第43話:最終決戦? いいえ、女神降臨です
アステル郊外。
『魔王城』の異名を持つ石鹸工場の敷地から、天を衝くような巨大な白煙の柱が立ち昇っていた。
轟音と共に噴き上がるそれは、晶が掘り当てた「温泉」の湯気である。
だが、遠く離れた王都から見るその光景は、破滅の狼煙以外の何物でもなかった。
「……予言書にあった通りだ」
王城のバルコニーで、アステル国王は戦慄に震えた手で手すりを掴んだ。
彼の脳裏には、『滅びの刻』の一節が焼き付いている。
――地底より『白き竜』が目覚めし時、文明は煙と共に消え失せる。
「賢者アキラは……本気で世界のリセットを始めたというのか!?」
事態は一刻を争う。
国境付近には、隣国マカバリ帝国の皇帝も、緊急の早馬を飛ばして駆けつけていた。
「止めねばならん! いや、鎮めねばならん!」
皇帝の檄が飛ぶ。
「全軍、進撃せよ! ただし攻撃は厳禁だ! 全力で土下座し、賢者様の機嫌を取るのだ!」
「貢物を忘れるな! 国庫を空にしてでも持って行け! 世界の命運は、我々の『誠意』にかかっている!」
アステル王国軍と、マカバリ帝国軍。
かつて敵対していた二大国の軍勢が、今、一つの目的のために結集し、地鳴りのような足音を響かせて魔王城へと雪崩れ込もうとしていた。
◇
一方、世界の危機と目される『魔王城』の内部は、別の意味で熱気に包まれていた。
「社長! 湯加減、最高っす!」
「あぁ……。労働の後のひとっ風呂、骨身に沁みるぜぇ……」
完成したばかりの大露天風呂。
そこでは、黒薔薇騎士団たちが、一番風呂の栄誉に預かり、極楽の表情を浮かべていた。
湯船の底に埋め込まれた「蓄光石」が青白く幻想的に湯気を照らし、湯上がりにはキンキンに冷えた「天界の雲」が振る舞われている。
まさに地上の楽園。
だが、この宴の主役である結城 晶の姿はそこにはない。
「社長はどうした? 一番風呂を譲ったのに、『先に入ってろ』って……」
「奥の『専用風呂』に行かれたぞ。リナさんたちを連れてな」
◇
工場の最奥部に作られた、晶専用の内湯。
檜に似た香木で作られた浴槽には、白濁した湯がなみなみと湛えられている。
湯気が立ち込める静寂の中、晶と、リナ、フローラ、セシリアの四人が対峙していた。
「アニキ、なんであたいらまで呼んだんだ? 男同士、あっちの広い風呂に入ればいいじゃねえか」
リナが不思議そうに首を傾げる。
晶は脱衣所のカゴの前に立ち、静かに言った。
「……いや、もういいかなと思ってな」
「何がだ?」
「隠すのが、だ」
晶は着ていたシャツのボタンを外し、胸にきつく巻かれた「さらし」に手をかけた。
「金も稼いだ。権力も手に入れた。最強の部下もいる。……もう、コソコソする必要なんてないだろう」
シュルリ。
布が擦れる音が響き、さらしが床に落ちる。
湯気の中に露わになったのは、男の体ではなかった。
華奢な肩。くびれた腰。そして――慎ましやかではあるが、確かに存在する女性特有の柔らかな曲線。
「えっ……?」
セシリアが眼鏡をずり落ちさせた。
「う、嘘……でしょ? 社長…お、おんな……!?」
言葉を失うセシリアと対照的に、リナはニカっと笑った。
「へへっ。やっと脱いだか」
「気づいていたのか?」
「なんとなくな。匂いとか、仕草とかな。……長かったな、アネキ」
「ああ……! やはり……!」
フローラが感涙にむせびながら、その場に膝をついた。
「月光の如き白磁の肌……。男装という仮面の下に、これほどの美貌と神秘を隠しておられたとは……! アキラ様は、性別という概念さえも超越されたのですね……!」
「ただの女だと言っている」
晶は肩をすくめると、タオル一枚を羽織り、湯船へと足を向けた。
「さあ、入るぞ。……背中、流してくれるか?」
「喜んで!!」
◇
数十分後。
工場の宴会場である中庭は、異様な静寂に包まれた。
「……お待たせ」
湯上がりの晶が、月明かりの下に姿を現したからだ。
いつもの白衣や作業着ではない。
漆黒の浴衣を緩く着こなし、濡れた黒髪をかき上げる姿。
化粧水で磨き上げられた肌は、内側から発光するかのように艶めき、夜風に揺れる裾からは白い足首が覗く。
そこにいたのは、冷徹な工場長ではなく、夜の闇を統べる「絶世の美女」だった。
「しゃ、社長……?」
ボルスがジョッキを取り落とす。
クロウが言葉を失い、テオが両手を合わせて拝み始める。
「ああ、悪かったな黙っていて。実は女なんだ、私」
晶はあっさり告げ、腰に手を当てて、湯上がりのフルーツ牛乳を一気に飲み干した。
「ぷはっ。……で、何か文句あるか?」
沈黙。
数秒の静寂の後、爆発的な歓声が夜空を震わせた。
「「「うおおおおおおおおッ!!!」」」
「女……!? 社長が、女性……!?」
「嘘だろ……あんなに強くて、賢くて、冷徹な人が……!」
「美しい……! まるで戦場に降り立った『女神』だ……!」
失望など微塵もない。
「カリスマ社長」という属性に、「絶世の美女」という属性が加わったことで、彼らの信仰心は「忠誠」から「狂信的な崇拝」へと進化、危険な領域までランクアップしてしまったのだ。
「一生ついていきます! 姉御ォォォッ!!」
「その御御足で踏んでください!」
「……なんか、余計に暑苦しくなったな」
晶が苦笑した、その時だった。
ズドォォォォォォォン!!
