第21話:生き血? いいえ、化粧水です
アステル郊外の森にそびえ立つ、黒き城塞――通称『魔王城』こと、石鹸工場。
その裏庭には今、鼻を突く異様な臭気とともに、ドロドロとした「茶色い沼」が出現していた。
「社長、この汚水はどうしますか? さすがにこれ以上溜まると、ご近所から苦情が来ます」
工場の幹部であり、魔法使いのテオが鼻をつまみながら報告する。
目の前に広がっているのは、石鹸製造の過程で大量に排出される廃液だ。
塩析――塩を使って石鹸成分を分離させる工程によって出た残り汁であり、不純物や余分なアルカリ、死んだ酵母などが混じった、まさに産業廃棄物。
「森の奥深くに埋めますか? それとも僕の風魔法で霧散させますか?」
「捨てるな。それは『宝の山』だ」
結城 晶は、白衣のポケットに手を入れ、愛おしそうに汚水を見つめた。
その視線は、まるで最高級の宝石を鑑定する商人のようだ。
「た、宝……ですか? ただの残り汁にしか見えませんが……」
「甘いなテオ。この廃液には、肌を潤す最強の保湿成分――『グリセリン』が大量に眠っているんだ」
晶はしゃがみ込み、沼の表面を観察する。
先日、アステル領主の娘・シャルロットから追加注文が入った。「もっと肌がプルプルになる水はないの?」と。
つまり「化粧水」の要望だ。
その主成分であるグリセリンをわざわざ外部から買っていたら、コストがかさむ。
だが、この廃液から抽出できれば、原価は実質ゼロ。利益率は無限大だ。
「見てろ。……構成式展開。廃液蒸留・純度精製」
晶が指を鳴らすと、実験室から持ち出した巨大なフラスコと冷却管が組み合わさり、宙に複雑な蒸留装置が構築された。
アイスブルーの瞳が、混合液の中の成分ごとの沸点の違いを見切る。
魔力による加熱。
廃液が沸騰し、水分やアルコールだけが先に蒸発して取り除かれる。
さらに、活性炭のフィルターを幾重にも通すことで、色と臭いの元となる不純物を徹底的に吸着させる。
ボコッ、ボコッ……。
ドロドロだった茶色い汚水が、ガラス管を通るたびに透き通り、そしてとろりとした粘り気を帯びていく。
冷却管の先から、ポタリ、ポタリと滴り落ちる雫。
最終的にビーカーに溜まったのは、蜂蜜のように濃厚な輝きを放つ、「無色透明の液体」だった。
「なっ!? あの汚水が、清水に変わった……!?」
背後の影からぬっと現れた元・暗殺者のクロウが、珍しく目を丸くして驚愕する。
「舐めてみろ。甘いぞ」
「毒見ですね、心得た」
クロウが躊躇なく液体を指につけ、舌に乗せる。
瞬間、その鋭い眼光が和らいだ。
「……甘い!? 砂糖水よりもまろやかで、温かみのある甘さだ。それに……」
クロウは指先をこすり合わせた。
「指先が、驚くほどしっとりと潤っている……!」
「汚水を浄化し、甘露に変える……。これが社長の錬金術……」
遠巻きに見ていた従業員たちがどよめく。
晶は満足げに頷いた。純度の高いグリセリンと精製水。これでベースとなる保湿液は確保できた。
「次は香り付けと薬効成分だ。……ボルス、あれを持ってこい」
「へい! 任せといてくだせぇ!」
ズシン、ズシンと地響きを立ててやってきたのは、巨漢のボルスだ。
彼が小脇に抱えて軽々と運んできたのは、大人が二人入るほどの巨大なガラス瓶だった。
中は、ドス黒い赤色の液体で満たされている。
「こいつは……酒か?」
「『抽出液』だ。高濃度のアルコールに、隣の領地から取り寄せた『乾燥バラ』を大量に漬け込み、その成分を極限まで抽出したものだ」
晶は瓶を指差した。
この街のバラは先日の虫害で全滅したが、他所なら手に入る。乾燥バラは水分が抜けている分、成分が凝縮されているのだ。
バラのエキスが溶け出したアルコールは、鮮やかさを通り越して、静脈血のように重く濁った赤色に染まっていた。
瓶の底には、色を吸い取られて白骨のように白くなったバラの残骸が沈んでいる。
「ひぃっ!?」
