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第59話 穢れ?いいえ、栄養不足です

 大樹海『エメラルド・フォレスト』の最深部。


 そこは本来、緑の精霊たちが舞い踊る聖域のはずだった。だが今、そこに漂っているのは、重苦しい沈黙と、鼻をつく乾いた埃の匂いだけだった。


「……これが、我々の『世界樹』だ」


 案内役のエルフの第二王子、エルウィンが悲痛な面持ちで見上げ、呟いた。


 結城 晶(ゆうき あきら)たちの目の前に、天を衝くほどの巨木がそびえ立っている。


 だが、その姿はあまりにも痛々しかった。


 幹は白骨のように干からび、樹皮は剥がれ落ちている。枝には葉が一枚もなく、まるで死神の手のように虚空を掴んでいた。


「ひどい……。これじゃ、ただの枯れ木だ」


 元研究員のテオが息を呑む。


 周囲には数十人のエルフの神官たちが集まり、必死に杖を掲げて魔力を送っていたが、巨木はピクリとも反応しない。


「もう十年もこの状態だ。我々はあらゆる祈りを捧げ、最高純度の魔力を注ぎ込んだ。だが、世界樹様は眠りについたまま……」


 エルウィンが拳を握りしめる。


 晶は無言で巨木の根元に歩み寄ると、白衣のポケットから聴診器のような器具――『振動感知センサー』を取り出し、乾いた幹に押し当てた。


「……やはりな」


 晶は短く呟き、さらに根元の土を手で掘り返した。


 土は黒く湿っているが、ドブのような悪臭を放っている。


「どうだ、アキラ。世界樹様の『穢れ』は祓えそうか?」


 エルウィンの問いに、晶は冷徹に答えた。


「穢れじゃない。ただの『栄養失調』そして『根腐れ』だ」


「な……根腐れだと?」


「ああ。お前たちは『魔力』という名の栄養剤を無理やり流し込んでいるようだが、今のこいつには逆効果だ」


 晶は掘り返した黒い土をエルウィンに見せた。


「土壌が酸性化して固まっているせいで、土の中の酸素が欠乏している。根が呼吸できずに窒息している状態だ。そこに高濃度の魔力を注げばどうなる? ……浸透圧で、逆に根から水分が奪われるんだよ」


「しんとう……あつ……?」


 エルウィンが呆然とする。


 晶は、人間にもわかるように例えた。


「弱って寝込んでいる病人に、水も飲ませずステーキを口に詰め込んでいるようなものだ。……死ぬぞ」


 その言葉は、エルフたちの献身を全否定するものだった。


 だが、晶にとっては事実確認に過ぎない。


「ち、治療法はあるのか……?」


「ある。……まずは土壌の中和。そして直接、血管ねっこに栄養を叩き込む」


 晶は背後の『黒薔薇騎士団』に指示を飛ばした。


「ボルス、足場を組め! テオ、水魔法の準備だ! 『世界樹強制点滴システム』を構築する!」


          ◇


 作業が始まろうとしたその時だった。


「――控えよッ!!」


 森の奥から、怒号と共に杖をついた老齢のエルフが現れた。


 長く伸びた髭、豪奢な祭服。保守派の筆頭である長老だ。


 彼は晶たちが世界樹に取り付けようとしていたパイプを見て、顔を真っ赤にして激昂した。


「な、なんということを……! 神聖な世界樹様に、鉄の管を突き刺そうなどと! 貴様ら人間は、どこまでこの森を辱めれば気が済むのだ!」


 長老が杖を振ると、風の刃が発生し、ボルスの持っていた資材を切り裂いた。


「帰れ! 今すぐにだ! さもなくば精霊の怒りが――」


「むぐっ、むぐっ……んー! この干し肉、噛めば噛むほど味が出るのだ!」


 殺伐とした空気を、場違いな咀嚼音が切り裂いた。


 全員の視線が一点に集中する。


 そこには、長老の足元に座り込み、両手で「ハイ・オークの干し肉」を握りしめてかじり付いているポチの姿があった。


「……な、なんだこの犬っころは!?」


「犬じゃないのだ。ポチなのだ。おじいちゃんも食べる?」


 ポチが涎でベタベタになった干し肉を差し出す。


 長老は顔を引きつらせ、「け、穢らわしい!」と後ずさった。


 その隙に、晶が一歩前に出る。


「邪魔をするな。私は医者として、患者(せかいじゅ)を治しに来ただけだ」


「医者だと? 穢れた鉄と薬品を使うのが治療か! 我々に必要なのは祈りだ! 古き良き伝統のみが、世界樹様を目覚めさせるのだ!」


 長老の目は狂信者のそれだった。


 晶がため息をつき、実力行使(スタンガン)に出ようとした、その時。


「……いい加減にしてください、長老」


 静かな、しかし凛とした声が響いた。


 エルウィンだった。


 彼は長老と晶の間に割って入り、強い瞳で長老を見据えた。


「エルウィン様……? まさか、人間の肩を持つのですか?」


「肩を持っているのではない。……事実を見ているのです」


 エルウィンは、晶が先ほど中和剤を撒いた地面を指差した。


 そこには、十年ぶりに芽吹いた小さな若草が風に揺れていた。


「我々が祈り続けた十年間、草一本生えませんでした。ですが、彼らはたった数時間で、大地に命を取り戻した。……これを認めないのは、もはや信仰ではなく、ただの怠慢です!」


