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第50話:火力不足? いいえ、純酸素燃焼です

 地底都市『アイアン・ホール』の中心部には、この国の心臓とも呼べる巨大な溶鉱炉が鎮座している。


 『大地の竈』。


 かつてはドワーフの誇りそのものであったその炉は、今や赤黒く燻り、死にかけた老人の呼吸のように頼りない熱を吐き出していた。


「……ぬるいのじゃ」


 不満げな声が響いた。


 晶の足元で、赤い髪の幼女――タマが、つまらなそうに炉を見上げている。


「『鉄と炎の都』と聞いて期待していたのに、これではただの残り火じゃ。妾のくしゃみの方がまだ熱いぞ」


「文句を言うな、タマ。だから今から治療するんだ」


 晶はタマをなだめつつ、前へ出た。


「……ふん。部外者が何を始めるつもりだ」


 腕組みをして睨みつけるのは、ギルド長だ。


 その背後には、数十人のベテラン鍛冶師たちが、敵意と好奇心の入り混じった視線を向けている。


「おい、見たか? あの黒い服の連中、妙な機械を運び込んでるぞ」


「水槽か? 火を起こすのに水を使う気か?」


 彼らの視線の先で、結城 晶(ゆうき あきら)率いる『黒薔薇騎士団』が、手際よく機材をセットしていた。


 運び込まれたのは、透明なガラスの水槽、太い銅線、そして移動要塞から降ろした巨大な『魔力蓄積器(バッテリー)』だ。


「準備完了です、師匠!」


 油まみれの手を拭いもせず、第一王子ガンドが叫ぶ。


 彼の目は、新しい玩具を与えられた子供のように輝いていた。


「よし。……始めようか」


 晶は白衣の襟を正し、ギルド長の前に立った。


「ギルド長。貴方は言いましたね。『地脈の変動で熱が下がった』と」


「事実だ。マグマの力が弱まっている。これは自然の摂理、人の手ではどうにもならん」


「いいえ。それは単に、『燃やし方』が下手なだけです」


 晶の挑発的な言葉に、ドワーフたちがどよめく。


 鉄玄の眉間の皺が深まった。


「……若造が。我々が何百年、火と向き合ってきたと思っている。石炭をくべようが、風を送ろうが、これ以上温度は上がらんのだ!」


「風を送る? ……それが間違いの元凶だ」


 晶は憐れむような目をした。


「空気の八割は、燃焼を邪魔する『窒素』だ。貴方たちは必死に風を送ることで、同時に大量の『冷却ガス』を炉に流し込んでいるようなものなんですよ」


 現代化学の基礎知識。


 空気の組成は、酸素約21%、窒素約78%。


 窒素は燃焼には寄与せず、熱を奪って排気されるだけの「お荷物」だ。


 ならば、そのお荷物を取り除き、燃える成分だけを供給すればどうなるか。


「見せてあげましょう。……不純物なき、純粋な炎を」


 晶は水槽の前に立った。


 中には、電気を通しやすくするための電解質・水酸化ナトリウムを溶かした水が満たされている。


「テオ、回路接続!」


「はい! スイッチ、オン!」


 バチッ!


 バッテリーから大電流が流れ込む。


 瞬間、水槽の中の電極から、猛烈な勢いで泡が発生し始めた。


 ブクブクブクブク……!!


「な、なんだ!? 水が沸騰したのか!?」


「いいえ、分解されたのです」


 晶は淡々と解説する。


「……構成式展開。電気分解(エレクトロライシス)


 H2O(水分子)の結合を、電気エネルギーで無理やり引き剥がす。


 陰極からは水素が、そして陽極からは――。


「酸素だ。物を燃やすためだけに存在する、最強の助燃ガス」


 晶は陽極から発生したガスをポンプで吸引し、耐熱ホースを通じてバーナーのノズルへと圧送する。


 そのノズルを、実験用の小型炉に向けた。


 中には、ドワーフたちが「温度が低くて溶けきらない」と捨てていた、クズ鉄の塊が入っている。


「ガンド、種火を」


「はいっ!!」


 ガンドが震える手で松明を投げ込む。


 炉の中で、炭が赤くおこった。


 普通の燃焼だ。温度はせいぜい800度といったところか。


「……酸素バルブ、開放」


 晶がレバーを回した。


 高純度の酸素ガスが、猛烈な勢いで炭に吹き付けられる。


 その瞬間。


 ドォォッ!!!!


