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第54話:スベる鍋と、スベったプロポーズ

 地底都市『アイアン・ホール』に朝が来た。


 昨夜の宴、飲みニケーションの熱気が冷めやらぬ中、第一王子ガンドの工房から、悲痛な叫び声が響き渡った。


「ああっ!? く、くっついたぁぁぁッ!!」


 ガシャーン! と何かが床に叩きつけられる音。


 晶が眠い目をこすりながら工房に入ると、そこには絶望の淵に立たされたガンドの姿があった。


 彼の足元には、無残にひしゃげた目玉焼きと、黒く焦げ付いた鉄のフライパンが転がっている。


「……何をしているんだ、朝から」


「し、師匠……。いや、昨日の礼に、みんなの朝飯を作ろうと思ったんですが……」


 ガンドが涙目で訴える。


「俺のウデが悪いのか、フライパンが悪いのか……。卵が鉄板に張り付いて離れないんです! 無理に剥がそうとしたら、黄身が潰れて…」


 技術者らしく完璧な半熟を目指したらしいが、結果はスクランブルエッグ以下の残骸だ。


「鉄のフライパンは『油ならし』が必要だ。油膜を作って、温度管理を徹底しないとタンパク質が熱変性を起こして金属と結合する」


 晶は淡々と解説し、焦げ付いたパンを拾い上げた。


「だが、お前の失敗は重要なデータだ。……いいか、我々が構築すべきなのは『職人技』に頼らない調理システムだ」


「システム……ですか?」


「ああ。数百、数千の注文を捌くオペレーションにおいて、いちいち鍋の機嫌を伺っている暇はない。誰が使っても、どんなに雑に扱っても、絶対に焦げ付かない『再現性』が必要なんだ」


「そんな魔法の鍋、あるんですか!? ミスリルでも焦げますよ!?」


「あるさ。……『世界一滑る樹脂』でコーティングすればな」


 晶は白衣のポケットから、紫色の美しい結晶を取り出した。


 この国の鉱山で採れる宝石の一つ、『蛍石(フローライト)』だ。


「えっ? 宝石を鍋に貼るんですか?」


「いや。この石から、禁断の元素……『フッ素』を取り出す」


 晶の目が、マッドサイエンティスト特有の冷徹な光を帯びた。


「いいかガンド。これから行う実験は、ミスリルの精製よりも遥かに危険だ。……一歩間違えれば、この工房ごと肺が溶けて死ぬぞ」


「は、肺が……!? 料理道具を作るだけですよね!?」


 ガンドが後ずさるが、晶は既に「ドラフトチャンバー(排気装置)」の魔法陣を展開し始めていた。


 工房は厳戒態勢に入った。


 黒薔薇騎士団のテオが、風魔法で強力な結界エアカーテンを張り、有毒ガスの漏洩を防ぐ。


「……構成式展開。|フッ化水素生成・重合反応ポリメリゼーション


 晶がなまり坩堝るつぼに入れた蛍石の粉末に、濃硫酸を滴下する。


 シュウウウ……ッ!