「なっ……なんと不敬な……!」


「私は、この森を守りたい! そのためなら、悪魔の知恵でも借ります! ……アキラ殿、やってください!」


 王子の覚悟に、長老が言葉を失う。


 晶は口元を緩め、眼鏡を押し上げた。


「……いい判断だ。責任は取ってやる」


 晶は白衣を翻し、号令をかけた。


「オペを開始する! テオ、地下水を汲み上げろ! ボルス、ポンプ接続!」


「了解!」


 晶が巨大なタンクに次々と薬品を投入していく。

 石灰水、硝酸カリウム、リン酸塩、そして微量のミネラル。


 植物の成長に不可欠な「肥料の三要素」、窒素・リン・カリウムを黄金比率で配合した、特製カクテルだ。


「注入ッ!!」


 ドクンッ……。


 魔導ポンプが唸りを上げ、太いパイプを通じて栄養液が世界樹の幹へと送り込まれていく。


 乾ききった導管が、久方ぶりの水分に歓喜するように震える。


 ――ザワワワワッ……!


 奇跡は、すぐに起きた。


 白骨のようだった枝の先から、瑞々しい緑色が広がり始めたのだ。


 パキパキと音を立てて若芽が膨らみ、瞬く間に葉が展開していく。


 数分前まで死にかけていた巨木が、今、深緑のドレスを纏ったかのように蘇っていく。


「おぉ……おおぉ……!」


 長老が杖を取り落とし、膝をついた。


 神官たちも、涙を流してひれ伏している。


 森中に光の粒子が舞い上がり、精霊たちが歌うような風が吹き抜けた。


「すごい……。これが、科学の力……」


 エルウィンが、蘇った世界樹を見上げて震えている。


 晶はその横で、空になったタンクを叩いた。


「植物も生き物だ。腹が減れば死ぬし、飯を食わせれば元気になる。……それだけのことだ」


 晶にとっては単純な生理現象だが、エルフたちにとっては神の御業にしか見えなかっただろう。


 エルウィンが、潤んだ瞳で晶に向き直った。


 そして、その手を取り、深く頭を下げた。


「ありがとう……! 本当に、ありがとう! 貴方はまさに、伝説の『緑の救世主』だ!」


「よせ。私は世界を救いに来たんじゃない。ただ、美味いラーメンの『材料』が欲しかっただけだ」


 そう、晶の目的はここからが本番なのだ。


「アキラ、アキラ! なんかいい匂いがするのだ!」


 空気を読まずに、ポチが森の奥から走ってきた。


 その口元には、何やら緑色のさやに入った豆のようなものがついている。


「ん? なんだそれは」


「あっちにいっぱい生えてたのだ! ジャーキーの次のおやつなのだ!」


 晶がポチの案内で茂みをかき分けると、そこには蘇った大地の養分を吸って、爆発的に成長した植物の群生があった。


「これは……!」


 晶がその鞘を手に取り、中身を確認する。


 丸々とした、淡い黄色の豆。


 そしてその隣には、黄金色の穂を垂れる麦のような植物。


「……『野生種の大豆』と『古代小麦』か!」


 晶の手が震えた。


 世界樹の守護のおかげか、品種改良されていない原種が、奇跡的に保存されていたのだ。


「ビンゴだ……。これで、作れるぞ」


 晶の脳裏に、漆黒の液体(しょうゆ)と、芳醇な茶色のペースト(みそ)が浮かぶ。


 世界樹の復活など、これから始まる「発酵」という名の戦いに比べれば、前座に過ぎない。


「エルウィン王子。治療費の代わりに、この豆と麦の独占使用権をもらうぞ」


「え? あ、はい。構いませんが……そんな雑草で何を?」


「ふふふ……。教えてやろう。世界樹よりも尊い、『菌』の素晴らしさをな」


 晶は怪しく笑い、手にした大豆を高く掲げた。


 森の再生は終わった。


 だが、晶にとってはここからが本番だ。


 聖なる森の中心に、神をも恐れぬ巨大な醸造プラント――『麹室(バイオ・プラント)』を建設するという、新たな野望が幕を開けたのである。


第2章・全69話まで完結保証しています。キリの良いところまでキッチリ読み切れます!


続きが気になる、面白かったと思っていただけたら、

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第3章執筆のモチベーションに使わせていただきます。

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