釣られ、一粒口に運んだ。


「……ッ!?」


 エルウィンの目が丸くなった。


「う、美味い……! なんだこの濃厚な風味は! 果物のような甘みと、大地の滋養が凝縮されている!」


「だろうな。世界樹の魔力を吸って育った特級品だ。ビール……いや、エルフの果実酒にも合うぞ」


 晶も一房つまみ、豆を口に放り込んだ。


 美味い。


 だが、晶の目的はここではない。


 枝豆はあくまで前菜。本番は、この豆を「黒い液体」へと変成させることだ。


          ◇


 腹ごしらえを終えた晶は、一転して険しい顔つきになった。


 手には魔導ルーペを持ち、地面を這いつくばって何かを探し始めたのだ。


「いないか……。私の可愛いコウジちゃん……」


「ア、アキラ殿? 何をされているので?」


 地面に顔をこすりつける英雄の姿に、エルウィンが引き気味に尋ねる。


「菌だ。……醤油と味噌を作るには、ただの豆じゃダメだ。スターターとなる『種麹たねこうじ』が必要なんだ」


 麹菌。


 東洋の食文化を支える、偉大なるカビの一種。


 それがいなければ、どんな上質な大豆も、ただ腐っていくだけだ。


「カビ……ですか? そんな不浄なものを探してどうするのです」


「不浄? バカを言え。彼らは人間よりも遥かに優秀な化学者だぞ」


 晶は鼻を鳴らし、世界樹の幹に空いた空洞うろへと顔を突っ込んだ。


 湿気がこもり、薄暗い場所。


 そこに、古くなって朽ちかけた古代小麦の穂が落ちていた。


 その表面に、うっすらと「エメラルド色の粉」のようなものが吹いている。


「――いたッ!!」


 晶が叫んだ。


 ルーペで拡大する。


 間違いない。美しい胞子嚢ほうしのうを広げた、元気な麹菌だ。しかも、世界樹の影響か、色が宝石のように鮮やかだ。


「ビューティフル……! これは世界樹の変異種、『ハイ・エルフ麹』だ!」


 晶は震える手で、そのカビのついた穂を採取し、滅菌したシャーレに収めた。


 エルウィンは、晶がまるで宝石を見つけたかのようにカビを見つめる姿に、背筋が寒くなるのを感じた。


          ◇


 素材と菌は揃った。次は環境だ。


 晶は森外れにある空き家のログハウスを接収し、即席の『麹室こうじむろ』へと改造した。


「ボルス、壁の隙間を埋めろ! 断熱だ! 外気を1ミリも入れるな!」


「了解!」


「テオ、お前は空調係だ! 室温30度、湿度60%をキープしろ! 変動許容範囲はプラスマイナス0.5度だ!」


「えぇっ!? この広い部屋でそれを維持するんですか!? 寝れないじゃないですか!」


 テオが悲鳴を上げるが、晶は聞く耳を持たない。


 麹作りは最初の三日間が勝負だ。菌が繁殖しやすい常夏の環境を、人工的に作り出さねばならない。


 晶は蒸した大豆と、炒って砕いた小麦を混ぜ合わせ、そこに採取した「ハイ・エルフ麹」の胞子を振りかけた。


 それを木箱(麹蓋)に広げ、室内の棚に並べていく。


「さあ、育て。私の可愛い家畜たちよ」


          ◇


 三日後。


 麹室の中は、異様な光景になっていた。


「うっ……これは……」


 入室したエルウィンが、思わず口元を押さえた。


 棚に並べられた豆の山。その全てが、びっしりと生えた「緑色の毛」に覆われていたからだ。


 フワフワとした菌糸が豆を包み込み、胞子が舞っている。


 一般的な感覚で見れば、それは「完全に腐ってカビだらけになった生ゴミ」以外の何物でもなかった。


「アキラ殿……正気ですか? これを……食べるのですか?」


 エルウィンの顔色が青ざめる。


 潔癖なエルフにとって、生理的嫌悪感を催す光景だ。


「腐敗じゃない。『発酵』だ」


 晶は愛おしそうに、緑色になった豆(麹)を手に取った。


 パラパラとほぐすと、栗のような、あるいは焼き立てのパンのような、甘く香ばしい香りが漂った。


「見ろ、この胞子の輝きを。彼らは今、豆のデンプンを糖に、タンパク質を旨味(アミノ酸)に変えている最中だ。……これは腐敗の対極にある、生命の錬金術なんだよ」


「錬金術……。しかし、見た目が……」


 エルウィンが後ずさる。


 その時だった。


「――臭うぞ! この建物からだ!」


 外から、鋭い声が響いた。


 ドタドタという足音と共に、武装したエルフの一団が麹室を取り囲む。


 彼らは長老派とは違う、若手の精鋭部隊――森の純潔を守る『過激派巡回兵』たちだった。


「な、なんだこの甘ったるい腐臭は……!?」


「人間め! やはり神聖な穀物を腐らせて、毒を作ろうとしているな!」


 リーダー格のエルフが、鼻を押さえながら剣を抜く。


 独特の「麹香こうじか」は、彼らにとっては未知の脅威の臭いだったのだ。


「待て! 早まるな!」


 エルウィンが止めに入ろうとするが、彼らは聞かない。


「エルウィン様、騙されてはいけません! 人間は森を腐らせる気です! 今すぐにこの不浄な建物を焼き払わねば!」


「総員、構えッ! 浄化のフレアを!」


 数十人のエルフが杖を構え、麹室に向けて炎の魔法陣を展開する。


 一斉射撃されれば、木造のログハウスなど一瞬で灰になる。中の麹菌も全滅だ。


 その瞬間。


「――止まれ」


 氷のような声が響いた。


 晶だった。


 彼女は白衣を翻してドアの前に立ちはだかり、冷徹な瞳でエルフたちを睨みつけた。


「アキラ殿!? 危ない!」


「この中では今、数十億の命が懸命に活動している。……ドアを開けたせいで室温が下がっただろうが」


 晶は懐から、数本の試験管――即席の投擲用フラスコを取り出した。


「毒だと? 腐敗だと? ……無知とは罪だな」


「黙れ! その『穢れ』ごと消え失せろ!」


 リーダーが号令をかける。


 魔法陣が赤く輝き、火球が放たれようとした、その刹那。


「私の『家畜』に、指一本触れさせるなッ!!」


 晶がフラスコを放り投げた。


 それは炎の魔法ではなく、科学の反撃の狼煙のろしだった。

第2章・全69話まで完結保証しています。キリの良いところまでキッチリ読み切れます!


続きが気になる、面白かったと思っていただけたら、

ブックマークや、下の【☆☆☆☆☆】(評価)で応援していただけると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