第38話:夜の戦闘服? いいえ、浴衣です
『魔王城』の夜は、まとわりつくような湿気と熱気に支配されていた。
「もう! 我慢できないわ! 暑すぎるーっ!」
宿直室で、セシリアが悲鳴を上げた。
彼女は貴族仕様のフリル付きネグリジェの襟元を、バサバサと団扇であおいでいる。
「汗でレースが張り付いて気持ち悪いし、チクチクするし……。こんな蒸し風呂じゃ、お肌のゴールデンタイムが台無しよ!」
「贅沢言うなよ。あたいなんて革鎧だぞ?」
夜間警備担当のリナが、ボリボリと背中を掻きながら入ってくる。
防犯上、軽装とはいえ鎧を脱ぐわけにはいかず、その背中は汗疹地獄だ。
「……同感だ。限界に近い」
工場長の結城 晶もまた、執務机でぐったりとしていた。
男装を維持するための「さらし」。
それが吸った汗が逃げ場を失い、胸元を高温多湿の亜熱帯気候に変えている。
このままでは、執筆どころか皮膚がふやけてしまう。
「風通しが良く、汗を吸い、締め付けのない服……。作るか」
晶は決意を込めて立ち上がった。
「えっ? 服を作るの? 社長、裁縫もできるんですか?」
「設計は私がやる。縫うのは……彼らだ」
◇
翌日。工場の一角が、戦場のような縫製工場と化した。
「……見切った」
シュパパパパッ!!
元・暗殺者のクロウが、目にも止まらぬ速さで針を動かしている。
残像が見えるほどの運針。縫い目はミシンのように正確で、狂いがない。
「縫い目に隙がない……! これぞ神速の裁縫術!」
彼ら黒薔薇騎士団の手先の器用さは、こういう時にも遺憾なく発揮される。
晶が用意させたのは、吸水性と速乾性に優れた「木綿」の反物だ。
「いいか。この服の極意は『直線断ち』だ」
晶は黒板に設計図を描いた。
布を無駄に曲線で裁断せず、直線だけで構成されたシンプルなT字型。
体型を選ばず、帯一本で調整でき、脇の下(身八つ口)が開いているため通気性も抜群だ。
「名前は『浴衣』。湯上がりや寝間着に使う、究極のリラックスウェアだ」
「へぇ……。構造は単純だけど、なんか粋だねぇ」
リナが感心して布を撫でる。
さらに晶は、染色にもこだわった。
「女性陣のは、虫除け効果のある『タデ藍』で染める。目にも涼しい色だ」
「俺たちのはどうしますか、社長?」
「お前たちは……これだ」
晶は、制服の染色にも使った『鉄漿水』を指差した。
「黒ですか! さすが社長、わかってらっしゃる!」
ボルスたちが歓喜の声を上げる。彼らにとって黒は、忠誠の色だ。
◇
その日の夕方。
完成した浴衣を全員で着て、工場の縁側で夕涼みをすることになった。
打ち水をされた石畳を、涼やかな風が吹き抜ける。
「わーい! 涼しいのだ! お腹も楽ちなのだー!」
ポチが下駄をカラコロと鳴らして走り回る。
彼女のは、足跡マークが散りばめられた特別仕様のミニ浴衣だ。
帯の代わりに兵児帯をふわふわに結んであり、愛らしさが爆発している。
「どうかしら? ……似合う?」
セシリアとフローラ、リナも姿を現した。
セシリアは藍色の生地に白百合の柄。
リナは活発な向日葵柄。
そしてフローラは、白地に艶やかな撫子柄だ。
「うわっ……」
晶は思わず目を逸らした。
風呂上がりの火照った肌。濡れた髪から滴る雫。
そして、うなじから帯へと続く、無防備でなだらかな曲線。
コルセットで締め上げたドレスとは違う、抜け感のある色気が凄まじい。
「皆様、素敵ですわ。……アキラ様も」
フローラが頬を染めて見つめる先には、漆黒の浴衣を粋に着流し、団扇であおぐ晶の姿があった。
黒い生地が、透き通るような白い肌と鎖骨を際立たせ、その姿は完全に「深窓の美少年」だ。
だが、その後ろには――。
「「「押忍!!」」」
同じく黒い浴衣を着たボルスやクロウたちが、腕組みをして仁王立ちしていた。
黒地に銀の薔薇紋。懐手をして睨みを効かせるその姿は、どう見ても「極道の集会」か「武闘派浪人集団」である。
「ふぅ……。風が通って気持ちいいな」
晶が冷えた麦茶を飲んでくつろいでいると、工場の正門が開いた。
「ごめんあそばせ! 暑中見舞いに来ましてよ!」
上客のシャルロットだ。
どうやら、噂の「天界の雲」を目当てに来たらしいのだが――。
カチャン。
彼女は、縁側でくつろぐ晶たちの姿を見て、扇子を取り落とした。
「な……な、なんですのその格好は……!?」
シャルロットの目が、フローラの胸元や、晶のチラリと覗く足首に釘付けになる。
「布地は一枚だけ……? しかも、帯を一本引けば全てが解ける構造……?」
シャルロットの脳内CPUが、貴族社会の常識でフル回転する。
(あえて防御力を捨て、隙を見せることで想像力を掻き立てる……。湯上がりの湿り気を帯びた肌と、隠しきれない艶……。これはただ涼むための服ではありませんわ!)
シャルロットは戦慄した。
「これは……殿方を確実に仕留めるために開発された、『夜の決戦装備』ですわね!?」
「は?」
晶がぽかんとする。
「恐ろしい……。アキラ様は『美』だけでなく『誘惑』の技術まで極めておられるとは……! 私のドレスなど、この『計算された無防備さ』の前では何の意味も成しませんわ!」
「いや、ただの寝間着なんだが……」
「素晴らしいわ! 私にも一着作ってくださいませ! 王都の夜会で流行らせましょう!」
シャルロットは聞く耳を持たず、強引にオーダーを通して帰っていった。
(……まあ、楽だからいいか)
晶は諦めて団扇を仰いだ。
鈴虫の鳴き声と、風鈴の音。
日本の夏のような風景の中で、黒い集団だけが異様な存在感を放っていた。
こうして、アステルの貴族女性たちの間で「セクシーなルームウェア」として浴衣が大流行し、後に王都の夜の社交界を席巻することになる。
晶の『静かな執筆生活』は、またしても『殺到する注文』によって遠のいてしまったのである。
第1章・全38話完結保証しています。キリの良いところまでキッチリ読み切れます!
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第2章(ラーメン編)は執筆済みなので、第3章執筆のモチベーションに使わせていただきます。