瓶の中を覗き込んだテオが、悲鳴を上げて腰を抜かした。
「ち、血だ! 瓶の中に生血がなみなみと満たされているぅぅ!?」
「ただのエキスだ。騒ぐな」
晶はテオの反応を無視し、冷静に作業を進める。
先ほど精製した「透明なグリセリン水」に、スポイトで吸い上げた「赤いチンキ」を垂らした。
ポチャン。
透明な液体の中で、赤色がゆらりと広がる。
それはまるで、清水に落とした一滴の鮮血のように、妖艶な軌跡を描いて溶けていく。
だが、完全に混ざり合うと、全体が淡く、美しいピンク色に染まり、濃厚なバラの香りが辺り一面に立ち上った。
「完成だ。『薔薇の雫』。これ一本で、カサついた肌も蘇る」
「おぉ……! 美しい……!」
テオが眼鏡を直して感動の声を上げる。
一方、その様子を工場の二階から見下ろしていたフローラは、青ざめた顔で震えていた。
「なんてこと……」
フローラの目には、晶の行為が全く別の儀式に見えていたのだ。
「ゴミから抽出したエキスに、赤い液体を混ぜ合わせる……。これは古の魔女が行ったという禁忌の美容法、『鮮血の沐浴』の再現……!」
フローラは胸を押さえ、うっとりと溜息をつく。恐怖と崇拝が入り混じった、危うい表情だ。
「他者の命を犠牲にして、自らの若さを保つ……。アキラ様は、美のためなら悪魔の所業も厭わないのですね……! その冷徹さ、痺れますわ!」
(ただのリサイクルとハーブエキスなんだが)
晶は心の中で訂正しつつも、あえて誤解を解くことはしなかった。
説明する時間が惜しい。
彼は工場のラインを見渡した。これで中身の準備は整った。次は容器詰めだ。
◇
数日後。
工場の一角では、異様な光景が広がっていた。
「オラァ! ラベル貼り完了! ズレてねぇだろうな!」
全身漆黒のフルプレートアーマーに身を包んだボルスが、太い指先をプルプルと震わせながら、小指ほどの小さなガラス瓶に、ピンク色のラベルを慎重に貼っている。
その顔は、凶暴なドラゴンと対峙する時よりも真剣だ。
「フッ……。俺の動体視力なら、気泡一つ逃さん……」
隣では元・暗殺者のクロウが、目にも止まらぬ速さでスポイトを操っていた。
残像すら見える手さばきで、一滴の狂いもなく化粧水を充填していく。
一瞬でも手が滑れば商品価値が損なわれる、極限のミッションである。
「湿度よし! 乾燥棚へ運びます!」
テオが繊細な制御の風魔法を使い、完成した瓶を優しく運搬する。
黒ずくめの武装集団――『黒薔薇騎士団』の面々が、凶悪な装備のまま、実にファンシーな「ピンク色の小瓶」を製造する内職に従事していたのだ。
「……なんだこれ」
視察に来た冒険者のリナが、入り口で立ち尽くした。
「魔王軍みたいな連中が、揃いも揃って乙女チックな作業してやがる……。ツッコミどころが多すぎて、あたいの頭が追いつかねぇよ」
「すごいのだ! ピンク色がいっぱいなのだ! 工場がイイ匂いなのだー!」
獣人族のポチだけが無邪気に走り回り、黒い騎士たちの足元にじゃれついている。ボルスが作業の手を止め、デレデレとした顔でポチの頭を撫でた。
(……まあ、生産効率は最高だな)
晶は満足げに頷いた。
廃棄物利用による原価低減と、高スペック人材による精密手作業ライン。
この『薔薇の雫』もまた、貴族女性たちの財布を直撃し、販売元であるアステル家に莫大な利益をもたらすことになる。
ただし、その裏で
「郊外の『魔王城』の地下では、毎夜、生き血をすする儀式が行われているらしい」
という、身に覚えのない噂が流れることになるのだが、それはまた別の話である。
第1章・全38話完結保証しています。キリの良いところまでキッチリ読み切れます!
続きが気になる、面白かったと思っていただけたら、
ブックマークや、下の【☆☆☆☆☆】(評価)で応援していただけると嬉しいです!
第2章(ラーメン編)は執筆済みなので、第3章執筆のモチベーションに使わせていただきます。