 猛烈な刺激臭と共に、ガラスさえも腐食させる最凶のガス、フッ化水素が発生する。


「おい、なんで中身の見えない鉛の器なんか使うんだ? いつものガラス瓶でいいじゃねぇか!」


「バカ野郎。このガスはガラスを溶かすんだ。普通のビーカーでやったら、底が抜けて全員死ぬぞ」


「ひぃぃっ!? 瓶を溶かす煙だと!?」


 見守っていたボルスが悲鳴を上げる。


 晶はその危険なガスを、魔導回路を通じて制御し、さらにクロロホルムと反応させていく。


「フッ素は孤独な元素だ。誰とも結びつきたがらない。だが、一度炭素と手を組めば、その結合はダイヤモンド並みに強固になる」


 炭素の鎖の周りを、フッ素原子が隙間なくガードする。


 他の物質を一切寄せ付けない、完全なる拒絶の壁。


 これこそが、『|ポリテトラフルオロエチレン《PTFE》』――通称、テフロンだ。


 反応が終わると、坩堝るつぼの底に「白い粉末」が残った。


 何の変哲もない、小麦粉のような粉だ。


「こ、これが……猛毒から生まれた宝石……?」


「触ってみろ。ツルツルだぞ」


 ガンドがおそるおそる指先で触れる。


「うおっ!? ……滑る! 指紋が引っかからない!」


 摩擦係数は氷よりも低い。


 晶はこの粉末を液体に分散させ、昨日作ったばかりの「ステンレス製中華鍋」の内側に吹き付けた。


 そして、高温に熱した炉の中に入れる。


「焼き付けだ。400度で焼成し、金属表面に皮膜を定着させる」


 数十分後。


 炉から取り出された中華鍋は、内側が艶消しの黒灰色ダークグレーに染まっていた。


 見た目は地味だ。銀色のステンレスの輝きは失われている。


「……なんか、薄汚れた感じになっちまいましたね」


 ボルスが残念そうに言う。


 だが、晶は不敵に笑い、鍋をコンロにかけた。


「ガンド。もう一度、卵を焼け」


「えっ、俺が? また失敗したら……」


「いいからやれ。油はいらん」


 晶の指示に、ガンドは半信半疑で卵を割り入れた。


 ジュウウウ……。


 熱せられた表面で、白身が固まっていく。


 いい匂いが漂う。ここまでは普通だ。


「ひっくり返せ」


 ガンドがフライ返しを構える。


 いつもなら、ここでへばりついた白身と格闘することになる。


 覚悟を決めて、鍋肌に器具を差し込んだ、その瞬間。


 スルッ。


「……え?」


 抵抗がない。


 まるで氷の上を滑るように、卵が鍋の上を移動したのだ。


「う、浮いてる……!? 卵が、鍋の上を滑ってるぞ!?」


 ガンドが鍋を揺すると、目玉焼きはスルスルとスケートのように滑走し、鍋の縁でジャンプした。


 クルッ、スタッ。


 鮮やかな空中回転(フリップ)を決めて、裏面も完璧に焼けた。


 焦げ付きゼロ。こびりつきゼロ。


「す、すげぇぇぇぇッ!!」


 ガンドが鍋を掲げて絶叫した。


「なんだこの快感は! 料理が……料理が俺の支配下にある! 失敗する気がしねぇ!」


「完成だ。名付けて『絶対滑走中華鍋』」


 晶が命名する。


 相変わらずのネーミングセンスだが、性能は確かだ。


 これさえあれば、火力の強い中華鍋でチャーハンを作っても、米粒一つ残さず煽ることができる。


 後片付けも、水で流すだけで終わりだ。


「師匠……! あなたは、神ですか……!」


 ガンドが、完璧に焼けた目玉焼きを皿に移し、震えながら一口食べた。


 黄身はトロトロ、白身はプリプリ。焦げ臭さは微塵もない。


「美味い……! 俺の人生で、一番美味い目玉焼きだ……!」


 ガンドの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


 技術への感動と、美味しいものを食べた幸福感。


 それが混ざり合い、彼の晶への感情を決定的なものに変えた。


「一生ついていきます! 俺を……俺を弟子にしてください!」


「断る。お前は一国の王子だろ」


 晶は素っ気なく返したが、ガンドは諦めない。


 彼は鍋を抱きしめ、熱っぽい瞳で晶を見つめた。


「なら、結婚してください!」


「ぶふっ!?」


 晶が麦茶を吹き出した。


 まさかの求婚。しかも、理由が「テフロン加工に感動したから」。


「この技術があれば、ドワーフの食卓は革命的に豊かになる! あなたとなら、最高の国が作れる!」


「却下だ却下!私はただ、自分でラーメンを作って食べたいだけだ」


 晶は逃げるように工房を出た。


 背後では、黒薔薇騎士団の面々が「あーあ、また一人犠牲者が……」「社長の無自覚たらしスキル、発動っすね」とニヤニヤしている。


(……まったく。変なフラグばかり立ちやがる)


 晶はため息をつきつつも、手に入れた「黒い中華鍋」の感触を確かめた。


 軽い。そして滑らかだ。


 これで、野菜炒めもチャーハンも、餃子も焼ける。


 寸胴鍋、中華鍋、丼。


 調理器具ハードウェアは全て揃った。


「さて、いよいよ大詰めだ」


 晶は、工場の奥にある最後の設計図を見やった。


 そこに描かれているのは、無数の歯車とカッターが噛み合う、複雑怪奇な魔導機械。


 手打ちの限界を超え、コシと喉越しを量産する夢のマシン――『製麺機』。


「ガンド、泣いてる暇はないぞ。最後の大仕事だ」


「はいっ! 師匠! ……愛してます!」


「愛はいらん、技術を出せ」


 晶は設計図をバンと作業台に広げ、不敵に笑った。


(続く)


第2章・全69話まで完結保証しています。キリの良いところまでキッチリ読み切れます!


続きが気になる、面白かったと思っていただけたら、

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第3章執筆のモチベーションに使わせていただきます。

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