工場の強固な正門が押し開かれ、土煙と共に大軍勢が雪崩れ込んできた。
アステル国王とマカバリ皇帝、そして数千の兵士たちだ。
「賢者よ! 早まるな! 世界をリセットするなどと……っ!?」
先頭に立って叫んだ二人の王は、言葉を失った。
目の前に広がっていたのは、地獄の儀式でも、破壊の限りを尽くす竜でもない。
湯上がりの美女を中心に、黒き騎士たちが熱狂的に杯を交わす、神話の一ページのような光景だった。
青白い蓄光石の光が、晶の背後で後光のように輝いている。
「あ、あれは……?」
国王が震える指で晶を指す。
月明かりと湯気に包まれたその姿は、あまりに神々しく、この世のものとは思えない。
「賢者の真の姿……? なんと美しい……」
皇帝が剣を捨て、その場に跪いた。
「我々は……女神を『公爵』などという人間の枠に押し込めようとしていたのか……! なんたる不敬……!」
「女神よ! どうか、どうか我らをお導きください!」
ガシャッ、ガシャン!
王と皇帝がひれ伏し、それに続いて数千の兵士たちが一斉に平伏する。
工場の庭が、巨大な信仰の場と化した。
「……風呂上がりにこれかよ」
晶は深いため息をついたが、もう止める気も起きなかった。
性別の枷も外れ、金も、権力も、そして国からの崇拝も手に入れた。
これからは、堂々と「女公爵」として、そして「理系作家」として、好き勝手に生きていけばいい。
「堅苦しいのはなしだ。……飲め」
晶が指差した先には、開発したばかりの『黄金の霊薬』の樽と、『至高の珍味』が山積みになっている。
「お言葉に甘えて……ぐびっ……!?」
恐る恐る口にした国王たちの目が飛び出る。
「な、なんだこの美味さはぁぁぁ!?」
「喉が弾ける! 魂が震えるぞ!」
一瞬で陥落した。
厳格な王も、覇道を往く皇帝も、ビールと燻製の前ではただのおっさんだ。
「アキラ! ズルいのだ!」
そこへ、お風呂セットを持ったポチが飛びついてきた。
湯上がりの彼女は、以前お揃いで作った「足跡柄のミニ浴衣」を着崩し、兵児帯をフワフワと揺らしている。
「ボクも一緒に入るのだ! 背中流すのだ!」
「こら、今は宴会の最中だ。風呂は後だ」
晶は苦笑しながら、ポチの口元に特製の「マヨネーズせんべい」を差し出し、さらにこの前作った「アップルサイダー」の瓶を渡した。
「ほら、これで我慢しろ」
「わふっ! マヨネーズせんべいとシュワシュワなのだ! いただきまーす!」
ポチは一瞬でお風呂セットを放り出し、せんべいを齧りながらサイダーをラッパ飲みし始めた。
現金なものだ。晶は愛すべき駄犬の頭を撫で、柔らかく微笑んだ。
かつて「孤独」を愛し、路地裏で息を潜めていた理系女子は今、騒がしくも愛すべき「信者」たちに囲まれ、異世界で最も賑やかな夜を過ごそうとしていた。
「さあ、宴の続きだ! 飲み明かすぞ!」
晶の号令に、その場にいた全員が歓声で応えた。
これが、後に神話として語り継がれる『女神アキラの降臨』であり、彼女の長くて騒がしい「異世界リフォーム生活」の序章である。
―― 第1部 完 ――
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第2章(ラーメン編)は執筆済みなので、第3章執筆のモチベーションに使わせていただきます。