 爆音。


 そして、世界の色が変わった。


「うおっ!?」


「め、目がぁぁぁッ!?」


 ドワーフたちが悲鳴を上げて顔を覆う。


 炉の中から噴き出したのは、今まで彼らが見てきた「赤い炎」ではなかった。


 直視すれば網膜を焼かれるほどの、眩いばかりの「青白い閃光」。


 いや、中心部はもはや白を超えて透明に近い。


「な、なんだこの色は……!? 火じゃない……光だ!」


「熱い! ここまで熱気が来るぞ!」


 数メートル離れた場所にいる見物人たちの髭が、熱輻射でチリチリと焦げる。


 これが『純酸素燃焼』。


 窒素による冷却効果を排除し、燃焼反応を極限まで加速させた炎の温度は、優に2,000度を超える。


「見ろ、鉄が……!」


 誰かが叫んだ。


 炉の中のクズ鉄が、まるで夏の日のアイスクリームのように、一瞬で形を失ったのだ。


 ドロドロと溶け落ち、液体となって流れていく。


 それだけではない。炉の内壁の耐火煉瓦さえもが、高熱に耐えきれずに飴のように軟化し始めていた。


「ば、馬鹿な……。鉄が一瞬で……水に……!」


 ギルド長が膝から崩れ落ちた。


 彼の常識では、鉄を溶かすには半日かけて炉を温め、大量のコークスを消費しなければならなかった。


 それを、この若造は「水」と「雷」だけで、数秒で成し遂げたのだ。


「これが『科学の火』です」


 晶はゴーグル越しに青白い炎を見つめ、静かに告げた。


「この技術を使えば、地熱に頼る必要はありません。どんな鉱石だろうと、アダマンタイトだろうと、バターのように溶かして加工できる」


 晶はバルブを閉じた。


 青い閃光が消え、炉の中に残されたのは、不純物が焼き尽くされ、輝くような純度を持った鉄の液体だけだった。


 静寂。


 圧倒的な熱量の余韻が、ドックを支配する。


「……すげぇ」


 最初に声を上げたのは、若き鍛冶師の一人だった。


「見たかよ、あの輝き……。神様の雷そのものじゃねぇか……」


「あんな火で打てたら……俺たちは、どんなすげぇもんが作れるんだ?」


 恐怖よりも先に、職人としての本能が刺激されたのだ。


 より熱い火を。より硬い金属を。


 それはドワーフという種族に刻まれた、原初からの渇望。


「師匠……!!」


 ガンドが晶に抱きついた。


 顔中煤だらけにして、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら。


「ありがとう……! これだ! 俺が見たかったのは、これなんだ! この火があれば、俺たちの国はもう一度……!」


「暑苦しい、離れろ」


 晶はガンドを引き剥がし、呆然としているギルド長に向き直った。


「どうですか、ギルド長。これでもまだ、私の依頼(なべづくり)は『半端な仕事』ですか?」


 ギルド長は震える手で、地面にこぼれた冷却済みの鉄片を拾い上げた。


 不純物が抜け、結晶構造が緻密化したその鉄は、銀色に輝いている。


 今まで自分が打ってきたどの鉄よりも、美しく、強靭な鉄。


「……完敗だ」


 ギルド長は深く頭を垂れた。


 その目には、もはや侮蔑の色はなく、ただ純粋な敬意だけがあった。


「私が間違っていた。……あんたは魔法使いかもしれんが、その魂は俺たちと同じ『火の番人』だ」


 鉄玄は立ち上がり、周囲の鍛冶師たちに怒号を飛ばした。


「おい野郎ども! 何をボケっとしてやがる! 客人の注文だ! ありったけの鉄とコークスを持ってこい!」


「「「オウッ!!」」」


「この『神の火』を使って、ドワーフの意地を見せてやる! 最高の鍋でも剣でも、なんでも打ってやらぁ!!」


 ドッ! と歓声が上がった。


 死にかけていた街に、熱気が戻った瞬間だった。


(……やれやれ。これでやっとスタートラインか)


 晶は肩の力を抜いた。


 ふと足元を見ると、ポチが目をキラキラさせて晶の白衣を引っ張っていた。


「アキラ、アキラ! 今の青い火、かっこよかったのだ! お肉焼いたら一瞬で焦げちゃうのだ!」


「ああ、黒焦げだ。絶対に近づくなよ」


「……ぐぬぬ」


 歓喜するポチの横で、唸り声を上げている者がいた。タマだ。


 彼女は赤熱する炉の余韻を睨みつけ、悔しそうに地団駄を踏んだ。


「ふん、ままごとにしてはやるではないか。……悔しいが、今の火は妾のブレスに匹敵する熱さだったのじゃ」


「おや、負けを認めるのか?」


「認めてはおらん! だが……」


 タマは炉の近くへトテトテと歩み寄ると、その熱気にうっとりと身を寄せた。


「あったかいのじゃ……。この燃えるような熱気、悪くないぞ。人間にしては、いい『火』を作ったと褒めてやるのじゃ」


(……結局、暖まりたいだけか)


 最強のストーブを手に入れた元・火炎竜は、ご満悦の様子で尻尾を振っていた。


 晶はポチとタマの頭を撫でながら、ガンドに設計図を渡した。


「さあ、忙しくなるぞ。……次は『素材』の革命だ」


 炉の温度は確保した。


 次なる課題は、ラーメンスープの塩分にも酸にも負けない、最強の合金――『ステンレス』の精製である。


 地底の国に、再び槌音が響き始めた。


 それは以前よりも高く、強く、希望に満ちた音色だった。


第2章・全69話まで完結保証しています。キリの良いところまでキッチリ読み切れます!


続きが気になる、面白かったと思っていただけたら、

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第3章執筆のモチベーションに使わせていただきます。

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